＜聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記＞
粉の話
もう深夜と言って差し障りない時刻になった頃、黒山羊亭の扉が開いた。現れたのはたった今冒険から帰ったというような格好をした若い女だった。女は踊り子のエスメラルダを見つけると、真直ぐ彼女に近付いていった。
「エスメラルダ」
「あら、いらっしゃい」
エスメラルダは女に気付くと表情を和らげた。
「久しぶりね。また冒険にでも行ってきたの？」
女の格好を上から下まで眺めながらエスメラルダがそう訊ねると女はへへ、と照れたように笑った。そして腰から下げた皮袋に手を入れると、小瓶を取り出してエスメラルダに差し出す。
「何？ 粉？」
透明の小さな瓶の中には何か粉のような物が入っていた。灰のようにも見えるそれは、瓶を傾けるとさらさらと移動した。
「いかにも怪しい鉱物拾ったから粉砕してみたの。何かはあたしにもわからない」
「ふぅん」
「じゃあ、また来るね」
女は別れを告げて黒山羊亭を出ていった。
後に残された掌中の小瓶に視線を落とし、エスメラルダは首を傾けた。
「どうしようかしら……これ」
「どうしようって、何を悩む事があるのです？ 分からない物は調べるのが普通でしょう？」
オーマ・シュヴァルツの隣に座るアイラス・サーリアスは怪訝な顔をしてエスメラルダに問いかけた。エスメラルダは、そうなんだけど、と歯切れの悪い返事をした。
「何の役にも立たない物かもしれないのにって考えちゃうと、わざわざ調べるのも気が進まないわ」
「随分打算的なんですね」
アイラスがそう言うと、妖艶な踊り子は意味あり気に含み笑いをした。
「まあ、それが何かわからなければ使い方もわかりませんから、まずは調べてみるべきですよ」
ねえオーマさん、とアイラスが話を振ってきた。オーマは豪快に笑って答える。
「乙女筋粉砕秘奥義爆裂☆なんざぁ悶絶腹黒浪漫根性じゃねぇか」
拾った怪しい物を粉砕するなんて危険極まりない行為だ。命知らずな女性もいたものである。
「おう、この俺とアイラスでガッツリ調べてやるから安心しやがれ」
元来面倒見の良いオーマが調査を買って出ると、エスメラルダはにっこり笑って「あら、ありがとう」と言った。そして件の粉の入った小瓶をオーマに手渡した。
「お願いね」
「任せとけ」
オーマは自慢の胸筋を拳でどんと叩いてみせた。
暫く酒を呑んで、アイラスは先に帰って行った。帰り際、毒性があるかもしれないから瓶をあけるべきではない、とアイラスは主張し、小瓶はアイラスが保管する事になった。そして、翌午にアイラスがシュヴァルツ病院にやってきてから調査を開始しよう、という話に纏まった。
オーマはアイラスの背中に「気を付けろよ」という言葉を投げて見送った。エスメラルダは彼の消えたドアを眺めながら、実はね、と口を開いた。
「誰かに食べさせてみるつもりだったのよ、あの粉」
「アブねぇな！ 死んだらどうすんだ」
でも、とエスメラルダは涼しい顔だ。
「助けてくれる人がいるでしょう？」
余裕の表情で微笑むエスメラルダはちらりとオーマに視線をくれた。彼女が暗に指しているのは紛れもなく医者であるオーマの事であった。
困ったオーマが眉根を寄せて何とも言えない表情を見せると、踊り子はクスと笑いをもらした。
次の日、約束の時刻にアイラスはシュヴァルツ総合病院を訪れた。二人はアイラスが持ってきた件の小瓶を間にして向かい合って座り込んだ。
「さて、まず何から調べますか？ せめて拾った場所なんかがわかると良いんですが……」
「これは拾った女に聞くのが手っ取り早くて良いじゃねぇか」
オーマは小瓶のコルク栓を人差し指で突つく。
「でも、この粉を持っていらした方がどこにいるのかわからないですから――」
「親父愛無問題！」
オーマは大袈裟な身振りと共にアイラスの言葉を遮った。
「そんなもんは下僕主夫毒電波ビビビ愛キャッチで解決だぜ」
椅子を倒すほど勢いよく立ち上がると、オーマはニヤリと笑って走り出した。ぼかんとするアイラスを置いて――というか、長い付き合いだ、彼がすぐに自分を追いかけてくる事はわかっていた。
キャッチした毒電波を元にオーマは街中を走った。
「確保ぉぉぉーー！！」
「えっ？」
狭いようで結構広い聖都エルザードを迷う事なく走ったオーマは、ついに冒険者然とした女を発見、その身柄を拘束した。そして怪しまれないように急いで路地裏に引っ張り込む。
屈強な親父に猫のように首根っこを掴まれた女は困惑した表情でオーマを仰ぎ見た。そして彼の後ろから近付いてきたアイラスに視線を移し、ますます意味がわからないという顔で首を傾げた。
「その人ですか？」
「この親父愛電波に間違いない」
訪ねたアイラスにオーマが自信満々に頷き返すと、アイラスは小瓶を取り出して女に見せた。
