<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


開かない引き出し
------<オープニング>--------------------------------------
 がたがたっと、扉の外で音がした。
 なにかな、とルディアが通りに出ると、眼鏡の男の子と薄墨色の長い髪の美しい女性が、二人で簡素な書き物机を運んでいた。
「ど、どうしたんですか?」
「あ、ああ、よかった。やっとついたぁ。実は、困ってるんです。」
 少年はおでこの汗を拭うと事情を話し出した。

 少年の名前はライアス。符術士見習い。符術というのは「力」のある紋様を正確に描く事で様々な効力のあるお札を作る術、だそうだ。
 お師匠様は現在不在。留守を預かっていた弟子のライアスの所に昨夜女性が現れた。女性はしゃべれない様子で、身振り手振りのやりとりから少年が推理するには、多分、女性は師匠のお客さんで、注文の品が机の引き出しに入っているのではないか、とのこと。机の隣に立って離れようとしないのだ。
「でも困った事に……」
 少年は机の引き出しに手をかけた。そして思いっきり引っ張った、が……
「鍵もないのに、ぜんっぜん開かないんです、この引き出し。」
 試しにルディアも引っ張ってみた。確かにびくともしない。薄墨色の髪の女性も困ったようにルディアを見た。
「符術士さんなら、引き出しを開ける術とかないんですか?」
「ボクは見習いですから、符を描いたり読んだりはまだできなくて。それに、この机には「ありとあらゆる機能を強化する紋様」が描き込まれていて、例えば……。ちょっとこの机で書き物をしてもらっていいですか?」
 ルディアは机の上でメモを取ってみた。
「で、机の機能を邪魔しようとしても……」
 少年ががたがたと机を揺らそうとした。けれど机はちっとも動かない。
「ね。机の安定した場所を提供する機能が強化されているんです。
 他にも、符も魔法もはねのけちゃうし、無理矢理壊すとか物理攻撃も効かないし。普通に引っ張ってもびくともしないし、なのにお客様はちっとも机からから離れようとなさらないし。」
「だからお二人で引っ張ってきたんですね。」
 少年はうなずいた。
「小さくする札も貼れませんから。」
「机の持ち主の、ライアスさんのお師匠様に頼めばいいんじゃないですか? 不在ってどこに?」
「それが……」
 言いづらそうにライアス少年は頬を掻いた。
「先日、師匠のお母様が師匠に見合い話を持っていらっしゃいまして。その時、師匠はこの机のあった書斎でお仕事なさっていたので、そこにご案内したんですが、ドアを開けたら窓も開けっ放し、インク壺も筆も出しっぱなしで書斎はもぬけの殻。きっと、お母様が怖くて逃げ出したんだろうと。」
 はあ、少年は深い溜息をついた。
「多分ほとぼりが冷めるまで当分帰ってこないと思います。行き先もわからないし。ホントどこ行っちゃったんだか。」
 おまけに、普段全然女っ気ないくせに、なんでかこんなタイミングで妙齢の女性が尋ねてくるし。この女性は何者なんですか? お師匠さまってば、まったく……
 最後の方はルディアに聞かせられるものではなかったので、心の中にとどめておいた。
 それから、少年はぎゅっと拳を握りしめた。
「いいんです、あんな師匠は。食費もかからないし、かえって平和でいいってもんです。あとは、この引き出しさえ開けば!」
 一体どんなお師匠様なんだろうなあ、と、ルディアは思った。
「じゃあ中に入って、協力してくれる方を探しみましょうか」
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□0□
ゼララはふらーっと白山羊亭に入り、ぽやーっとあたりを見回した。
店の隅に知り合いがいた。
オーマさんとアイラスさん。それからメガネの男の子と女の人と、あれ、机?
何やってるんですかぁ?
と、言う前に、オーマが先に声を出した。
「ゼララ、お前も手伝わねぇか? この引き出しが開かねぇんだとよ」
「ゼララさんておっしゃるんですか、よろしくおねがいします」
男の子がぺこりと頭を下げる。
「いえいえ、こちらこそー……?」
つられて頭を下げると、もう一人男の人がやってきた。
「どうやら、困っているようだな、私で良ければ力を貸そう」
「お願いします、あの、お名前は?」
「フィセル。フィセル・クゥ・レイシズという」
珍しいなぁ、この男の人は、エンシエント・ドラゴンだー……
ほけーっと見ていたら、フィセルと名乗った男の人が挨拶をする。
ゼララも名を名乗る。
「あたしも、手伝っていいかなぁ?」
もう一人やってきた。リンクスの女の子だ。
「魔石錬師のカーディナル・スプランディド。よろしくね」
ゼララは再びはじめましてをする。
あれれ……私、もしかして……お手伝いさんの数に入ってる、よねぇ……?
ぅうーん……と、ゼララは考えた。面白そう。
「私、頑張りますねぇー」
ありがとうございます、と男の子が言った。
うん、頑張ろ♪ ゼララは心の中で繰り返した。

□1□

「……そんなわけで、もうボクにはどうしたらいいのか解らなくて。事件……とはちょっとちがうけど、解決、よろしくお願いします」
 依頼主の少年、ライアスは深々と頭を下げた。集まった5人の協力者たちは皆一様にうなずいたが、中でも一番大きな声を出したのはオーマだった。
「任しときな☆ まずはそのミステリー筋デスクが本当に開かねぇのか、腹黒メラマッチョなオレ様が試してみるぜ」
 オーマは身長2mを超す巨漢である。彼が本気を出せばどんな引き出しだろうと開く、どころか、場合によっては壊れてしまうだろう。オーマはその取っ手に手をかけ、ひっぱってみた。開かない。ムキになって渾身の力を込め歯を食いしばる。しかし……
「オラァァァァアアアアアア!!!」
「……開かないー、ですねぇー」
 おっとりとゼララが言うとおり、引き出しも机もびくともしない。
「くそぅ、ミステリー筋デスクどころじゃねぇ、暗黒メラマッチョ謎デスクだったか」
 悔しそうなオーマの言葉をアイラスは否定した。
「『謎』ではなくて、必ず何らかの理由があるはずです。おそらく描き込まれている紋様の効果でしょうが……」
 そこでアイラスは言葉を切り、少年に向き直った。
「一応確認ですが、そちらの女性が開けようとしても駄目だったんですね?」
「はい、全然」
「術士の机なんでしょ、逆に開ける術をかけるっていうのは?」
 今度はカーディナルが問いかけた。少年は再び首を横に振る。
「家にあった符は全部調べてみたんですけれど、この引き出しを開けられるものはなかったんです。符を貼らないで机に直接紋様を描くやり方もあるんですけど、それなら以前に開けた時の紋様が残っているはずで、でも紋様は一種類しか……」
「機能を強化する紋様、だっけ? もう一度詳しく教えてくれる?」
 これがその紋様なんですけど、と、少年は机の縁に描き込まれた細かい模様を指さした。
 それはただの精密な幾何学模様にしか見えなかったが、術士同士通じるところがあるのか、カーディナルは小さく頷いている。
「ええと、その名の通り『機能強化』の効果があるんです。机に関しては使っている時は絶対ガタガタ揺れなかったり、傷が付かなかったりとか。引き出しだったら、何でも入れた時のまま保管出来たり、しっかりしまっておいてくれたりとかです」
「そこまで効果の幅が広いとなると、紋様の能力から考えるのはどこから手をつけたものか……」
 フィセルが眉をひそめる。
 それは事実だった。が、一手目で王手を指す必要はどこにもない。必要なのは確実に詰めていく事だ。
「ええ。まずは手がかりになる情報を集めることから始めましょう」
 すこし、面白なりそうですね、と、アイラスは小さく笑みを浮かべた。

