<東京怪談ノベル(シングル)>


『花へ宿る想い』

  花よ、花。
 どうか私の願いを聞き届けて。
 名も知らぬあの方に、どうか――。

  離れ離れになってしまった私の身体。
 残っている意識だって、魂だって、ちぎられたこの上半身だって、もうすぐアイツに喰われてしまう。
 “あのとき”と同じ、母さんのように。


「綺、麗ね、ルベリア……」
 少女の瞳から溢れ出した涙が、傷だらけの頬を伝い地面に落ちる。
 瞳だけをルベリアに向け、ぐったりと横たわった身体を動かすこともできず、目の前に佇む一輪の花に、息も絶え絶えに語りかけた。
「どうか、私の、言葉…と願いを…あの方、に……。コイツ……を、封印してく」
 最期の言葉を告げさせないかのように、ウォズは残りの少女の上半身へと喰らいついた。
 骨ごと噛み砕くような鈍く醜い音が響き渡り、臓器から飛び出した血が辺り一面へと広がった。
 光を受けてきらきらと無数の色を放っていたルベリアの花が、一瞬にして黒味を帯びた赤色へと変色する。
 それはまるで、少女の願いを聞き入れた契約の血の署名のようでもあった。 


  芳しい気品のある香りが、風に運ばれてオーマ・シュヴァルツの元までやってくる。
 空へ続くかのように見える高台の下方は澄んだ湖が広がっており、それ以外に周囲にはなにもない。
 下から見るとまるでぽっかりと浮かんでいる空中庭園のようだ。
 そこに敷き詰められるように咲き乱れているルベリアの花々が、静かに香りを放ちあっていた。
 今より八千年昔にゼノビアで引き起こされた、ウォズと具現を誕生させた謎の事象ロストソイル。
 当時ルナリアと呼ばれていたこの花々は、ロストソイル以降急激に数を減らしていった。
 その少なさゆえ、万能薬や呪いごと、また想い人に贈ると永久の想いと絆で結ばれるという伝承までも引き継いだ、希少な花となっていった。
 先頃このルベリアがオーマたちの世界ゼノビアよりソーンへともたらされ、花開いたばかりだった。
 ――こんだけ咲き乱れてるルベリアは、ゼノビアのどこを探したってあるはずがねぇな。
 埋め尽くすように咲き競う花を思い、久しぶりに彼らを見るべく高台へと向かっていたオーマは、自分の世界に咲いているルベリアとの差を改めて感じていた。
 ソーンの地に根付いたルベリアは方々に散らばり芽生えたが、不思議とこの場所には数えきれないほどのルベリアが集まり、他のどの場所に咲く花よりも美しく咲き誇っていた。
 まだ、オーマと彼の妻にしか気づかれていないルベリアたちは、揺れる風にその身を任せあっている。
 白、瑠璃、茉莉花、朱華、光を浴びる角度によって数えきれない色の変化を放つルベリアたちから離れた場所。
 そう、この花の庭へと続く道の入り口の脇に、酷く悲しみを帯びた色をしたルベリアが一輪、静かに佇んでいた。
 否、ルベリアだけではなかった。この花を取り囲むかのように、辺り一面に酷い色が散っている。
 血の色だった。
 血塗れたルベリアはまるでオーマが訪れるのを待っていたかのようだった。
「どうしたってぇんだ。お前さんはよ」
 上に向かおうとしていたオーマの足が止まり、なにかを訴えかけているような紅いルベリアに近づく。
「こりゃあ血じゃねーか」
 地面に片膝をついてあたりの様子をうかがうオーマの背後で、まるで花に釣られて寄ってくるものを待ちわびていたかのように、異形が動いた。
 反射的にその身を引き、右手を空にかざすオーマの掌中に、ゆらりと巨大な銃器が握られる。
 二メートルを優に超えるオーマの身長をさらに上回る大きさの代物だ。
「こりゃまた、ここにそぐわねぇ姿だなぁ。おい」
 喉の奥を鳴らして獲物を狙い踏みしている異形――ウォズは、オーマの言葉など理解をしようともしなかった。
 ルベリアを踏み潰すような勢いで襲い掛かってくるウォズをかわしたオーマは、意識的にその場から遠ざかるようにじりじりと後退る。
「俺も、こんなもんを使っちまったらヤバイな。さすがにここじゃ」
 手にしている銃器の威力を十二分に理解していたオーマは、トリガーから指を外すと、構えていた方向を逆さにした。
 人型ではあるがとても人と同じ種とは思えない動きと、耳元まで裂けきった口に、巨大な目。
 辺りに大量の唾液を撒き散らしながら、ウォズはオーマに飛び掛るように大きく跳ねた。
 すかさずオーマの手にしていた銃が空を切るように、ウォズの腹部に命中する。
 もんどりうって倒れかえるウォズに跨るように覆い被さったオーマは、ニヤリとその口元に笑みを浮かべた。
「ここでイッタイなぁにをしやがった?」
 唸り声を上げて抵抗をするウォズの口元に、銃器を突きつける。
 もっとも、銃口を向けているだけであり、引き金を引く気など全くない。
 オーマたちヴァンサーと同じものでもあり異なる存在であるウォズ。
 これらを殺めることはすなわち同族殺しを意味する。
 その代償は計り知れないものだ。
 オーマの行動は、もちろんそれらを全て踏まえたうえでのことだった。
 しかしそれだけでも、ウォズの自由を奪うだけのことは充分可能だ。
 だらしなく開けられたままのウォズの口元から、とめどなく唾液が零れ落ちる。
 その口の中にある鋭い牙の間には、ピンク色の肉片と破れた衣が詰まっていた。
「喰っちまったな、人を」
 すがめたオーマのその眼差しには、わずかな哀れみの色があった。
 いるべきであるはずの領域を飛び越えて犯してしまった罪。
 それを償わなければならないのは当然のことである。
 出来るのであれば。それが可能だというのならば、ウォズと共存があり得る世界となって欲しい。
 以前からオーマの中にあるそんな願いを打ち消すかのように、我欲に走るウォズたち。
「悪ぃな。閉じ込めさせてもらうぞ」
 激しくもがくウォズを力でねじ伏せたオーマは、もう片方の手のひらをウォズの眼前に置いた。
 ぶわっと噴き上げるかの勢いで風が舞い、一瞬にしてウォズの姿がかき消されると、対象を見失った銃口が音を立てて湿った跡を残す地面へとついた。


