<東京怪談ノベル(シングル)>


撫子と対話をする










「もし。もし、其処の御方」

呼び止められた気がして、オーマ・シュヴァルツは顔を上げた。だが目の前に広がる若草色の大地には自分に声を掛けるような存在は見当たらず、首を捻って彼はもう一度昼寝をしようと、腕を組みなおして頭を垂れた。
爽やかな風が吹き抜け、影が柔らかく服の上を転がり落ちる大木の木陰、其れでも矢張り声がオーマの鼓膜を擽って。

「此方ですわ、其処の御方。貴方様の目線の下に御座います」
「……んぁ?」

聡く注意をしなければ気付かないような声。寝惚けた頭で其れを聞き、オーマは律儀に地面を見渡す。背を樹に預けて座り込む姿勢では見辛い事この上なかったが、幸いにも主張をしているであろうと思しきものは直ぐに見つかった。
明らかに風とは違う動きで揺れる──花?

「お起こししてしまいましたわね、申し訳御座いません。ですが、少し気になったもので」
「あ、あァ……そりゃあ良いんだが、御前さん……花じゃねぇのか?」

起こされた所為か少し不機嫌だったものの、自分に声を掛けた存在が判るや否や、其の表情は呆気に取られたものに変わる。片腕を突いて身体を支え、あやふやな声音で問う。自分の腰元、大木の根元に可憐に咲く、一輪の花へ向かって。
花はぴんと茎を伸ばし──まるで背筋を伸ばしたようだった──、薄紫の花弁をひらはらと揺らしながら其の輪郭をオーマへと向けた。高いソプラノのか細い声で、歌うように言葉を紡ぐ。

「わたくし、撫子です。花の品種名ですけれど、他に名前が在りませんの。嗚呼、何故喋るか疑問でいらっしゃいますわね?」
「是非聞きてェモンだな」

オーマが其の様子に感心しながらそう言うと、撫子は嬉しそうに口を開いた。否、口なぞ無かったけれども。

「わたくし、強い魔法を浴びてしまって、其れ以来喋れるようになったんです。魔力が御口の変わりになった、と言いましょうか。勿論仲間は気味悪がって、仕方が無いからこの何も無い場所に引っ越してきたのですけれども」

最近の花は引越しも自分で出来るのか、なぞと違うベクトルで納得しつつ、オーマは其れで、と続きを促す。確かこの撫子は、自分の事を少し気になったからと起こした筈だ。撫子も気付いたのか、ええと、と言葉を探すような仕草を見せた。

「……先程、魔法を浴びたと申し上げましたでしょう。其の所為か、わたくし、強い力には敏感ですの。……此処は人通りも在りませんし、人里からも離れております故、そう言った力を持つ方が良くいらして。──まあ、実験場のようなものですわ」

聞いて、成る程とオーマは辺りを見回す。草原に突き出している尖った岩の中に、妙な削れ方をしていたり、焼け焦げた趾のようなものが見て取れたからだ。不自然なクレーターが空いている場所も在る。此処が数居る魔法使いたちの実験場のような役割をしているというのは、本当の事だろう。尤も、この可憐で儚げな撫子の花が、早々嘘を吐くとも思えなかったが。

「で、貴方様からも強い力を感じるのですけれど……もしかして、意図的に弱めてらっしゃいますか?」
「おう、良く判ったな。弱めてるというか、悪影響が出ない程度に抑えてると言うか。まァ、本来の力に比べりゃ弱ェだろうさ」
「嗚呼、矢張りで御座いますか」

オーマが答えると、撫子は嬉しげに花弁を揺らした。

「先程申し上げましたように、此処は良くない方々が多々いらして。……貴方様も其の御一人なのかと、少し勘繰ってしまいましたの。御免なさいませ」

言って、撫子は茎を撓(しな)らせて、ぺこりと御辞儀をする。人間味の溢れる花だ、そう思ってオーマはくつくつと喉奥で笑った。自分の服を摘み上げ、此れが抑えてる奴さ、と花に見せた。

ヴァンサー専用戦闘服──ヴァレル。具現発動時、己と在りしものが消滅しない為の封印的な力を持った、具現と呼応同調せしもの。ヴァレルは具現発動時、タトゥを媒介として具現召喚着用するのが基本ではあるが、この世界──ソーンでは、具現は異世界以上に全てへの異たる侵食が強く、オーマ達は其れを防ぐ為、基本的に常にヴァレル姿を心掛けていた。つまり其れが、撫子の言うところの「意図的に弱めている」ということになるのだろう。

掻い摘みながらそう説明すると、撫子は感心したように頷いた。

「中々複雑でいらっしゃいますのねえ……何にせよ、そのように気を使って下さる方が居る事が幸せで御座います。私どもは、如何する事も出来ませんから」
「ま、こんな奴も人間の中には居るって事、覚えといてくれや。……さァて、俺はそろそろ行くとするか」

にぃ、と陽気に笑いながら、空の色を見てオーマは呟く。そろそろ日が暮れかけていた。太陽が沈む前に、目的地に着いてしまわねばならない。夜の道は酷く不安定だ。
撫子がはい、と言い、有難う御座いましたと嬉しそうに呟いた。オーマは立ち上がり、ごきごきと首を鳴らす。

「──あァ、そうだ。此の先暫く、雨は振らねェんだってよ。……ま、餞別だとでも思ってくれりゃ良い」

踏み出しかけて、オーマが思い出したようにそう呟く。撫子が首を傾げると同時、彼女の上に小さな雨が降り注いだ。
水。こんな晴れた日に、しかも木陰では降ろう筈も無い。確か彼は言っていたではないか──具現、と。

「──御優しいので御座いますね」

何も言わず歩き始めたオーマの背を見送りながら、瑞々しく潤った葉で、見送るように撫子は手を振った。





■■ 撫子と対話をする・了 ■■