<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


開かない引き出し
------<オープニング>--------------------------------------
 がたがたっと、扉の外で音がした。
 なにかな、とルディアが通りに出ると、眼鏡の男の子と薄墨色の長い髪の美しい女性が、二人で簡素な書き物机を運んでいた。
「ど、どうしたんですか?」
「あ、ああ、よかった。やっとついたぁ。実は、困ってるんです。」
 少年はおでこの汗を拭うと事情を話し出した。

 少年の名前はライアス。符術士見習い。符術というのは「力」のある紋様を正確に描く事で様々な効力のあるお札を作る術、だそうだ。
 お師匠様は現在不在。留守を預かっていた弟子のライアスの所に昨夜女性が現れた。女性はしゃべれない様子で、身振り手振りのやりとりから少年が推理するには、多分、女性は師匠のお客さんで、注文の品が机の引き出しに入っているのではないか、とのこと。机の隣に立って離れようとしないのだ。
「でも困った事に……」
 少年は机の引き出しに手をかけた。そして思いっきり引っ張った、が……
「鍵もないのに、ぜんっぜん開かないんです、この引き出し。」
 試しにルディアも引っ張ってみた。確かにびくともしない。薄墨色の髪の女性も困ったようにルディアを見た。
「符術士さんなら、引き出しを開ける術とかないんですか?」
「ボクは見習いですから、符を描いたり読んだりはまだできなくて。それに、この机には「ありとあらゆる機能を強化する紋様」が描き込まれていて、例えば……。ちょっとこの机で書き物をしてもらっていいですか?」
 ルディアは机の上でメモを取ってみた。
「で、机の機能を邪魔しようとしても……」
 少年ががたがたと机を揺らそうとした。けれど机はちっとも動かない。
「ね。机の安定した場所を提供する機能が強化されているんです。
 他にも、符も魔法もはねのけちゃうし、無理矢理壊すとか物理攻撃も効かないし。普通に引っ張ってもびくともしないし、なのにお客様はちっとも机からから離れようとなさらないし。」
「だからお二人で引っ張ってきたんですね。」
 少年はうなずいた。
「小さくする札も貼れませんから。」
「机の持ち主の、ライアスさんのお師匠様に頼めばいいんじゃないですか? 不在ってどこに?」
「それが……」
 言いづらそうにライアス少年は頬を掻いた。
「先日、師匠のお母様が師匠に見合い話を持っていらっしゃいまして。その時、師匠はこの机のあった書斎でお仕事なさっていたので、そこにご案内したんですが、ドアを開けたら窓も開けっ放し、インク壺も筆も出しっぱなしで書斎はもぬけの殻。きっと、お母様が怖くて逃げ出したんだろうと。」
 はあ、少年は深い溜息をついた。
「多分ほとぼりが冷めるまで当分帰ってこないと思います。行き先もわからないし。ホントどこ行っちゃったんだか。」
 おまけに、普段全然女っ気ないくせに、なんでかこんなタイミングで妙齢の女性が尋ねてくるし。この女性は何者なんですか? お師匠さまってば、まったく……
 最後の方はルディアに聞かせられるものではなかったので、心の中にとどめておいた。
 それから、少年はぎゅっと拳を握りしめた。
「いいんです、あんな師匠は。食費もかからないし、かえって平和でいいってもんです。あとは、この引き出しさえ開けば!」
 一体どんなお師匠様なんだろうなあ、と、ルディアは思った。
「じゃあ中に入って、協力してくれる方を探しみましょうか」
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□0□

今日も今日とてマーケティング。
カーディナルはメモ帳片手に白山羊亭にやってきた。
「あら、カーディさん、いらっしゃい」
ルディアとも、もうすっかり顔なじみだ。
「そういえば、依頼人が来てるんだけど、その子、見習い術士なのよ」
「え? 本当?」
ルディアの指さす方に、目を凝らす。
あのメガネの男の子がそうかな?
あたしより、3つぐらい年下、かな?
「お師匠様の留守を預かってるんだけど、引き出しが開かないんだって」
「引き出し?」
戦ったりは無理だけど、そのぐらいなら助けてあげられるかも。
「あたしも、手伝っていいかなぁ?」
「おや、カーディナルさん。ええ、お願いします」
そう言ったのはアイラス。隣にはオーマがいて、それからエルフの女の人、剣士らしき男の人。
「私は、ゼララですー。初めまして」
「私はフィセル、よろしく頼む」
「ボクはライアス、符術士見習いです。術士の方がいてくださると心強いです。よろしくお願いします」
最後に、メガネの男の子が挨拶した。
「うん、よろしくね」
術士の方がいてくださると心強い、だって。
たまには、こーいうのもいいよね。

□1□

「……そんなわけで、もうボクにはどうしたらいいのか解らなくて。事件……とはちょっとちがうけど、解決、よろしくお願いします」
 依頼主の少年、ライアスは深々と頭を下げた。集まった5人の協力者たちは皆一様にうなずいたが、中でも一番大きな声を出したのはオーマだった。
「任しときな☆ まずはそのミステリー筋デスクが本当に開かねぇのか、腹黒メラマッチョなオレ様が試してみるぜ」
 オーマは身長2mを超す巨漢である。彼が本気を出せばどんな引き出しだろうと開く、どころか、場合によっては壊れてしまうだろう。オーマはその取っ手に手をかけ、ひっぱってみた。開かない。ムキになって渾身の力を込め歯を食いしばる。しかし……
「オラァァァァアアアアアア!!!」
「……開かないー、ですねぇー」
 おっとりとゼララが言うとおり、引き出しも机もびくともしない。
「くそぅ、ミステリー筋デスクどころじゃねぇ、暗黒メラマッチョ謎デスクだったか」
 悔しそうなオーマの言葉をアイラスは否定した。
「『謎』ではなくて、必ず何らかの理由があるはずです。おそらく描き込まれている紋様の効果でしょうが……」
 そこでアイラスは言葉を切り、少年に向き直った。
「一応確認ですが、そちらの女性が開けようとしても駄目だったんですね?」
「はい、全然」
「術士の机なんでしょ、逆に開ける術をかけるっていうのは?」
 今度はカーディナルが問いかけた。少年は再び首を横に振る。
「家にあった符は全部調べてみたんですけれど、この引き出しを開けられるものはなかったんです。符を貼らないで机に直接紋様を描くやり方もあるんですけど、それなら以前に開けた時の紋様が残っているはずで、でも紋様は一種類しか……」
「機能を強化する紋様、だっけ? もう一度詳しく教えてくれる?」
 これがその紋様なんですけど、と、少年は机の縁に描き込まれた細かい模様を指さした。
 それはただの精密な幾何学模様にしか見えなかったが、術士同士通じるところがあるのか、カーディナルは小さく頷いている。
「ええと、その名の通り『機能強化』の効果があるんです。机に関しては使っている時は絶対ガタガタ揺れなかったり、傷が付かなかったりとか。引き出しだったら、何でも入れた時のまま保管出来たり、しっかりしまっておいてくれたりとかです」
「そこまで効果の幅が広いとなると、紋様の能力から考えるのはどこから手をつけたものか……」
 フィセルが眉をひそめる。
 それは事実だった。が、一手目で王手を指す必要はどこにもない。必要なのは確実に詰めていく事だ。
「ええ。まずは手がかりになる情報を集めることから始めましょう」
 すこし、面白なりそうですね、と、アイラスは小さく笑みを浮かべた。

