<東京怪談ノベル(シングル)>
はためく海賊旗
見上げれば晴天の青空。
白い雲と低く飛んだ鳥の影がレイモーンの上に落ちた。
眩しそうに空を見上げたレイモーンは大きく伸びをし、再び絡んだ網の解き方に戻る。
今日は頭領から、各自息抜きをしてこい、という話をされたのだが、これだけはやってしまいたかった。後延ばしにしても結局手間は同じだからだ。
胡座をかいた上に絡んだ網を乗せて、もくもくと作業をするレイモーン。
そんなレイモーンに次々と声をかけて、仲間達は街へと繰り出していく。
ちょっとくらい手伝ってくれても良いんじゃないか、と流石のレイモーンも思ったが、自分が勝手にやっている事だから手伝ってくれる者がいなくても、ここはぐっと我慢だ。
頬を撫でる風が心地良い。
知らず知らずのうちに自然と顔に浮かぶ笑顔。
レイモーンはこの船に乗っている事が幸せで、そして誇りだった。
何よりもレイモーンはこの船の頭領に心酔していた。
一緒に大海原を駆け抜けてきたことはレイモーンの中で自慢の一つだ。
「よしっ。これで終わり‥‥っと」
最後の絡まりを解いたレイモーンは、同じ格好をしていて固くなった肩や首をぐるぐると回す。
そしてそのままこの船の象徴である海賊旗を見上げた。
しかしいつも掲げられている場所にそれが無い事に気づき、甲板からまだ船に残っていた者に声をかける。
「なぁ、海賊旗は? 洗濯中?」
「いんや。そういや、さっき頭領が持ってたなあ‥‥」
「んじゃ、頭領は?」
落ちそうなくらい身を乗り出すようにして尋ねるレイモーンに苦笑しながら、老年の男性は告げる。
「ついさっき街に出かけてったな」
「え?頭領、もう街に行ったって!? わー、俺も俺も!!
解いた網を男性へ、後はよろしくっ、と投げるとレイモーンは先に出て行ったという頭領の後を追っかけた。
上手い具合にキャッチした男性は、気をつけてなー、と走り去るレイモーンに声をかけた。
眩しいくらい青い空に、レイモーンの赤毛が煌めいていた。
陸に上がったレイモーンはそのまま街の中へと突入する。
色とりどりの野菜や果物、服や雑貨が並ぶ町並み。
それらを興味深そうに眺めながらも、レイモーンは人混みの中に頭領の姿を探した。
しかしすぐに見つかりそうな長身の頭領の姿は見あたらない。
「おっかしいなぁ‥‥。そんなに遠くまでいっちまったのかなぁ‥‥」
むぅ、と不服そうな表情を浮かべつつレイモーンは人混みを掻き分けて進む。
途中、あちこちから声をかけられたが、面白い事に声をかけてくるほとんどが女性だった。それはレイモーンが元気な少年っぽさを残した女性受けする顔立ちだったからに他ならない。
「ねぇねぇ、これ美味しいよ、食べてかない?」
「おや、お兄ちゃん。今朝取れたての果物はどうだい?」
「へー、この果物。うまそ〜」
喉も渇いていたレイモーンはフラフラと呼ばれるままにその店へと近づく。
果物につられてやってきたレイモーンにニッコリとした笑みを浮かべてみせた女性は、味見してみるかい?、と果物を差し出した。
「え? いいのか?」
頷かれてレイモーンはそれを受け取ると、いっただきまーす、と元気に声を上げて口に運んだ。その様子が可愛いと見ていた周りがどよめく。
しかしそんな周りの様子をたいして気にもとめないレイモーン。
美味い、と果物に舌鼓をうち、ニカッと笑った。
そうだろう、と女性は満足そうに笑い、他の果物も味見をしてみな、と差し出した。
それを受け取ろうとしたレイモーンだったが、傍で起きた大きな物音に振り返る。するとレイモーンの背後に少女の手を高く釣り上げるように持った男が一人立っていた。
またアイツかい、と大きな溜息を吐く果物屋の女性。どうやらいつも騒いでいる問題のある男のようだ。
「あぁ? ねえちゃん、オレと一緒に酒が飲めないだぁ?」
