<東京怪談ノベル(シングル)>


『罪深き命』


「・・・懐かしいなぁ、おい・・・」
 オーマは思わず、そうつぶやく。
 目の前には昼なお暗い、針葉樹林の林がそびえ立ち、彼を鬱蒼と見下ろしている。
 その向こうで。
 彼は、ひとつの家族を助けた。
 その命を救ったことを、オーマは後悔してはいなかった。
 だが、その事実を知る者がもし、この世にひとりでもいたならば、彼は多くの非難を受けることになったかも知れない。
 それを見越して、「彼」は、オーマに言ったのだ。
「我らに関わるな。もしこれで死ぬのであれば、それもまた運命なのだから」と。
 朱に染まったその手で、「彼」は自嘲するように微笑んだ。
 ゆっくりと、唇の端をつり上げて。
 その唇からのぞくモノが、「彼」を異形たらしめていた。
「異形?この世界で、か?」
 オーマは自分の考えがおかしかった。
 雑多な種族の栄え住むこの国に、今さら『異形』なモノなど存在しない。
 だがそこに、命のやり取りをすることがあれば、周囲はそれを『異形』と判断するのであろうか。
 オーマにはその答えはわからない。
 彼は、静かに林の向こうを見晴るかす。
 あれは、もう数十年も前のことになるのか、と。
 
 
 あの日、オーマはたまたまその道を通っただけであった。
 そう、まるで今日のように。
 確か、何かの依頼をこなした帰りで、同行者の数人と別れたばかりだったのだ。
 ひとりで娘と妻の待つ家に、鼻歌まじりに向かいながら、ふと、その林の側を通った時だった。
 ひどく生臭い、金属のようなにおいが鼻をついた。
 それが何であるか、オーマは一瞬で察知した。
 わからないはずがない、こんな夜の湿った空気を、昏く彩るこの臭気――明らかに、それは血のにおいだった。
 オーマは耳を澄ました。
 しかし、彼の期待したような音は、その耳には届いて来なかった。
 それは、ある意味、既に終わってしまったことを意味していた。
「…いったい誰の仕業だよ?」
 闇に溶けるような低い声でつぶやき、オーマは足音を消して、藪の中に入って行った。
 わざとこすって消したように、その臭気は濃くなったり薄くなったりしていた。
 これだけ露を含んだ夜気でなければ、完全に臭気を追うことは出来なかっただろう。
 オーマはやがて、目を覆いたくなるような惨状に出遭うことになる。
 その、地獄絵の向こう側で。
 静かにたたずむ、ふたりの人影があった。
「おめぇら、いったい何をしてやがるんだよ?ああ?」
 普段の陽気なオーマからは想像もつかないような、凄みを秘めた声が辺りに響き渡った。
 その声にようやく、ふたりの人影はこちらを向いた。
「…我らの食事の邪魔をするな」
 この恐ろしい風景の中で、奇妙なくらいそぐわない透明な声がひとつの人影から流れ出でた。
 その手から、既に生命のすべてを流し尽くした細い体を地面に振り落とし、その女は光る瞳でオーマを睨みつけた。
「我らはそなたの邪魔はしておらぬ。それゆえ、そなたも我らの邪魔をするでない」
「そうは行くかよ」
 オーマは猛り狂う心の炎を全力で押さえつけながら、静かにそう言った。
「目の前でこれだけの人間が殺されちゃあ、黙って見てるって訳にはいかねぇってもんよ」
「…戦いは好かぬ」
「俺だって好き好んで戦いたくはねぇよ。だがよ、こいつらにあったはずの将来、おめぇたちが摘んじまった以上、その責任は取ってもらう必要があるんじゃねぇのか?」
「昨日来た者たちも同じようなことを言っていた。だが我らとて、生きるためには糧を得ねばならぬ。その糧が人間であるのと、家畜であるのとのちがいがあるだけじゃ。なにゆえ、人間だけは糧に出来ぬと?誰が決めたのか?」
 オーマは口を閉ざした。
 『なぜ人だけは殺すことが罪となるのか』――それには、様々な答えが存在する。
 そして、オーマ自身の答えも。
「俺はそうは思わねぇぜ?」
 オーマは彼らをまっすぐに見つめ返した。
「命ってのはな、どれでも等しく守られるべきもんだ。それが人間じゃなくてもな。確かに、命を生かすために、どんな生き物も他の生き物を糧にして生きてるさ、人間だけが例外じゃねぇ。だが、大抵の生き物はよ、同族を食んだりはしねぇぜ?おめぇさんたちも、人間の眷属だろうがよ、ちがうか?」
 長い、長い沈黙が降りた。
 ふたりの人影は、身じろぎひとつしなかった。
 やがて、男の方が肩をすくめて、こう言った。
「我らの生きるべき場所はここではない。娘の翼が折れ、この世界へ落ちてしまったのだ。娘の傷が癒えるまで、我らの食物の栄養素に一番近い生き物の体液が必要なのだ。我らだけでは、娘を『天空の棘扉』までは運べぬのでな」
「その場所まで昇れれば、我らは扉を開き、我らの世界へと戻って行く。それまでは、この地に在り、娘と我らの命のため、人間を狩るしか生きる術がないのじゃ」
 オーマの目に、ふたりの後ろにいた娘の翼が映った。
 それは明らかに、誰かによって折られたようだった。
 男はそっと娘の隣りにひざまずき、言った。
「我らに関わるな。もしこれで死ぬのであれば、それもまた運命なのだから」
 オーマは少しだけ考えに沈んだ。
 それから、ふたりの背後で、苦しそうな顔で倒れている少女を見やり、そっと口を開いた。
「その扉ってぇのは、どこにあるんだ?」
「…はるか上空の燃える木の中じゃが」
 オーマは唇だけで笑った。
「仕方ねぇな…連れてってやるぜ、その場所までよ」
「そなたがか?翼も持たぬのに?」
 ふたりのあきれたような声に、オーマはうなずいた。
「ああ、俺にも翼はあるんでな。まあ、特別に見せてやるよ」
(他人事じゃ、ねぇんだよ…)
 オーマは、そう、胸の中だけでつぶやいた。
(娘のためって、言われちまったからな…)
 不器用な、それでいていつも新鮮な驚きと愛情をくれる愛娘を思い出し、彼は小さく息を吐いた。
「後で、弔いに来てやるからよ…ちっとばかし、待っといてくれや」
 彼らの糧となった人たちに、祈りに似た言葉を捧げ、オーマは莫大な光を放出しながら、巨大な有翼の獅子に変化した。
 驚いて目を見はる彼らを促してその背に乗せ、彼は地面を大きく蹴った。
 夜の闇の中、白銀の月が彼らの行く手を照らし、道しるべとして輝いている。
 その陰に、緋色の大きな大きな燃える大木を乗せた浮島がぽかりと浮かんでいた。
 男は白い指でその木の真ん中を指し示した。
 そこには、青々とした茨で囲まれた、アーチ型の扉があった。
 その扉は、彼らが近付くや否や、ゆっくりとゆっくりと開き始め――ふたりは娘を抱きしめるようにしながら、扉の向こうに消えて行った。
 後にはただ、静寂と残り火のような熱さだけが、その場には残っていた。
 
