<東京怪談ノベル(シングル)>


道は無限にして一つなり

 空は高く、雲一つなく晴れ渡り、街角を渡って行く風が心地よかった。
 そろそろ昼に近い刻限だが、歓楽街であるベルファ通りでは、夜の遅い人々がようやく起き出す頃合だ。そのせいか、他の通りならばあるはずの、昼の支度をする音も香りもこの界隈には見られない。
 そんな通りを、オーマ・シュヴァルツは、のんびりした足取りで家路をたどっていた。
 といっても、けして夜遊びの帰りではない。もとより、頭の上がらない女房のいる身としては、こんな時間まで歓楽街に居座ってなど、いられるはずもない。
 そうではなく、彼は先程まで往診を頼まれて、この通りにある居酒屋の年老いた女将を診察していたのだった。急に倒れたと聞いて、慌てて駆けつけたものの、結局たいしたことはなかったのだ。それに安堵して、彼はこうして家路をたどっている。
(腹へったなあ。……そういや、俺、朝飯もちゃんと食ってなかったんだっけ)
 胸に呟き、頭の中で食材は何があったろうかと考える。できれば、簡単にできてボリュームのある献立がいい。
 その時だ。静かな通りに、ふいに男たちの怒号のようなものが湧いた。オーマは眉をひそめ、少し考えてから、その声のする方へと走り出す。
 やがて通りの一画に、男たちが数人輪になって、殴り合っているのが見えて来た。
(ケンカか?)
 そう思ってよく見れば、数人がかりで一人を取り囲んで、殴ったり蹴ったりの暴行を働いているらしい。しかも、殴っているのは大人の男ばかりで、殴れらている方は子供のようだった。
「おいおい、おまえら! 何してんだ! 大勢で寄ってたかって子供を殴るたあ、どういう了見だ。ええ?」
 オーマは、大股に歩み寄ると声を荒げる。男たちは動きを止めた。
「うるせぇ……!」
 一人が何か怒鳴りかけ、オーマの二メートルを越す長身と、がっしりした体格、そしていかにも凶悪な面構えに、ぎょっとしたように声を途切れさせ、身を強張らせる。他の男たちも同様だ。
 オーマはそれを見やって、ニヤリと笑った。
「力が余って暴れたいのか? それなら、俺が相手してやってもいいんだぜ?」
 言いながら、これみよがしに指をぼきぼきと鳴らして見せる。男たちは、強張った顔つきでオーマを見やり、仲間同士で目配せを交わしながら、そろそろと後退し始めた。オーマはそれへ、更に指を鳴らしながら、ずいっと一歩前に出る。
 それだけで充分だった。男たちは「お、おぼえてろ!」とお約束の捨てセリフを残して、蜘蛛の子を散らすように逃げ去って行く。
 オーマは高笑いと共にそれを見送ったものの、後を追うようなことはしなかった。それよりも、通りの石畳の上に倒れている子供に歩み寄る。
「おい、大丈夫か? ずいぶんひどくやられたな」
 声をかけながら抱き起こしてみると、それは厳密には子供ではなかった。人間で、ざっと見たところ十七、八歳ぐらいだろうか。とんでもなく長く生きているオーマからすれば、赤ん坊のようなものだが、人間の基準でいけば少年と呼んでいい年齢に見える。
 どこからか旅をして来たのか、着ているものは埃にまみれ、その上殴られたせいで顔や手足は赤黒く腫れ上がっていた。
「おい、しっかりしろ」
 もう一度声をかけ、オーマは往診のために持っていたカバンの中から、傷薬やら消毒用のガーゼやらを取り出して、少年の傷の手当てをしてやる。
「う……!」
 その薬がしみたのか、少年は小さな声と共に顔をしかめ、目を開けた。
「あ……!」
 一瞬瞠目して何か叫びかけたのは、オーマをさっきの奴らの仲間だと勘違いしたせいだろう。無理に起きようとする彼を、オーマは押さえた。
「慌てるなよ。俺は、さっきの奴らの仲間じゃねぇ。一応、医者だ。ざっと傷の手当てはしたが、他に痛むところはないか? 人間ってのは、よわっちくできてるからな。骨だの筋だの折れたり切れたりしてた日にゃ、あとでえらいことになる。痛いところがあるなら、今言っとけ」
「……あんた、本当に医者なのか」
 しばらく黙って彼を見据えた後、少年は信じられないと言いたげな口調で呟く。
「なんだよ、その言い草は。俺は、腹が減って死にそうだってのに、おまえをあの男どもから助けてやって、タダで傷の手当てまでしてやったんだぞ」
 オーマは、少しだけムッとして言った。途端、少年は小さく唇を噛みしめる。それから、ポツリと言った。
「悪かったよ」