「あの‥‥私‥‥‥」
「酒を注ぐくらいできんだろ、さっさとしろ。俺は今最高に機嫌が悪いんだ。ったく‥‥なんで俺があんな小僧に負けなきゃなんねーんだよ‥‥」
「嫌ですっ‥!」
きっぱりと拒絶する少女に男は怒りで顔を真っ赤にする。どうやら無理矢理男が少女を拉致し酌をさせようとしているようだった。男は少女を軽々と近くの店先に放る。しかし手は離していないから身体だけが台の上のものを払うように乗るだけだ。少女は小さく悲鳴を上げた。
レイモーンの眉間に皺が寄る。不当な暴力はレイモーンの嫌いなものの一つだった。横暴なやり方は許せない。
「ちょっと待てよ」
レイモーンが声をかけると柄の悪い男が振り返った。睨みをきかせてレイモーンを見るが、レイモーンはそんな視線をものともせずに逆に不敵に笑って見せた。
恥ずかしい奴だな、お前さん、とレイモーンがニヤリと笑うと、男は怒りにまかせて少女を引き、ずかずかとレイモーンに近づいた。引きずられる少女はレイモーンに助けて欲しいと視線で訴える。
「なんだ、お前は。正義の味方気取りか? それともコイツの恋人かなんかか?」
「まっさかぁ。でも俺の恋人でもなけりゃ、あんたの恋人でもないだろ」
「だったら関係ない奴は引っ込んでろ」
「引っ込んで欲しいならやめたらいいんじゃねェの? こんな処で気にくわない声が聞こえたもんだからさ。嫌いなんだよな、そういうやり方」
包帯に巻かれた両腕を組むとポキポキと指を鳴らし、レイモーンは挑発するように男に告げる。
男も同じように指を鳴らしながらレイモーンに更に近づいた。
手を離された少女にレイモーンは、さっさと逃げろ、と目配せをする。少女は小さく頭を垂れて路地へと隠れた。
「本当にうるせぇ奴だな。テメェを黙らせてからうまい酒でも飲むとするか」
「うまい酒ねぇ。不味い酒になるんじゃねェ? なんていうかさっき小僧に負けたって言ってたけど、俺にも負けるんじゃねェの?」
「うるせぇっ! さっきは油断したからだっ!」
「ふーん、ま、やってみりゃ分かるんだろうけどな」
ニヤッ、とレイモーンが笑い拳を握った瞬間、男が鋭い一撃を繰り出した。
しかしそれよりもレイモーンが男の懐に潜り込むのが早かった。沈み込んだ姿勢から勢いよく男に拳を突き出す。
見事にそれは決まり、男が吹っ飛んだ。
遠くまで飛ばされた男に向けてレイモーンは素早く駆ける。
起きあがった所へすかさず膝蹴りを喰らわして地に沈めた。
俊敏な動きであっという間に男を倒してしまったレイモーンに、周りから大きな拍手が沸き起こる。毎度問題を起こすならず者をやっつけた勇者というところか。
パンパン、と手を払うレイモーンの元へ、先ほど男に捕まっていた少女がパタパタと駆けてきて、その包帯の巻かれた両腕を握りしめた。
「ありがとうございました。あの、本当になんと御礼を言ったらいいか‥‥」
「あぁ、良いって。気にしなくても。丁度良い運動になったしな」
「でもそれでは私の気が済みません。あの、一緒にお食事でも‥‥」
頬を染めた少女が必死にレイモーンを引き留めるが、レイモーンは頭領を探していた事を思い出し首を振った。
「ちょっと人捜してっから」
「えっ‥‥そんな‥‥‥それは女の方ですか?」
「探してんのはうちの頭領だから男だけど? なんか関係あんの?」
とぼけた返答を返すレイモーンだが悪気はない。必死にレイモーンを引き留めているのが少女の淡い恋心である事などレイモーンが気付く事はなかった。少女は哀しげに瞳を伏せる。
「あの、それではまたお会いした時には‥‥一緒にお食事してくれますか?」
「んぁ? いつまでここにいるか分かんねェけど時間あったらな」
「はいっ! ありがとうございます。楽しみにしてますね。それじゃ今日の所はその頭領さんにお譲りしますわ」