□2□

「その女の人ー……が、気になりますよねぇー」
 確認するようにそう言ったゼララを含め、全員の視線は静かに椅子に腰掛けている謎の女性に集中していた。
 不思議な印象の女性だった。背中の中程まで垂らされた髪は薄墨色、瞳は薄い青。身に付けているのは白い飾り気のないワンピースのみ。さっきから身じろぎ一つせずに、じっと机の方を見つめていた。細い眉が困惑を表している。
「おーい、嬢ちゃん!」
 オーマはわざと女性の死角から声をかけた。彼は女性が喋れないのではなく、聾、つまり耳が聞こえないのではないかと考えていたのだ。ならば、手話で話が出来る。慣れたものにとっては筆談や読唇術よりずっと簡単だ。それはオーマにとっても同様だった。医者の肩書きは伊達ではない。
 が、女性はオーマの声に反応して即座に顔を上げた。耳はまったく問題ない、という事だ。彼女は手話を使えないだろう。こちらとしては事情を聞くのがすこし面倒になった、が、彼女の耳に問題がないのならそのほうがずっといい。
「筆談出来るか? ヨロシク頼むぜ☆」
 オーマはにやりと笑って女性にペンを手渡し、白い紙がテーブルに置かれた。

「まずは、お名前を教えて頂けますか? よろしければ、ここに書いてください」
 アイラスがゆっくりと聞き取りやすい声で、丁寧に話しかけた。女性は右手にペンを持ち直し、それから紙を見つめた。そのまま、2秒、3秒。緊張した空気の中、やがて女性は困ったように顔を上げた。紙は白紙のままだ。
「もし事情があって名乗れないのなら、それでもかまわない。
 せめて、何故あなたが机にこだわるのかを教えてくれないだろうか」
 あらためて、今度はフィセルが尋ねた。女性は自分を取り囲む顔を見回した。どの顔も好意を持って彼女を見つめている。女性は安心したように頷くと再びペンを持ち直したが、結局、同じように何も書かずに顔を上げた。
「もしかしてー……言葉が、通じてないのかなぁ……」
「でも、あたしたちの言う事はわかってるみたいだよ。どうして何も書いてくれないんだろ?」
 それに……と、カーディナルはしっぽをくるりと曲げた。
 この人、なんだか不思議な感じがする。景色から浮いてるっていうか、ぼんやりしてるっていうか、じーっと見ていると、なんだかこの人の周りだけ、目が回ってくるような……この感じは……。
 なんなのかなあ、と考え込むカーディナルの隣で、アイラスは一つの可能性に行き着いていた。
「……ひょっとして、あなたは字を書けないのですか? もしそうなら丸を、違ったらバツを書いてください」
 女性の顔に初めて微笑みが浮かんだ。彼女はペンを持ち直すと、「その通りです」というように丁寧に丸を描いた。
「やっとお話し出来ましたー。一歩前進、ですねぇー♪」
 嬉しそうに笑ったのはゼララだ。逆にフィセルとアイラスは揃って難しい顔になっていた。
「ということは、こちらの女性にはハイとイイエで答えられる質問しかできない、ということか」
「ええ。これはちょっと時間がかかりそうですね」
「でもよ、変じゃねぇか? 喋れねぇ字も書けねぇって今までどうやって生活してきたんだ?」
 皆は顔を見合わせた。オーマにしてはまっとうな意見……もとい、彼の指摘はもっともだったからだ。
 が、一人だけ、ゼララは小さく「え? セーカツ?」と呟いて首をかしげていた。
「確かに、以前から喋れないのなら読み書きぐらい習得しているはずですし、不自然ですね」
「不自然っていうか、この女の人……」
 ゼララがますます首をかしげていく一方で、カーディナルがひょこっと身を乗り出した。違和感の理由がわかったのだ。
「この女の人、なんだか変なカンジがするの。術の気配がするって言えばいいのかな。うまく言えないんだけど、まわりの空気が魔石と似てるの」
「ではまさか、つい最近、何らかの術で言葉を封じられた……?」
 フィセルの言葉に突然緊張感が高まる。
「いえ、封じられているのは、言葉だけではないかもしれません……」
 慎重に言葉を選びながらアイラスは考えを構築していく。
「言葉が使えないとしても、絵を使うなどいくらでも手の打ちようはあるのに、彼女にはただ座っていました。ひょっとして、思考や理性といったものが封じられているのではないでしょうか?」
 だとしたら、誰が、何のために?
 ぴりぴりとした空気があたりに張りつめていた。

 どーしよーかなぁ……
 ゼララは顔が真横になるぐらいに首をかしげ、悩んでいた。
 やっぱりみんな、この女の人が『ヒトじゃない』ーってコト、気がついてなかったのかもー……言わないと、どんどんこんがらがって……来ちゃいますよねぇー……。えっとぉ……なんてセツメーすれば、いーのかなぁ? 『遺伝情報』とか、わかってもらえるー……かなぁ……?
 ゼララは、美しい装丁の本を椅子に立て掛けていた。椅子に立て掛けられるほど巨大なその本は、宇宙誕生以来の生命に関する全事象を記録した『アカシック・レコード』という魔導書、その生命を司る分冊である。『アカシック・レコード』の所有者であるゼララには、見る事で対象の遺伝情報を読みとる能力があるのだ。
 ゼララはみんなが女性の姿をしたそれが人間ではない事に注目しているのかと思っていた。どうやらそうではなかったらしい。説明方法の他にも、もう一つ彼女を悩ませている事があった。
うぅーん、それにー……自分の遺伝情報が見えちゃってるーてわかったら……イヤーなヒトも……いるー……よねぇー。フクザツそーなヒト……いるもん……でも……