 そのまま、オーマが止めるのも聞かずに、起きて立ち上がる。体の埃を軽く払って、改めて助けてくれた礼を言う少年を、オーマは目を眇めて見やった。
「おまえ、どっから来たんだ? その恰好……この街の人間じゃないだろ」
 少年はしかし、きつく唇を引き結んで彼を見上げると、そのままだんまりを決め込む。
 オーマは、小さく肩をすくめた。なんとなく気になって訊いたものの、言いたくないものを無理に言わせるつもりもない。彼は質問を変えた。
「さっきの男たちに、なんで殴られてたんだ?」
「……俺が、切りつけたから……」
 うなだれて、ずいぶん長いこと石畳の上を見詰めた後、少年はポツリと言った。
「切りつけただと?」
 オーマは思わず問い返す。
「あいつらの一人が、父さんの仇と同じ特徴を持ってたんだ。だから……」
 言いさして、少年はまた口を閉ざした。その様子に、オーマは困って頭をがしがしと掻き毟った。内心では、(おかしな奴に関わっちまったよなあ……)などと、溜息をついている。それでも、気になるものはしかたがない。
 そうして彼がその少年から聞き出したのは、こんな話だった。
 少年は、楽器の名産地として名高い、クレモナーラ村の生まれだという。彼の父親はその村でも一番と称えられるほどの楽器作りの名人だったらしい。ところが、彼がまだ乳飲み子のころに、客として村を訪れた人間の冒険者に殺されたというのだ。なぜそうなったのかは、彼も知らないようだったが、冒険者は逃亡し、母親は彼を連れて仇討ちの旅に出た。
 彼は、その旅の空で成長し、やがて二年ほど前に母は病を得て亡くなったのだという。そこで今は彼が、母の意志を継いで父の仇を求め、旅を続けているのだった。
「さっきの男たちの中に、母さんが言っていた仇の特徴と同じ、顔の右半分に大きな火傷の痕のある奴がいたんだ」
 そう言って話を締めくくる少年に、オーマは思わず溜息をついた。
「もしかしておまえ、仇の顔を知らないのか?」
 問われて、少年はこくりとうなずく。
「だったらやめとけ」
 オーマは、顔をしかめて、即座に吐き捨てた。
「たしかに目立つ特徴だが、この世界にゃ、顔に火傷を負った人間なんぞ、ゴマンといるぞ。冒険者だったら尚更、そういう傷を負うこともある。……つまり、俺が言いたいのはだな、おまえがその特徴だけで仇だと決めつけて殺した相手が、違っていたらどうするんだってことだよ」
 言われて少年は、ハッとしたように顔を上げ、大きく目を見開いてオーマを見詰める。
「今度は、その人違いされた奴の身内が、おまえを仇として狙うんだぞ。いや、そいつが正真正銘、本物の仇だったところで、やっぱり同じことだ。……悪いことは言わねぇ。村へ帰れ。それか、仇を討てないまま村へ帰るのが恥だって思うなら、このエルザードに腰をおちつけろ」
 真紅の瞳で、少年をじっと見据えて言うオーマを、少年は真摯な青い瞳で見返した。だが、すぐにぎゅっと唇を引き結ぶ。そして、再び視線を足元に落とした。
「俺は、仇を探し出して、討つ。それが、母さんの悲願だったんだ。そして俺は、そのためにこうして生きて来たんだ。今更、それをあきらめるなんて……できるわけない!」
 最後は叩きつけるように叫んで、少年は踵を返した。
「あ、おい! 待てよ!」
 オーマが止めるのも聞かずに、そのまま一目散に走り去る。
 その後ろ姿をしばらく、そこに立ち尽くしたまま見送って、オーマは小さな溜息を一つ落とした。
「人間のガキってのは、融通が利かねぇからなあ……」
 小さくぼやいて頭を掻くと、彼もまた踵を返す。そのまま彼は、再び家路をたどり始めたのだった。

 オーマがその少年と再会したのは、数日後のことだった。
 天使の広場にある彼の病院に、半死半生の怪我を追った少年が、運び込まれて来たのだ。
「こりゃあ、ひどい……!」
 その姿を見るなり、さすがのオーマも険しく顔をしかめて呟いた。
 少年は、まるで拷問でも受けたようなありさまだった。手足の骨は砕かれており、肋骨にもひびが入っていて、内臓にもいくつか損傷がある。顔面も殴られたようで、もとの人相がわからないほどに、赤黒く腫れ上がっており、両目は無惨にも潰されてしまっていた。
 彼をオーマのもとに運び込んだのは、ベルファ通りに店を構える居酒屋の亭主と、そこによく出入りしている近くの娼館の女たちだった。皆、オーマにとっては親しい連中だ。その意味ではきっと、少年は運がよかったのだろう。この状態の彼を助けるなど、エルザード広しと言えども、オーマ以外には不可能だったに違いないのだから。
