<東京怪談ノベル(シングル)>


追憶の花

 ルベリアの花。
 偏光色の花弁を持つこの花は、ひとの想いを読み取ると言う。その者の心の奥底の『色』を見せてくれるのだと言う。
「………」
 これほど可憐で美しい、まるで改良に改良を重ねた純血種の如き趣を見せる花が、淡い輝きを点滅させながら、元気良く繁っている。
 ――ソーンに根づいてからは、増えるのも早かった。元々はあちらの種だった筈なのだが、これだけ繊細に見えて実は図太い神経を持っているのかもしれない。
「まあ…ハーブなんかもありゃ野草だからなぁ。それを思えばこれほど根づいたのも当たり前か」
 まるで、その輝きはソーンと言う巨大ないきものの息吹を伝えるかのように、美しく。
 その中にもっさりと立っている、あまり花をバックにするには似つかわしくない大男が、目を細めて見詰めていた。妻と自分のみ知る、ソーンの中でも特に見事に咲き誇るこの場に立って。その目はどこか遠くを見るように、少しばかり焦点が合っていない。
 ――それは。
 ………何も知らない者が見れば、悪夢のような光景かもしれない。

 きらきらと淡い輝きをバックに背負い、大きな口を満足気に笑みの形へ押し広げて立ち尽くす、ガタイの良い大男。

 オーマ・シュヴァルツの瞳もまた、輝くルベリアを反射して、いくつもの星を噂に聞く『しょうじょまんが』の如く浮かべていた。

*****

「似てるよなー…」
 時折、ほんのちょっぴりだけ身体が疲れた時に訪れるこの場所は、様々な思い出をも甦らせてくれる。楽しかった事も、苦かった事も。
 ――自分の、文字通り半身を分かつ事になった出来事も。
 …そう。彼女との、思い出も。

*****

 初対面は、決して良いものではなかった…いや。そんな生易しいものではない。寧ろ最悪に近い。
 ルベリア咲き乱れるその場で、ばったりと出会ってしまったのは、異端殲滅戦争と後に呼ばれた出来事があった、ほとんどその直後の事。
 風の噂に聞いた『ヴァンサーソサエティ』なるものが出来た事にもさして感慨も湧かず、彷徨っていたオーマが辿り付いたのが、その当時はまだ見事な群生を見せていたルベリアの園。そこに過去の思い出でも見出そうとしたのか、無表情のまま中に入り。
 そこで。
 『彼女』に出会った。
 ――人間と異端と言う、対極にある者として。
「誰」
 かさりと草を踏む音に振り返りざま誰何する女性の姿に、ただ立ち止まり無言で見詰めるオーマ。
 女性の表情が次第に険しくなって行くのを、なんと言う事はなく眺め続ける。
「異端が――こんな所まで汚しに来たか」
 棘を含んだ言葉に、ようやくぴくりとオーマが反応する。
「…何言ってやがる。俺たちの大事な場所を奪ったのは、そっちじゃねえか」
「は。大事と?――この大地から振り落とされなかっただけでも感謝すればいいだろう。この世界は元より異端のための物ではない。おまえたちが居る分だけ私たちの居場所が減る事、忘れるな」
 ――空飛ぶ大地に乗る事も許されなかった者…その責任が全てオーマたちにあると言わんばかりの口調で吐き捨てるように言うと、その足でルベリアの群生地から去っていく。
「…なんだ、ありゃあ」
 あんなのに構ってられないと思いつつ、言われた言葉を受け止めきれず顔を顰めるオーマ。
 今はそれ以上に深い傷があって、じくじくと痛み続けていると言うのに、彼女の言葉の棘がそれを抉ったようなものだ。
 ぶんぶんと頭を振って、言葉を無理に追い出し、ルベリアの花に視線を注ぐ。――と。
「…ん?」
 彼女の居た位置に咲いていた花のひとつが、他の花と違う色を放っている事に気付いてそっと近寄っていった。
 それは――清冽な白の輝き。なにものにも染まるまいと言う決意の現れなのか、他の色を一切受け付けない依怙地さも見え隠れする白さ。
「――」
 まさか、今の女が?
 想いの強さに応じるルベリアが反応する程のものと言えば、それは具現――何も無い所から有を作り上げる程の意思の力がある、と言う事に他ならないが。
 それが人間という種に出来るとは。
「まあ、だからってさっきの言動が許せるわけじゃねえがな」
 そう呟いてみて、思い出してしまった自分にも顔を顰めた。

