<東京怪談ノベル(シングル)>


虚栄無き戦士

 都市エルザードを首都とするこのユニコーン地方の北側は、海と山が連なっている。その山道のひとつ、街道沿いにぽつんと小さな店があった。
 雑貨…それも、旅に必要な品をメインに売る店で、場合によっては宿や軽い食事の提供もする、そんな店。山を越えてひと息付きたい場所に立っているため、それなりに需要は多いのだろう。旅人の喉を潤すために、店裏手から汲み出した井戸の水で沸かすお茶はこの店のちょっとした名物になっていた。
 …そしてまた、商人や冒険者たちの顔も見慣れているに違いない。
 でなければ、
「――すまん。ちと道を訊ねるが」
 全身青銅色の鱗に覆われ、赤い羽飾りを頭に付けた戦士姿のリザードマン――グルルゴルンの姿を見ても、快く答えてはくれなかっただろうから。
「お客さんは戦士のようだから、大丈夫だろうけど。最近は女性客が減ってしまいましたよ」
 丁寧に訊ねられた道を答えている店主が、がっしりとしたグルルゴルンの身体をしみじみと眺めた後で、そんな事を言う。
「何故だ?」
 対する彼の質問は簡潔。
「人攫いが出ると言う噂でしてね。いくらこの道が街道沿いだからと言って、常に誰かが歩いているのが見えるわけじゃないですし…女性の一人旅は以前から安全と言う訳じゃありませんでしたが…」
「女性?人を攫って…食うのか?」
「まさか。恐らくは野党の類でしょうね。そうなるとこっちも商売上がったりなんですがねぇ」
 攫われた女性たちのその後について店主が語る事は無かった。
 と言っても旅の通りすがりであるグルルゴルンがそれ以上詳しく聞かなかった事もあったのだが、依頼を受けたわけでも、事件解決に乗り出したわけでもない彼には当然の事だっただろう。
 店主に礼を言うと、グルルゴルンはそのまま教えられた道をすたすたと歩いて行った。

