<東京怪談ノベル(シングル)>


 【矛盾方程式の中の緋衣】 

 片腕に薬草満タンな手さげ籠を引っ掛け、足取りは機嫌よくややスキップ。
 鼻歌交じり―相変らずのマッチョだとか聖筋ソーンもマッチョリ☆な怪しい歌―ルンルンと、とある村中を進む派手でデカイ男が一人。
 オーマ・シュヴァルツ……只今お使い中。
 お使いと言っても薬草摘みなのだが、オーマは自ら総合病院(もどき。だが)を経営する傍らで、ご近所さんの薬草専門店にも店員として顔を出す。
 本日は数を減らした薬草を自分の医院の分も兼ねて採取しにやってきているのだ。
 すれ違う村人達は、やたら機嫌よく奇妙さ大爆発な歌を口ずさむ大男に奇異の視線で振り返るが、勿論オーマは気にしない…否、多分気付いていない。
「お天道様も俺の悶絶マッスルバディーに裸足で逃げ出しちまうな。そんな罪も真の親父道を極めたた俺だからこそってなー……ぁ?」
 逃げ出されたら大問題であるが、不審者でも見るかの様な目で見てくる村人達に腹黒親父スマイルを振りまき歩いていたが、何やら水が跳ねる音と肌蹴させているスィートムッチリ強胸筋(平たく言えば胸元)に冷たい水がかかったのを感じて、オーマはゆっくり赤い視線を下へと向けた。
「!!!! ご、ごめんなさいっ!! 余所見しててっ!」
 こんな晴れ晴れとした天候、雨による水溜りやらが原因では無いくらいはオーマにも解ったが、ノンビリと落とした視線にはバケツと水撒き様の柄杓を持って一人ワタワタとしている少女が目に入っていた。
 いくら怪しくて暢気な鼻歌を紡いでいようと、こんなデカクて強面の男に水をかけてしまったとなって、少女は大慌てだ。
 しかしそんな少女にオーマはケラと笑ってみせた。
「おー? 花に水やりか? はっは、なーに気にすんな? 水も滴るイロモノ親父☆って言うじゃねえか。これくらい、どーってことねえ」
「え……。で、でも! 服濡らしちゃったし…今すぐ乾かします!! だから、少しうちでお茶でもしてってくださいっ」
「いや、そこまで気ぃ使わねえでもいいぜ? それに、こいつあ直ぐにかわ……――おわっ!!」
 少女の申し出にやんわり断りを入れたオーマであったが、その全てを言い終わる前に少女はオーマの腕をムンズと掴んで、問答無用でオーマを目の前の自宅へと引き摺りこみ始めていた。


 ずりずりと少女宅に連れ込まれてしまったオーマは、結果的に本当にお茶をご馳走になっていた。
 少女が謝って濡らしてしまったオーマの服、基ヴァンサーが戦闘時に着用を決め付けられているその真っ赤なヴァレルは、今窓の外で初夏の風に優雅に靡いていた。
「……なんってか…こんな時でも、肌身から離れるのがちと不安ってのもな…」
 出されたハーブティーに口を付けながら、窓の外、風に揺られる自らヴァレルを何処か客観的に見てオーマは呟いた。
「オーマさんってのかい、アンタ。うちの娘が粗相してすまなかったねえ」
「いーや、花の手入れから掃除洗濯まで良く働く娘じゃねえか。こりゃビッグな将来期待できんな」
「はは、口が上手だね。それにしても、着替えが無くて悪いね。うちの亭主はアンタと違ってそりゃもうモヤシみたいにヒョロッチロイ貧相な体裁しててねえ…」
 オーマが窓の外を眺めていれば少女の母がお詫びも兼ねてと、焼き菓子を持ってきつつそんな風に話しかけてきた。
 ティーカップ片手に暢気に話すオーマだが、その実上半身は裸であった。
 少女の母親は、亭主がモヤシだと言ったが、二メートルを越すガッシリ長躯なオーマと比べられたら、大半はヒョロリモヤシ男だ。
「別に気にしねえって。普段から着てて着てねえみてえなもんだしよ」
 何せいつでも合わせ目全開大サービス状態なのだから、周りから見れば一体何のために着ているのかといった状態だ。
 まあ、それにも話すと長いワケがあるわけで、オーマが先ほど窓の外を眺めて呟いた言葉に繋がるのだが。
「そうかい?だったらいいけ………」
「きゃ、きゃーッ!!! だ、誰か助けて……っ!」
 広い肩を揺らしながら笑い飛ばしたオーマに、少女の母も笑い返したがそんな彼女の言葉に覆いかぶさる様に、外から少女の切迫した悲鳴が響いてきた。
「っ!? どうしたっ!!」
 悲鳴が聞こえたと同時、オーマの表情は一瞬で引き締った。
 置いていたティーカップの中身をテーブル上に零す程の勢いで立ち上がると、オーマは外へと飛び出していた。