□2□

「その女の人ー……が、気になりますよねぇー」
 確認するようにそう言ったゼララを含め、全員の視線は静かに椅子に腰掛けている謎の女性に集中していた。
 不思議な印象の女性だった。背中の中程まで垂らされた髪は薄墨色、瞳は薄い青。身に付けているのは白い飾り気のないワンピースのみ。さっきから身じろぎ一つせずに、じっと机の方を見つめていた。細い眉が困惑を表している。
「おーい、嬢ちゃん!」
 オーマはわざと女性の死角から声をかけた。彼は女性が喋れないのではなく、聾、つまり耳が聞こえないのではないかと考えていたのだ。ならば、手話で話が出来る。慣れたものにとっては筆談や読唇術よりずっと簡単だ。それはオーマにとっても同様だった。医者の肩書きは伊達ではない。
 が、女性はオーマの声に反応して即座に顔を上げた。耳はまったく問題ない、という事だ。彼女は手話を使えないだろう。こちらとしては事情を聞くのがすこし面倒になった、が、彼女の耳に問題がないのならそのほうがずっといい。
「筆談出来るか? ヨロシク頼むぜ☆」
 オーマはにやりと笑って女性にペンを手渡し、白い紙がテーブルに置かれた。

「まずは、お名前を教えて頂けますか? よろしければ、ここに書いてください」
 アイラスがゆっくりと聞き取りやすい声で、丁寧に話しかけた。女性は右手にペンを持ち直し、それから紙を見つめた。そのまま、2秒、3秒。緊張した空気の中、やがて女性は困ったように顔を上げた。紙は白紙のままだ。
「もし事情があって名乗れないのなら、それでもかまわない。
 せめて、何故あなたが机にこだわるのかを教えてくれないだろうか」
 あらためて、今度はフィセルが尋ねた。女性は自分を取り囲む顔を見回した。どの顔も好意を持って彼女を見つめている。女性は安心したように頷くと再びペンを持ち直したが、結局、同じように何も書かずに顔を上げた。
「もしかしてー……言葉が、通じてないのかなぁ……」
「でも、あたしたちの言う事はわかってるみたいだよ。どうして何も書いてくれないんだろ?」
 それに……と、カーディナルはしっぽをくるりと曲げた。
 この人、なんだか不思議な感じがする。景色から浮いてるっていうか、ぼんやりしてるっていうか、じーっと見ていると、なんだかこの人の周りだけ、目が回ってくるような……この感じは……。
 なんなのかなあ、と考え込むカーディナルの隣で、アイラスは一つの可能性に行き着いていた。
「……ひょっとして、あなたは字を書けないのですか? もしそうなら丸を、違ったらバツを書いてください」
 女性の顔に初めて微笑みが浮かんだ。彼女はペンを持ち直すと、「その通りです」というように丁寧に丸を描いた。
「やっとお話し出来ましたー。一歩前進、ですねぇー♪」
 嬉しそうに笑ったのはゼララだ。逆にフィセルとアイラスは揃って難しい顔になっていた。
「ということは、こちらの女性にはハイとイイエで答えられる質問しかできない、ということか」
「ええ。これはちょっと時間がかかりそうですね」
「でもよ、変じゃねぇか? 喋れねぇ字も書けねぇって今までどうやって生活してきたんだ?」
 皆は顔を見合わせた。オーマにしてはまっとうな意見……もとい、彼の指摘はもっともだったからだ。
 が、一人だけ、ゼララは小さく「え? セーカツ?」と呟いて首をかしげていた。
「確かに、以前から喋れないのなら読み書きぐらい習得しているはずですし、不自然ですね」
「不自然っていうか、この女の人……」
 ゼララがますます首をかしげていく一方で、カーディナルがひょこっと身を乗り出した。違和感の理由がわかったのだ。
「この女の人、なんだか変なカンジがするの。術の気配がするって言えばいいのかな。うまく言えないんだけど、まわりの空気が魔石と似てるの」
「ではまさか、つい最近、何らかの術で言葉を封じられた……?」
 フィセルの言葉に突然緊張感が高まる。
「いえ、封じられているのは、言葉だけではないかもしれません……」
 慎重に言葉を選びながらアイラスは考えを構築していく。
「言葉が使えないとしても、絵を使うなどいくらでも手の打ちようはあるのに、彼女にはただ座っていました。ひょっとして、思考や理性といったものが封じられているのではないでしょうか?」
 だとしたら、誰が、何のために?
 ぴりぴりとした空気があたりに張りつめていた。

 どーしよーかなぁ……
 ゼララは顔が真横になるぐらいに首をかしげ、悩んでいた。
 やっぱりみんな、この女の人が『ヒトじゃない』ーってコト、気がついてなかったのかもー……言わないと、どんどんこんがらがって……来ちゃいますよねぇー……。えっとぉ……なんてセツメーすれば、いーのかなぁ? 『遺伝情報』とか、わかってもらえるー……かなぁ……?
 ゼララは、美しい装丁の本を椅子に立て掛けていた。椅子に立て掛けられるほど巨大なその本は、宇宙誕生以来の生命に関する全事象を記録した『アカシック・レコード』という魔導書、その生命を司る分冊である。『アカシック・レコード』の所有者であるゼララには、見る事で対象の遺伝情報を読みとる能力があるのだ。
 ゼララはみんなが女性の姿をしたそれが人間ではない事に注目しているのかと思っていた。どうやらそうではなかったらしい。説明方法の他にも、もう一つ彼女を悩ませている事があった。
うぅーん、それにー……自分の遺伝情報が見えちゃってるーてわかったら……イヤーなヒトも……いるー……よねぇー。フクザツそーなヒト……いるもん……でも……