「……あのー……」
 ゼララはとても緊張して声を出したつもりだったけれど、出たのはいつも通りの柔らかな声だった。
「その女の人、ヒトじゃない……ていうか、イキモノさんじゃないー……ですよ」
「ええっ!?」
 カーディナルが声をあげ、いつもは冷静なアイラスが早口で尋ねた。
「どういう事ですか? ゼララさん」
「ええとー、ですねぇ……その女の人はー、遺伝情報が見えないんです。だからきっと生物じゃなくてー……何者なのかなぁって、ずーっと考えてたんですけど……」
 ゼララの説明に対する反応は様々だった。カーディナルとフィセルには遺伝情報という概念が伝わらなかったようだが、異界人であるオーマとアイラスは、ほんの少し、眉を動かした。
 『遺伝情報が見える』 それが一体どれほどの能力なのか、利用価値、リスク、そして、悪用され敵に回った時の危険性。アイラスは素早く考えを巡らせた。
「……早く言ったほーが、良かったみたい……すみませんー」
 そんなアイラスの胸の内を余所に、ふんわりした雰囲気のまま、ゼララは申し訳なさそうな顔をした。
「謝るこたぁねえけどよ」
 そう言ったのはオーマだ。何を言うつもりかとアイラスは彼を見上げる。
「ゼララよぉ、みずくせぇぜ。言ってくれりゃあ、ここにいるヤツらが一緒に考えてくれるってのに」
 ほら、と、オーマは両手を広げて見せた。心配するな、といわんばかりに。半分はゼララに、もう半分はオーマ自身とアイラスに。
 彼の言う事ももっともなのだ。ゼララがその能力を悪用するとは到底考えられないし、彼女が身を寄せている海賊船の連中も陰謀とはほど遠い、信頼出来る人たちだ。
 アイラスは肩の力を抜いた。
「俺なんざ腹黒親父むっふん特権☆により、腹黒イロモノ頭脳たちに大方オマカセ★だぜ」
「自慢気に言う事じゃないでしょう」
「いやん★ アイラス君のいけず☆」
 オーマが渋い低音声でそう言ったので、あちこちから小さな笑い声が漏れた。
 ゼララも「そうですねぇ」とくすくす笑っている。
 心配するコト、なかったみたいだねぇー……

「……まあ、ともかく」
 必死に笑い出しそうなのを押さえつつ、フィセルが話を元に戻した。
「ここには女性がいるように見え、何かの術が存在しているが、生物はいない。そして女性は符術士の机に固執している……と、いうことは」
 5人は一斉に、しかしばらばらな言葉で同じ内容を口にした。
「この嬢ちゃ「この「あなた「この人『ここにいるのは符さんなんですねぇー』自体が符?」という」か?」★ってか」
 女性は驚いたように目を大きく見開き、それからこくりとうなずくと、謎の女性、改め謎の符は紙に大きな丸を書いた。

□3□

「えぇぇええ!? アナタは符だったんですか!?」
 一人だけ、すっとんきょうな大声を出したのは符術士見習いの少年、ライアスだった。
「ま、まさか師匠の描いた符だったり……」
 少年が女性の手元をおそるおそるのぞき込む。そこには申し訳なさそうに小さく丸が書いてあった。
「ご、ごめんなさい。自分の師の符なのに、全然見抜けなくって。そうでなくとも皆さんに任せっきりなのに……」
 少年はしゅんとしてうつむいた。
「謝る事はない。次に失敗しなければ、それでいい」
 フィセルが静かな声で少年を励ましたが、少年は小さく頷いただけだった。
 カーディナルにはその気持ちがよくわかった。
 ほんのちょっと前まで、彼女も失敗してばかりの見習い術士だったからだ。いや、無事独り立ちした今だって、やっぱり修行中の身。失敗と無縁ではない。カーディナルは何か彼に声をかけてあげたかったが、結局何も言えず、ヒゲがかすかに上下しただけだった。
「それで、彼女がどういった符なのか解読する事は出来ますか? それが解れば手がかりになるはずです」
「ええと……転写の符に紋様を写し取って、辞書を使って解読すれば。でも、きっと複雑な符だから時間が……。それに、その間符は活動停止状態になりますから、質問したり出来なくなっちゃいます」
 自信なさそうにそう答えてから、少年は慌てて付け加えた。何か言いたげな視線に気が付いたからだ。
「あ、あの、でも、出来ます。ちゃんと習いましたから」
「では、よろしくお願いします」
 言葉を与えるのも次の機会を与えるのもそれぞれの励ましのやり方だ。
「……それと、一つ気になる事があるんですけど……」
 躊躇いがちに少年が言った。
「人の顔を何も見ないで想像して作るのって難しいんです。なのに、皆さんがだまされるほど人間そっくりに作れたっていう事は、どこかにその符のモデルになった人がいるんじゃないかと思うんです」
 フッフッフッ……と、低い笑い声が響いてきた。オーマがにんまりと不敵な笑みを浮かべていた。
「そいつぁ、なんともオレ様の桃色大胸筋に予感ガッツリ☆ってな!
 見合い話を前に失踪した漢。漢の残した符からは謎の美女が現れた。ズバリ☆今回の事件の鍵は美女本体と漢の桃色下僕関係★にあると見たァ!!」
 まるで舞台の真ん中でスポットライトを浴びている役者のように、オーマは啖呵を切ってポーズを取った。彼のイメージでは誇らしげに広げられた胸にピンクのライトが当たっているのだろう。ノリがいいのか、天然なのか、隣でゼララがぱちぱちと拍手を始めている。
「わあー、それなんだか面白そうです、私も気になりますー、オシショーさまとモデルさんー♪」
 一方、少年は小さな声でカーディナルに尋ねた。
「あの、今、オーマさんは、なんて……?」
「え? えーと、なんていうか……フィセルさんお願いっ」
「私か? ……おそらく……『符のモデルは師匠殿の想い人ではないか』という意味……だろうか、アイラス殿」
「そうだと思いますよ」 
 疑問口調でリレーされてきた内容を、アイラスはこともなげに断定口調で返した。オーマ語読解は既に熟練の域、アイラスはてきぱきと次の手を考えていく。
「では、二手に分かれましょう。オーマさんとゼララさんは師匠と符のモデルになった女性を捜しに。僕はここで机を調べてみます」
「私も残ろう。カーディナル殿は?」
「あたしは……」
カーディナルは金色の瞳を瞬かせた。どう見ても不安そうな女性にしか見えない符を見て、それから少年を見た。
「あたしは、残ろうかな。この女の人、ヒトじゃなくて符だったけど、なんだかすごく言いたい事があるように見えるんだ。だから話せるようにしてあげたいの。魔力の構造が解れば、相手が符でもあたしの魔石で声が出せると思うんだ」
「カーディナルさん、そんなコト出来るんですか? すごいですねぇー」
 ゼララが感嘆の声を漏らすと、まだ新人魔石練師なんだけどね、と、カーディナルは照れたようにしっぽを揺らした。
「そうと決まりゃぁ、さっそく腹黒親父愛毒電波全開★捜索モード☆」
 勢いよくオーマが立ち上がる。少年が手帳を一つ差し出した。
「あの、これ、師匠の特徴やつきあいのある場所のリストです。役に立たないかもしれませんが」
 ぺらぺらとめくると、丁寧な字が紙面を埋め尽くしている。少年が用意しておいたものだろう。
「おう、コレとオレの腹黒イロモノネットワークの力を持ってすりゃぁ、あっという間に師匠も桃色発見★ってな」
「よろしくお願いします」
 少年はぺこりと頭を下げた。
「頑張って見つけてきますねー」
 コトンと椅子の音を立て、ゼララも立ち上がる。『アカシック・レコード』を背負い腰の長剣を差し直した。
「じゃあ、後は頼んだぞ! 未来の聖筋界を担う若人、暗黒イロモノ頭脳付☆」
「いってらっしゃーい」
 カーディナルは手を振って二人を見送った。オーマの大きな背中とゼララの背負った巨大な魔導書は遠くに行ってもよく見える。それを白山羊亭の窓越しに見送りながら、アイラスは呟いた。
「なんだかすこしだけ、オーマさんはじっと座って考え事しているのに飽きたんじゃないか、という気もしますね。謎の解決を押しつけられてしまったような……」
「……それは……」
 真面目な顔でフィセルが答えた。
「信用してくれている、ということではないか?」
 あまりにも誠実な彼の言葉に、一瞬アイラスは目を丸くし、それから目を細めて笑顔を作った。

