<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


禁忌触れし者たち

 ――アセシナート公国。
 エルザードとは思想・行動共に大きな違いを見せる国。
 その国境で最近、陰惨な殺戮が相次ぐと言う噂がエルザードのそこここで囁かれるようになった。
 囁くものは王都の闇で生きる者たちの間で伝播され、表にはほとんど浮かび上がって来ないのだが、それでも、
 公国がまた何か企んでいるらしい――
 そんな曖昧な噂だけが、じんわりと紙に泥水が滲むように表層に浮かび上がってきていた。
「おう、今日は早いんだな。昨夜遅くまで仕事してたんじゃなかったのか?」
「昼間から私の歌を聴いてくれる奇特な人がいないんだからしょうがないでしょ。――昼間もずっと寝ていたら太陽が拝めないじゃない」
 ふあぁ、と寝起きの顔で猫じみた欠伸をしたユンナがぱふんとソファの上に腰を降ろし、エプロン姿のオーマ・シュヴァルツがすかさず淹れた湯気の立つお茶に遠慮も何も無く手を伸ばした。
「…今日の予定は?」
 あーおいし、とお茶を啜りつつ、何気ない様子でユンナがオーマへと訊ねる。
「空けろと言われりゃ空くが。そうでなきゃ昼前から開業だな」
 その問いに、打てば響くといった調子のオーマがあっさりと答えてにぃっと笑った。
「何かあったな?」
 ――そう、何もかも見通すような笑顔で。

*****

「報告があったのは昨夜よ」
 仕事帰りに『おともだち』から話を聞いたとユンナは言う。この世界に来ているヴァンサーや、あるいは裏側の人間とも多少は渡りを付けているらしい彼女の言葉に苦笑しつつ、
「管理職は大変だな」
 いや、『元』管理職かー、と笑いながらオーマが馬を駆る。
 隣で同じように馬に乗って併走するユンナと違い、ずいぶんとがっしりした黒馬だったがそれでも上に乗る男が大きすぎるため、時折重いとでも言いたげな目がちらちらと馬上に注がれていた。
「自分でも何をやっているのかと思うわ。まあそれはそれとして、国境付近で警備に当たっていた兵士やその付近を通った旅人が殺されているのは確かなようよ。…ただね、それがそれだけじゃないのが、気に入らないのよね」
「それだけじゃないっつうのは?」
 ほれほれ頑張れー、と無責任に馬に声をかけつつオーマが顔を横に向けると、
「ただの小競り合いならともかく、公国の側も死人が出てるらしいのよ。それも、『魔』に属する者がね」
「第三勢力の可能性は?」
「ゼロじゃないけど、ゼロじゃないって言うだけ。――少なくとも国境上に第三勢力を築く理由が無いわ」
「そらそーか。じゃあ何か?無差別にそこら辺で襲ってる何かがいるってのか」
「そうね――」
 エルザードから話にあった国境まで、8割程行ったところでユンナが馬を下りる。
「具現能力を使う『何か』がね」
 ご苦労様、もう戻って良いわよ――そう2頭の馬に語りかけ、ぽんとふたつの首筋を叩く。それで話が通じたのか、2頭の馬はのんびりとした足取りで今来た道を引き返して行った。
「なるほどな。じゃあ最悪、『こっち側』のヤツラが関わってるっつう事か」
「こっち側じゃなくても、私たちの世界の者が関わっている事には間違いないわ」
 つまり、ヴァンサーかウォズか、もしくはその両方が関与している事だとユンナが言う。
「そりゃあ、行くしかねえなあ」
 正直に言えば行く事に気が進まないオーマが、ふうっと溜息を付く。
 以前公国で行っていた実験――ウォズを屠る事による『代償』をそのまま力に置き換えようとする試みに巻き込まれた事を思い出したのだった。
 その後、ウォズがふらふら〜っと公国へ遊びに行かないよう、簡単な柵は設けたのだが…それとて万能ではない。特に、エルザード側で何かを起こしたのであれば。
 とは言え、自分たちの世界の者が関わっていると知った以上、行かないわけにはいかなかった。