「……あのー……」
 ゼララはとても緊張して声を出したつもりだったけれど、出たのはいつも通りの柔らかな声だった。
「その女の人、ヒトじゃない……ていうか、イキモノさんじゃないー……ですよ」
「ええっ!?」
 カーディナルが声をあげ、いつもは冷静なアイラスが早口で尋ねた。
「どういう事ですか? ゼララさん」
「ええとー、ですねぇ……その女の人はー、遺伝情報が見えないんです。だからきっと生物じゃなくてー……何者なのかなぁって、ずーっと考えてたんですけど……」
 ゼララの説明に対する反応は様々だった。カーディナルとフィセルには遺伝情報という概念が伝わらなかったようだが、異界人であるオーマとアイラスは、ほんの少し、眉を動かした。
 『遺伝情報が見える』 それが一体どれほどの能力なのか、利用価値、リスク、そして、悪用され敵に回った時の危険性。アイラスは素早く考えを巡らせた。
「……早く言ったほーが、良かったみたい……すみませんー」
 そんなアイラスの胸の内を余所に、ふんわりした雰囲気のまま、ゼララは申し訳なさそうな顔をした。
「謝るこたぁねえけどよ」
 そう言ったのはオーマだ。何を言うつもりかとアイラスは彼を見上げる。
「ゼララよぉ、みずくせぇぜ。言ってくれりゃあ、ここにいるヤツらが一緒に考えてくれるってのに」
 ほら、と、オーマは両手を広げて見せた。心配するな、といわんばかりに。半分はゼララに、もう半分はオーマ自身とアイラスに。
 彼の言う事ももっともなのだ。ゼララがその能力を悪用するとは到底考えられないし、彼女が身を寄せている海賊船の連中も陰謀とはほど遠い、信頼出来る人たちだ。
 アイラスは肩の力を抜いた。
「俺なんざ腹黒親父むっふん特権☆により、腹黒イロモノ頭脳たちに大方オマカセ★だぜ」
「自慢気に言う事じゃないでしょう」
「いやん★ アイラス君のいけず☆」
 オーマが渋い低音声でそう言ったので、あちこちから小さな笑い声が漏れた。
 ゼララも「そうですねぇ」とくすくす笑っている。
 心配するコト、なかったみたいだねぇー……

「……まあ、ともかく」
 必死に笑い出しそうなのを押さえつつ、フィセルが話を元に戻した。
「ここには女性がいるように見え、何かの術が存在しているが、生物はいない。そして女性は符術士の机に固執している……と、いうことは」
 5人は一斉に、しかしばらばらな言葉で同じ内容を口にした。
「この嬢ちゃ「この「あなた「ここに『この人自体が符?』という」か?」ですね」★ってか」
 女性は驚いたように目を大きく見開き、それからこくりとうなずくと、謎の女性、改め謎の符は紙に大きな丸を書いた。

□3□

「えぇぇええ!? アナタは符だったんですか!?」
 一人だけ、すっとんきょうな大声を出したのは符術士見習いの少年、ライアスだった。
「ま、まさか師匠の描いた符だったり……」
 少年が女性の手元をおそるおそるのぞき込む。そこには申し訳なさそうに小さく丸が書いてあった。
「ご、ごめんなさい。自分の師の符なのに、全然見抜けなくって。そうでなくとも皆さんに任せっきりなのに……」
 少年はしゅんとしてうつむいた。
「謝る事はない。次に失敗しなければ、それでいい」
 フィセルが静かな声で少年を励ましたが、少年は小さく頷いただけだった。
 カーディナルにはその気持ちがよくわかった。
 ほんのちょっと前まで、彼女も失敗してばかりの見習い術士だったからだ。いや、無事独り立ちした今だって、やっぱり修行中の身。失敗と無縁ではない。カーディナルは何か彼に声をかけてあげたかったが、結局何も言えず、ヒゲがかすかに上下しただけだった。
「それで、彼女がどういった符なのか解読する事は出来ますか? それが解れば手がかりになるはずです」
「ええと……転写の符に紋様を写し取って、辞書を使って解読すれば。でも、きっと複雑な符だから時間が……。それに、その間符は活動停止状態になりますから、質問したり出来なくなっちゃいます」
 自信なさそうにそう答えてから、少年は慌てて付け加えた。何か言いたげな視線に気が付いたからだ。
「あ、あの、でも、出来ます。ちゃんと習いましたから」
「では、よろしくお願いします」
 言葉を与えるのも次の機会を与えるのもそれぞれの励ましのやり方だ。
「……それと、一つ気になる事があるんですけど……」
 躊躇いがちに少年が言った。
「人の顔を何も見ないで想像して作るのって難しいんです。なのに、皆さんがだまされるほど人間そっくりに作れたっていう事は、どこかにその符のモデルになった人がいるんじゃないかと思うんです」
 フッフッフッ……と、低い笑い声が響いてきた。オーマがにんまりと不敵な笑みを浮かべていた。
「そいつぁ、なんともオレ様の桃色大胸筋に予感ガッツリ☆ってな!
 見合い話を前に失踪した漢。漢の残した符からは謎の美女が現れた。ズバリ☆今回の事件の鍵は美女本体と漢の桃色下僕関係★にあると見たァ!!」
 まるで舞台の真ん中でスポットライトを浴びている役者のように、オーマは啖呵を切ってポーズを取った。彼のイメージでは誇らしげに広げられた胸にピンクのライトが当たっているのだろう。ノリがいいのか、天然なのか、隣でゼララがぱちぱちと拍手を始めている。
「わあー、それなんだか面白そうです、私も気になりますー、オシショーさまとモデルさんー♪」
 一方、少年は小さな声でカーディナルに尋ねた。
「あの、今、オーマさんは、なんて……?」
「え? えーと、なんていうか……フィセルさんお願いっ」
「私か? ……おそらく……『符のモデルは師匠殿の想い人ではないか』という意味……だろうか、アイラス殿」
「そうだと思いますよ」 
 疑問口調でリレーされてきた内容を、アイラスはこともなげに断定口調で返した。オーマ語読解は既に熟練の域、アイラスはてきぱきと次の手を考えていく。
「では、二手に分かれましょう。オーマさんとゼララさんは師匠と符のモデルになった女性を捜しに。僕はここで机を調べてみます」
「私も残ろう。カーディナル殿は?」
「あたしは……」
カーディナルは金色の瞳を瞬かせた。どう見ても不安そうな女性にしか見えない符を見て、それから少年を見た。
「あたしは、残ろうかな。この女の人、ヒトじゃなくて符だったけど、なんだかすごく言いたい事があるように見えるんだ。だから話せるようにしてあげたいの。魔力の構造が解れば、相手が符でもあたしの魔石で声が出せると思うんだ」
「カーディナルさん、そんなコト出来るんですか? すごいですねぇー」
 ゼララが感嘆の声を漏らすと、まだ新人魔石練師なんだけどね、と、カーディナルは照れたようにしっぽを揺らした。
「そうと決まりゃぁ、さっそく腹黒親父愛毒電波全開★捜索モード☆」
 勢いよくオーマが立ち上がる。少年が手帳を一つ差し出した。
「あの、これ、師匠の特徴やつきあいのある場所のリストです。役に立たないかもしれませんが」
 ぺらぺらとめくると、丁寧な字が紙面を埋め尽くしている。少年が用意しておいたものだろう。
「おう、コレとオレの腹黒イロモノネットワークの力を持ってすりゃぁ、あっという間に師匠も桃色発見★ってな」
「よろしくお願いします」
 少年はぺこりと頭を下げた。
「頑張って見つけてきますねー」
 コトンと椅子の音を立て、ゼララも立ち上がる。『アカシック・レコード』を背負い腰の長剣を差し直した。
「じゃあ、後は頼んだぞ! 未来の聖筋界を担う若人、暗黒イロモノ頭脳付☆」
「いってらっしゃーい」
 カーディナルは手を振って二人を見送った。オーマの大きな背中とゼララの背負った巨大な魔導書は遠くに行ってもよく見える。それを白山羊亭の窓越しに見送りながら、アイラスは呟いた。
「なんだかすこしだけ、オーマさんはじっと座って考え事しているのに飽きたんじゃないか、という気もしますね。謎の解決を押しつけられてしまったような……」
「……それは……」
 真面目な顔でフィセルが答えた。
「信用してくれている、ということではないか?」
 あまりにも誠実な彼の言葉に、一瞬アイラスは目を丸くし、それから目を細めて笑顔を作った。