□4□

「さて行き先なんだが、どっかアテはあるか?」
 並んで歩きながらオーマが尋ねた。
「そーですねぇ……、空から探そうかなぁー、て、思ってたんですけど……」
 午後のアルマ通りは、ヒトやらエルフやらドラゴンやらが大勢歩いている。多分、エルザード中、ソーン中がそうなっているわけで……
「どこから探せばいーのかなぁ……オーマさんは、どうですかー?」
 ふむ、と、オーマは妙にもったいぶった返事をした。
「我が偉大なる『腹黒イロモノ下僕主夫・哀愁筋愛好会』に総攻撃をかけさせるつもりだったんだが、見習いメガネ坊主のくれた師匠出没予測リストの18番目が偶然にも『腹黒イロモノ下僕主夫・哀愁筋愛好会』会員No32だったのだな」
 身長2mオーバーのオーマと、人混みで本を背負ってふらふら歩いているゼララでは、どうしても歩調がずれてしまう。オーマは立ち止まってゼララを待ち、ゼララは追いつく間にオーマの言った事を理解した。
「えぇーと……オーマさんのオトモダチさん……が、オシショーさまのオトモダチさんだったー、て、コトですかー……?」
「ピンポンピンポンだーいせーかーい。やはり決め手は愛の輪☆ってな」
「じゃー、さっそく行ってみましょー♪」
「おう、会員No32はそこの路地を左だ」
 オーマは一本の脇道を指さすと、今度は追い越さないようにゼララの後をゆっくりと歩いていった。

 辿り着いたのは小さなお店だった。ゼララは看板を読み上げた。
「鉱石屋さん……て、なんですかぁ?」
「まあ、名前の通り、宝石やら金属やら色んな石を売っている所だな。さて、店番がおっかねえ母ちゃんじゃねぇといいんだが……」
 いよっと、オーマはドアを開けた。
「……おや、オーマさん。いらっしゃい、なんの用だい」
 中から現れたのは気のよさそうなおじさんだった。オーマはほっとして、大股で店に入っていく。
「よう親父、ちょっと聞きてぇことがあってきたんだ。邪魔するぜ」
「こんにちはー。おじゃましますー」
 オーマに続いてゼララも店内に入った。
「うわぁー……」
 思わず溜息をついた。店内は壁が全て棚になっていて、色とりどりの鉱石がガラス瓶に詰めて並べられていた。
「キレー……」
 ゼララはあたりをぐるりと見回そうとした。うっとりしていて、つい背中の『アカシック・レコード』のコトを忘れていた。気がついた時には……
 ガシャン!
 棚板に背表紙がぶつかってしまった。ガラス瓶がぐらぐらと揺れる。
「うおぅ! あぶねぇっ!」
 慌ててオーマが瓶を押さえた。
「あ! あぁあぁ……ごめんなさいぃ、ぼーっとしててー……」
 またやっちゃった……と、ゼララは反省した。とりあえず危なくないように『アカシック・レコード』は身体の前で抱きかかえた。
「いや、大丈夫だよ、落ちても割れてもいないから」
 店主は人の好さそうな笑みを浮かべた。
「……で、オーマさん聞きたい事って?」
「ああ、符術士を一人捜しててな。こーゆーヤツなんだが……」
 オーマは少年から預かった特徴リストを見せた。
「なんだ、彼か。彼がどうかしたのかい? まーたふらっとどこか行っちまったのかい?」
「そのとーり、です。『ゆくえふめー』なんですよー。行き先、知りませんかぁ……?」
 店主は、残念だけど、と肩をすくめた。
「まあいつもの事だし、そのうち帰ってくるんじゃないかい?」
「親父、やけに詳しいな。長いつきあいなのか?」
「長いも何も……」
 そういや、いつからだったかな、と店主は呟く。
「符に使うインクは鉱石を粉にして作るからね、彼の師匠の師匠のそのまた師匠あたりからウチのお得意様なんだよ。だからあの無愛想のことは、まだ見習いで師匠に連れられてきた頃から知ってるのさ」
「じゃぁー……もしかして、女の人ー知りませんか? 髪は薄墨色でー……瞳は青で、きれいな人でー……」
 庇から雨粒が落ちるようなテンポで、ぽつんぽつんとゼララは符の特徴を挙げていった。
「うーん、どうにも覚えがあるような無いような、だな。一体その女性は何者なんだい?」
「ふむ、依頼の内容は本来極秘なのだが……」
 再び、妙にもったいぶった口調で前置きをすると、オーマはこっそり店主に耳打ちした。
「その女性は、件の符術士を『腹黒イロモノ下僕主夫・哀愁筋愛好会』新入会員にしてしまうかもしれないお方だ」
「ふむ、新たな下僕主夫に……つまり、ウチやオーマさんのトコみたいな、ちょっとこわーい女房と立場のよわーい旦那という関係に…………あ! ひょっとしてあの娘か!」
 店主はポンと手を打った。 
「アテがあるってか? 親父」
「うん、あるある。彼の師匠の娘さんでね、なかなかの器量よしなんだが気が強くって、よく彼のあとについて回って、あれやこれや叱り飛ばしてたよ。さっき言ってた特徴も一致するし、間違いないと思うよ。名前は確か、ルゥリィって言ったかな」
 間違いない、その人が符のモデルになった人だ。二人は目を見合わせた。
「で、親父、その人は今どこに?」
「海辺のジューシャ村さ。辺鄙な村だから知らないかな? 海岸沿いに南に半日ってところだ。行くなら早い方がいいね」
「おう、ちょっといってくらぁ! ありがとよ、親父。母ちゃんと仲良くな」
「お邪魔しましたー」
 笑顔で手を振る店主を残し、二人はあわただしく店を出ていった。