  先刻の出来事などまるでなかったかのように静けさを取り戻した場所に佇む紅いルベリアの前に、オーマは再び屈みこんだ。
「痛かっただろう?」
 花越しに、この紅色の持ち主であったであろう者へと語りかけるオーマ。
 知っているから。
 傷つくことも、傷つけることも知っているから。
 痛みを知っている。
 だからこそ、オーマの言葉には重みがあった。
『――ただ、あなたにもう一度お会いしたかったんです。会って、母の敵を討ってくださったことにお礼を言いたかった』
 突然、まるでルベリアが言葉を語りだしたかのように、オーマの耳にまだ年若い少女のような声が流れ込んできた。
 不思議に思ったオーマは周りに目をやるが、人ひとりいる気配すらない。
 彼の目の前の花も、じっとその姿を保ったままだ。
 だが、この現象がなんであるかなど気に病むことなどない。
 なにしろここは、あのルベリアの花畑に通じているのだから。
 “――母の敵を討った”
 その言葉を耳にして、この血の主だった人物が誰であったのかオーマは気づき、そして思い出した。
 十二年前。まだこの場所にルベリアが舞い降りるずっと前、とある母子がここを訪れていたことを。
 まだ幼かった少女は泣き叫んでいた。残った母親の足首を抱きしめたまま。
 喰い残された足一つを抱えている少女をさらに襲おうとしていた生き物――ウォズ。
 ゼノビアより浸入を続け、ソーン世界を乱れさせている彼らを追っていたオーマは、間一髪のところで少女とウォズとの間に割って入った。
 そして、問題のウォズを封印し、一人身となってしまった少女を村人たちの元へと送り届けたのだ。
 自立して暮らせるようになるまで、皆で面倒を見てやって欲しいと言付けて。
 今、オーマに語りかけている声は、そのときの少女のものだった。
「あんときの嬢ちゃん、か。それで、またこの場所に来たってぇのかい?」
 ――そのせいで、命を失っちまったのに。
 あと一歩。
 あのときも、そして今回も。
 あと少し早く来ていれば、二人は助かったのかもしれない。
 オーマの胸中は、自分を叱責する気持ちが渦巻いていた。
 過ぎてしまったことに“もしも”という言葉を返すことは無意味だ。
 しかし、もしも自分がこの場に居合わせていたのならば、彼女たちが犠牲になることはなかっただろうと。
「すまなかった。俺が間に合っていれば」
 ルベリアを包み込むように手を這わせたオーマ。
 そこに、オーマの思いを打ち消すべく清々しく響く少女の言葉が続いた。
『この目であなたにお会いすることは叶わなかったけれど、ルベリアが叶えてくれたから。ありがとう。ありがとう、』
 そう言って言葉に詰まってしまったた少女の思いを、オーマは汲み取った。
 不思議と、彼女がなにを求めているのかが分かったからだ。
「オーマだ。俺の名は、オーマ・シュヴァルツ」
『……ありがとうオーマさん。これでようやく、母に会えるわ。もう、思い残すことはなにもないもの』
 風が吹いたわけでもないのに、ルベリアが大きく揺れた。
 重く塗り染められていた血の色が、少し、また少しと晴れていく。
『オーマさん、お願いだから守ってあげて。力のない人たちを……。私たちみたいにならないように』
「ああ、約束だ。嬢ちゃんの想いと命の重さ、しっかり受け取らせてもらう」
 オーマの言葉を聞き届けた返事のように、彼の周りを柔らかな風が包んだ。
 ルベリア自身も、周りの血塗れだった草木も全てが本来の色を取り戻す。
 そこにはもう、少女の言葉が響くことはなかった。
「これも、おまえの仕業だな?」
 想いを映し見るとされる、ゼノビアから広まってきた花、ルベリア。
 他の花々と同じ無数の色を擁しているルベリアは、なにを言うわけでもなく、なにを見せるわけでもなく、ゆらゆらとその身を風に任せていた。
 それは、オーマの問いかけに対する無言の返事のようでもあった。


  花よ、花。
 願わくば、誰もが争わず生きていける世界を作って。
 人も、異形も、そしてあなたも――。


【花へ宿る想い・完】