□4□

 オーマとゼララを見送ると、少年は符の束から一枚取りだした。何の変哲もない白い紙に見えたが、よく目をこらすと細かい螺旋模様が入っているのがわかる。
「これが、転写の符です。発動中の符に貼ると、その符を休眠状態にして、構成している紋様がこっちに映し出されるんです」
 カーディナルが興味深そうに彼の手元をのぞき込んでいる。少年は女性の姿の符に向かって声をかけた。
「おでこ……に貼ったら、符が見づらいですよね。右手を出してもらえますか?」
 途端に、符は手を引っ込めた。両手をかばうように胸に抱き、助けを求めるようにあたりを見回した。
「怖がってるみたい」
「たしかに、まるで感情があるように見えるな」
 二人の言うとおり、女性の様子はまるで人間にしか見えなかった。
 無生物に感情が宿るなんてあり得るんでしょうか?
 アイラスは疑問に思ったが、それは符を解読すれば解る事だと思い直し、あえて口にしなかった。
「ごめんなさい。すこし眠るだけですから」
 少年が申し訳なさそうに頭を下げると、女性おそるおそる右手を差し出した。
その白く美しい手に転写用の符が貼られる。
 女性は眠りに落ちるようにゆっくりと目を閉じた。手に貼られた転写の符にぽつりと染みのような黒い点が現れ、じわじわと広がっていく。対照的に、薄墨色だった髪は毛先からゆっくりと銀色に変わっていった。それだけではない、全体的に色が淡くなって輪郭がぼやけていく。
「まるでインクを吸い取っているみたいですね」
 少年は頷いて答えた。
「何ですぐに符だと見抜けなかったのかって、きっと師匠に叱られます」
 やがて女性の髪がきれいな銀色に変わった頃、転写の符は複雑な紋様で埋め尽くされていた。
「コレは……間違いなく師匠の書いた符です」
「見事なものだな、人の手で書いたとは思えない」
 フィセルが感嘆の声を漏らしたが、少年は首を横に振った。
「いえ、多分、コレは書きかけです。真ん中の空白が大きすぎます」
 そう言って彼が指さした場所には、確かに親指の爪ほどの空間があった。
「じゃあ、例えば、声を出すための部分が欠けているとか?」
 修めた術は違うとはいえ、同じ術士同士、カーディナルの指摘は鋭い。
「そうかもしれません。それに、なんで書きかけの符が起動しているのか……。ともかく、ボクは急いでコレを解読しますね」

「じゃあ、僕たちは机を調べましょうか」
 見たところは、何の変哲もない机に見えるし、どうと言う事もない引き出しに見える。が、開かないのだ。
「機能強化してある引き出しなら、簡単に開きそうなものなんですが……」
 アイラスは取っ手を引いた。やはりぴくりとも動かない。
「ひょっとして、その引き出しはダミーだという事は?」
「え? なになに?」
 カーディナルが耳をぴくと動かした。
「取っては見せかけで、本当の開け口は別に……。例えば、机上部分が蓋になっているとか、そういったカラクリのようなものがある可能性も考えられないだろうか?」
「そうだね、思いつかなかった。紋様が必ず関係あるとは限らないもんね」
 カーディナルはコツコツと音を確かめるように机をノックした。それから、よいしょっと小さくかけ声をかけて机の天板を引っ張ってみる。あいにく天板は外れることなく、そのまま机ごと宙に浮いてしまった。
「ぅにゃぁ!」
「おっと、あぶない」
 よろけた彼女の背中をさっとアイラスが支える。
「大丈夫か、カーディナル殿」
 フィセルが駆けよって机を受け取った。
「だ、大丈夫。ありがとうございます。アイラスさん、フィセルさん」
 ひょこんと頭を下げると、カーディナルは改めて机の下に潜り込み、細かい部分を調べてみた。その動きは猫のように身軽で軽やかだ。だが実際は照れ隠しだった。
 リンクスは身軽だから、あの程度バランスを崩しても転びはしない。しかしアイラスも常人よりはるかに反射に優れている。咄嗟に支えてしまうのも無理はない。結果、カーディナルは助けられちゃった、と舌を出し、アイラスはもしかして余計な事をしてしまったかと考えていた。
「……見たところ、怪しい細工やカラクリはないみたい」
「そうですか」
 再びするりと机の下から抜け出すと、カーディナルは、もうどうってことないぞ、としっぽを揺らした。が、
「ご苦労様、カーディナル殿は働き者だな」
「あ……、ありがと」
 予想外の事を言われて、やっぱりまた少しだけ、ぎくっと変な動きをしてしまった。
「……フィセルさんらしいですね」
 何の事だ、と言うように、フィセルは目を瞬かせた。

「さて、紋様にこだわらずに考えると、あとは、暗証番号やパスワードとか……」
 アイラスが口にした言葉はカーディナルやフィセルには耳慣れないものだった。
「それは、呪文のようなものか?」
「ええ。鍵の代わりに短い数列や単語を入力するんです。数字だったら誕生日とか、単語だったら親しい人の名前とか好きな言葉とか。
 僕の世界では一般的だったんですけど、こちらではあまり見ませんね。呪文の方がふさわしいかもしれません」
「なにか、思い当たる言葉ある? 引き出しの鍵代わりの呪文にするような言葉」
 カーディナルは辞書とにらめっこしている少年に声をかけた。邪魔してしまうのは申し訳ないけれど、彼に聞く以外方法がない。
「ええと、お師匠様は誰か名前を机に向かって呟くような人じゃないから……好きな言葉、ですよね」
 少年はしばらく天井を睨んだ。
「えっと、自由、個人主義、身勝手、悠々自適、傍若無人……は、そろそろ違いますね。ええとあと、お酒、夜更かし、寝坊、読書、無駄遣い……。お金貯める事や権力は好きじゃないし、どちらかというとニンゲン嫌いだし、あ、でもボクを馬鹿にする時は妙に楽しそう……」
 飛び出してくる単語の内容に思わず3人は顔を見合わせた。
 少年も、そこでハタと気がついたように慌てて口を押さえた。
「すみません! なんだか違う事を言ってしまいました」
 それから申し訳なさそうに首をすくめて付け足した。
「でもあの、師匠の性格から考えると、引き出しに声をかけて開けるっていうのはないような気がします」
「……そのようだな」
 ほんの少しあっけにとられた様子で、フィセルが答えた。