「さーて、行き先は決まったんだが、歩くとか馬とか、んな普通の手段じゃちぃっとばかし時間がかかっちまいそうだな」
 鉱石屋をでるとオーマはばりばりと頭を掻いた。
「まーかせて♪」
 ゼララは自信ありげにいうと、空を見上げる。
「いいお天気だからー、空を飛んでいきましょー」
 よいしょ、とゼララは背中の『アカシック・レコード』を石畳の上に降ろした。青い輝石のついた大きな留め金を外す。
 私とー、オーマさんとー……あと、帰りはルゥリィさんも一緒かも。だから、呼び出すのは……大きな天羽ちゃんですねぇー……
 考えがまとまると、ゼララは立ち上がった。腰に差していた長剣『エクスプローラー』をすらりと抜き放つ。そして剣先を地に向けて構え、目を閉じる。
 ゼララにしては珍しく危なげない動作だった。オーマは口笛の一つも吹きたくなったが、妙な迫力に押されて音にならなかった。
 ゆっくりとゼララが目を開く。金色の瞳が陽光を反射してきらりと光った。次の瞬間、石畳の上に置かれた『アカシック・レコード』の表紙がひとりでに動きだし、地面とぶつかるとごとりと重い音を立てた。
 ……大きな生き物。
 ゼララは「スリーピング・ドラゴンII世号」で聞いた、大きな魚の事を思い出した。港には小さな魚しかいないけれど、外の海にはもっと大きな魚がいて、一番大きな魚は『クジラ』というんだそうだ。もっともそのあと、みんなは、クジラは魚じゃない、いや似たようなものだ、と賑やかに大論争を繰り広げていたけれど。
 ……私も、見てみたいなぁ……くじらさん。どんな、なんだろー……
 ゼララの思考に応じるように、ぱらぱらと『アカシック・レコード』のページがめくられていく。見えない風がそうしているのか、それとも、めくられるページたちが風を起こしているのか、ゼララの長い髪がゆるやかに宙に舞っていた。
 どこかで……クジラと分化して……空を泳ぐようになった……そんな……可能性の一つ……
 ぱらぱらという音が止み、一つのページが選ばれた。ゼララが剣を振り下ろす。
「選ばれざるものよ、その姿を、ここに」
 切先がページに触れる。次の瞬間、そこから光があふれ出し、あたりを白く染めた。
 
「……なんだ、こりゃ」
 オーマはまぶしさに思わず目を閉じた。再び開けるとそこにはクジラが一匹寝そべっていた。決して細くなかった路地を青い巨体がどーんと埋め尽くしている。驚いた鉱石屋の親父がドアを開けて出てこようとしたが、クジラのひれに突っかかってドアが開かない。わりぃな、とオーマは片手を挙げた。
「天羽ちゃんですー。名前はー……空クジラさん」
 いつものようにのんびりした口調でゼララは答えた。剣を腰に戻し『アカシック・レコード』を背負う。それから立ち上がってクジラを見上げた。背中の高さは地上2メートル。ゼララにはてっぺんが見えない。
「ところで……どうやって乗りましょーか……?」
 『天羽』空クジラは呟いたゼララを優しく見つめ、ここから登れ、というように尾びれを揺らした。

□5□

 クジラはのんびりと空を泳いだ。ソーンの空は竜やら人やら意外と色々飛んでいる。危なくないように彼らはすこし高いところを飛んでいた。見下ろすと海岸沿いの街道は手打ちパスタのような太さだ。あまり速度は感じないが、高度からすると意外に出ているのかもしれない。
「オーマさん、確認なんですけどー……」
 ゆっくりと上下する尾びれを見ながら、ゼララは尋ねた。
「白山羊亭に、机を持ってきたのがライアス君でー……ライアス君のオシショーさまが、行方不明でー……、今から会いに行くのは……?」
「見習いメガネ坊主の師匠の師匠の娘にして、見習いメガネ坊主の師匠の幼なじみ、らしいな」
「オシショーさま、いっしょにいるかなぁ……」
「むーん……桃色大胸筋には『ココニハアラズ』の予感ガッツリだな」
 オーマの答えにゼララは不思議そうな顔をした。根拠はない。ただオーマは「見合い話から逃げた漢が幼なじみとラブラブ桃色るんたった☆じゃつまらあああああん!」と思っただけなのだ。

「おう、ここじゃねぇか?」
 クジラの左胸びれのはるか下に海辺の小さな集落があった。
 ゼララに指示されクジラは静かに広場に降りる。あっという間に村人たちがよってきた。
「騒がせてすまねぇな! 人を捜してるんだが、符術士の娘で、フゥってやつぁいねぇか?」
 ざわめく人々に向かってオーマが声を張り上げた。
 人混みが割れて、一人の女性が進み出る。
「ルゥリィなら、私よ。一体何の用?」
 その人は少年と一緒に来た符にそっくりだった。違いといえば、符よりちょっと気が強そうだろうか。二人が揃って目を丸くしたので、ルゥリィは首をかしげた。
「あ、ああ、実は……」
 言った途端、村人たちがまた口々に騒ぎ出した。
「ルゥちゃん、知り合いかい?」
「ねールゥ姉ちゃん、そのでっかい魚、なぁにー?」
 わいわいがやがや……。コレでは話が出来ない。
「……場所ー、変えたほうが良さそうですねぇー……」
 思ったより、空飛ぶクジラは目立ってしまったようだ。
 困ったようにゼララが言うと、ルゥリィは片目をつぶって見せた。
「ここで大丈夫よ。みんな、このクジラを見物したいだけみたいだから。この子、ここでおとなしくさせておける?」
「いじめなければ、じーっとしててくれますよー」
「そう、ありがと」
 ルゥリィはにっこり微笑むと、村人たちに向かって声を張り上げた。
「お騒がせしましたー! お客様は私に用があるそうでーす! その間クジラはここでおとなしくしてるからー、見たい人は反対側に行ってくださーい! いじめちゃ駄目よー!」
「あいよー」
「ルゥ姉ちゃん怒らせると怖いもんなぁ」
 あっという間に村人たちは移動し、あたりは静かになった。見事な手際だ。
 下僕主夫誕生の予感アーップ☆と、オーマはこっそり呟いた。
「ごめんね、この子を壁の代わりにしちゃって。家に入れてあげたいんだけどクジラなんて入らないし。
 それで、話って? あなた達何者?」
「私はーゼララ・ブルーフラミーですー」
「俺はオーマ・シュヴァルツ。腹黒メラマッチョ親父にして愛の使者☆ってな」
 オーマは白い歯をきらりと光らせたが、ルゥリィはごく自然に受け流した。
「初めまして。ご存じの通り、私はルゥリィよ。で、私に何の用?」
「コイツを知ってるか?」
 オーマは少年の作った特徴リストを差し出した。
「知ってるも何も……」
 さっとルゥリィの顔つきが変わる。
「アイツ、また何かやったの? ごめんなさい、ご迷惑おかけして」
「やっぱり、お知り合いー?」
「幼なじみ、みたいなものです。父の元を独立してからは疎遠になっているけど。この前あったのは、3年前ね」
 一瞬、ルゥリィは淋しそうな顔をした。それはすぐにキッとした目つきに取って代わってしまったが、オーマは見逃さなかった。
「アイツ、今度は何やらかしたんですか? 父は不在ですが、私で力になれる事だったら……」
「それがー行方不明なんですー……。それで、弟子のライアス君が困っててー……」
「見合い話からメラダッシュでスタコラサーと逃げ出したらしい」
 オーマの言葉、おそらくは見合い話という箇所にルゥリィは表情を凍り付かせた。
「嬢ちゃん、心当たりないってかね?」
「……悪いけど、知らないわ。アイツらしいわね。っていうか、まだ一人だったのかっていうか……」
 喉に張り付いているように声がきしむ。ルゥリィは深く息を吐いた。
「まあ、私も人の事言えないわね。それにしても、それで何で私の所に来たの?」
「ええっと……ヒキダシが開かなくてー……女の人が、ヒトじゃなくってルゥリィさんで……?」
 ルゥリィは首をかしげた。
「事情は後でゆっくり話す。ともかく、良かったら一緒にエルザードの白山羊亭まで来てくんねぇか?」
「……ええ、いいわよ。お弟子さんが困ってるんでしょ」
 ルゥリィはオーマの手を取った。
「ありがとよ、でも、その前に一つ質問いいってかね?」
「なぁに?」
「嬢ちゃんの桃色細胞が気にしてんのは、イロモノ師匠の弟子の方だけ……ってか?」