*****

「こりゃまあ、分かりやすい現場だこと」
 隠す気は元より無いのだろう。国境付近…それもエルザード側の地に残された痕跡は、明らかに具現能力者が使ったと思しき力の残滓だった。
 それだけでは無く、その周辺の地面や岩や木々にも、何者かが暴れまわった跡が歴然としている。
「公国が噛んでる可能性は?」
「半々ってところかしらね」
 ユンナがふぅっと息を吐いて、感じ取った残滓を振り払うように首を振った。
「想定は?」
「――9割方公国、と言う所かしら?少なくとも、ウォズがこの場所をうろうろするのはあまり考えられないもの」
 国境付近に近づくに従って感じる、柔らかな『壁』の感覚。それはウォズのみに作用する、公国とエルザードの間に敷かれた結界のようなもので、未だにきっちり自らの役目を果たしている。
 …と言って、全く通れないかと言うとそんな事はない。そこまでの強制力は無いが、余程強固な意志を持たなければ通る事は不可能と見て良かった。
「だな」
 やーれやれ、面倒だな。
 そんな事を呟いたオーマが、うん?と周囲を見渡す。
「どうかした?」
「いや、今何か――」
 何かがオーマのこころに触れた、そんな気がした次の瞬間。
 ざあああっっっ…
 風、としか言いようのない速度で近づいて来た『それ』が、引きつけられるように2人へと襲い掛かった。
「………っ」
 気配を感じるより先に飛びのいた2人のいた場所が、鈍い衝撃と共に抉り取られる。
 もうもうと立つ砂煙に、自分たちの足場を確保しながら2人が目を凝らす――と、砂が収まっていくその場に、醜悪としか言いようのない『それ』が立ち、2人を異なる顔で睨み付けていた。
 それは――話に聞く被害者たちさえ、まだ穏やかなものだと思わせるもの。
 人が、ヴァンサーが――獣が、聖獣でさえ、どう言う手段でか具現と融合してしまったその姿は、ひっきりなしに各々の位置入れ替えながら、巨大な獣の四足でがりがりと地面を掻いている。
 体からは、何本も腕や、見た事のある砲台の一部が突き出ていた。そして、その体の中心――そこからは、一層強烈な力の波動が外へと向かって流れ出している。
「こりゃあ…また」
 ほとんど反射的に手の中に巨大な銃を具現化させたオーマが、弾込めのタイムラグ無しでいきなりぶっ放した。
「……」
 が。
 弾が当たった――と思った瞬間、それはぱっと光になって弾けてしまった。
「無駄よ、オーマ。これは普通のウォズやヴァンサーと違うわ。具現が打ち消されてしまう…相殺作用も出来ているようね」
「やっぱアレか、『VRS』関連か」
「…ええ…でも、でも…これは、私の知らないタイプだわ」
 知らない――と言う事は、知っている物もあるということ。
 初めて言葉にして関与を仄めかしたユンナへ、その体から想像も出来ない程俊敏な動きを見せた『それ』が、勢い良く襲い掛かる。
「ユンナ、どうするよ。具現が使えねえっつっても、俺様今武器持ってねえぞ」
「オーマは、具現で出来るだけあれを引きつけて。後の処理は私がやるわ」
 そう言いつつ、両の手から光源を発したユンナが『それ』に向かう。
「引きつけろったってなあ」
 言われるがままに、自分の作り出す弾の中でも威力の大きなものを選び、それを連射して延々『それ』に打ち込んでいく。