「ライアス君、お師匠様のこと、嫌い?」
 カーディナルは自分の師匠の事を思い出していた。優しくて素敵な人だった。
「ま、まさか! そんなことないです!」
 少年はぶんぶんと顔を横に振った。
「あ、あの、悪い人じゃないんです。なんていうか、変わってるし取っつきにくい人ではあるんですけど……」
 さっきは欠点ばかり並べたくせに、今度は必死で弁護する。
 少年の行動は矛盾していたけれど、その気持ちには何となく覚えがあった。三人とも懐かしいものを見るような目で少年を見ている。その矛盾の理由に気付いていないのはきっと本人だけだ。
「……早く一人前になりたいんですね」
「え?」
 アイラスの言葉に少年は驚いた。
 自分が一人前になるのは、まだずっと先の話だ。
 でもその反面、とても納得している自分もいた。
 女性(本体は符だったが)が訪れた時、別にいつものように師匠の帰りをただ待っていても良かったのだ。なのに何故か今回は、師匠が帰ってくる前に自分でどうにかしてみたかった。……結局どうしようもならなくなって、いろんな人の助けを借りてしまっているけれど。
「そ、そうなのかも、しれません」
 それから、もう何回目になるかわからないが、また頭を下げた。
「ご迷惑おかけしてすみません。ボクが未熟なばっかりに」
「……気にしなくていい。困った時はお互い様、と言うヤツだ」
「そうそう。同じ見習い……じゃなかった、術士同士、放っておけないもんね!」
「それに、僕の場合は原則、どんな依頼でも引き受けることにしていますし」
 三人はそれぞれ、こんなのは大したことじゃないというような素振りだった。
 うん、言われたとおりだ。ボクもはやく一人前になりたい。
 少年はうつむくと、唇を噛みしめた。

 しばらくして、少年が符の解読を終えた。
 符の能力は「そこに女性が存在するように見せかける事」だった。
 具体的に言えば、その符の効果が適用された人には、まずそこに女性の姿が見える。女性の像と触れたものには触ったような感覚を与える。或いは動かしたりも出来る。話しかけられれば簡単な受け答えをする。ただし、この符は「反応を表現する」部分が書きかけだったため、話したり字を書いたりする事が出来なかったようだ。
 書きかけである事以外にも不自然な点があった。
 符の構成がひどく手抜きである事。インクも調合したものではなくあり合わせのものを使っている事。まるで何かに追われるように大急ぎで作ったようだ。本当に破綻すれすれの構成です、と、少年は感想を漏らした。
 符を起動させたのは少年の師匠か、それとも他の誰かか。何故やってきたのか、何故引き出しにこだわるのか。そういった事は結局わからなかった。
「これはいよいよ符、本体に聞いてみるしかなさそうだな」
「そうですね、もちろん僕たちも推理してみますが」
 フィセルもアイラスも、カーディナルの魔石に期待しているのだ。
 カーディナルは一つ大きく深呼吸をした。
「うん。やってみる」

□5□

 実はほんの少し不安だったのだけれど、無事に符の魔力構造は理解出来た。魔石も符も一度術者の身体の外に魔力を結集させるものだから、系統が近いのかもしれない。
「じゃあ、転写の符を剥がして、この人型の符を再起動させますね」
 眠っている符の手から、ゆっくりと札を剥いでいく。貼った時とは逆に、転写の符からは紋様が薄れていき、まるで幽霊のようにおぼろげだった女性の姿はくっきりと元の存在感を取り戻した。まぶたが開いて、薄い青い瞳があたりを見回した。
「構造を解読するために、しばらく眠ってもらってたの」
 その様子があまりにも不安そうだったので、カーディナルは思わず状況を説明してしまった。
「これからあたしが、声が出るようにしてあげるね」
 こくん、と符はうなずいた。
「……あの、見学させて頂けますか?」
 アイラスとフィセルは気を遣ってくれたのか、既に席を外していた。カーディナルと同じテーブルに残っているのは少年と符だけだ。
「他の術士さんの仕事って、あまり見る機会がなくて……」
「もちろん、どうぞ」
 少年がお礼を言ってすこし離れた椅子に座るのを見届けると、カーディナルは目を閉じて精神を集中させた。
 『声』……なら、まずは音、それから、伝えたい気持ち。うん、属性は『風』と『心』だ。よしっ
 カーディナルは胸の前で手をあわせた。ゆっくりと魔力を掌に収束させていく。しっぽがぴんと伸びて、ひげの先が魔力に共鳴するようにぴりぴりと震える。
 手の中に確かな重みを感じると、カーディナルは目を開いた。掌にくすんだ緑の魔石があった。 
「この魔石、持ってみて」
 符に手渡してみたけれど、どうも相性が悪そうだ。これはちょっと失敗かもしれない。
「やり直しかなぁ」
 カーディナルはこっそり溜息をついた。じっと少年が見ているからだ。
 とりあえず魔石を返してもらおうと手を伸ばす。すると、符がそっと魔石を手渡してくれた。そのままカーディナルの手を取って、心配そうに顔をのぞき込む。「大丈夫? 元気出して」そう言いたそうな目だ。
「ありがと、待っててね。次はちゃんとあなたの声を作ってみせるから」
 符は今度は嬉しそうに微笑んだ。やっぱり、まるで本当に生きているように見える。
 ああ、そっか、とカーディナルは気がついた。
 ただ符に声の機能を追加しようとしてるから上手いかないんじゃないかな。『この人の声』を作るって思えば……
 ちく、と思考にとげが引っかかる。
 あ、人じゃなかったんだっけ、こんなに人間そっくりなのにややこしいなあ……
「声の前に、名前をあげるね」
 符はきょとんとカーディナルを見つめた。
「ええと、符だから……フゥ!」
 ひらめいたものをそのまま口にしてしまって、ちょっと単純すぎたかな、とカーディナルは思った。けれど、フゥと名付けられた符は嬉しそうに口元をほころばせた。
「気に入った? じゃあ、次は声の番」
 フゥの声を作るんだ。
 カーディナルは再び目を閉じた。さっきよりもはっきりと魔石のイメージが浮かんでくる。淡く透き通った緑色の魔石。そう、初夏の涼しい風のような、よく通る綺麗な声。
 目を開けると、そこにはイメージ通りの魔石があった。フゥに手渡して、更にその上にカーディナルの手を重ねる。
「……フゥに『声』を与えよ」
 一瞬、風が吹いたような気がした。
「……ありがとうございます、カーディナル様」
 フゥの目が嬉しそうにキラキラと輝いている。
「素敵な名前と、『声』をくださって」
 涼やかな綺麗な声だった。疲れも吹き飛ぶような気がする。
「えへへ、どういたしまして」
 カーディナルは自慢のしっぽを誇らしげに揺らした。