□6□

「声、出るようになったよ!」
 疲れよりもうれしさの方が勝っていて、カーディナルは弾んだ声を出した。
「ご苦労様です。カーディナルさん」
「えへへ。あのね、名前も付けたの。フゥって呼んであげて」
 カーディナルが紹介すると、符、改めフゥは深々と頭を下げた。
「アイラス様もフィセル様も、ご協力頂いて、ありがとうございます」
 この仕草は少年とよく似ている。育ての親が一緒だからだろうか。
「大したことじゃない。オーマ殿とゼララ殿も、そろそろこちらに……」
 フィセルが言ったその時、ぎぃと、ドアの軋む音がした。まず最初に入ってきたのはゼララだ。
「ただいまー♪ モデルさん、一緒に来て頂きましたー」
 それから、次に入ってきた女性を見て、一同は息を呑んだ。フゥと女性は本当にそっくりだったからだ。
「見習いメガネ坊主のイロモノ師匠の幼なじみ、だそうだ」
「はじめまして、ルゥリィと言います」
 ぐるっと見回して、ルゥリィはフゥに目を留めた。
「事情はここに来るまでに聞いていたんだけど、本当に私そっくりね」
「術士様にお作り頂いた符で、フゥと申します」
 こうして比べてみると、同じ顔はしているものの、雰囲気はまるで正反対だ。フゥは静、ルゥリィは動といったところだろうか。
「ルゥリィ殿は、師匠の行方や引き出しの事、何かご存じか?」
「ごめんなさい。何も知らないの。でも、自分そっくりの符がいるなんて気になるし、それに……」
 ルゥリィは少年に笑いかけた。
「弟子を困らせるなんて相変わらずとんでもないヤツみたいだから、一発怒鳴ってやろうかと思って」
「よ……よろしく、お願いします……」
 どう答えたものかと思案顔で少年は相づちを打った。問題の机を眺め、オーマが尋ねる。
「で、暗黒メラマッチョ謎デスクについては、なんか分かったか?」
「色々試してはみたんですけど、『開かない』という事が判明しました」
「そうだな」
 アイラスもフィセルも絶望的な事を、何故か肯定的に口にした。聞いていた方は訳が分からない。
「確かな事は、中に何が入っているかが分かれば自体は進展するという事です」
 座りましょう、と、アイラスは皆を促した。

□7□

 8人が一度に席に着くとなると、白山羊亭でも一番大きなテーブルを使うしかなかった。
「ええと、どこからお話ししたらいいのか……」
フゥはすこしとまどい気味だ。
「最初から初めてー、おしまいに来たら、終わりにすればいいんですよー♪」
 自分も誰かに言われた事があるのか、ゼララはそうアドバイスした。フゥは小さく頷いて話し始めた。
「ぼんやりとした意識は、符として作成されている時からあったんです。私を作った術士様は、とても慌てていらっしゃるようでした。自分が、一体何のために作られているのかは分からなかったのですが、どうも来客の予定があって、その前に私を作らなくてはならないようで……」
「ちょっと待って……」
 カーディナルが手を挙げて話を止める。
「その来客って、お客様? フゥさんを頼んだ依頼人がいるの?」
「いえ、造りの粗さから考えて、依頼の品ではないと思います」
 少年が首を横に振る。
「じゃあ、お客って?」
「最近の依頼以外のお客様というと、師匠のお母様しか。その……師匠に見合い話を、持っていらっしゃって……」
 少年はもぞもぞと口ごもって、上目遣いにルゥリィを見た。ルゥリィは肩をすくめてみせる。
「別に、キミは気にしなくていいわよ。ただの腐れ縁なんだから」
「それで、師匠殿は、見合いに乗り気ではなかった、と」
「はい、本気で嫌がっていました。逃げ出したぐらいですから。そのあとのお母様の嘆きっぷりも大変なものでしたけど……」
 その日の事を思い出したのか、少年は疲れた笑顔になった。
「……という事は……」
 さすがに言いづらそうにアイラスは口を開いた。
「古典的なお見合いの断り方に『既に将来を誓った人がいるから、そのお話はなかった事に』というのがあるんですけれど……もしかして……」
 次の言葉が言い出しにくくて、微妙な沈黙が舞い降りた。冷静になろうとしているのか、ルゥリィが頭を左右に振る。
 気を回してくれたのか、それとも、本当に今やっと分かったのか。ともかく、ぱちん、と、ゼララが手を打ち合わせた。
「あ……! そっかぁ、恋人さんのフリをしてもらうために、オシショーさまはフゥさんを作ったんですねぇー」
 入れ違いに、はーっと少年が深い溜息をついた。その背中をあやすようにルゥリィが撫でる。
「お師匠様なら、やりかねないと思います……」
「すみません。人騒がせなヤツで」
「いや、そんな事は……」
 フィセルが一つ咳払いをした。かける言葉が見つからない。
「では……、フゥ殿、続きを頼む」
「はい。術士様はとても慌てていらしたのですが、結局、私は来客までに出来上がらず、やがて足音が近づいてきて、ドアノブが廻る、というところで咄嗟に」
 フゥは一呼吸置いた。
「咄嗟に?」
 少年はその時の部屋の様子を思い出した。確かに、ついさっきまで仕事をしていたように机は散らかっていたが、でも、師匠はどこにもいなかったのだ。
「咄嗟に、術士様は手近にあった『縮小の符』を自分に貼って、引き出しにお隠れに」
 ……え?
 誰もが耳を疑った。
 つまり、引き出しの中には、ライアス君のお師匠様が入っている、という事になる。
 少年は、と見ると、ぽかんと口を開けていた。そしてゆっくりと肩を落として頭を抱えた。
 フゥによる説明はすらすらと続く。
「……次の瞬間、入れ違いにドアが開いて風が起きて、私は窓から外に飛ばされてしまったのです。それから随分長い事あちらこちら風に舞っていたのですけれど、ご自分では引き出しから出られないのではと心配で心配で……。気がついたら起動して術士様の家の前にいたんです。それで、お弟子さんに引き出しを開けて頂こうと思ったんですが、何故か開かなくて……。あとはご存じの通りです」
 お見合いから逃げて、引き出しに飛び込んで、恋人のフリをしてもらうために作った符に心配される。なんとなく脱力した空気があたりを満たした。