 その都度向こうからも防壁が展開され、互いの力場がその力によって相殺されるのか、ダメージらしきものはまるで見えて来ない。それを延々くり返せと言われても…と思いつつ、だが何か策があるのだろうと言われるままにしていると、ユンナに襲い掛かったのはいいが、すぐに目の前から消える彼女に痺れを切らしたか、無駄と分かっていても次々に弾を撃ち込んで来る煩い男へと視線を――何対もの目をぎょろりと向けた。
「いいわ――下がって!」
 歌姫ならではの、澄んだ声があたり一帯に響き渡る。その声と同時に身を引くと、その場を目にも止まらない速度で『それ』が、たった今までオーマのいた場所へと移動し、しゃっ、と宙を引っ掻く。
「さあ、今度はこっちの番よ」
 言うなり、ユンナが手を突き出したその場に、ばりばりばりばりッッ、と上からも下からも雷状の光が生まれた。当然その輝きは『それ』をも包み、体のあちこちから突き出ている髪や毛並みを焦がし、皮膚を裂く。
 オオオオオオン――
 流石に痛みは持っているのか、『それ』は吼え…そして、ちょっと力を込めただけでぱしぃん、という音と共にその空間をキャンセルしてしまった。
「やるわね」
「…全然駄目じゃねえか。次の手はあるんだろうな」
「残念ながら、簡単な手段じゃ無理ね」
「おいおい。奥の手があるなら最初っからやりゃあいいじゃねえか」
「それがそうも行かないのよね。――まあ、仕方ないわ」
 互いに軽口を飛ばすものの、オーマは隙あらば『それ』に絶え間なく弾を打ち込んでいるし、『それ』の俊敏な動きをどうにかこうにかかわしつつの会話は自然途切れ途切れになっていく。
 その中で意味のある言葉だけを耳に送り込み、何とか頭の中で繋ぎ合わせているのが現状だった。
 そして、ユンナとて楽に出来る方法ばかりを求めていたわけではないと言う事は分かるのだが――。
「しつっこいわねえ」
「おまえさんの追っかけ志望じゃねえのか」
「やあねえ。ファンクラブなら事務所を通して貰わないと認可は出来ないわよ――」
 吹き出る汗を拭いもせず、ユンナはしきりと意識を集めることに神経を集中させていた。そのため動きが鈍り、『それ』の格好の餌食となっているのだが、直撃を免れているのは時折彼女ごと抱きかかえて逃げ回るオーマのお陰だった。
 そのせいで、オーマの背には先程から生々しい爪痕が増え続けているのだが。
「オーマ…ごめんなさいね」
「謝る事はねえさ。お互い様だ」
「――私がもし、消えたら――」
 いきなりの発言に、思わず顔を覗き込むオーマ。そんなオーマの視線にユンナがにこりと笑いかけると、
「何もかも、忘れて――」
 その笑顔を最後に、ユンナの全身が激しく輝きだす。それは、オーマの腕をすり抜け、光そのもののようなぼんやりとした輪郭を取って、『それ』に近づき、全身を包み込んで纏わり付く。
 その光はオーマにも降り注ぎ、
 気付けば最初に馬から降りた地点まで、飛ばされていた。
「――ユンナっ!?」
 慌てて先程の場所へと赴くと、そこにあったのは『それ』の切り離された一部と、ユンナのものだろう、割れた腕輪や髪留めなど細々した装身具が転々と散らばっており、それらは何かを引きずるような跡と共に公国側へと消えていた。
「ああんのおーばか野郎が…!」
 瞬間、頭に浮かんだのは、過去に起こった戦争で仲間を失った時の思い出。
 何よりも、オーマの心を掴んで離さない世界。
「繰り返せっつうのは…流石に命令でも聞けねえぞ…」
 そう言いつつ、オーマは『それ』の残した残滓、ユンナの気配を追いながらまっすぐ公国へと向かっていった。
 準備など全く無い。
 ――あるのは、心構えのみ。

