<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>
風になって
ルディアのいつもの笑顔は胸の奥にでも引っ込んでしまったのだろうか。お盆の上に乗っていた依頼のメニューを冒険者たちが囲むテーブルの真ん中に置くと、唯一空いていた椅子に座って内容の説明を始めた。あんなに明るい彼女がこんなにも落ちこんでいるということは、今回の事件はよほどのものなのだろう。彼らの視線はメニューの上で踊る文字に向けられた。
エルザードから南西に向かうと、多くの動物たちが棲むウレウの森がある。そこは主に狩人たちが活動する場所だが、さらなる冒険を求めて旅をする者たちの通り道にもなっている交通の要所でもある。しかしお互いがお互いの邪魔をしないようちゃんと心がけているため、森は一応の平穏が保たれていた。
そんなある日、ひとりの狩人が夢中で鹿を追っていると普段から人通りの多い場所まで深追いしてしまった。なんとか暗黙の境界線を越える前に仕留めようと弓を構え、彼は勢いよく矢を放つ。ところがそこにはキノコか何かを拾うために見を屈めた女性がおり、矢は彼女の背中に向かって飛んでいくではないか。狩人は深い後悔とこれから起こる現実に思わず目を背けた。しかし彼女のいた場所から悲鳴は上がらない……おそるおそる目を開けた狩人は彼女の向こうに落ちた矢を確認した。あの矢は間違いなく彼女を貫くはずだった。なのに何も起こらない……彼は首を傾げた。そんなことをしているうちに、彼女が自分の放った矢を持ってやってくるではないか。狩人は彼女を観察した。すると彼女の姿は異様に薄く、そして少し浮遊している。その時初めて矢が命中しなかった理由を知った。そう、彼女は幽霊なのだ。
彼女はこの辺をさまよっている幽霊だという。人に危害を加えるような力どころか、生前の意識もほとんどないそうだ。服装から町娘ではないかと推測されるが、彼女の素性は今回の依頼とはまったく関係がないので説明は割愛する。彼女は「渡りに船」といわんばかりに粗相をした狩人に向かってあるお願いをした。
彼女は風になりたいという。何の因果かはわからないが、彼女はウレウの森から出ることができないらしい。おそらく長い時間をここで過ごしたから退屈になったのだろう……狩人は素直に気持ちを口にした。すると彼女は「そんなことはない」という。だが、それ以上の明確な理由は言えなかった。もしかすると生前からそのような願望があったのかもしれない。幽霊が風になる……そんなことができるのか。狩人が頭を悩まし始めた時、彼女は柔らかな笑顔を見せながら年老いた魔法使いとウレウの盗賊団の話をし始めた。
この森の奥深くにある洞窟の中で高名な魔法使いの老人が住んでいたという。しかし今、そこに出向いても主人はいない。老人は一年前に他界してしまったからだ。その洞窟は老人の手によって幻惑の結界が張られており、本来は本人以外は出入りすることができなかった。しかし彼の死後、結界の魔力は失われ、その棲家があらわになった。その洞窟を最初に見つけたのが、現在もウレウの森で暗躍する盗賊団だった。彼らは中にある高価な調度品や特殊な薬品などを奪い、そのままそこを首領の棲家にしてしまっているという。その奪われた薬品の中に『無心の魂』と呼ばれるものが存在するらしいが、これこそが彼女を風にするアイテムなのだ。彼女はなんとかしてこれを手に入れられないかと狩人に訴えた。
狩人もバカではない。盗賊団のことは当然知っている。総勢10人くらいの集団で、旅人から金銀財宝を巻き上げることで有名な小悪党だ。最近でも被害を耳にする。彼女の願いを叶えてやりたいのはやまやまだが、ひとりで盗賊団を相手に戦っても結果は見えている。もし複数で行ったとしても、相手は魔法使いの残したアイテムを使ってとんでもないことをしでかすかもしれない。ただ盗賊は魔法の品に関する知識がないので、商人を装って取り引きする方が効果的かとも思える。ともかくひとりで悩んでも仕方がない……彼はエルザードにある白山羊亭へと向かい、この話をウエイトレスのルディアに打ち明けたのだった。そしてこれを依頼として出してもらえないかと懇願したのだ。