*****

 ごつごつした岩肌が目立つ山道は、それでも馬車が通れる程度までは舗装されている。――岩を切り抜いて、馬車が通れる程の広さに開けただけだったが。
 それでも街道のここはまだましだった。道のひどいところでは馬車はおろか、馬も通れない道も多いのだから。
 そんな中、ぽかぽかと暖かい日差しを青銅色の肌いっぱいに浴びて、少しばかり機嫌良く1人のリザードマンが道を歩いている。
 ――と。
 遠くから、がたがたと言う音と共に一台の荷馬車が現れた。どうやら向こうの方が少し下り坂になっているらしく、こちらからは見えなかったらしい。
 2頭のがっしりとした馬で引く馬車には、酒樽が満載されている。その御者と随行する男たちは陽気な調子で、歌を歌い、笑いあいながらゆっくりと近寄って来ていた。
 何となく端に寄って馬車をやり過ごすグルルゴルン。
 がらがらと車輪が石に当たって音を立てつつ、すれ違って行く――と。
 くるり、とグルルゴルンが振り返り、ずんずんと歩きながら馬車へ近寄って行った。
「カレンか。久しぶりだな、そこで何をしている?」
 大声でそんな言葉をかけつつ。
「ちょ…ちょっと、何すんだおい!」
「気にするな。知り合いがいるから少し話がしたいだけだ」
 両脇にいた男たちが慌ててグルルゴルンを止めようとするも、荷台に身軽に飛び移って樽を掻き分ける彼を止められる筈はなく。
 ごろんごろん、といくつかの妙に軽い樽が上から転げ落ち、そして下にずらりと並んだ樽の1つの蓋をこじ開けた。
「……」
 グルルゴルンが覗き込む『酒樽』の中から見返す目。…後ろ手に縛られ、猿轡を嵌められたカレンがその中に押し込まれていた。
「――かあっ!」
 それとほぼ同時に、びゅっ、と風切り音と共に背後から槍が突き立てられる。それを予想していたのか僅かに避けて槍を脇に抱え込み、
「ふぅっ!」
「う、うあああっ」
 勢い良くその姿勢のまま振り返ると、槍を握っていたらしい男がそれに振り回されて岩壁に叩きつけられたのが見えた。
「て、てめぇ…見られたからには、生かしておくわけにいかねえぞ」
 月並みな台詞を吐いた男たちは、グルルゴルンが荷台に上がった辺りから用意していたのだろう、各々武器を手にぐるりと取り囲んでいた。馬車もいつの間にか止まっている。
「…そういうことか」
 グルル、と喉を鳴らす。表情が変わったようには見えないが、楽しげに彼は笑い、男たちをねめつけながら片手で樽の中からカレンをぐいと抜き出すと、その歯でぶちりと縄を噛み切った。――ばらりと縄が落ちる音が聞こえる。
「後は自分でなんとかしろ」
 とん、と――それでも荷台の奥の方、男たちの気配がしない場所に軽く突いてから、腰の得物、愛用の棍棒を取り出すと余裕を持った態度で荷台から降り立った。
「ば、馬鹿にしやがって…っ」
 剣ではなく棍棒を持ち出した事で男たちに余裕が出来たのか、自分たちの持つ剣や槍を殊更に見せびらかしながら、あまり連携の取れない動きで中心にいるグルルゴルンに向け飛び掛っていく。
 ぶんっ。
 リザードマンの上体を狙った動きはあっさり空振りに終わった。その動きを読んでいたグルルゴルンが軽くしゃがみ込み、立ち上がりざまに手に持つ石をくくりつけた棍棒で相手の胴体を薙ぎ払う。
 ガッ――!
 鈍い音を立てて鎧をひしゃげさせた男が他の男にぶち当たり、物も言わずに地面へ倒れ込んだ。その力に驚いている他の男の顔面へ、今度はしなやかな鞭のように尻尾がびたぁん!とクリーンヒットする。
「ぐああああっっ!?」
「おまえらの力はこんなものか!!」
 荷台を踏み台に跳躍したグルルゴルンが落下する勢いに任せて足と尻尾を男の1人に叩きつけると、その一撃だけで気を失ったか、白目を剥いて倒れて行く。
 そんなグルルゴルンの耳に、柔らかな歌声が響いてきた。…何やら、その歌が届いてから、いつもよりも身体の動きが良くなったような気がする。
「さあ、後はどいつだ!」
 グルルルル、と喉を唸らせると、敵わないと見たか一斉に逃げ出して行く男たち。咄嗟に足元にあるこぶし大の石を拾い上げると、背中へ向けて思い切り投げつけた。
 ――ガッ…。
「うひぃっ!?」
 背中への衝撃と痛みで転倒した男が、情けない声を上げてその場に転がる。それに目もくれず逃げ去って行く男たちは、やがてどこかへと消えていった。
「…ご苦労様です」
 ぽろん、と楽器を弾き終えたカレンがにこりと微笑む。その側には、同じように樽に詰め込まれていた女性たちが、こわごわとその場に転がる男たちを眺めていた。

*****

「でもどうして、気付いたんです?」
「何。すれ違ったら、おまえの匂いがしたのでな」
「まあ」
 カモフラージュ用にか、酒が詰まった樽は荷台の両脇にひとつづつ積まれていた。その間に、攫った女性たちを詰めていたらしい。
「それにしても、助かりました。ありがとうございます」
「気にする事じゃない。…それにだ。知り人が攫われたのなら、助けるものだろう?」
「だから、ありがとうと言ったんです。…あ…なんだか、随分と怪我をしているようですけど」
「ん?」
 言われて見れば、腕や足、脇腹にところどころ傷が付いている。深い怪我では無かったので気づかなかったが、大勢の攻撃を受けた時にかすったものらしい。
「ふん。こんな傷、脱皮すれば消える」
 新しい皮になる時にも残りそうな傷は1つとして負っていない。だからその通り答えたのだが、何故かカレンはその言葉を聞いてくすっと笑った。
 ――ごとごとと、荷馬車の音がする。
 縛り付けた男たちを乗せ、捕まっていた女性たちを従え、一路エルザードへ向かって。
「いいんですか?別方向へ行く筈だったんでしょう?」
「気にするな。俺がいなければ、また樽に詰められねばならないかもしれないからな」
 くすくすっ、とそんな軽口でようやく気分が落ち着いたのか、女性たちの何人かが笑う。ようやく自分たちの家に戻れるのだと、身体が理解したらしい。
「ああ、そうだ。エルザード以外に住む者は言ってくれ。そちらが良ければだが、家まで送ろう」
 率直なグルルゴルンの言葉に、何人かが嬉しそうにこくんと頷くのを、カレンが柔らかな表情で見守っていた。


-END-