 ――だが。
 運命が皮肉だと誰が言ったのだろうか、その通りの事態が起こり始めたは、その後の事。

「――何でいつもおまえがいる!?」
「そりゃ俺の台詞だ!」
 買出しの場で。
 散歩中の公園で。
 夕涼みの水辺で。
 ――最初に出会ったルベリアの園で。
 互いに会わないよう、変則的に動いているにも関わらず、それがことごとく裏目に出る。最初は偶然。2度目は偶然の中の偶然。
 ――では、3度目は?
「顔を合わせたくなど無いのに。特におまえにはな」
「ああそりゃ奇遇だな。俺も同じ事を考えてた」
「…真似するな」
「何だ。嫌われたくないのか。俺に好かれたいのかおまえ」
「ふざけろ」
 …毎日。
 または、2日に1度。
 神様がもしいるのだとしたら、絶対からかってるだろうと思う頻度での出会い。
 仲良くなどはならなかったけれど、次第に言葉を交わす回数が増えて来るのは、最早必然と言って良かった。
 互いの予定表を作り、見せ合えば、会いたいと思わなければ会わずに済む。…だが、それをする事はまるで通じ合っているようで、癪に障る。
 ただそれだけの理由で。
 ――そして、意地もあって…ほとんどいつも顔を合わせる日々が続く。

 きっかけは何だったか、とオーマが思い出を探るも、良くは分からなかった。
 ただ、きっかけを思うといつも浮かんでくるのが、彼女の意思を明確にしているその硬い表情。
 それが、どれ程の理由でそうなったのか――知ったのは、全てが終わった後の事だったけれど。
「何故ヴァンサーにならない?異端なら異端らしく、ソサエティに保護されてしかるべきじゃないのか」
「別に、興味ないからな」
「…それが。この世界を凶獣から守るだけの力を持った者の台詞か」
 ぎりぎりと歯軋りの音さえ聞こえて来そうな、彼女の言葉。
 思えばそれは、少しずつ言葉を交わすオーマを認めた、最初の一言だったのだろう。
 この世界を守りたいと思いながら、自分の力では足らない全てのものに歯噛みし続けた彼女。それが、自分では為し得ない事が出来る力を持つ者を、睨み付けながら。

 白。

 なにものにも染まるまいと――信念を貫く彼女の『色』。

 時折訪れると、決して他の色を現す事が無くなった1本の花が、痛々しいまでの輝きを見せる。

 いつから、だろう。
 その『色』を、彼女を見守りたいと思うようになったのは。

*****

 ――凶行は、昼日中に行われた。
 『異端と親しくしている人間』を粛清した、と言う噂を聞いたオーマが駆けつけた時には、初めて出会った時と同じ、ルベリアの咲く地の中で彼女は横たわっていた。
 幾人もの人間が争ったのだろう。踏みにじられたルベリアは、ほとんどが土と血に汚れていた。
 ただひとつ、あの日から真っ白いままになった花を除いて。
「すまねえ」
 最早ぴくりとも動かない彼女に、失われていた熱い感情がどっと溢れて来る。
 流された涙は、間違いなく血の色をしている筈だ。
「すまねえ――俺のせいで。おまえが大事にしてたもの、全部、全部奪っちまった」
 死に臨んで、恐怖も怒りも浮かべていない、驚く程綺麗な彼女の顔にそっと触れる。触れたくてたまらなかった、その頬はもう血の色を映すことは無い。
 …それが初めての恋だったと気付かされたのは、その時の事。
 どうして側にいたいと思うようになったのか、ようやく分かった時に、オーマは――笑っていた。その目から湧き出るものでぽたぽたと彼女の服を濡らしながら。