依頼主は狩人のリュートと書かれている。内容は『盗賊団から無心の魂を手に入れること』だ。ルディアはすでにこのメニューを数人の冒険者に見せていた。ある時、その話を伝え聞いた若き魔法使いが彼女にこう言ったそうだ。
「話を聞いてね……気になって調べてみたんだが、ある古文書に『無心の魂』は記憶も心も何もかもを失わせてしまうとあった。きっと禁呪法による薬品精製なんだろうな。しかしその幽霊は人格や身体をなくしてまでも風になりたいというのか。たったひとりでその手段を調べ上げた彼女なら、きっとそのことも知っているだろう。その上でこの依頼を引き受けるというのは、なんとも心苦しいんじゃないか?」
死んで幽霊となり生前の記憶を失った不幸な幽霊は、さらにすべてを失って本当の風になってしまうことを望んでいる……ルディアはいったんはこのメニューを外そうかと考えた。しかし敢えてこれをもう一度だけ冒険者の前に出した。これでダメなら仕方がない。彼女は祈るような思いで彼らを見つめていた。
テーブルを囲む面々は意外にも話に前向きだった。濃紺の瞳に大きめの眼鏡、そして柔らかな髪を首の後ろで束ねている青年が席を立つ。ルディアははっとした表情を彼に向けた。
「アイラスさん、もしかして引き受けてもらえない……とか。」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。調査、計画、準備とやることはたくさんあります。それをやりに行こうかと思いまして。」
「もう〜っ、無言で席を立つから驚いたじゃないですかぁ。」
「理由はどうあれ、人に害をなす盗賊団がリュートさんの望みの品を持っている。だったら盗み出すよりも彼らにいなくなっていただくのが簡単でいいですよね。それにこんな話を放り出したら、僕の隣に控えているオーマさんがなんて言うかわかりませんし。」
アイラスはその優しい表情に似合わぬしたり顔を隣に向けた。口元を少し緩ませながら笑う彼を見て、思わず「ふふん」と唸る筋肉親父。策士という印象の強いアイラスとは違い、このオーマなる人物はまさに肉弾戦を得意とする戦士の豪快さがあった。実はこのふたり、『腹黒同盟』なる名前通りの組織を運営している。今回はたまたま白山羊亭でふたりが一緒になったので、それっぽい匂いのする依頼をルディアに求めたというわけだ。酒の入ったグラスを傾けながら、彼はその視線に応えた。
「おーおーおー、さすがはナンバー2。わかってんじゃねーか。魔法のブツで無法やらかしてるなんざ、聞き捨てならねぇ。全員アニキ牢屋にぶち込んでやる。見所のある奴だけ同盟に勧誘。そんなとこだな。」
「その辺はトップにお任せしますよ。さてと、ところで他の皆さんはご一緒されますか? 僕たちは先に調査をする予定なので、それにもお付き合い下さると助かるのですが……」
その言葉でオーマとルディアが同時にテーブルの一角に目をやった。そのふたりはタイミングよく同時に自分を指差すと、それぞれにお似合いの表情で頷く。それは彼らの性格をとてもよく表わしていた。小麦色の肌がまぶしい青年のハルカ・ミナカミは極めて軽いノリで「うんうん」と頷きながら、ようやくこの件に関することを話す。
「いいよいいよ、調査にも付き合うよ。ところでルディアちゃん、そんな暗〜いどよ〜んとした顔すんなって。まま、依頼がうまくいって心が晴れたら、俺と一日デートってことでどう?」
「私もご一緒いたしますの〜。もちろんお手伝いもいたしますわ。」
「あんた……もしかしなくても魔道士? いいもんつけてるし、いいもん着てるし。」
「だと思いますの〜。魔法も使えましてよ〜。」
若く美しい容貌を見事なドレスで包んだ彼女は、自分の名をナシーナと名乗った。その穏やかな話し方を聞く限り、どこぞのお嬢様のようにも思える。ハルカが一応は納得したような表情をしながら唸ると、彼女もにこやかに微笑んだ。ナシーナの美貌はハルカの心を揺るがすには十分だった。彼は思わずさっきのデートに彼女を加えてダブルデートなんてことまで考えたほどだ。そんなことも露知らず、ナシーナはカップに注がれたミルクをごくごくと飲み干す。実はこれがすでに3杯目……傍目で見ていたオーマは「腹壊すんじゃねーか?」と彼女のことを心配していた。