 ともあれ、運び込んだ者たちの善意と少年自身の幸運と、そしてオーマのたしかな医療技術のおかげで、彼はその日の夕方には全ての治療を終え、安静な状態でベッドに横になっていた。
 損傷を受けた内臓は、オーマの治療でほぼもとどおりになっており、両手足と胸部にはギプスがはめられている。顔の腫れはずいぶんと引いて、わずかに赤黒い痣が見られる程度になっていた。殴られた際に折れたのだろう歯も、挿し歯が施されている。
 それでも、少年の意識が戻ったのは、翌日の午後も遅くなってからのことだった。
「あ……」
 目が覚めても、少年は呆然として周囲に頭を巡らせるだけだ。目には白い包帯が巻かれており、当然あたりの様子は見えない。そのため、彼のとまどいは大きかった。
 そこへ、おりよくオーマが様子を見に訪れた。
「よう、目が覚めたか」
「誰だ?」
 声をかけられ、少年は不安げに問い返す。オーマは、そうだったと苦笑して、改めて名乗った。
「俺は、オーマ・シュヴァルツ。ほれ、いつだったか、ベルファ通りで男どもに殴られてたおまえを、助けてやっただろ?」
「ああ、あの時の……。でも、どうして……」
 うなずいたものの、まだ納得できないという顔をして、少年は起き上がろうとした。オーマはそれを慌てて止める。
「まだ起きない方がいい。あちこち、怪我してるからな、おまえ。……意識を失う前のことを、覚えてないのか? 誰かに袋叩きにでも遭ったらしいな。ベルファ通りに住んでる、俺の友人たちが、おまえを見つけてここに運んで来たんだ」
「あ……」
 少年は動きを止めて、再び大人しくベッドに横たわった。どうやら、前に会った時にオーマが医者だと言ったのを、思い出したらしい。
 オーマは、それを見やって問うた。
「誰にフクロにされたのかは、だいたい見当がつくがな。あの時の男たちだろ? おまえ、あの時の火傷の男が、親父の仇かどうか、たしかめに行ったんじゃないのか?」
 途端、少年はムッと唇を引き結び、それから悔しげに唇を噛んだ。
 それを見やって、オーマは小さく溜息をついた。
「あん時、俺が忠告しただろ? 仇討ちなんぞ忘れて、故郷の村に帰るか、それが嫌ならこの街で生きるすべを探せって。俺はもう一度言うぞ。仇討ち以外に、自分の生きる道を見つけろ」
「……あんたには、わからないよ」
 しばしの沈黙の後、少年はポツリと言った。
「あんたには……いや、きっと誰にもわからない。俺は、ものごころついた時からただ、父さんの仇討ちのためだけに生きて来たんだ。それ以外の生き方なんて、知らない」
「そりゃまあ……そうかもしれんがなあ……」
 オーマは、困ったようにぽりぽりとこめかみを掻く。
「けど、おまえはまだ十七か、そんぐらいだろ? 俺から見りゃ、ひよっこも同然だぜ? いくら人間の寿命が短いって言ったって、まだやり直しの利く年だと思うがなあ」
 半ば呟くように言ってから、彼は一つ咳払いをすると、話題を変えた。
「おまえの怪我だけどな、ひどいもんだったが、俺がちゃんと治療してやったから、ここで二、三日入院して、俺の処方した薬を飲みながらじっとしてれば、治る。俺はこう見えても、名医だからな」
 えっへんと胸を張って宣言すると、続ける。
「ただし、その目だけは別だ。傷の手当てはしたが、今のままだと、傷が癒えても見えるようにはならない。……誤解するなよ。見えるように、できないわけじゃないんだぜ。目玉はどっちも完全につぶされているが、おまえの細胞から新しい眼球を培養して、そいつを移植すれば、ばっちりだ。培養やら手術の予後やらに、ちっとばかし時間はかかるがな」
 豪快な口調で、なんでもないことのように明るく語られる彼の話を、少年はただ黙って聞いている。それでも、その面にはわずかに喜びと、何かを不審がるようなそんな表情が浮かんでいた。
 オーマは、それを見やって言った。
「そこで相談だ。この治療にはそれなりに金もかかるが、今回に限り、タダでやってやる。そのかわり、仇討ちをあきらめろ。目が治ったら、クレモナーラ村へ帰れ」
「……どうして」
 しばしの沈黙の後、少年は呟くように問い返した。
「どうして、そんなに俺に仇討ちをやめさせたいんだ?」
「空しいことだって思うからさ」
 オーマは、小さく肩をすくめて、即答する。