*****

「…捕まえたのはこれだけか?」
「残念ながら、もう1人の方はコレが逃がしてしまいまして」
「全く忌々しい…余所者なら余所者らしく、大人しくこちらの手駒になれば良いものを」
 冷たい床の上に、転がされている感触。
 目は閉じていても、意識が完全に消えたわけではない。
「どうだ?これはオーマよりも役に立ちそうか?」
 その名前に、身体の芯がすっと冷えた。
 ――体の震えを止める事が出来たのは、そのせいもあったかもしれない。
「ヤツの世界の者がどの程度なのかは分かりませんが…ヴァンサーだとしても、あまり威厳は感じられませんね。オーマの手下の1人なのでしょうか?」
「まあ、所詮は女だからな。こんな顔の女が病院付近で見かけたと言う報告もある。もしやあれか。妻妾同居とか言うやつか」
「あの男ならあり得る話ですね」
 …一体、オーマはどのように思われているのか。
 以前ちらと聞いた公国との話を考えて見れば、小競り合いを繰り返した…つまりは一番目立つ位置にいるのがオーマなのだから、彼がヴァンサーの中でもトップと見られても仕方ない話なのだが。ぼそぼそと聞く所を見ると、禁忌に近い力の発露まで行っているようだし…。
 (………減点2…いや、10くらいは…甘いかしら。50、100くらいまで下げておくべきかな…)
 魔力封じのロープで束縛されているユンナが気絶した風を装いながらそんな計算を開始する。禁忌の技を使うもそうだが、自分が愛人と思われているようなら、そう思われる態度を取るオーマが悪いと結論付けつつ。
 ぴくっ、と身体を動かしてみると、それで気付いたらしく、ユンナの周りにぞろぞろと男たちが集まって来るのが分かった。
「身内なら使い道もあろう。あの実験体でもあれだけの能力を持つのだとしたら、オーマならどの位になることやら。楽しみだな――さあ、お目覚めかね」
 ロープを捕まれてぐいと引き起こされたユンナの髪がはらりと頬にかかった。連れて来られる際に、髪留めも解けてしまったらしい。
 彼女が『変化』を起こしたことは具現の一種とでも捉えているのか、あまり重要視はされていないらしかった。…まあそれも無理はない話だろう。オーマの獣化に比べれば、見た目のインパクトは断然あちらなのだから。
 ――どちらにしても、この先に待ち受けている物は決して愉快な話にはならないだろうけれど。
「君を捕まえられて良かったよ。これでオーマを捕らえるいい餌になる」
「…なると思うの?あの男がわざわざ私を助けに来るとでも?」
「来るさ。あの男はああ見えて情に厚い。身内でないモノさえも助けに来るくらいだからな、身内とあらばそれ以上の効果はあるだろう」
 それに、と白衣を着た男がにやりと嫌な笑みを浮かべ、
「もし来なかったとしても、君自体が良い『材料』になる筈だからね」
「――そう、やはり作り方を知っていたのね。あの最悪のプロジェクトを」
「とんでもない、最高のプロジェクトさ。敵の身体を使って最強の武器を作り上げる事が出来るのだからね。教えてくれた彼には感謝してるよ」
「『彼』?」
 ユンナが眉をひそめる。が、それ以上答えようとはせずに、
「とにかく感謝するよ。君たちは『HRS』の良い材料にさせてもらう」
「―――!?そ、その名前は!?」
「おや。知らなかったのか、知っていると思っていたのだがね」
 本当に下っ端だったようだな、と残念そうに言う男とは別に、顔を僅かに青ざめさせたユンナが俯いて唇を噛む。
 HRSの名は、ユンナの管理していたソサエティ側で使用されていた名前ではない。内容は全く同じながら、もうひとつの機関が立ち上げていたプロジェクトで――名前だけは聞いていたが、ユンナは完全に対立していたため、詳細は知らされていなかった。
 異端狩りが盛んだったのは、HRSの側と聞いているが…そちらからもたらされた情報だとしたら、早いうちに知って良かったかもしれない、そんな事を思いつつ。
「来ました!」
「ほう。予想より早かったな」
 にわかに慌ただしくなった室内――そこで交わされる会話に、ユンナは内心歯噛みする。話からすれば、恐らく来たのはオーマだろうが、オーマでは駄目だと知っているからだ。あの塊は、具現を相殺してしまう。とすれば、具現とは似て異なる力を使わなければならないからで…。
「なんだと!?」
 不意に、別の場所で声が上がる。
「どうした、騒々しい」
「いえ、そのですね――オーマが、2箇所から同時に来ていると言う報告が」
「――ふん。それはあれだ、『具現』とか言うやつでもう1人の自分を作り上げたのだろう。単なる目くらましに過ぎないさ。…そうだな。キメラを2体出せ。どちらかは具現体だろうから、そちらがどの程度通用するのかデータを取るといい」
「分かりました」
 ――2体…。最低でもここには2体『あれ』がいるのか、とユンナがちらちら周囲を見る。そして、少し余裕を見せた態度で口を開いた。
「彼の事、甘く見ない方がいいわよ。どんな隠し玉を持ってるか分からないんだから」
「なに、構わないさ。少なくとも最大の脅威である具現は抑えられるんだ」
 ばたばたと男たちが去っていく、そのすぐ後に、

 ――どおおん!!