とにかく方針は決まった。アイラスはウレウの森を探索する日を2日後の朝と決め、ルディアには依頼主であるリュートにもそのように伝えるように指示する。それを合図にこの会合は終わった。あとはそれぞれが胸に秘めたものをグラスの中の液体に映しながら、ただ静かに夜更けを味わうのであった。
4人にリュートを加えた一行はウレウの森の探索を始めた。ここに一歩足を踏み入れた時から、アイラスは雑草が生い茂る足元に目を向けて調査を開始している。大げさといえば大げさだが、彼にしてみればこれが当たり前のことなのだ。オーマは森の境目と思われる部分を何度か行ったり来たりしているし、ハルカもその尻尾を守る鱗によく似た鎧『ドラゴンスケイル』で身を固めている。そんな緊迫した雰囲気が漂う中で、ナシーナだけが何の緊張感もなく木漏れ日につられてふらふらと森の奥へ行こうとしていた。もし彼女が森の中で迷子になったり、流れ矢に当たったりすると調査どころではなくなる。自然とナシーナの面倒はリュートが受け持つということになった。協力者のがんばりを無にするわけにはいかないと彼も襟を正す。
「おいリュート、幽霊には会えないのか。話がしてみたいんだ。」
「おっと、その前に盗賊団のアジトになっているところにご案内していただきたいですね。」
今のリュートにハルカとアイラスの希望を一度に叶えることはできない。彼はまずは彼女に会ってもらい、その後でアジトの近くまで行く段取りを提案した。ふたりは狩人の案内に従う。もちろんオーマとナシーナもそれに続いた。ハルカが先に言ったので特に話さなかったが、後ろのふたりも「風になりたい」という幽霊に対してある気持ちを持っている。先に会うことに関しては賛成だった。『無心の魂』を欲している理由がはっきりしないままそれを手に入れて飲ませるわけにもいかない。一行は敵の襲撃などの不測の事態に備えつつ、慎重に森の中を進んでいった。
森の中でもとりわけ太陽の光を多く浴びるそこには赤い花がたくさん咲いていた。その花畑の中心で花を愛でている女性が、今回の本当の依頼主である。その姿は何も知らずに無邪気に動き回る赤子のようだ。いつからかは知る術もないが、彼女はずっとそんな時を過ごしてきたのだろう。他人から伝え聞くのと実際に見るのとでは大違いで、オーマもハルカも彼女のあまりに明るい仕草や笑顔を見て逆に戸惑いを感じた。
「自然の流れを考えると、死んで幽霊になるというのはよほどの理由がないと説明がつかないはずなんだよな〜。」
「お前の言う通り、死んだら普通は成仏するもんだ。しかし彼女のあの微笑みを見ていると……複雑になるな。」
「オーマのオッサンもそう思うか。だったらこっちもやりがいがあるってもんだ。」
「おい、できることならあの娘がなぜここに括られているかを探ってほしい。無意識の希望はそこから生まれているかもしれんからな。」
「探れちゃうから困るんだよな〜、じゃあここはオッサンのリクエストに応えられるようがんばるぜ。」
ハルカが物々しい姿のまま、花畑の中へと足を踏み入れる。幽霊は何も言わずに彼を見た。そしていつの間にか周囲が賑やかになっていることを知ると、屈託のない笑顔をリュートに見せる。そして摘んだ花を一輪、ハルカに手渡した。真っ赤な花びらがよく映える。
『いかがですか……?』
「ありがとよ。なんかさ、君を見てるとこの世界を満喫してるように見えるんだけど……それでも風になりたいか?」
「…………………」
『飛んでいきたいの。なぜかしら……そんな気持ちになるの。』
「風って、どんなイメージなんだ? 地面を歩いてる俺でも憧れるようなことか?」
彼はじっと彼女の目を見ながら、まるで神官のように問答を繰り返す。その問いかけにいつも笑顔で答える彼女だが、この時ハルカはまったく別のものを見ていた。その眼差しは深層意識の底に至り、彼女が彼女となったヒントを得ようとその心の中を駆け巡る。軽いノリとは裏腹に真剣な表情を見せるハルカをじっと見守るオーマ。彼女の優しい心を目の前にし、徐々に自分の思いを現実のものにしたいと考えるようになっていった。