「これは貴女がエスメラルダさんに渡した物ですね？」
女は頷いた。つまりこの女があの命知らずな悶絶腹黒浪漫根性の持ち主という事だ。
「如何にも怪しい鉱物を粉砕したって？」
女はまた頷いた。
「おうおう、そりゃ危険じゃねぇか。何か害があった可能性があるな。よし、俺が診察してやる」
オーマは張り切って診察セットを取り出した。こういう時に、怪しく楽しく愉快な具現活用術が生きてくる訳だ。
アイラスが何やら制止の声を上げていたが、目の前に患者がいるのを放っておくオーマではない。それに、女の健康状態はエスメラルダから話を聞いていた時からずっと気になっていたのだった。
「ついでに内在せしむんむん桃色ときめき親父レベル★でも調べてやろうかね」
楽しそうに笑ったオーマに女の顔色が青ざめた。逃げようとする女を捕まえると「ギャー」と悲鳴を上げた。失礼な女である。
診察はしっかりきっちり真面目に行い、どうやら粉砕による害はなかったようである事がわかった。女は始めのうちは見知らぬ怪しい筋肉親父に警戒していたが、オーマがちゃんとした医者だとわかったのか最後には大人しくなった。
「害がなくて良かったな」
オーマは女の肩に手を置き、晴やかな笑顔で告げた。女はがくん、と首を縦に振った。
それで、と今までオーマに背を向けていたアイラスが咳払いをして女に訊ねた。
「どこでこれを？」
「えっと」女は皮袋からボロボロの地図を取り出し、聖都にほど近い場所を指差した。「ここに、地層が剥き出しになっている断崖があって、そこで拾ったんです」
「いかにも怪しいってのは？」
オーマが訊ねると、女は眉尻を下げて笑った。
「光っていた、って言ったら、信じてもらえます？」
つまりその場所で一際怪しく目を引いた、という事だろうか。例えば、
（人面石とか……）
そんな光景を思い浮かべると、自然と口元に笑みがもれた。
「いかにも怪しく光ってたって訳か、なるほどな」
得心がいったオーマは人面石を思い浮かべて何度も首を頷かせた。
女と別れたその足で、二人はガンガルドに向かった。すぐにでも女の言った断崖に向かっても良かったのだが、あの膨大な量の書物の中に、もしかしたら光る鉱物の何らかの情報があるかもしれない。予備知識は大いに越した事はない。
聖獣界ソーン内の地学に関する書棚の前で、オーマは適当に鉱物図鑑を一つ手に取って開いた。
「オーマさん、言いそびれていた事があるんですけど」
「おーなんだ言ってみろ」
アイラスは行儀よく並んでいる本の背表紙に視線を走らせている。
「僕、今朝この粉が光るのを見ました」
「ほー……あ？ あぁぁぁ！？」
少しずつアイラスの言った事が頭の中に入ってきて、オーマは徐々に驚いた。石が光ったと、アイラスは確かにそう言った。
「目を覚ましたら粉が不思議な色に光っていて、暫くすると元に戻りました。それからは、一度も光っていません」
「本当に光るのか……」
「信じてなかったんですか？」
アイラスの声には若干の非難がこもっていた。オーマは驚きの波が引き始めているのを感じたが、その多くはまだ彼を覆ったままだった。
「いや、てっきり乙女筋フェロモン大放出で悩殺されたって意味かと……」
「深読みし過ぎですよ。あ、これなんてどうです？ 『光る石図鑑』」
溜息を吐いたアイラスが、胡散臭いピンク色の本を引き抜いて開いた。オーマも横から覗く。どうやら学者が書いた本ではなく、散歩好きの市民が目にした石を書き留めたものらしい。都合の良い事に、ユニコーン地域をいくつかのブロックに分け、どこで発見した石かを整理してあった。
該当するエリアのページを捲っていくと、可能性のある石がいくつか見つかったが、特定できなかった。現時点での情報があまりに少なく、加えて曖昧だったからだ。
「うーん、特定できませんね」
「問題なのはなんだ？ まずは、毒性？ 毒性はないだろう、粉砕した際の弊害がなかった」
「でも、粉砕した場合微量ならば毒性はないって石もあるんです」
アイラスは難しい顔をして本に視線を落とした。
「ふむふむ。さて、アイラス・サーリアスくん」
オーマは芝居がかった仕草で小瓶を掌に乗せた。
「この粉に特異な具現波動を送ります。この粉が無害だとしたら、何が起こるでしょうか」
具現は対象が純粋な物ほど相反するため、粉に特異な具現波動を送った際、反発現象起きれば害は少ないという事になる。
「反発現象が起きます」
「その通り！」
オーマは笑うと掌の上に具現波動を送り始めた。他を侵食する感覚、己から何かが引き剥がされて行く感覚。
そして反発反応はすぐに起こった。
「害はなし。OKか？」
「そのようですね」
反発現象を起こした粉はオーマが具現波動を放つのを止めると途端に大人しくなった。それを横目で確かめつつ、アイラスはまたページを捲る。
「光に反応する、って事はないだろうな」
