<東京怪談ノベル(シングル)>


筋肉親父の裏表


 今日も元気だ、オーマの気合い十分な絶叫が天使の広場に轟く。声のデカさは天下一品、言葉の意味は筋骨隆々。ここを初めて訪れる旅人は必ずこの『祝砲』を全身で受けなければならない。もし「自分は気の弱くて……」と思われる方には大変に気の毒だが、全身から心の奥底まで揺るがす魂の叫びを我慢して聞いてほしい。だが、決して無理をする必要はない。その迫力にあてられて気分が悪くなったら、真っ先にその声の主を探せばいい。どこにいるかはすぐにわかる。なぜなら、彼は薬屋の中にいるのだから。

 「来たなーーーっ、来たな旅人ぉぉっ!」

 きっと彼はそのままのノリであなたを迎えてくれるだろう。改めて紹介しよう、彼の名はオーマ・シュヴァルツ。その尋常ではない身の丈と筋肉は見る者をあらゆる意味で圧倒する。そして一瞬よりも長い時間、ここが薬屋であることを忘れさせてくれるだろう。ところが店内は意外にもこぎれいにしてあり、青々とした薬草の束がさりげなく旅人の目を引くところに置かれていたり、特殊な病状を治す薬品が入った小瓶などが奥の棚に整然と並んでいたりする。そんな清々しさをいとも簡単に吹き飛ばすのが、医者であり店員であるオーマなのだ。
 実はこの店内をきれいに飾っているのは、そんなオーマだったりする。見た目だけなら『きっと脳みそまで筋肉になっている』と思われるであろう彼ではあるが、実生活では掃除はもちろん洗濯や料理までこなす万能親父なのだ。裁縫だけは苦手でできないが、そこは奥さんにお任せである。まぁここで説明することもないが、家族総出で筋肉に固執しているわけではないのでその辺だけは勘違いしないように。あくまで筋肉は彼の領分である。そんなことを少しでも口にしたなら、オーマからムキムキ説教されること請け合いなので注意した方がいい。とまぁ、彼の大事にしているものは実に多い。情熱的な妻、元気な娘、活発な筋肉……たまに店を信頼できる人に預けて冒険に出ることもあるそうだが、そんな時でも家族のことは決して忘れないそうだ。あふれんばかりの愛情と筋肉を武器に今日も元気に動かしていない筋肉を鍛えるオーマ。

 かなり話が逸れた。とにかく具合が悪くなったのなら、オーマにそう伝えるといい。彼は不精せずに表へ出て触診してくれるだろう。その際に「まだまだイケるぞ」とか「俺ならもっとこう……」とかいう何かしらの不安を呼び起こすセリフが耳に入ってくるかもしれないが、言葉の意味については全然気にしなくていい。それは医者の見立てとは関係のないオーマの趣味の話だからだ。この医者と同じ属性でないのなら、サラリと聞き流せばいいだろう。まぁ、それができなかったからこの店に顔を出しているのだろうが。

 「とりあえずおまえにはこの薬草を勧めるぞ。今の落ちつかない気分がスカッとして身体を動かしたくなるだろう!」

 誰のせいでこうなったのかはこの際なので考えない方がいい。もっと調子が悪くなる。自分の身体と相談し、彼の見立てに間違いがないと思うなら支払いを済ませよう。だが、初めて来た客はここで知らず知らずのうちに失敗してしまう。もっと言うなら、店自体がそういう仕組みになっているのだ。オーマは治療に必要な薬草や薬品の値段を簡単に口にしない。その間、相手が支払いのために取り出す袋を黙って目で追っているのだ……彼は長身だからたいていの生物を見下ろす格好になる。よほど用心深くしなければ、大事な袋に入った金銭や宝石は丸見えになってしまう。オーマはそこで初めて口を開き、商品の値段を言うのだ。

 「おお、それそれ。その金貨ほどでいいぞ。」

 ここまで説明すれば納得できるだろうが、オーマは医者であり主夫であり……腹黒同盟総帥である。よほどしっかりとした金銭感覚の持ち主でなければ、確実にカモにされてしまうというわけだ。老練の商人でもしてやられるほどのうまさが彼にはある。しかも、オーマは医者だ。ああ言えばこう言うし、こう言えばああ言う。商売の他に医療に関しても知識がなければ、この男から妥協を引き出すことはできない。
 ただ勘違いしてはいけないのは、彼は最初から客を騙そうとしていないという点である。触診や問診は正確だし、病魔に苦しむ者を放っておくような男ではないことは確かだ。ただ、純粋に腹黒な筋肉親父なだけで。医者としての説明にそれなりの説得力があるのだから、商売人としての裏まで読むことは困難だろう。結局うまいこと乗せられて支払いを済ませてしまうのがオチなのだ。オーマは金貨を手に取ると、客の背中を強く叩いて客と一緒に表に出た。

 「元気になれよ!」

 澄んだ青空を指差すオーマは『しっかりガッチリ儲けた』などという下品な表情は一切見せない。さわやかで爽快な表情で客を送り出すのが彼のスタイルだ。こんな調子で今日もオーマは商売に励む。最近動かしていない筋肉をバッチリ動かしながら。あなたも天使の広場に足を運ぶことがあれば、ぜひ一度は立ち寄ってもらいたい。