<東京怪談ノベル(シングル)>


 【ラヴ&ピース】 

「っかぁー、美味いねえッ!」
 ドンっとカウンターに置かれたのは、中身が半分程に減っているビールジョッキ。
 オーマ・シュヴァルツのデカイ背の奥には、むさ苦しい男どもがヤンヤやんやと飲み騒ぐ花も色も無い、それはそれは暑苦しくも殺風景な夜の酒場の風景が広がっていた。
「さっすがは、爆裂級バーニングムッチリマッチョリ伝説的☆トリプルシューティングスターシェフだよな。っつ、わけでよ。そろそろ、コイツのレシピ教えてくれよ? な?」
 夜の酒場、カウンター席に男一人で腰をすえ、格好よくも酒を煽るかと思えば目にも鮮やかな緋色の衣を纏った巨躯の前にはざっと並べられた料理皿の数々。
 自宅に居れば地獄の番犬こと、麗しの奥方様と、今が育ち盛り。目に入れたって何されたって痛く無いプリティーキュートでエンジェルガールな愛娘の為に、せっせと白いフリルエプロン装備で炊事場に立つオーマの腕は、それはそれは魔界の料理番長だって裸足で逃げ出す程のミラクルブラボーな腕前である。
 で、あるのだが…たまに外でまともな食事をすると、それがまた美味いと感じてしまうのであった。
「褒めたって教えてやらん。こいつはうちの店の看板料理なんだからな」
 オーマの褒めてるだか、適当な言葉を並べてるだか…寧ろ通訳を用意すべきではないだろうか。と、思わせる言葉に、酒場の店主の親父は頑固そうな表情を崩さないで返事をしてきた。
「連れねえなあ、同じカリスマゴッド親父仲間じゃねえかよ」
 広い肩をひょいと竦めるも、ニッタリとした笑顔を浮かべたままオーマは鳥の香草焼きを握ったフォークで刺して口へと運ぶ。
 寝言は寝てから言え。と言うかの様な親父店主の熱い視線(オーマ曰く)を真正面から浴び、暫し大男二人の怪しい見つめあいが続いたが、それもオーマの背後で沸き起こったむさ苦しい男どもの感嘆の溜息と、茶化しの入った口笛にそれも幕を閉じた。
 見つめ合いの幕切れと同時に、不意に感じた妙な違和感にオーマは眉を潜めたが、その違和感は直ぐに消え失せ、気のせいだったかとオーマは空けた皿を親父店主へ差し出していた。


 酒場に一人の女が現れた。
 緩く巻いたブロンドの髪に緑の瞳。白いワンピースから覗く白魚の細腕。何処ぞの御令嬢よろしくといったその女は、当然ながらこんな男気タップリなむさ苦しい酒場には不釣合いであった。
 カウンターへとやってきた彼女は、後ろから無遠慮に注がれる野郎どもの視線にはまったく動じずに、二つほど席を開けてオーマの隣へ腰を下す。
 腕時計に視線を落としている所を見ると、誰かと待ち合わせだろう。
 離れて隣に腰掛けた女を、フォークを口へと運ぶ作業は止めずに紅い視線の端に止める。
 美人な女ではあるが、鬼……基、女神の様な慈愛と美しさに満ち満ちた妻と比べれば、まだメロメロビューティズムな修行が足りないぜ。と思うオーマであったが、見られている彼女からすれば、背後から向けられる遠慮無い男達の視線とオーマの視線は同じものだっただろう。
 注がれる視線に女は溜息を落としもう一度腕時計を見ると、意味は無かっただろうが緑の瞳を隣のオーマへ寄越した。
「……っ!? 如何してお前の様な奴が、こんな場所にっ――」
 一瞬の出来事だった。
 女がオーマを視界へ留めたかと思ったその瞬間、桃色の唇から悲鳴にも似た声が上がり、女はカウンターに並べられていた料理用のナイフを掴んでオーマへそれを向けた。
「……おいおい、ちょいと視線投げただけだってのに、ンな怒るこたあねえだろ。確かにお前さんにゃあ、トキメキズッキュン乙女筋があっけどよ。マジカルミラクルセクシー筋★の修行が二世紀とちょっと分足りねえ。番犬ハニーィ様の足元にもおよばねえが、腹黒同盟アレとかソレとかその他モロモロンなセクシー筋部門になら歓迎すっぜ?」
 椅子を蹴倒して立ち上がった女の迫力と、首筋に突きつけられたナイフに背を仰け反らせたオーマだったが、その姿勢のまま平常のノリを崩さずにそのような台詞をあえて酒場全体に響く声で言った。
 そんなオーマの台詞により、水を打った様に静まり返っていた酒場にどっと笑が込み上げた。
 酒場の客達は、女がオーマの視線に逆上してナイフを男に突きつけていると判断したのだ。
 あの様な台詞を吐いた緋の衣、ヴァレルに身を包んだ黒髪の男であったが、女を捕らえた紅玉の瞳は既に女の真の姿を見抜いていた。
「ふざけないで! 如何してって聞いてるのよっ。私を封じに来たのね、ヴァンサー!」
 叫ぶ女の声だったが、二人のやりあいへ横から野次を飛ばし出す客達の野太い声で、女の細く高い声はオーマにしか聞こえ無い。
 先ほどまで春の萌え葉の色をしていた女の瞳だったが、オーマの胸に刻まれた印を睨みつける女の瞳は、燃える様な赤へと変貌を遂げていた。
「私はっ…私は!! ただ普通に…暮らしたいだけなのっ。邪魔をしないで!」
 ウォズだった。
 女が店を訪れた直後、オーマが感じ取った気配は彼女がウォズであった故なのだ。
 女はオーマの首へと突きつけていたナイフを大きく振り上げ、巻き毛の金糸を揺らすと共にそれをオーマへと落とし込む。
 いくら折れそうな程に痩身な女の姿をしていようとも、ウォズはウォズ。
 振り下ろされたナイフは料理用であろうとも、一振りで殺傷能力はあったであろう……。
 オーマが命を落とすか否かは別とするも、そんな天国の階段直結コースな悪魔の一振りより椅子から転げ落ちる事で回避したオーマは、その巨躯からは考えられぬ程の俊敏な動きで起き上がると、横凪のナイフ攻撃第二波を躱し、その隙を見て女の細い手首を捕まえていた。
「ステキズムでカリスマゴッド親父な俺だって、ラブ愛ファミリーと愉快なイロモノ‘s達と、ラヴ&ピースで暮らしたいぜ? あと、……ウォズともな」
 オーマは女が力いっぱい握っていたナイフを軽々取り上げてしまうと、腰を折って顔をコレでもかと言うほど近づけ、ニィっと得意の笑顔を浮かべた。
 ナイフを振り上げた女は本気でオーマへ殺意を抱いていた。
 それは自分が封じ込まれると思いこんだ恐怖からだったのかもしれない。
 しかし彼女はウォズがウォズである所以であり、時にヴァンサーのそれをも上回ると言われる具現化の力を行使する事は無かった。
 彼女は本当にこのソーンの地で『普通に暮らす』事を切望しているのだ。
 そんな女の望みを、このオーマ・シュヴァルツが奪おうとするものだろうか。――それは、否だ。