□8□

 アイラスは机に目をやった。その理由がどうであれ、人が中に閉じ込められている以上、放ってはおけないだろう。
「これで、何故開かないのか、わかりました」
「……本当ですか?」
 少年は情けないのと心配なのとで半分泣きそうな顔をしていた。
 多少……いや、大いに性格に欠点があろうと、それでも大切な師なのだ。
「まず前提として、『機能強化』してある引き出しなら『開くべき時に開く』はずです。なのに今は『開けたいのに開かない』これはヘンだ、と私たちは考えていました」
その通りだ。皆は頷いた。
「さっき、『開かない』事が分かった、と言いましたよね。逆なんです。開かないという事は開けたくない。今は『開くべき時ではないから開かない』と、少なくともその机は判断したんです」
 今度は、誰も頷かない。
「そいつぁ、つまり……」
 オーマが大きな手を挙げる。
「ミステリー筋デスクが、今は閉じてようってぇ風に判断したから、閉じたままで開かねぇって事か?」
「ええ、そうです」
「閉じてたほうが、いい時……って、どんなときかなぁ……?」
 今度はゼララが疑問を口にする。カーディナルがゆっくりと考えながら言葉を紡いだ。
「それは、中のものを、しまっておきたい時。それであってる?」
「その通りです」
 アイラスはゆっくりと語って聞かせる。
「つまり、依頼人のライアス君の『師匠の手を借りずに自分の力でどうにかしたい』という思いに、引き出しが反応して、中に入っている師匠を『使いたくないもの、しまっておくべきもの』だと認識してしまったんです」
 なるほど、と、小さくため息が漏れた。
 そうだとすると、とフィセルが呟く。
「師匠殿に一番思い入れが深いのは、弟子であるライアス殿だから、私たちがいくら開けようと考えても敵わないだろうな」
「そんな……ボク、どうすればいいんですかぁ?」
 少年が泣きそうになるのも無理はない。
 師匠を嫌っているわけではなく、ただ自分一人でやってみせようとしただけなのだから。
「ええっと、機能強化で保管能力が高まっていれば、しばらく飲まず食わずで引き出しの中でも大丈夫だと思うけど……」
 咄嗟に取り繕ってみたが、解決策には繋がらない。
「……気持ちが変わるまで待つ、とか?」
「そ、そんなぁ……」
 少年はかわいそうな悲鳴を上げた。

 フッフッフッと、ここで再び低い笑い声が響いた。
「見習いメガネ坊主暗黒メラぴーんち★故に、ここでいよいよミラクル桃色秘密兵器☆の出番ってな」
 そんなに桃色展開予測が嬉しいのか、オーマは滑らかにオーマ語をすっ飛ばした。
「ものすごーくオシショーさまに会いたいー、て、思っている人なら、開くんですよねぇー」
 ゼララがルゥリィにほほえみかける。ルゥリィは、すこしだけ照れくさそうな表情を返した。
「ええ。弟子を困らせるなんて、一発怒鳴ってやらなきゃ気が済まないし、それに大体、何で私そっくりに作ったのか、聞いてやらないとね」
 ルゥリィが引き出しの前に立った。一つ深呼吸して、引き出しに手をかける。
 開くか……?
 固唾を呑んだ次の瞬間……
「でも、ちょっと待った」
 ぱっとルゥリィは引き出しから手を放した。くるりと半回転して机に背を預け、悪戯っぽく皆に笑いかける。
「お手を煩わせた罰に、コイツ、ちょっといじめてやろうかしら」

