<東京怪談ノベル(シングル)>


ほろ苦く、そしてほの甘く 

 闇と風と水。カーディは魔力が結晶した手応えを感じて、そっと目を開けた。そして次の瞬間、ぱっと顔を輝かせて歓喜の声をあげる。
「できたぁっ。魔石『涼風』」
 カーディの手の中では、淡いグリーンがかったブルーの、透き通った魔石が柔らかな光を放っていた。
「これであたしの生活も潤うね」
 カーディはうきうきと手の中の魔石を見つめた。その滑らかな面をそっとなでてみる。
 聖都に出て来てまだ間がないカーディは、魔石練師としての安定した生活基盤を持たない。その現状を打破すべく、そして暑い聖都での暮らしを過ごしやすいものにすべく、一念発起して練成に挑戦した魔石がやっと完成したのだ。
「へへ、あたしってばやっぱり天才」
 上機嫌で、手の中の魔石を透かしたりなで回したりしていたカーディだったが、はたと気づいて窓の外に目を遣った。
「いけない、アルバイト行かなきゃ」
 日が高く昇りかけている。カーディは魔石を服の袖に押し込むと、ばたばたと支度をして家を飛び出した。

「おはようございまーす、今日も暑いですね」
「おはよう、カーディちゃん。今日もお願いね」
 挨拶も元気よく店に飛び込んだカーディに、店主の老婆はやんわりと目を細めた。
 今日のカーディの仕事は、老夫婦2人が営んでいる、この雑貨屋の店番だった。
 カーディが聖都に出て来た時に、生活用品を買うために立ち寄ったのがこの店だった。世話好きで優しい老夫婦はすぐにカーディを気に入ったらしく、初対面だというのに話が弾んだ。そして、数時間話し込んだ末にこの店を手伝わないかと言い出したのだ。寄る年波のせいで最近は一日中店に立つのも辛く、ちょうど手が欲しかったところだというのだが、カーディの生活状況を知って、仕事を提供してくれたというのが正しいところだろう。
 カーディも素直にそれに甘え、以来、時折この店に立つようになった。この店には夫婦の人柄を慕う常連客も多いため、カーディが手伝う日でも、普段は半日は夫婦が自分たちで店に立つ。けれど今日は2人の結婚記念日ということで、一日出かけてくるというのだ。
「まっかせといて! おばあさんたちはデート、楽しんで来てね」
 カーディが元気よく拳を天に突き出すと、老婆はほんの少し、頬を赤らめた。

「それにしても、やっぱり暑いよね」
 老夫婦を送り出し、店に並んだ商品にはたきをかけながら、カーディは呟いた。小さな額には、早くもじんわりと汗がにじみ出ている。
「こういう時のための魔石『涼風』なんだけどなぁ……」
 カーディは袖に忍ばせてある魔石を思い出して溜息をついた。
 魔石を使いさえすれば、この暑さからは解放される。けれど、せっかくの魔石をカーディ自身が使ってしまっては意味がない。
「うーん……」
 いつしか腕組みをして考え込んでいたカーディだったが、突如名案を思いついた。三角の耳も元気よくぴん、と立つ。
「お客さんに体験してもらえばいいんだ!」
 魔石を使ってこの店を涼しくすれば、店に来た客もそれに気づくはずだ。そこで魔石を売り込めば、きっと欲しいという人もでてくるはず。そうでなくともこの店の常連客は話し好きだ。きっと噂も広まって、ちょうどいい宣伝になるに違いない。そして何よりも、カーディ自身が涼しくなれる。これを一石三鳥と言わずして何と言おうか。
「そうと決まれば善は急げっ。……来れ『涼風』」
 早速カーディは魔石を解放させた。途端に店中に涼やかな風が広がり、こもっていた熱気を押し出して行く。
「涼しい……」
 カーディは心の底から安堵して、大きく息を吸い込んだ。もう、あのうっとうしい暑さはどこにも残ってはいない。空気までもが新鮮になったように思われた。
 魔石のできばえは上々、あとは客が来るのを待つだけだ。
「よっと。邪魔するよ」
「あ、いらっしゃーい」
 ちょうどタイミングよく、体躯の良い、気さくな印象の中年の男が入って来た。この店の常連客の一人だ。
「おや、今日はカーディちゃんが店番かい?」
 男はろうそくを数本、インクの瓶を2本カーディに示すと、愛想良く笑いかけた。
「うん、今日はおじいさんとおばあさんはデートなの」
 カーディは言われた商品を布に包み始めた。内心では魔石のことを切り出すタイミングをさぐりながら、機嫌良く返事を返す。
「……おや? 汗が引いてる。そういや、何だかこの店涼しいなぁ」
 カーディが商品を整えるのを待ちながら店の中を見回していた男が、ふと気づいた、というように呟いた。
「そうでしょ? 魔石『涼風』の効果なの。部屋の中が涼しくなるんだよ」
 時は来れり、とばかりにカーディはぴんと耳を立て、すかさず返す。
「魔石?」
 男はカーディの言葉に目を丸くした。つかみは上々、かもしれない。
「そりゃあ、すごいな。おばあさん、カーディちゃんのために魔石買ってくれたのか。ほら、いっつもカーディちゃん『暑い暑い』って言ってるもんな」
 が、話は思わぬ方向へと流れて行ってしまった。
「いやぁ、それにしても2人ともカーディちゃんが可愛くて仕方ないんだろうなぁ。いっつも話といえばカーディちゃんのことばっかりだよ」
 どう話の流れを変えようかと困惑するカーディに構うことなく、男は勝手に話を進めていく。「2人とも、寂しいんだろうな……。息子さんは冒険者だろ? 世界中を飛び回っててなかなか帰ってこないし、嫁さん探しよりも宝探しの方が楽しいみたいだし……。カーディちゃんが来てくれるのがよっぽど嬉しいんだろな。カーディちゃん、俺からも頼むよ、じいさんばあさん孝行してやってくれな。ここの客はみんな、あの2人にはいつまでもにこにこして、元気でいてもらいたいんだよ」
 しみじみとこう続けられてしまうと、もはやこの魔石を作ったのは自分だなどと言い出せない雰囲気になってしまう。
 結局、誤解はそのままに、男は品物を受け取って代金を払い、軽く片手をあげると出て行ってしまった。
「……仕方ないよね。次があるよ」
 その後ろ姿を見送り、カーディは小さく溜息をついた。