□6□

「声、出るようになったよ!」
 疲れよりもうれしさの方が勝っていて、カーディナルは弾んだ声を出した。
「ご苦労様です。カーディナルさん」
「えへへ。あのね、名前も付けたの。フゥって呼んであげて」
 カーディナルが紹介すると、符、改めフゥは深々と頭を下げた。
「アイラス様もフィセル様も、ご協力頂いて、ありがとうございます」
 この仕草は少年とよく似ている。育ての親が一緒だからだろうか。
「大したことじゃない。オーマ殿とゼララ殿も、そろそろこちらに……」
 フィセルが言ったその時、ぎぃと、ドアの軋む音がした。まず最初に入ってきたのはゼララだ。
「ただいまー♪ モデルさん、一緒に来て頂きましたー」
 それから、次に入ってきた女性を見て、一同は息を呑んだ。フゥと女性は本当にそっくりだったからだ。
「見習いメガネ坊主のイロモノ師匠の幼なじみ、だそうだ」
「はじめまして、ルゥリィと言います」
 ぐるっと見回して、ルゥリィはフゥに目を留めた。
「事情はここに来るまでに聞いていたんだけど、本当に私そっくりね」
「術士様にお作り頂いた符で、フゥと申します」
 こうして比べてみると、同じ顔はしているものの、雰囲気はまるで正反対だ。フゥは静、ルゥリィは動といったところだろうか。
「ルゥリィ殿は、師匠の行方や引き出しの事、何かご存じか?」
「ごめんなさい。何も知らないの。でも、自分そっくりの符がいるなんて気になるし、それに……」
 ルゥリィは少年に笑いかけた。
「弟子を困らせるなんて相変わらずとんでもないヤツみたいだから、一発怒鳴ってやろうかと思って」
「よ……よろしく、お願いします……」
 どう答えたものかと思案顔で少年は相づちを打った。問題の机を眺め、オーマが尋ねる。
「で、暗黒メラマッチョ謎デスクについては、なんか分かったか?」
「色々試してはみたんですけど、『開かない』という事が判明しました」
「そうだな」
 アイラスもフィセルも絶望的な事を、何故か肯定的に口にした。聞いていた方は訳が分からない。
「確かな事は、中に何が入っているかが分かれば自体は進展するという事です」
 座りましょう、と、アイラスは皆を促した。

□7□

 8人が一度に席に着くとなると、白山羊亭でも一番大きなテーブルを使うしかなかった。
「ええと、どこからお話ししたらいいのか……」
フゥはすこしとまどい気味だ。
「最初から初めてー、おしまいに来たら、終わりにすればいいんですよー♪」
 自分も誰かに言われた事があるのか、ゼララはそうアドバイスした。フゥは小さく頷いて話し始めた。
「ぼんやりとした意識は、符として作成されている時からあったんです。私を作った術士様は、とても慌てていらっしゃるようでした。自分が、一体何のために作られているのかは分からなかったのですが、どうも来客の予定があって、その前に私を作らなくてはならないようで……」
「ちょっと待って……」
 カーディナルが手を挙げて話を止める。
「その来客って、お客様? フゥさんを頼んだ依頼人がいるの?」
「いえ、造りの粗さから考えて、依頼の品ではないと思います」
 少年が首を横に振る。
「じゃあ、お客って?」
「最近の依頼以外のお客様というと、師匠のお母様しか。その……師匠に見合い話を、持っていらっしゃって……」
 少年はもぞもぞと口ごもって、上目遣いにルゥリィを見た。ルゥリィは肩をすくめてみせる。
「別に、キミは気にしなくていいわよ。ただの腐れ縁なんだから」
「それで、師匠殿は、見合いに乗り気ではなかった、と」
「はい、本気で嫌がっていました。逃げ出したぐらいですから。そのあとのお母様の嘆きっぷりも大変なものでしたけど……」
 その日の事を思い出したのか、少年は疲れた笑顔になった。
「……という事は……」
 さすがに言いづらそうにアイラスは口を開いた。
「古典的なお見合いの断り方に『既に将来を誓った人がいるから、そのお話はなかった事に』というのがあるんですけれど……もしかして……」
 次の言葉が言い出しにくくて、微妙な沈黙が舞い降りた。冷静になろうとしているのか、ルゥリィが頭を左右に振る。
 気を回してくれたのか、それとも、本当に今やっと分かったのか。ともかく、ぱちん、と、ゼララが手を打ち合わせた。
「あ……! そっかぁ、恋人さんのフリをしてもらうために、オシショーさまはフゥさんを作ったんですねぇー」
 入れ違いに、はーっと少年が深い溜息をついた。その背中をあやすようにルゥリィが撫でる。
「お師匠様なら、やりかねないと思います……」
「すみません。人騒がせなヤツで」
「いや、そんな事は……」
 フィセルが一つ咳払いをした。かける言葉が見つからない。
「では……、フゥ殿、続きを頼む」
「はい。術士様はとても慌てていらしたのですが、結局、私は来客までに出来上がらず、やがて足音が近づいてきて、ドアノブが廻る、というところで咄嗟に」
 フゥは一呼吸置いた。
「咄嗟に?」
 少年はその時の部屋の様子を思い出した。確かに、ついさっきまで仕事をしていたように机は散らかっていたが、でも、師匠はどこにもいなかったのだ。
「咄嗟に、術士様は手近にあった『縮小の符』を自分に貼って、引き出しにお隠れに」
 ……え?
 誰もが耳を疑った。
 つまり、引き出しの中には、ライアス君のお師匠様が入っている、という事になる。
 少年は、と見ると、ぽかんと口を開けていた。そしてゆっくりと肩を落として頭を抱えた。
 フゥによる説明はすらすらと続く。
「……次の瞬間、入れ違いにドアが開いて風が起きて、私は窓から外に飛ばされてしまったのです。それから随分長い事あちらこちら風に舞っていたのですけれど、ご自分では引き出しから出られないのではと心配で心配で……。気がついたら起動して術士様の家の前にいたんです。それで、お弟子さんに引き出しを開けて頂こうと思ったんですが、何故か開かなくて……。あとはご存じの通りです」
 お見合いから逃げて、引き出しに飛び込んで、恋人のフリをしてもらうために作った符に心配される。なんとなく脱力した空気があたりを満たした。