「朝日に反応する、という可能性もありますけど、数分しか光らないというのもおかしいですからね」
「あとは……魔法か」
魔法との反応の有無で、もう特定できる所まできていた。反応した場合は色を確かめれば、この粉がどんな鉱物を粉砕した物なのかがわかる。
オーマは魔力皆無のため魔法が使えない。一方アイラスは脊髄と脳の一部に機械が入っており、その代償として魔力をいくらか失っているが、それでも常人よりはずっとその能力を保持している。
オーマの視線を感じてアイラスが視線を寄越した。顎をしゃくると、仕方ない、という風に小瓶に手を伸ばした。
小瓶を包むように持ったアイラスは一呼吸置いてから、深呼吸をした。精神を集中させて魔力を引き出しているのだろう。
すると、すぐに手の中から光がもれた。
「ビンゴだな」
言葉で言い表しては壊れてしまうような不思議な色をした粉は、まるで呼吸をしているかのようにその輝きを弱めたり強めたりしているのだった。
「すごい……」
行ってみようと言ったのはオーマだった。アイラスは粉が何か判明したのだからわざわざ現場に出向く必要はないと考えているようだったが、黒山羊亭が賑わいを見せる時間にはまだ早かった事もあり、二人で断崖を見にやってきたのだった。
そこは何らかの地殻変動が起こってできた地形らしく、地層が数層はっきりと確認できる切り立った崖だった。その丁度二人の目線辺りを横切る地層全体が、光っていた。ゆらゆらと輝いて液体のようにも見えるそれは、地層と地層に挟まれて今にもとろけて流れ出てきそうだった。
オーマは目の前の異様な光景に圧倒されて言葉をなくした。随分長い事生きてきた中で、それ相応の体験をしてきたが、今目の前にある物はそういった事とは全く関係せず、まるで別次元の光景だった。
「どうして光っているんでしょう……」
光る地層に触れながらアイラスが呟いた。その様子から、彼もまたこの断崖に圧倒されている事がわかった。
「さあな」
腕組みをして見上げた断崖は全くもって自分たちに対して無関心だとオーマは感じた。何故かはわからない。
アイラスは思った事がうまく言葉にならないようだった。彼は溜息を吐いていた。
一方のオーマはといえば、がっちりと腕を組んで微動だにしなかった。己の小ささを思い知らされたような気がした。
夜も更け、黒山羊亭にやってきた二人は事の経緯をエスメラルダに説明した。
「――という訳だ」
「どんな風に光るの？」
訊ねるエスメラルダにアイラスが魔力を放って粉を見せると、彼女は顔を綻ばせた。
「すごく綺麗」
「悪いな、使い方まではわからなかったんだ」
ガンガルドで発見した本には、使い道の類は一切記載されていなかったのだ。オーマが謝ると、エスメラルダは首を振った。
「これが何かわかっただけで十分よ。ありがとう」
踊り子は優しく微笑んだ。その後少し世間話をして、二人は黒山羊亭を後にした。
数日後。黒山羊亭を訪れたオーマは踊り子のある変化に気が付いた。
「ん？ それは……」
「ふふふ」
踊り子の胸元に光る蝶。その輝きは今でも鮮明に思い出せた。
「なるほど。ペンダントってか」
魔法で加工か何かしたのだろう、考えた物だ。
「どう？」
「いいんじゃねぇか？ 似合ってるぜ」
思った通りの事を口にすると、エスメラルダは喜んだようで食事をご馳走してくれた。報酬の代わりでもあるのだろう、オーマはありがたくご馳走になった。
踊り子が動く度に揺れる蝶は、今にも羽ばたいて行きそうな瑞々しいさを帯びて輝き続けていた。
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
【1649 ／ アイラス・サーリアス ／ 男 ／ 19歳 ／ フィズィクル・アディプト＆腹黒同盟の２番】
【1953 ／ オーマ・シュヴァルツ ／ 男 ／ 39歳 ／ 医者兼ヴァンサー（ガンナー）腹黒副業有り】
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■ ライター通信 ■
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はじめまして、siiharaと申します。
今回はご発注ありがとうございました。また、大変お待たせしてしまい申し訳ありません…。
オーマさんの素敵親父筋にすっかりやられてしまいました。その魅力を最大限に引き出す事ができず…自分の力不足です。オーマ語が中々難しく、上手く表現できていれば良いのですが…。
アイラスさんとオーマさんの最強コンビは書いていてとても楽しかったです！
「粉の話」如何でしたでしょうか。楽しんでいただけたら嬉しいです。それでは。
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