このわずかな時間は端から見ればちょっとしたデートにも見えたが、ハルカの表情は話す前と同じであまりすっきりしていない。ことの経緯をリュートと共に見守っていたアイラスは、オーマの近くに歩み行くハルカと同時に動き出した。
「浮かない顔だな。成果は上がらなかったか?」
「そんな言い方すんなよ、こっちもがんばったんだ。ただよっぽど生きてた頃を思い出したくないのか、見えてくるのは霧だらけだ。幽霊になった頃の記憶からしか存在しない。」
「そうなると今の彼女が手に入れた薬剤を使うかどうかの判断は、今の彼女の意志が決めることになりますね。我々が受けた依頼はあくまで『無心の魂』を手に入れることであって、彼女の判断に関与することは含まれていないですし。」
「まーまー、その辺は愛があればなんとかできる……って、おいおい。あのお嬢ちゃん、勝手にあの娘と喋ってるぞ。放っておいてもいいのか?」
「彼女も依頼を受けたひとりです。彼女に対して言いたいことのひとつやふたつはあるでしょう。自由にさせてあげましょう。ところで……」
アイラスは女性ふたりになった花畑に目をやりつつ、別の話題を話し始めた。それはリュートから聞き出した盗賊団の詳細である。盗賊団はそれほど組織的に動くわけでもなく、ただ金や食料を求めて人々を襲う夜盗程度の存在であることがわかった。つまりメンバーが食い繋ぐことができるだけの物が例の洞窟に備蓄されているうちは、どんなにオイシイ餌を撒いても一歩も外に出てこない。リュートによると盗賊団は調査前日に行動を起こし、罪もない商人の輸送隊から食料を奪っているそうだ。こうなると外に出て来ないのだから、このまま洞窟を襲撃する以外に方法がない。今なら一仕事終えて気も緩んでいるはずだ。今日は調査に留め、明日には討伐を決行することを提案する。ふたりは頷いた。
「じゃあ俺は今日は奴らのアジトで一泊する。能力で珍獣を装って中に入りこむぜ〜。アイラスよ、家に今日は帰らないって伝えといてくれ。晩飯は鍋の中にシチューがあるから、それ食えって。」
「惚れ惚れするくらいの主夫っぷりですねぇ〜。わかりました、明日までお泊りですね。」
「敵の巣に潜入するのかよ! 危ねぇこと考えるオッサンだなぁ〜。」
呆れるハルカの目の前でオーマは豪快に笑いながら光に包まれる……すると足元に小型犬くらいの銀の獅子がちょこんと座っているではないか。しかも背中には翼が生えている。確かにこれは誰が見ても珍獣だ。ハルカがマッチョムキムキの面影をなくした獅子の頭を撫でようとすると、まるで頃合を見計らったようにオーマがいきなり元の姿に戻るではないか。さすがにハルカは高速で手を引いた。
「おぉ、なんか作戦はよくわかったぜ。」
「中の敵はオーマさんに、外の敵は……僕とハルカさんでなんとか。」
「おっ、お、俺か! 俺ちょっとそういうの苦手だ。あんまり期待するな。」
「へぇ〜、苦手とおっしゃるということはできないわけではないということですよね?」
「屁理屈ごねやがって……ああ、わかったよ。やりゃいいんだよ、やりゃ!」
「ああ、もちろん私もお手伝いいたしますわ〜。どこまでお役に立てるかわかりませんけど。」
いつの間にか幽霊の彼女との話を終えたナシーナも輪に加わり、いよいよアジトの下見が始まる。とりあえずオーマはリュートに明日まで幽霊の彼女と一緒にいるように指示した。薬を欲している相手がいなくなっては手間がかかるからだ。また本当に風になってしまうのなら、今日が幽霊である最後の夜になるかもしれない。リュートはそれを素直に受け入れ、後のことは彼らに任せた。そしてアジトの場所を紙に描き、それをアイラスに手渡す。次なる目的地は地図にしっかりと記されていた。