「初めて会った時にも、言っただろ? もしもおまえが仇を見つけて、そいつを討ったとしても、今度はそいつの身内がおまえを仇として狙う。キリがねぇだろ? それにな、道ってのはよ、無限でもあり、ひとつでもあるモンさ。仇を見つけてそいつを殺すことも、おまえの両親の無念を晴らすすべかもしれねぇが、たとえば、おまえが村に帰って親父を凌ぐような楽器作りの名人になるのだって、結局は同じことなんだぜ」
「そんなのは……そんなのは、詭弁だ!」
 少年はふいに、叩きつけるように叫んだ。
「俺の進む道は一つだし、目的も一つだ。父さんと母さんの無念を晴らすためには、顔に火傷の痕のある冒険者を見つけて、討つしかないんだ! 俺のことは、もう放っておいてくれよ!」
 そのまま彼は、オーマから顔をそむける。
 その頑なな態度に、オーマは再び溜息をついた。
「ま、どっちみちもうしばらくは、ここに入院だ。……目をどうするかは、その間に考えな。俺は医者で、病人を治すのが仕事だが、治す気のない奴を相手にしてるほど暇でもない。だから、強制する気はねぇよ」
 最後にそう言い置いて、彼は踵を返すと、病室を出て行く。
 少年は、最後まで彼から顔をそむけたまま、ただ小さく唇を噛みしめていた。

 少年がオーマの病院から姿を消したのは、その翌日のことだった。
 ベッドの上には、治療費のつもりだろうか、革袋に詰まったいくばくかの金が置き去りにされていて、わずかな少年の荷物は共に消えていた。
「ったく。融通の利かないガキだぜ! あの目で、どうやって仇を探すって言うんだよ。だいたい、もし運良く見つけられたとしたって、あれじゃあ、どうにもならねぇだろうがよ!」
 オーマは、やり場のない怒りに、思わず声を荒げて罪もないベッドを蹴り上げた。
「つっ……!」
 途端に、足に強い痛みを感じて、彼は顔をしかめる。
「くそっ……!」
 ベッドに八つ当たりをしてみても、痛いだけだと察して、かわりに低く悪態をついてみるも、怒りは収まりそうにもない。
 ややあって、深い吐息と共に、彼はベッドの上に腰を下ろした。金の詰まった革袋を手に取り、それを手のひらの中で弄ぶようにころがす。
(そりゃたしかに、あのガキがどう生きようと、勝手だけどよ。けど……ほんと、空しいじゃねぇか。人間なんて、よわっちくて、寿命も短くてよ、俺なんかから見たら、ほんとにあっという間に死んじまう。だったらよ、少しでも楽しいことが多い方が、いいじゃねぇか)
 胸に呟き、彼は自分の人間の友人たちのことを思い出す。たとえば、あの少年をここへ運び込んだ居酒屋の主や、娼館の女たちのことを。
 彼らの生活が、けして楽しいことばかりではないのは、オーマにもわかる。それでも、彼らの生き方を空しいとは、彼は思わなかった。彼らは彼らなりに、懸命に日々を生き、命を紡ぐ。そしてその中で、喜びや生きがいや、自分を支えるものを見つけて、それを標に道を進むのだ。けれども、あの少年は。
 オーマは、もう一度深い吐息をついた。
 本気であの少年の行方を探したいのならば、彼にはそのための手立てがいくつかある。けれどもきっと、何度同じことを言って諌めたとしても、少年の気持ちを変えることは、できないのだろう。目が見えなければ、仇を探すことすらできない――そんなことは、当の少年自身が、一番よくわかっていることだろうに、それでもオーマの出した条件を飲もうとしなかったのだから。
(そういえば俺、あいつの名前も知らないんだな……)
 ふと気づいて、オーマは苦笑する。それから、せめてあの少年のこれから先の旅が、少しでも楽であるようにと、聖獣たちに祈りを捧げ、彼は立ち上がった。
(あいつらには、もし俺に何かあっても、ぜ〜ったいに仇討ちなんぞ考えねぇように、言っとく必要があるかもな……)
 病室を出て行きかけて、ふと彼は胸に呟く。脳裏に浮かぶのは、妻と娘の姿だ。あの二人ならば、自分が死んでも、笑ってそれを乗り越えて行きそうではあるが、それでももしもそんなことに貴重な彼女たちの人生を費やすことを思うと、たまらない。
 とはいえそれは、どちらにしろ仮定の話でしかなかった。そのことに気づいて、オーマは、ばりばりと頭を掻く。
「ったく。こんなこと考えるなんざ、俺もヤキが回ったぜ」
 低くぼやいて、今度こそ彼は病室から出て行った。
 だが、その脳裏からはずいぶんと長い間、その名も知らぬ少年の姿は消えることがなかったのである――。