 金髪美女が優勢に立っていたと思われたこの争い、あっという間にド派手な衣装を纏った大男が勝敗を決してしまい、酒場はブーイングの嵐。
 時代世界を問わずにデカイ親父よりも美女の方が応援されるのはお決まりらしい。
「………でも、貴方達ヴァンサーは、全員がそうではないわ」
 女の火の瞳が静かに色を戻してゆく。
 相変らず続く野太いブーイングの嵐の中、オーマの赤い瞳と女の碧玉が暫し交わった。
「私たち、ウォズもそう。全部が私と同じ想いじゃない……」
 先に視線をそらしたのは女だった。
 つかまれていた腕を振り解くと、その場で乱れた金髪を片手で撫で直す。
「できりゃ、お互いにそうなってくれればな」
 腕を下したオーマが、ふと呟いた。
「夢物語よ。でも、私もそう思う……ヴァンサーの中にも、貴方みたいな人が居るのね。それを知れただけでも…良かったわ」
 初めて女が微笑み、それと同じ時をして酒場の扉が荒々しく開かれた。
「待ち人が来たわ。彼がいるから、私…封じられるわけにはいかないのよ」
 女の名だろうか、扉を開いた優男が女に向けて声を投げている。
 随分貧相な男で、この金髪美女の横には釣り合わなくも見えたが、男の声に答えた女の笑顔はそんなものを微塵も気にさせない笑顔であった。
「デートか? ン? いいねえ、桃色トゥナイトを思う存分楽しんで来いよ、旦那にも宜しくって腹黒ゴッド親父が言ってたつっといてくれよ」
 歩き出した女へ笑いながらそんな声を投げるオーマに、女は真っ白なワンピースの裾を揺らして振り返り、面白そうに笑むと戸口で待つ男と共に酒場を後にした。


 むさ苦しい酒場から一歩外へ出ると、冷えた夜気が心地よい。
 先の酒場からはもう随分離れたが、まだブーイングの耳鳴りがしつこくオーマに纏わり付いている。
 それを振り切る様にオーマは首を左右へ振りかぶった後、大きな欠伸を落としながら足を進める。
「さあてな、俺もとっとと帰って…ラヴリーエンジェルと番犬ハニー様を、このビューティフルマッスル腹黒筋でマーチョマーチョに抱擁して、ラァヴ&ピースだな」
 やはり通訳が必要だった。
 実に上機嫌そうにそんな独り言を落としたオーマは、その足取りも軽く鼻歌なんぞも混じらせつつ帰途へと向った。

END.


■ライターより

 オーマ・シュヴァルツ様。
 お初にお目にかかります、ライターの神楽月アイラです。
 この度は、お任せ発注有難う御座いました(一礼。
 凄まじく緊張しましたが、それ以上に楽しませて執筆させて頂きました。
 ちゃめっけ有りのノリの良さ有り、たまに真面目だったり冴える男だったりと。
 そんなオーマ様の溢れる魅力を引き出せた作品になってればイイなあ…と思います。
 ではこれにて失礼いたします。今回は本当に有難う御座いました。