 舗装の去れぬ砂利道へとオーマが砂埃立ち上げて飛び出すと、既にその場には小さな人だかりが出来ている。
 そしてその向こうでは、野良犬にしてはやけに巨大な犬の様な生き物があの少女を下敷きにし、今にも細い首へと獰猛な牙を突きたてようとしている所だった。
「おい、ばかっ! お前ら見てるだけじゃなくて、何かしろよっ」
 つっ立っているだけの村人達にそんな文句を飛ばしつつ、人垣を押し分けオーマは少女と怪犬の側へと走る。
 目の前の犬モドキがウォズでは無い事は既に確認済みであったが、あと数秒もせずして少女の細首を怪犬の牙が噛み切ろうとしている今、オーマが具現の力を見せる事に躊躇は無かった。
「……っ…くっそ!! なんでこんな時にっ」
 オーマに躊躇は無かった。
 無かったが視界を掠めた赤に、オーマは我に返っていたのだ。ヴァレルを纏っていない。
 ヴァレルはオーマ達ヴァンサーが具現化を実行するに当たって、自らと他への侵食消滅を最小限に抑える能力を秘めた特殊な衣だ。
 異世界ゼノビアに存在するヴァンサー排出組織、国際防衛特務機関ソサエティにより彼らは戦闘時その着用を義務付けられ未着用での具現行為は禁忌であった。
 そして、ゼノビアの地ではない此処ソーンでは具現化に伴う自らや他への干渉浸食は激しく、ヴァレルを纏わずのその行為は最早禁忌の域を脱しているのだ。
 ヴァレルはヴァンサーの証でもあるタトゥーを媒介として具現召喚可能であるが、既に具現化をしているヴァレルを今手元に呼び寄せる事は難しかった。
 つまりだ。ヴァレル無しで具現能力を発動すれば、今助けようとしているその少女がこの地より消え去るかも知れぬと言う事なのだ。
 その方程式は、余りにも矛盾しすぎた方程式であった。
「……何がヴァレルだ、具現化だっ! ンなもんなくたってな……美少女一人、このオーマ・シュヴァルツ様が守れねえとでも思ってんのか! そりゃ、否だぜっ」
 次の瞬間、少女に覆いかぶさった怪犬に猛烈なオーマの回し蹴りが炸裂している。
 その時オーマが叫んだ言葉は気合を入れる為でもあたったが、ヴァレルだの具現化だのとの思考を吹き飛ばす為でもあった。
 犬もどきは仔犬かと耳を疑いたくなる様な情けない声を上げて少女の上から吹き飛ばされ、数メートル先の砂利道へと埃を巻き上げ滑り叩きつけられている。
「嬢ちゃん、大丈夫か?」
「オ、オーマさんっ! こわっ……怖かったっ」
 恐怖に身体を硬直させていた少女を抱き起こせば、彼女は魔法が解けたかの様にしてオーマの胸へと泣きついた。
「ああ、怖かったな…。でももう安心だ、このグレイトマッスルで無敵筋な俺様が助けに来てやったんだ、何んにも怖くねえ」
 細い肩を震わせる少女の背を優しく撫でたオーマは、彼女を側にいた村人へと預ける。
 そして、漸くオーマの強烈な蹴りから復活を遂げた怪犬へと深紅の視線を走らせ、ゆっくりと犬モドキへと向って歩き出していた。