 そして、願ってしまった。
 今ある何を犠牲にしても構わない。
 ――生き返らせてくれ、と。

 その瞬間、真っ白いルベリアがガラスのように砕け散った事に、気付く事無く。

 ――変容は――残酷なまでに迅速に行われた。

*****

「…オーマ」
 白かった肌は、褐色の健康そうな色に落ち着き、日の光を浴びて輝いていた髪は艶のある黒になり、そして、ああ、その瞳は、オーマと全く同じ赤い輝きを持ち。
「違う」
「――違わない」
「違う、違う、違う、俺は、俺は――こんなつもりじゃ」
 …命の具現。
 『今ある何を犠牲にしても』手に入れたものは、『彼女』を犠牲にする事で出来上がったオーマの眷属。新たな異端、そして新たなる種の源。
「オーマ」
 落ち着いて、と。
 柔らかな声と共に、恐慌状態にあるオーマの頬に、温かな手が触れる。
「…命を、ありがとう」
「やめてくれ!おまえを俺は弄んだんだ、人間じゃなくしちまっただけじゃねえ、おまえの持ってた尊厳も何もかも踏みにじったじゃねえか!」
「それならば。…そう思うならば、今ここで壊せばいい。私は――自分自身の『想い』までも奪われたとは思わない。寧ろ、この姿の方が都合が良い事もありそうだ」
「そんな…事は…」
 絶句するオーマに、初めて微笑を見せた彼女。
「それからな…私が殺されたのはオーマのせいじゃない。異端滅すべしとの問いかけに答えられなくなっていたのは、私自身だ」
 惹かれていたのだろうな。こともあろうに、異端に。
「は、はは…馬鹿言え。惹かれてたのはこっちだっての…」
「同時期のようだぞ?…ふふふ。オーマの命の具現は、眷属化するだけでなく、そちらの想いまで流し込むようだな」
 伸ばされた手は頬を通過し、背中へ回り、そして――どんなに望んでも叶う事など無いだろうと思っていた、強い抱擁へと変わる。
 だが、それだけ。
 眷属として結びついてしまった以上、それは絶対的な意味を持ち、それ故にそれ以上の結びつきを必要としない――いや、出来ない事になってしまったのだから。
「そうだな。こうしよう。…オーマは今日から私の弟と言う事でどうだ?」
 ある意味で血の結びつきよりも深い2人。
「おう…姉ちゃんか…俺の、家族か」
 ルベリアの園で交わされたこの約束が元になり、彼女は後にオーマたちのための仕事を行うようになるのだが、それはまた後の話。
 そして、オーマがこの日を境に突如ヴァンサーソサエティに飛び込んだ理由こそ、今後のオーマの生き様を決定付ける事になる。

 異端となった『彼女』が、再び狙われる事が無いよう、その地位を確立するため。
 それが引いては人間と異端…いや、ウォズをも巻き込んだ全ての生あるものとの共存を目指す事になるなど、当然この時のオーマに考えられる筈は無かった。

*****

「初恋は実らないもの、なんて良く言うが全くだよな。つうか実らせたくねえな。俺様だってこれだけ苦しい思いしてんだからよ。…なあ?」
 同意するものなど誰もいない、ルベリアに囲まれながらうんうんと頷く親父が1人。
「そうだよなぁ。あいつらだって駄目だったんだし」
 昔馴染みの顔を思い浮かべながらわはは、ざまあみろと呟き、いや待てよと表情を変える。
 思い浮かぶのは、その昔馴染みの1人の最近目に見えて変わってきた変化の事。そしてその変化させるに至った相手の事も、『自称』恋の達人オーマには分かっている。
「そーだなぁ。もう少し確定したらあいつらにもここを教えてやるか。でもって一気に押し倒し…じゃねえ、なだれ込ませてやろう。いよう、俺様ってば策士っ」
 1人幸せそうに身悶えするオーマ。
 ――そよそよと、その男の行動に関知しないまま、ルベリアは静かに風に吹かれていた。


-END-