んじゃあな、と頭の中で疑問符を何個も浮かばせながら、レイモーンは少女の意味ありげな言葉に悩みつつもその場を去ったのだった。本当に恋愛には興味のないレイモーンだった。
少し行くと広場で大がかりなステージを片付けている場面に出くわした。
レイモーンは興味を示し、後かたづけをしている男に声をかける。
「なぁ、ここでさっきまでなんかやってたのか?」
「あぁ、さっきまで武闘大会やってたんだよ。いやー、最後は凄かったなぁ」
「武闘大会かあ。最後が凄かったってどんでん返しでもあった?」
「それがな、青年と大男の戦いだったんだが、大男が青年を殴り殺しそうになってな。それを止めたこれまた長身の男がその大男と戦い始めてしまってな。圧倒的強さで勝っちまったんだよ」
そこまで聞いてレイモーンは、ピン、とくる。頭領ではないかと。
「おっさん、その人の顔覚えてる?」
「いや‥‥それがなー‥‥可笑しい事に覚えてないんだ。えらく背の高かったって事くらいしか‥‥」
それを聞いてレイモーンの予想は確信へと変わる。その男に礼を述べ、レイモーンはさっさと船へと戻った。
頭領よりも先に船に戻り、出迎えてやろうと思ったからだった。
甲板へと昇って街から船までの道を眺める。
そこへ現れる一つの人影。
長身のレイモーンが心酔する頭領だった。手にはトロフィーがある。きっと捨てようと思ったものの捨てれずに持ち帰ってしまったのだろう。思わず笑みが漏れる。
レイモーンは、身を乗り出し大きく手を振りながら頭領を呼んだ。
「頭領発見! 頭領、頭領ーっ! その手に持ってんの、さっきあそこでやってた武闘大会の? 顔は覚えてないけどえらく背の高い人が飛び入り参加で勝ったって聞いたからさっ」
ニパッ、と笑顔を浮かべたレイモーンが告げると、戻ってきていた船員達がその声に騒ぎ始めた。頭領バンザーイ、と声が上がる。今日は祝賀会だと皆盛り上がるだろう、とレイモーンは楽しそうだ。
そして先ほど自分が頭領を探して走った原因になった海賊旗の事を、マストの天辺を指差しながら告げる。
「あとさー、頭領。船になんか足りないと思ったらさ、海賊旗がないんだっ。やっぱりあそこではためいててくれないと」
その言葉に頭領が苦笑した様に見えたのはレイモーンの気のせいだろうか。
海賊旗が無くても、もちろん海賊団が消える訳でも、培われた絆が消えてしまう訳でもない。
しかし象徴として掲げられたこの海賊旗はこの船に乗る者の誇りなのだ。
時として荒れる海を生死をかけ共に乗り越え、襲い来る他の海賊の襲撃に立ち向かい生きてきたその証とも言える海賊旗は、あるべき場所になければやはり意味を成さない。
その船に乗る者に勇気を与え、未来へと続く夢を見させる。
「そうか。少し待っていてくれ」
そう告げて頭領は一人甲板から降りていった。
そして戻ってきた時にはトロフィーの代わりに海賊旗を手にしていた。
肩に担ぐようにして持ってきた海賊旗をレイモーンへと手渡し、‥‥上げてくれるか?、と言う。
レイモーンは勢いよく全開の笑顔で頷いた。海賊旗を手にし、マストへと昇り始める。
天辺まであっという間に昇ったレイモーンは手慣れた様子で、海賊旗をマストへと括り付けた。
あるべき場所に取り付けられた海賊旗は、海風を受けて音を立てて青空に浮かぶ。
「やっぱこうでなくちゃね」
「あぁ」
するするとマストから降りてきたレイモーンは頭領の隣に立ち、海賊旗を見上げる。
こうしていつまでも頭領と一緒に居れればよい、とレイモーンは思う。
この海賊旗の元、頭領の傍にいるのが一番安心するからだ。
強い絆も思いも共にある。
何処までも高い青空に、その海賊旗は存在を誇示するかのように大きくはためいていた。
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