「やあ、カーディちゃん、おばあさんたちが魔石買ってくれたって? えっと、ランタン用のオイル、もらおうかな」
 間もなく訪れたのは、先ほどの男と似た年格好の男だった。さっきの客から既に聞いているらしく、来るなりこれだ。カーディは、誤解を正そうと口を開きかけたものの、今はアルバイト中、客の注文に応えるのが先だと思い直して、オイルを量った。
「こんにちは、カーディちゃん。へぇ、これが魔石の効果なの? おばあさんも思い切ったのねぇ。……そうそう、ペン先、5つほどあるかしら?」
 そこへまた次の客がやってきた。そちらを聞いているうちに、先の男は感心の声をもらしつつも、代金を置いて次の客に場を譲るかのように帰ってしまった。
 そして、新しい客に対応しているうちに、また次の客がやってくる。
 最初の男が酒場かどこかででも話したのだろう、次々にやってくる客はみな、魔石の効果をこの目で見ようという者ばかりだった。カーディの思惑通り、宣伝効果は抜群だったのだが、肝心の部分が「おばあさんがカーディのために魔石を買った」となってしまっている。
 ただでさえ、すっかりそう思い込んでいる客を前にすると自分が作ったとは言い出しにくいのに、忙しさがそれに拍車をかけた。魔石目当てで来た客も、ちゃんと品物の1つ2つは買っていくのだ。
 対応に追われ、同じことを何度も言われているうちに、カーディ自身すら、何だかおばあさんが自分のために魔石を買ってくれたような気になってくるから不思議なものだ。結局、誤解を解けないままに、いつしか真っ赤な夕陽が店内に差し込んできていた。
「はぁ、疲れた……」
 カーディは溜息をつくと、ようやく人波の途切れた店内に、足を投げ出して座り込んだ。慌ただしく働いたせいで、せっかくの『涼風』の効果もむなしく、全身汗だくになっている。
「売り込むのって難しいなぁ……」
 もう一度大きく溜息をつき、がくりとうなだれる。店の売り上げの方は、間違いなく過去最高なのだが。
「ただいま、カーディちゃん」
「あ、おじいさん、おばあさん、お帰りなさーい。デート、どうでした?」
 おもむろに店のドアが開き、店主の老夫婦が入ってくる。その顔を見て、カーディはぴょこんと立ち上がった。
「やだ、カーディちゃんったら……。あら、今日は忙しかったのね、ごめんなさいね」
 カーディの言葉に少し頬を染めた老婆が、すっかり商品の少なくなった棚と、疲れた顔をしているカーディを見比べて目を丸くした。
「ううん、これくらいどうってことないよ」
 にっこりと笑って元気よく腕を振り回して見せたカーディに、老婆は目を細めた。
「おかげで、今日一日楽しませてもらったわ、ありがとう。……そうそう、これカーディちゃんにお土産」
 手にした荷物の中から、小さな包みをカーディへと差し出す。
「お土産? うわー、ありがとう! 開けていい?」
 カーディは耳と尻尾をぴんと立ててそれを受け取り、いそいそと開けにかかった。長い尻尾が頭の上でゆらゆらと揺れる。包みの中から出てきたのは、カーディの瞳と同じ金色をした、トバーズのチョーカーだった。
「露店で見つけたからカーディちゃんに似合うと思って……。ほら、石を身につけると魔力が上がるって言うじゃない。魔石練師の修行、頑張ってね」
 柔らかな微笑みでそう続けた老婆の隣で、その夫の老人も穏やかな笑みを浮かべた。
「ありがとう! おじいさん、おばあさん、大好き!」
 今日の疲れなど一気に吹き飛んで、カーディは2人に満面の笑みを向けた。
 魔石の売り込みはうまく行かなかったけど、大好きな2人の役に立てたなら、それでまあいいか、そう思うカーディの帰りの足取りは軽かった。

<了>