□8□

 アイラスは机に目をやった。その理由がどうであれ、人が中に閉じ込められている以上、放ってはおけないだろう。
「これで、何故開かないのか、わかりました」
「……本当ですか?」
 少年は情けないのと心配なのとで半分泣きそうな顔をしていた。
 多少……いや、大いに性格に欠点があろうと、それでも大切な師なのだ。
「まず前提として、『機能強化』してある引き出しなら『開くべき時に開く』はずです。なのに今は『開けたいのに開かない』これはヘンだ、と私たちは考えていました」
その通りだ。皆は頷いた。
「さっき、『開かない』事が分かった、と言いましたよね。逆なんです。開かないという事は開けたくない。今は『開くべき時ではないから開かない』と、少なくともその机は判断したんです」
 今度は、誰も頷かない。
「そいつぁ、つまり……」
 オーマが大きな手を挙げる。
「ミステリー筋デスクが、今は閉じてようってぇ風に判断したから、閉じたままで開かねぇって事か?」
「ええ、そうです」
「閉じてたほうが、いい時……って、どんなときかなぁ……?」
 今度はゼララが疑問を口にする。カーディナルがゆっくりと考えながら言葉を紡いだ。
「それは、中のものを、しまっておきたい時。それであってる?」
「その通りです」
 アイラスはゆっくりと語って聞かせる。
「つまり、依頼人のライアス君の『師匠の手を借りずに自分の力でどうにかしたい』という思いに、引き出しが反応して、中に入っている師匠を『使いたくないもの、しまっておくべきもの』だと認識してしまったんです」
 なるほど、と、小さくため息が漏れた。
 そうだとすると、とフィセルが呟く。
「師匠殿に一番思い入れが深いのは、弟子であるライアス殿だから、私たちがいくら開けようと考えても敵わないだろうな」
「そんな……ボク、どうすればいいんですかぁ?」
 少年が泣きそうになるのも無理はない。
 師匠を嫌っているわけではなく、ただ自分一人でやってみせようとしただけなのだから。
「ええっと、機能強化で保管能力が高まっていれば、しばらく飲まず食わずで引き出しの中でも大丈夫だと思うけど……」
 咄嗟に取り繕ってみたが、解決策には繋がらない。
「……気持ちが変わるまで待つ、とか?」
「そ、そんなぁ……」
 少年はかわいそうな悲鳴を上げた。

 フッフッフッと、ここで再び低い笑い声が響いた。
「見習いメガネ坊主暗黒メラぴーんち★故に、ここでいよいよミラクル桃色秘密兵器☆の出番ってな」
 そんなに桃色展開予測が嬉しいのか、オーマは滑らかにオーマ語をすっ飛ばした。
「ものすごーくオシショーさまに会いたいー、て、思っている人なら、開くんですよねぇー」
 ゼララがルゥリィにほほえみかける。ルゥリィは、すこしだけ照れくさそうな表情を返した。
「ええ。弟子を困らせるなんて、一発怒鳴ってやらなきゃ気が済まないし、それに大体、何で私そっくりに作ったのか、聞いてやらないとね」
 ルゥリィが引き出しの前に立った。一つ深呼吸して、引き出しに手をかける。
 開くか……?
 固唾を呑んだ次の瞬間……
「でも、ちょっと待った」
 ぱっとルゥリィは引き出しから手を放した。くるりと半回転して机に背を預け、悪戯っぽく皆に笑いかける。
「お手を煩わせた罰に、コイツ、ちょっといじめてやろうかしら」

□9□
 彼女は引き出しに手をかけた。
 再び皆が固唾を呑む。
 すとん。
 あっけなく、何のとっかかりもなく、引き出しは開いた。白い手はその中から黒いかたまりをつまみ出し、ポイと放り投げた。
 ビリっと紙を裂くような音、それから乾いた爆発音。
 次の瞬間、黒ずくめの服を着た若い男が、不機嫌そうな目で立っていた。ひらひらと千切れた白い紙が舞う。役目を終えた『縮小の符』だろう。
 男はじーっと自分を取り囲む人々を見渡すと、面倒な事になったといわんばかりに小さく息を吐いた。
「……弟子が迷惑をかけたようだな。礼を言う。私事に巻き込んで誠に申し訳ない」
 前評判がアレだったので、一言目に謝られてカーディナルは少なからず驚いた。
「えっと、どういたしまして」
「……あの、お師匠さま? 驚かないんですか?」
 少年はぱたぱたと走り寄ると、男を見上げた。
「ここは白山羊亭だろう。なら、大体想像はつく。驚くとすれば、このくそ重い机を馬鹿正直にここまで運んできたお前に対してだ」
 ぐぅの音も出ない、といったように少年は落ち込んで頭を垂れる。その頭を男はめんどくさそうにぐしゃぐしゃとかき混ぜた。それから自分を引き出しから引き上げた者に目を向けた。それは無事に出てきてくれて良かった、と優しく微笑んでいた。
「……あとは、未完成で放置した符が起動している事か。まぁ、不安定な構成だ、無理もない」
 どうやら、この状況に特に疑問はないようだ、とアイラスは判断した。
「では、こちらからいくつか質問させて頂いてもいいですか。この符は良くできていますね。一体誰をモデルにしたものなんです?」
 男は不審そうに眉を動かした。
「モデルはいない。適当に女を作ろうと思ったらそうなっただけだ」
「でも、想像して作るって難しいよね。あたしも魔石錬師なんだけど、イメージするっていつも大変だもん」
「そう言う意味なら、結果的に知り合いに似てしまったのは事実だな。意図的にモデルにしたつもりはなかったが……」
 一体これは何の話だ、と男は言おうとしたが、フィセルに先を越されてしまった。
「おや、それは妙だな。その顔に作った覚えはないのに、なぜそこにいる方が自分の作った符だと判断できたのか」
「それは……」
 男は一瞬考えたが、すぐに、関係ない話だと言いたげに「さあ、何故だろうな」と返した。
 今度はオーマの番だ。
「しかし、見合い断る口実に使うなんて、その嬢ちゃんはアンタのトキメキ桃色想い人☆ってかね?」
「すごーく美人さんー、ですよねー♪」
 余計な事を、と男は少年をにらみ付ける。少年は思わず一歩逃げた。
「叱らないであげてください。情報提供者は必要です」
 やんわりとアイラスが少年をかばう。
「で、どーなのよ? こちらの謎の美女☆の正体はイロモノ師匠のラブラブ桃色るんたった☆のお相手?」
オーマの桃色ツッコミに堪えかねたのか、男はイライラと髪をかき乱す。
「さあ、どうだろうな。ご想像にお任せする。本人はこんなに慎ましやかではなかったからな。何かというと、人のする事に対して口出しして、殴るわ叩くわ……」
「でもー……大嫌いな人ー、だったら……恋人さんのフリしてくれる人の、モデルに選んだりしないんじゃないかなぁー?」
 ゼララの言葉に男の動きがぴたりと止まる。
「……真の漢ならば、偉大なる下僕主夫として刺付き薔薇色未来の覚悟を決めるべし☆ってな」
 にやりと笑ったオーマの後ろから、一人の女性が現れた。先ほど、男を引き出しから拾い上げた女性にうりふたつだ。しかし、引き上げた方の彼女はずっと男の隣で微笑んでいる。
「…………2体……?」
 呆気にとられる男に向かって、オーマの後ろに隠れていた女性も優しくほほえみかける。
「術士様のお作りになられた符は私です。魔石錬師のカーディナル様が声と名前を下さいました。フゥとお呼び下さい」
「で、私がフゥのモデルになった……」
 傍らに立つ女性の微笑みが、だんだんニヤーっと、凄惨なものに変わっていく。
 ルゥリィは引き出しを開けたあと、フゥのフリをして慣れない微笑みを浮かべ、じっとこのときを待っていたのだ。
 男はびくっと身体を遠ざけた。が、ルゥリィの手は既に男の袖口を捕らえていて、それ以上逃げられない。
 男は自分を取り囲む顔を再び見渡した。腹を抱えていたり、申し訳なさそうだったり、程度の違いはあるものの、皆一様に笑っている。
 はめられた……。
 男は舌打ちしたかったが、その前に、危険に右手を掴まれている。
「…………ルゥ……何故お前がここにいる」
 ルゥリィはそれには答えず、ばしっと男の後頭部を平手打ちした。
「とりあえず、慎ましやかでなくて悪かったわね!」
「……なら叩くな。……変わらないな、お前も」
「変わってないのはどっちよ、アンタどんだけ他人様に迷惑かけてると思ってんのよ! 弟子泣かしてるんじゃないわよ、まったく!」
「よくみろ、アレが俺がいなくなったぐらいで泣くか! 大体、お前は……」
「…!…………!!………?!」
「……?!……!!……」
「………………」
「…………」