 バサッと澄み渡る蒼穹に緋色が翻る。
 馴染んだ布ざわりが腕を撫でるこの感覚は、何度羽織ろうとも落ち着く一瞬であった。
「擦り傷だけで済んでよかったな。その傷も、明日にゃ治ってっからな」
 手馴れた様子で腰帯を結んだオーマは、少女の頭を一度撫でてからニィっと笑いを見せていた。
 先ほどの怪犬、近くの森から空腹に耐えられず村へと踏み入った獣だった様だ。
 オーマがキツク灸を据えて森へと返した故、今後あの獣が同じ事を繰り返す事は無いであろう。
 幸いと襲われたこの少女も、倒された時に右肘に小さな掠り傷を負っただけで、それもオーマの手早い治療消毒が既に施された後であった。
「うん、有難うオーマさん。お医者様だったなんて、びっくり」
 着替えの終わったオーマに、薬草を詰め込んでいた籠を手渡す少女は無邪気に笑い、驚いたとオーマへ述べている。
 そんな少女の笑みを見てから、オーマは今しがた纏いなおしたばかりの赤い衣へふと視線を落とした。
 ヴァレルに具現化。在りし物への侵食消滅。
 もとより己らヴァンサーはウォズから世界を守るために存在する。
 唯一ウォズに対抗しうるその力、具現化を行使する事により世界は失われる。
 それは例えその侵食を最小限にとするヴァレルを纏ってい様とも然り。
「ん? 王都じゃちょっとした病院も開いてんだぜ? 腹黒同盟の本拠地で、メロキュンイロモノ‘sとか、愉快な腹黒仲間達がいんだけどよ。そのうち嬢ちゃんも遊びに来い。俺のラブリーエンジェルともきっと仲良くなれっぜ」
 それは余りにも矛盾した方程式で、オーマを時折困惑させる。
 自分が守りたいものはなんなのか。
 それは家族であって、馬鹿騒ぎをする仲間であって医院を訪れる患者であって…世界中の笑顔である。
「えーほんと!? じゃあじゃあ、今度お母さんとお父さんと一緒に遊びに行くね!」
「おう、ガッツリ来い。なんなら村人総出でもかまわねえぜ」
 思考の海へと沈むオーマに、少女の明るい声が降り注ぐ。
 考え込んだ自分を一度首を振って笑ったオーマは、再び少女にニィっといつもの笑顔を浮かべてやると、歩き出す。
「コイツ、乾かしてくれて助かった。じゃあな、嬢ちゃん」
 赤い衣の合わせ目を軽く引っ張って見せると、ヒラっと少女へ片手を上げオーマは別れを告げていた。

 ふとこのヴァレルを具現化させた姉を思い出す。
 ヴァレルマスターの中でも名を馳せる彼女は、何をもって血の繋がりは無いとすれども弟のこのヴァレルを紡いだのであろうか。
「……性じゃねえな」
 己達ヴァンサーがヴァレルを纏う事は世界を守る事に繋がる。
 具現能力を駆使せねば、ヴァレルを纏う必要も無いが話しはそうも簡単では無いのだ。
「大人の事情って奴だよな、こればっかはな。――……いつか、コイツを着なくても大丈夫だって日が。……このソーンにも訪れてほしいもんだ」
 オーマの呟きは頭上に広がった青い天上へと吸い込まれた。
 振り返れば小さくなった少女が今だに手を振ってオーマを見送る。
 それに今一度手を振り返せば、掴んだ籠の持ち手を持ち直す。
 オーマは再び沈みかけた思考から浮上して、相変らずの鼻歌を交じらせお使いを果たすべく、王都へと向うのであった。

END.


■ライターより

 再びご発注有難う御座いました。ライター神楽月アイラです。
 少々とお時間の方頂いてしまいましたが、書かせて頂きました。
 今回、ヴァレルを主としてとの事でこの様なお話に。
 何やら悶々とオーマさんに考えさせたりとしてしまいましたが、相変らず親父語録は健在…否、コレが彼の味です!
 と、何やら勝手に騒ぎたててますが、前回よりオーマさんが動いてくれて嬉しかったです。
 では、今回も有難う御座いました。本日はこれにて失礼いたします。