 遠くから爆音が聞こえ、びりびりと建物が振動した。
 再びばたばたと足音が近づいて来る。
「ほっ、報告です!1体のキメラ、――消滅しました!」
「何!?」
「止められません、来ます――!!」
 どばああん!
 その声と同時に、壁の一部と男たち数人が吹き飛んだ。その中から現れるは、
「ふう。やれやれだな」
 赤い目と黒髪の、長身の――――――――
 ――――違う。
 違う、だってあれは――あの男は――
『うおらああああっっ!!!邪魔だそこどきやがれええええっっ!!!!』
 だだだだだだだ、と別の壁の向こうからそんな声と共に、銃弾がハート型を描く。そして、ばたん――と大きな音を立てつつ壁がこちら側に倒れ。
 満身創痍のオーマが、『それ』――キメラに追いかけられつつ、走り込んで来た。多分オーマだろう、室内に漂う煙のせいでか、目が霞んで良く分からないのだが。
「…相変わらず、騒々しい男だな。遊ぶ余裕があるなら、『あれ』のひとつでも倒してみれば良いのに」
 ――ぱた、ぱた、と。
 縛られて身動きできない膝の上に、水滴が落ちる。

 心から切り離せたと思っていた。
 『彼』の影を追いかけるのは、止めたつもりだった。
 それなのに、どうして――今、涙が止まらないのだろう。
 そんなユンナに気付いているのかいないのか、無表情の『オーマ』が、ちらと室内にいる男たちを『見』る。
 ――それだけで、くたくたと骨抜きにされたようにその場に倒れていく男たち。
「おう、流石は流し目の達人。ナマモノだけじゃなくオトコまで失神させたか。その内ハーレムできるんじゃねえか?」
 びしばしげしげし、と避け損ねた『それ』の攻撃を受けつつも、オーマがそんな事を言い。
「つーか気味悪ぃぞジュダ、俺様の変装するなんざ1年早いぜ」
「…微妙に期間が短いな…」
 むっつりした『オーマ』が、少し縮む。それまでオーマそのものだった姿が、もう1人の、見慣れた姿へと変わっていく。
「うし。これで3人衆が揃ったな」
「…そう言う事を言うから、意識が集中出来ないんだ。そっちに頭を向けていろ」
 今止める――その言葉を呟いた途端、男たちと同じように『それ』はぴたりと動きを止め、
「おおおおおっっ!?」
 ジュダの言葉に背いてにやにやしながら2人を見ていたオーマの頭上に、