昼頃、アジトの前は大騒ぎになった。なんといっても聖獣に似た獅子が見張りの目の前をちょこちょこ走り回るのだから……盗賊団のリーダーは着の身着のまま飛び出し、部下たちに珍獣の捕獲を命じた。理由はもちろん『好事家に高く売りつけるから』である。なるべく多くのメンバーを誘き出すため、最初は敢えて捕まらないように足元をくぐったり、あるいは宙をくるんと一回転したりして自慢の筋力を見せつけるオーマ。「あれだけトリッキーに動けるなら、いつ見世物に売られても大丈夫だな」とはハルカの弁である。思わずアイラスも笑ってしまいそうになったが、今は観察の時間だ。珍獣という素敵なクオリティーが洞窟の中からどんどんメンバーを引き出していく……オーマの作戦は大成功だ。アイラスとハルカ、そしてナシーナの数えた人数を平均すると、確認できたメンバーは13人。しかも裏手から回ってきた者もおらず、全員が目の前の入口から出てきた。さらに彼らの装備には魔法使いによって作られたであろう特殊な武器や防具が一切見当たらない。『無心の魂』なる薬を作るところから察するに、きっとマトモなアーティファクトを作るようなセンスの持ち主ではないのだろう。
『もういいだろう。そろそろ捕まるぜ。』
オーマは広範囲に渡る精神感応の能力も持っており、逐一仲間たちに指示を出すことができる。だからこそ自ら囮を買って出たのだ。鍛えに鍛え抜いた手のひらで踊らされているとも知らず、盗賊団は珍獣を捕獲できたことを大いに喜ぶ。そしてリーダーから上等な籠を作れとの指示が出た。すっかりご満悦の一団を見て、アイラスたちはその場を去った。すべての準備は整った。後は決行の時を待つばかりである。
翌日の早朝、同じ場所に集まった一行はすっかり戦闘準備を整えてオーマの指示を待つばかりだった。しかし捕まっている間、自分の扱いなどに相当ご不満があったらしく、出てくる言葉は愚痴ばかり。外はちょうど夜の見張りから朝の見張りに変わったばかりだったので、まだまだ緊張の糸を張ったまま任務をこなしている……今すぐに襲撃を開始してもこちらに利する物がない。アイラスは昨日と同じく身を隠せる場所で待機することを提案し、それを実行していた。
しかし、逆にこれがマズかった。その間、珍獣・オーマくんの切れ間のない愚痴を聞かされるハメになってしまったのだ。出された飯が犬の餌で食ったらえらくマズかっただの、こんな鍛えてない連中を相手に戦うのはかったるいだの、もう言いたい放題。ハルカは自分でも時間とともにだんだん戦う意欲が失せていくのがわかるほどだった。ナシーナはマイペースを絵に描いたような娘なので、素直に「そうですの〜?」などと相槌を打っている。どうやら彼女、なかなかの世渡り上手でもあるらしい。
どれだけ時間が経っただろうか。交代した見張りが目に見えてだらけ始めた。今がチャンスだ。誰もがそう思った時、表情をキッと鋭くさせる。
「おい、アイラス……!」
『オーマさん、出番です。適当に暴れて下さったら、後は僕たちがなんとかします。』
『わかった、なら始めるぞ……』
すると突然、洞窟の奥からマッスルな雄叫びが響き渡った! 「今までの鬱憤を晴らしてくれよう!」という意味合いの豪快な笑いが盗賊団の住処を地獄のどん底に叩き落す。自分たちよりもデカくてムキムキなオッサンが出てくれば、アジト内がパニックになるのも当然だ。それを合図にアイラスも見張りのひとりに向かって猛然とダッシュ! 驚きの表情を見せる見張りの男めがけて大きくステップを踏み、そのまま右肘をみぞおちに食らわせた!
「お、おま……おがっ!!」
その攻撃は容姿とはまったく違い、鋭く重たい攻撃である。盗賊ごときがマトモに食らってはひとたまりもない。泡を吹いて倒れる同胞を見た男は混乱しつつもダガーを抜き、アイラスに牙を向いた。しかしすでに手に持ったダガーは恐怖に震えている……彼の耳には洞窟の中から聞こえる異質な音が聞こえていた。得体の知れないこの音で彼の冷静さは吹き飛び、もはや任務をこなせる状態ではなかった。ところがアイラスは髪を揺らしながら大きく後ろへと下がった……そのまま突っ込んでくるのかと思いきや、そのまま広く間合いを取って立っているだけである。この時点で盗賊は疑心暗鬼になってしまった。いったいなぜこんなことを彼はしたのか。自分ごときなど一撃で倒せるはずなのに……そんなことを考えていると、彼はなぜか力なく膝を地に落とした。そして徐々に意識が現実から遠ざかる。彼はすでにアイラスの、いやナシーナの術中にハマっていたのだ! 彼女は眠りの魔法と風の魔法を同時に発動し、もうひとりの盗賊の退治を引き受けていたのだ!