 
 その後、オーマはひとり黙々と、犠牲になった人々を、その林の奥に埋葬した。
 大きな岩を運んできて、墓標代わりにも、した。
「せめて、安らかに、な…」
 すべての魂に眠りを約束し、オーマはその地を後にした。
 
 
「あれから、結構経ったんだな…」
 あの日は夜で、こんなに気持ちのいい日ではなかったが。
 オーマは林に足を踏み入れた。
「墓参りでも、して行くとするか…」
 オーマの周りを、草いきれがふわりと覆う。
 それが仮にどんなに罪深い生き物であったとしても、命ある以上それを奪うことは、誰にも許されないのだ。
 だからこそ、彼は彼らの命を奪わなかった。
 たとえ、殺された人たちに非難されようとも、命をやり取りすることは、誰にも許されることではないのだから。
 オーマはもう一度空を見上げ、そして、林の奥へと、歩いて行った…

                                                      END
******************************************************
ライターより

お待たせいたしました。
ライターの藤沢麗です。
いつもいつもありがとうございます。
本当はウォズとのことも書いてみたかったのですが、
以前からよく作中に書いていました、
「不殺生主義」について、
極端な視線からのアプローチをしてみました。
いかがでしたでしょうか?
「不殺生主義」とはきっと、
いかなる…本当に「どんな」命であっても殺さないのだろうと思って、
こんなエピソードになりました。
お気に召していただければ幸いです。
また近いうちにお会いできますよう、
心から祈っております。
このたびはご発注、
誠にありがとうございました。