 ずしいいいん……っ

 と、地響きを立てて落ちて来た。
 倒れた身体から覗く腕がばたばたともがくが、ジュダはもうそれに構う事無く、片手でくいとロープを引く。
 ぱら…。
「…大丈夫か」
「――っ」
 口をぎゅっと結んで、大きく目を見開いたまま、悲鳴を噛み殺すユンナ。
 その前に、ジュダがすっとしゃがみこんだ。
「変わらないのは結構な事だが…我意を通しすぎるのは考え物だな」
 背後には、最早ぴくりとも動かない『それ』がいる。
 もそもそとその下から這い出して来たオーマが、首を捻りながら近寄って来た。
「おう、ジュダ。相変わらず陰気な顔してんな」
「オーマ、知ってたの、彼が戻ってる事――それに、どうして戻って」
「ユンナ」
 更に何か言いかけたユンナの髪にぽんと手を置いたオーマがくしゃくしゃっと髪を掻き回した。
「大丈夫だ、大丈夫。…おまえさんが全部抱え込む事はねえよ」
「なんで…」
「しかし、良くやってくれたものだな。――まあ…作るのは容易いのだが」
 人とも、魔とも、獣ともつかなくなってしまった『それ』。以前見た合成獣…キメラ化されたウォズに酷似しているが、あれよりも余程強力で、容赦ない。恐らくこれの中枢にはウォズの一部が組み込まれているのだろうが…それにしては、今まで見たVRS関連のモノとは違うようにも思えるのだが。
「ウォズに限る事は無い。向こうでは良い素材がたまたま異端だったと言うだけの事」
 そんなオーマの疑問にあっさりと答えたのは、ユンナを介抱していたジュダ。
「――こいつは違うと?」
「ウォズ『も』使っていると言う事だろう。公国のやること全てを把握している訳では無いが…」
「それでごたまぜ状態になってたっつうのか。悪趣味だねえ。俺様なら親父100人集めて親父玉でも作ってみるが」
「その場合、『核』は間違いなくおまえだな」
「おうよ」
 笑い話のように話しているが、2人の目はまだへたり込んだままのユンナを気遣うように揺れている。
「それにしても悔しいな。お姫様を救う騎士にゃ俺様が一番だと思ってたのに先越されちまった」
「オーマ…それに…ジュダ」
 ジュダがオーマの言葉に何か言おうと口を開きかけた、その時にユンナが割り込む。
「助けに来てくれたのは嬉しいけど、これは、私がやらなければならなかった事なのよ。あなたたちは巻き込まれただけ――トップにいながら、止められなかった私の…」
「だってよ」
「ふむ」
 ジュダだけでなく、オーマもその場にしゃがみ込んで、もう一度ユンナの頭を撫でる。
「あのな、ユンナ。俺はな、おまえに苦労させるためだけにソサエティを作ろうっつったんじゃ、ないんだぞ?」
 そう言う事を言われたら、お兄ちゃん悲しいなー、と目を細めながら言い。
「おまけに、俺様もう無関係じゃねえんだな、これが。だからさ、話してくれるか?おまえが話したい時でいいから。――尤も、作り方マニュアルが公国に伝わった以上、その対策を考えるためにも是非とも話してもらいたい所だがよ」
 そこの何でも知ってる癖に何も話してくれないケチ男は置いといてだ、とオーマが言ってちらりとジュダを見る。
「……ユンナ」
 決して彼女に触れようとはしなかったが、ジュダの目は柔らかく彼女の顔を映し出している。
「この男の言う通りだ。――昔から、責任感は強かったが…その事で命を縮められても困る。まして、リサイクルシステムは開発当初から不確定要素が強すぎたのだから、対処出来ない例までおまえ1人で抱える必要は無い」
「――素直にはどうしても聞けないけど…ありがとう、2人とも」
 そしてオーマに支えられて立ち上がると、ジュダは倒れた塊の元へと歩き出していた。 手のひらを『それ』に当てて、何かを探るように目を閉じる。
 ただ、それだけで、一瞬『それ』は分解された元の姿を見せ、そして次の瞬間にはほとんどがその場から消え去っていた。ただひとつのモノを残して。
「やっぱ脳か?」
「適合性が一番合うのがこれだから仕方の無い事だ」
 ジュダの手の中で光となって散っていく小さな塊。その力は、ヴァンサーたちが使う事の出来る封印とは根本から違うものだった。
「で、こいつらどーすんだ」
「放っておくさ」
「いいのか?また同じモン作られたら…」
「…公国の住人全てから記憶を抜くわけにはいかないからな、とりあえずはここだけと言う意味だ。この研究所からデータを全て破壊すれば、多少なりともまた研究は遅れるだろう」
「おう、流石は俺の弟、ソツないねえ」
「――自分を褒めているだけじゃないのか」
「ばれたか」
 にやりと笑ったオーマが、ユンナの頭をぽんぽんと叩く。
「俺も少し自分の力を調べてみるさ。こんなんでも何とかなりそうな気がしてんだ。それに、こっちにゃ便利屋ジュダがいるしな」
「自分で出来る事なら自分でしろ」
「けっ、これだよ全く」
「……ふふ…」
 ユンナがようやく笑みを見せる。
「変わらないわね、オーマも――ジュダも」
「おーおー、しみじみ名前呼んじゃってまあ。俺様ちょっぴりジェラシー☆つうことで、帰るか」
「ええ。ああそれからオーマ?彼らから色々あなたの事聞いたわよ。あなたがそれだけ目立つ事をやっているから、私たちまで目を付けられるんじゃないの?」
「おう、そりゃないぜ。俺様無罪だって」
「……素行は改めた方がいいと、俺も思う」
「がーーーっでむ!!」
 和気あいあい?と3人がその場を去っていく。
 最後にちらりと室内を見たジュダが、ぱたん、と戸を閉めて。

*****

 ――さら…
 音も無く。
 生きている者を除いた全てが、砂に還って行く。
 施設がまるごと砂塵と共に消え去ってしまったのは、生まれてからの記憶が一切消えてしまった男たちが、公国を行き来する旅人たちに起こされる前の事だった。


-END-