「ふぅ〜。洞窟の中に眠りの魔法がわずかに流れこんでいきましたの。一発おっけーでしたわね。」
「右手と左手から別々の魔法を繰り出すなんて……お前、スゴいな。」
「便利ですわよ〜、いろんな組み合わせができまして〜。」
「ハルカさん、出てきますよ。準備をお願いします。」
「だから、俺は戦うの苦手だっての!」
文句を言いながらもハルカとナシーナは洞窟の入口に踊り出る。すると洞窟の中からはアイラスが倒した盗賊の数十倍はヒドい悲鳴と打撃音が延々と奏でられていた。オーマが遠慮なく連中をボコボコにしているのだろうが、ハルカはその風景を想像するだけで血の気が引いた。今までに聞いたこともないような不思議な音も混じる中、命からがら難を逃れて盗賊の残党が洞窟の外へとやってきた。よほどオーマががんばったらしく、逃げてくるのもたった3人しかいない。とりあえずその場を任されたハルカは素早く竜鱗の大剣を振るい、大きく声を上げた!
「出でよ、ヴィジョン!!」
盗賊たちの目の前に一筋の落雷が落ちたか思うと、そこにはハルカに似た風貌を持つナーガが現れた! このヴィジョンなる存在も3メートルを越す長身で、敵を慌てさせるには十分なものである。彼らは我を忘れてハルカとナーガの前から逃げたが、運悪くそのうちのふたりがアイラスの方に向かってしまったのだ。ふたりはもちろん問答無用でアイラスに倒されたのだが、最後のひとりはか弱そうなナシーナのところに向かっていた。おっとりとしている彼女は呪文の詠唱をしていない……このままでは逃げられる! 誰もがそう思った。当然、逃げようとする盗賊も逃げ切れると思っていた。
「邪魔だ、どけっ!」
「きゃっ。あら、首が……」
突き飛ばされたナシーナのセリフは明らかに異様だった。おかしい……盗賊がはっと振り向く。
「首ぃ? 首がどぅわぁぁぁぁっぁーーーーーっ、コロンって、コロンって転がって、コロンってコロン。」
「ア、ア、アイラス! こっ、これは! ナシーナの首がコロンって! コロンって……うーーーん。」
「こっ、これはいったい……?!」
盗賊に続けとばかりにコロンと気絶したハルカ。アイラスも血の巡りが悪くなり、頭がおかしくなりそうだった。しかしそこはなんとか強く気を持つことでなんとか堪えた。しかし当の本人は何事もなかったかのように両手で首を持って、ピタッと元の場所にくっつける。アイラスは何度も眼鏡を拭いたが、どうやら事実のようだ。慌てふためくアイラスに向かって、ナシーナはいつもの柔らかな笑みを見せるのだった……
衝撃の事実と同時に、この作戦は終了した。洞窟にいた盗賊の大半は『親父愛大胸筋ホールド』なる筋肉技で気絶させられ、そのままアニキ牢屋に叩きこまれた。ついでに外で気絶している連中も全部この中に収監された。最後の盗賊と一緒に倒れていたハルカも危うく牢屋に入れられそうになったが、済んでのところで難を逃れた。ちなみに連中が餓死しないように、オーマが怒りの形相で犬の餌を投げこんだ。
洞窟の中にはいくつかのアイテムが存在した。予想通りよほど偏屈な魔法使いだったらしく、マトモなアイテムはほどんどない。唯一の救いは『無心の魂』の入った小壷が封印されたまま置かれていたことだ。とりあえず任務は達成した。今は薬を届けるのが先である。オーマは盗賊たちにはちきれんばかりの筋肉を見せつけながら威圧した。
「俺たちが帰ってきてひとりでもいなくなってたら……わかってるだろうな?」
「「はいぃぃぃぃーーーっ、わかっておりますです!」」
「お前らはこれでも読んで時間潰しとけ。後から面接してやる。」
そういって牢屋に投げ入れたのは、彼が主宰する腹黒同盟のパンフレットだった。
リュートと彼女は言われた場所にいた。一行は『無心の魂』を手に入れたことを伝え、改めてその意志を問うことにした。すべてを聞く権利は彼らにもある……それは当然のことだ。答えを聞く直前、オーマがあることを口にした。それは彼が独自に進めていた調査の結果である。