□9□

 彼女は引き出しに手をかけた。
 再び皆が固唾を呑む。
 すとん。
 あっけなく、何のとっかかりもなく、引き出しは開いた。白い手はその中から黒いかたまりをつまみ出し、ポイと放り投げた。
 ビリっと紙を裂くような音、それから乾いた爆発音。
 次の瞬間、黒ずくめの服を着た若い男が、不機嫌そうな目で立っていた。ひらひらと千切れた白い紙が舞う。役目を終えた『縮小の符』だろう。
 男はじーっと自分を取り囲む人々を見渡すと、面倒な事になったといわんばかりに小さく息を吐いた。
「……弟子が迷惑をかけたようだな。礼を言う。私事に巻き込んで誠に申し訳ない」
「どういたしまして♪」
 ゼララはにこっと笑った。
「……あの、お師匠さま? 驚かないんですか?」
 少年はぱたぱたと走り寄ると、男を見上げた。
「ここは白山羊亭だろう。なら、大体想像はつく。驚くとすれば、このくそ重い机を馬鹿正直にここまで運んできたお前に対してだ」
 ぐぅの音も出ない、といったように少年は落ち込んで頭を垂れる。その頭を男はめんどくさそうにぐしゃぐしゃとかき混ぜた。それから自分を引き出しから引き上げた者に目を向けた。それは無事に出てきてくれて良かった、と優しく微笑んでいた。
「……あとは、未完成で放置した符が起動している事か。まぁ、不安定な構成だ、無理もない」
 どうやら、この状況に特に疑問はないようだ、とアイラスは判断した。
「では、こちらからいくつか質問させて頂いてもいいですか。この符は良くできていますね。一体誰をモデルにしたものなんです?」
 男は不審そうに眉を動かした。
「モデルはいない。適当に女を作ろうと思ったらそうなっただけだ」
「でも、想像して作るって難しいよね。あたしも魔石錬師なんだけど、イメージするっていつも大変だもん」
「そう言う意味なら、結果的に知り合いに似てしまったのは事実だな。意図的にモデルにしたつもりはなかったが……」
 一体これは何の話だ、と男は言おうとしたが、フィセルに先を越されてしまった。
「おや、それは妙だな。その顔に作った覚えはないのに、なぜそこにいる方が自分の作った符だと判断できたのか」
「それは……」
 男は一瞬考えたが、すぐに、関係ない話だと言いたげに「さあ、何故だろうな」と返した。
 今度はオーマの番だ。
「しかし、見合い断る口実に使うなんて、その嬢ちゃんはアンタのトキメキ桃色想い人☆ってかね?」
「すごーく美人さんー、ですよねー♪」
 余計な事を、と男は少年をにらみ付ける。少年は思わず一歩逃げた。
「叱らないであげてください。情報提供者は必要です」
 やんわりとアイラスが少年をかばう。
「で、どーなのよ? こちらの謎の美女☆の正体はイロモノ師匠のラブラブ桃色るんたった☆のお相手?」
オーマの桃色ツッコミに堪えかねたのか、男はイライラと髪をかき乱す。
「さあ、どうだろうな。ご想像にお任せする。本人はこんなに慎ましやかではなかったからな。何かというと、人のする事に対して口出しして、殴るわ叩くわ……」
「でもー……大嫌いな人ー、だったら……恋人さんのフリしてくれる人の、モデルに選んだりしないんじゃないかなぁー?」
 ゼララの言葉に男の動きがぴたりと止まる。
「……真の漢ならば、偉大なる下僕主夫として刺付き薔薇色未来の覚悟を決めるべし☆ってな」
 にやりと笑ったオーマの後ろから、一人の女性が現れた。先ほど、男を引き出しから拾い上げた女性にうりふたつだ。しかし、引き上げた方の彼女はずっと男の隣で微笑んでいる。
「…………2体……?」
 呆気にとられる男に向かって、オーマの後ろに隠れていた女性も優しくほほえみかける。
「術士様のお作りになられた符は私です。魔石錬師のカーディナル様が声と名前を下さいました。フゥとお呼び下さい」
「で、私がフゥのモデルになった……」
 傍らに立つ女性の微笑みが、だんだんニヤーっと、凄惨なものに変わっていく。
 ルゥリィは引き出しを開けたあと、フゥのフリをして慣れない微笑みを浮かべ、じっとこのときを待っていたのだ。
 男はびくっと身体を遠ざけた。が、ルゥリィの手は既に男の袖口を捕らえていて、それ以上逃げられない。
 男は自分を取り囲む顔を再び見渡した。腹を抱えていたり、申し訳なさそうだったり、程度の違いはあるものの、皆一様に笑っている。
 はめられた……。
 男は舌打ちしたかったが、その前に、危険に右手を掴まれている。
「…………ルゥ……何故お前がここにいる」
 ルゥリィはそれには答えず、ばしっと男の後頭部を平手打ちした。
「とりあえず、慎ましやかでなくて悪かったわね!」
「……なら叩くな。……変わらないな、お前も」
「変わってないのはどっちよ、アンタどんだけ他人様に迷惑かけてると思ってんのよ! 弟子泣かしてるんじゃないわよ、まったく!」
「よくみろ、アレが俺がいなくなったぐらいで泣くか! 大体、お前は……」
「…!…………!!………?!」
「……?!……!!……」
「………………」
「…………」

□10□

「……アレは、放っておいて大丈夫なのだろうか?」
 喧噪から一つ離れたテーブルで、フィセルは心配そうに呟いた。が、その常識的な感覚は他の面々には共有してもらえなかったようだ。
「そーですかぁ……二人とも、すごーく楽しそうですよー」
「ええと、お師匠さまにしては、よくあんなに触られても嫌がらないなぁ、と……」
 オーマに至っては感慨深げに一人頷いていた。
「うむ、間違いなく新たなる下僕主夫の誕生の予兆、聖筋界の未来もこれで安泰ってな」
「たしかに、オーマさんの所に似てますね」
 アイラスが言うと、オーマはぐぇ、と変な声を漏らした。
「……ところで、ライアス君の師匠さんも、人と符の区別つかなかったね」
カーディナルが少年に声をかける。
「そう言えば……」
はっとしたように少年は口元に手をやった。それから、ボクと同じですね、と安心したようにくすくす笑い始めた。照れくさそうにカーディナルはしっぽを揺らす。
「実はあたしも、魔石一回目は失敗してたんだ」
「でも、二回目はちゃんと成功していたし、……」
カーディナルさんは一人前なんだから自分なんかとは全然違う。少年はわたわた手を振ってみせた。
「うん、だからね……ええと……」
 『術士っていうのは、いつまでも修行の身なんだから、一回ぐらいで落ち込んじゃ駄目だよ』……っていうのは、おこがましいかなぁ。
 カーディナルが悩んでいると、二人の間にオーマが大きな顔をぬっと突き出した。
「カーディナルはよ、『一度の失敗ぐらいでいちいちくよくよするな』って言いたいんだろ?」
「それもあるけど……あたしも頑張るから、一緒に頑張ろうね、ってこと」
 少年はかっと顔を赤くした。それから、とんでもない大声を出した。
「はい! 頑張ります! カーディナルさんや、皆さんに負けない一人前の符術士になれるように!」

□オマケ□

「わざわざすみません、オーマさん飲ませるし、ゼララさん、疲れたのか寝ちゃって……」

遠くで声がする……

うん……

お酒……飲んだ……もん……ねぇ……
天羽ちゃんも……呼んだし……
あと……いーっ……ぱい……考えた……もん…………

だからー……帰らなきゃ……なんだ……けど……なんだか……眠い……

「…………よく寝ちゃってて…………」
「…………ったく、世話の焼ける…………」

…………あのねぇ…………
………………でも今日…………ありがと…………て…………

……………………いわれたんだぁ………………

………………だからねぇ…………
……………………がんばって…………
…………………………ジャガイモだけじゃ……なくて…………
…………………………できる…………よ…………に………………


「…………背負って帰るか…………」


…………頑張るから…………ねぇ…………




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳(実年齢19歳)/フィズィクル・アディプト&腹黒同盟の2番】
【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【2728/カーディナル・スプランディド/女性/15歳(実年齢15歳)/魔石錬師】
【2480/ゼララ・ブルーフラミー/女性/18歳(実年齢999歳)/海賊?/ジャガイモの皮むき係】
【1378/フィセル・クゥ・レイシズ/男性/22歳(実年齢22歳)/魔法剣士】

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■         ライター通信          ■
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今回はご参加頂きまこっとにありがとうございました。
ゼララ嬢にはオーマさんと一緒に恋のキューピ……もとい、探索役となって頂きました。
更に符を見抜いて、クジラまで作ってもらってしまいました。
ご苦労様でした。
……いえ、ぶっちゃけ、符はですね。
どなたもプレイングで当ててくださらなかったのですよ。
ありがとうございました、ゼララさんがいなかったらどうなっていたコトやら。
ゼララさんはふわーっと柔らかー……を目指してみました。
いかがだったでしょう。
お気に召して頂けたら幸いです。

へっぽこWRの初納品です。
いたらないところが山のようにあると思います。
天羽、アレで良かったんでしょうか。
リテイクでも……フ、ファンレターでも(こそっと)……ご指摘頂けたら、幸いです。
では。
05.06.17.