□10□

「……アレは、放っておいて大丈夫なのだろうか?」
 喧噪から一つ離れたテーブルで、フィセルは心配そうに呟いた。が、その常識的な感覚は他の面々には共有してもらえなかったようだ。
「そーですかぁ……二人とも、すごーく楽しそうですよー」
「ええと、お師匠さまにしては、よくあんなに触られても嫌がらないなぁ、と……」
 オーマに至っては感慨深げに一人頷いていた。
「うむ、間違いなく新たなる下僕主夫の誕生の予兆、聖筋界の未来もこれで安泰ってな」
「たしかに、オーマさんの所に似てますね」
 アイラスが言うと、オーマはぐぇ、と変な声を漏らした。
「……ところで、ライアス君の師匠さんも、人と符の区別つかなかったね」
カーディナルが少年に声をかける。
「そう言えば……」
はっとしたように少年は口元に手をやった。それから、ボクと同じですね、と安心したようにくすくす笑い始めた。照れくさそうにカーディナルはしっぽを揺らす。
「実はあたしも、魔石一回目は失敗してたんだ」
「でも、二回目はちゃんと成功していたし、……」
カーディナルさんは一人前なんだから自分なんかとは全然違う。少年はわたわた手を振ってみせた。
「うん、だからね……ええと……」
 『術士っていうのは、いつまでも修行の身なんだから、一回ぐらいで落ち込んじゃ駄目だよ』……っていうのは、おこがましいかなぁ。
 カーディナルが悩んでいると、二人の間にオーマが大きな顔をぬっと突き出した。
「カーディナルはよ、『一度の失敗ぐらいでいちいちくよくよするな』って言いたいんだろ?」
「それもあるけど……あたしも頑張るから、一緒に頑張ろうね、ってこと」
 少年はかっと顔を赤くした。それから、とんでもない大声を出した。
「はい! 頑張ります! カーディナルさんや、皆さんに負けない一人前の符術士になれるように!」
 
□オマケ□

「さて、と。カーディナル殿と言ったか?」
 いきなり声をかけられて、カーディナルは驚いた。声の主は少年の師匠だった。
「あの魔石は君が?」
「は、はい」
「貴重な物をありがとう。若いし、独立したばかりと聞いたが、いい腕だな」
 褒められて、カーディナルはちょっと嬉しくなった。なんだか、思ったよりずっといい人みたい。が、次の一言でちょっと悲しくなった。
「しかし、本当に申し訳ないのだが、あの代価を支払う金銭的余裕がないんだ」
「……ううん……お金のためじゃないから……」
 そう言ってはみたものの、売れていたら……とやっぱりカーディナルは考えてしまった。
「で、かわりといってはなんだが……」
 ぴくり、と、カーディナルの耳が動いた。もらえるなら、ケーキでもお魚でも何でも嬉しい。
「ウチの顧客に君を紹介する、と言う事でいいだろうか。こう見えて、結構ちゃんと仕事はあるし、むしろ君の魔石の方が向いている依頼も来るだろう。もちろん、俺よりも君を気に入ってそっちの常連になっても、それは君の実力だから気にする必要もない」
「ありがとうございます! もう、それで十分です!」
 カーディナルは顔を輝かせた。
 なんだ、ライアス君はああいったけど、いい人だ!
 そう思った瞬間、その男は表情を崩し、背を丸め、面倒くさそうにやぶにらみして頭を掻いた。
「その代わり一個忠告。アレが営業用で、コレが通常。あの馬鹿は無愛想だのわがままだの好き勝手言ったようだが、本当にそれでやっていけるほど客商売は甘くない」
 そう言った男の頭を、ナニ偉そうな事言ってんのよ、と、またルゥリィが一発ひっぱたいた。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳(実年齢19歳)/フィズィクル・アディプト&腹黒同盟の2番】
【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【2728/カーディナル・スプランディド/女性/15歳(実年齢15歳)/魔石錬師】
【2480/ゼララ・ブルーフラミー/女性/18歳(実年齢999歳)/海賊?/ジャガイモの皮むき係】
【1378/フィセル・クゥ・レイシズ/男性/22歳(実年齢22歳)/魔法剣士】

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■         ライター通信          ■
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今回はご参加頂きまこっとにありがとうございました。
カーディナルさんには魔石を作って頂きました。
NPCの符術士共々御礼申し上げます。
術士同士、の言葉にぐっと来しまって、
なんだか見習い物語が出来上がってしまいました。
いかがなもんだったでしょう。
お気に召して頂けたら幸いです。

へっぽこWRの初納品です。
いたらないところが山のようにあると思います。
リテイクでも……フ、ファンレターでも(こそっと)……ご指摘頂けたら、幸いです。
では。
05.06.17.