「実はだな……結局、お前がこの森から出られない理由が俺にはわからなかった。きっと生前の記憶がお前を束縛しているんだろう。それで『風になりたい』という気持ちが本能的に表に出てきたのかもしれない。微笑むことよりも何よりも、お前は自由になることを選びたいのかもしれない。」
「オッサン……それで過去の記憶がどうこうって言ってたのか。」
「お前の決めたことを止めるつもりはない。アイラスの言う通りだ。さ、どっちかにしろ。薬は……お前に渡す。」
この一日でリュートも覚悟を決めていたのだろう。薬を受け取ろうとする彼女を何も言わずに見守った。彼女は念願のものを手に入れ……それをゆっくりと手から離した。すべての時間がゆっくりと、ただゆっくりと流れていく。突然のことでここにいる誰もがその状況を受け入れることができなかった。
そして……瓶は割れた。だが、彼女は微笑んでいた。
『昨日、ナシーナさんに説得されたんです。「私も死んでるんですの」って聞いて……ビックリしました。ナシーナさんも私と同じで生きてた頃の記憶もないけど、それでもこの世界で存在している。新しい自分で生きてる。だから私、風になって逃げるのやめます。この狭い森の中でも、私は小さな変化と一緒に生きていける。そう、信じてる……』
周囲の目は幽霊の彼女よりもナシーナに向けられていた。これで首が転がった事実も理解できる。だがまさか、そんな彼女の言葉が風になることを思い止まらせるとは……しばらくの沈黙があってから、オーマは豪快に笑った。気持ちがいいほど大きな声で笑ってみせた。
「はっはっはっはっは! こりゃやられたぜ! お嬢ちゃん、大金星だな!」
「ナシーナ、お前すっげーんだな。なんとなくそんな気がする。」
「ハルカさん。なんとなくじゃないですよ、説明すると長いですが、おそらくすさまじくスゴいですよ。」
「昨日や今日みたいに、私は楽しく死後の世界を楽しんでますの。幽霊さんもリュートさんや私たちがいるのですから、お考えになってもいいのではないですかとお話したんです。」
「ナシーナさん、ありがとうございます。俺も消えてほしくなかったから……自分勝手だけど、ありがとうございます。」
リュートの涙は人を思いやる気持ちがこもっていた。それを見たアイラスは彼女の決断が必ずいい方向に作用するだろうと確信した。ハルカも大きく頷いた。オーマも腹の底から笑っている。その笑顔はいつの間にか周囲に広がっていった。すがすがしい気持ちとともに吐き出されるその声は花畑を揺らし、森の中を駆け抜けていく。風が……駆け抜けていく。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1649/アイラス・サーリアス /男性/19歳/フィズィクル・アディプト&腹黒同盟の2番
1953/オーマ・シュヴァルツ /男性/39歳/医者兼ヴァンサー(ガンナー)
2770/ハルカ・ミナカミ /男性/20歳/異界職
2699/ナシーナ /女性/19歳/多分……魔道士
(※登場人物の各種紹介は、受注の順番に掲載させて頂いております。)
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■ ライター通信 ■
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「聖獣界ソーン」では初めまして! シナリオライターの市川智彦でございます。
今回は「白山羊亭冒険記」として初めての依頼を執筆させていただきました。
ファンタジーを書くのは本当に久しぶりで、ものすごく緊張してしまいました。
アイラスさんは初めまして〜。でも、腹黒同盟は知ってるんですよ(笑)。
まさかトップのおふたりが来られるとは思わなかったですよ〜。ホント驚きです。
今回は策士として、そして強い戦士として活躍して頂きましたがどうでしたか?
今回は市川智彦の依頼に参加して頂いて、本当にありがとうございました!
また依頼やシチュノベなどでお会いできることを楽しみに待ってます!
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