<東京怪談ノベル(シングル)>


 ある日、森の中



 心地好い陽気の中、うとうととまどろむ。
 暑くもなく寒くもなく、時折吹いてくる風はふんわりと優しくて、まさに昼寝にはうってつけの天気。
 だから目が覚めた時、ハルカはなんだかもったいないような気分を覚えた。
「……うーん……」
 うっすらと目を開けてみると、何かがきらきらと光ってやけに眩しくて、思わず反射的に再び瞼を閉じる。
 このままもう一度寝てしまおうか……とも思ったが、どうやら眠気はどこかへ飛んで行ってしまったらしく、ハルカは今度こそぱっちりと目を開けた。
 最初に視界に飛び込んできたのは、一面の緑。
 ここはどこだろう?
 まだ少し寝ぼけたままの頭でぼんやり考える。
 周囲には青々と茂る木々。目の前には澄んだ水を湛えた泉。先ほど見えた眩しい光は、水面が日差しを反射したものだったようだ。
 どこかの森の中……それは分かる。けれどそれ以上のことは分からないし、見覚えもない。
 さらに辺りを見回してみると、ハルカはたくさんのトカゲたちに囲まれていた。
 みんな一様にのんびりと地面に寝そべって、気持ち良さそうにくつろいでいる。彼らが仲間、あるいは同類だということは分かったので、試しに手近にいた1匹に声を掛けてみる。
「なあ。ここがどこだか、分かるか?」
『森の中』
 返ってきたのは、のほほんとした声。ハルカはがっくりと肩を落とす。
「それは分かるんだけどさ……どこの森?」
『どこって言われても、森は森だよー』
 いかにもやる気のなさそうなその返事に、ハルカは「こいつらに訊ねても無駄だ」と悟った。
 訊いて分からなければ、自分で確かめればいい。森の外に出れば、きっと何か分かるはず。そう思い直して元気よく立ち上がる。
 長い尻尾をゆらゆらと揺らしながら、ハルカは森の出口を探して歩き始めた。


 少し進んだところで、のそのそと地面を歩くカメに出会った。
「なあなあ。どっちに行けば森から出られるかな?」
 しゃがみ込んで訊ねてみると、カメは歩く速度と同じくらいの間延びした喋り方で答えた。
『出たこと、ないから、分かんないよ。出ようとも、思わないし……』
 まあ確かに、彼の足では、森の外へ出るまで何日かかるか分かったものではない。
『鳥なら、知って、るんじゃないの?』
「鳥かあ……」
 自由に飛び回ることのできる鳥なら、きっと空から森の様子を一望できるはず。出口だって分かるに違いない。
 そう考え、ハルカはカメに「サンキュ♪」と礼を言って再び歩き出した。


「鳥、鳥っと……」
 きょろきょろと鳥の姿を探しながら歩いていると、器用にも木の枝に止まったまま眠っているフクロウを見つけた。
「おーい!」
 声を掛けてみるが、反応はなし。
「おーいってばー」
 それでも諦めずに呼んでみると、フクロウは少しだけ目を開けたが、面倒くさそうにハルカを一瞥してからまた寝てしまった。
 仕方なく別の相手を探していると、今度はヘビを見つけた。
「お前は、どこに行けば森から出られるか分かるか?」
『それを教えたとして、俺に何の得がある?』
 冷たく素っ気ない返事に、ちょっとだけムッとするハルカ。
「そういう言い方することないだろ?」
『どういう言い方しようと、俺の勝手だ。それに、知りたきゃ自分で探すんだな。適当に歩き回ってりゃ、そのうち嫌でも外に出るだろ』
 ヘビはいかにも馬鹿にするようにチロチロと舌を出して、さっさとどこかへ行ってしまった。これにはさすがに腹が立って、大声で怒鳴る。
「なんだよ、この性悪野郎ー!」
 その大声に驚いて、近くを通りがかったリスが飛び上がった。
「あ、ごめんな。びっくりさせるつもりじゃなかったんだ」
 ハルカが慌てて謝ると、リスはきょとんと首を傾げ、くりくりした瞳でハルカを見上げてきた。なんとも愛嬌のある仕草に、ハルカは思わず笑みを零し、落ちていた木の実を差し出してやる。
「これあげるから、許してな?」
 リスは鼻をひくひくさせてから、小さな手でそれを受け取った。
 すると木の陰から別のリスがひょこっと顔を出し、じーっとこちらを見つめてくる。
「お前も欲しいのか? ほら」
 もうひとつ木の実を拾って投げてやると、木陰のリスは同じように鼻をひくつかせ、それを拾い上げた。
 木の実を抱えて去ってゆく2匹の大きなしっぽを見送りながら、ぼそりと呟く。
「そう言えば、俺も腹減ったなあ……」
 果たしてその言葉の意味が分かったのかどうかは謎だが、近くにいた野ウサギがびくりと怯えたように後ずさる。
「あはは、お前のこと食べたりしないって」
 笑いながら訂正するも、野ウサギはなおもびくびくしながら様子を窺っている。そして次の瞬間、まさに「脱兎のごとく」逃げ出してしまった。
「うーん……俺ってそんなに怖いか?」
 トカゲのしっぽをぱたぱた揺らしつつ、ハルカは苦笑するのだった。


 とりあえず勘を頼りに、ひたすら歩き続ける。
 先ほどのヘビの態度を思い出してムッとするが、彼の言う通り、適当に歩いていてもそのうち出口には辿り着くだろう。
 ……どれくらい時間がかかるかは分からないが。
 けれども、特に急いでいるわけでもないし、持ち前の楽天的な性格も相まって、特に焦る気持ちにはならなかった。それに、道行く先で出会う動物たちと戯れるのもなかなか楽しい。まあ、先ほどの野ウサギのように逃げられてしまうこともあったが……
 そんな調子でのんびり進むうちに、だんだんと日が傾いてくる。
 このままだと、暗くなる前に外に出るのは無理だろうか……そんなことを考え始めた頃。
(あっちのほうから、何か感じるな……)
 たくさんの気配……「気」とでも言おうか。あるいは「霊気」という言い方のほうが良いだろうか。それを感じ取って、ハルカは少し歩調を速めた。
 そちらのほうに進むうち、次第に木々がまばらになってゆくのが分かる。
 そして――ついにハルカは森を抜け、外へと行き着いた。
「うわあ……」
 眼下に広がる街並み。通りを行き交う人々や、広場に集まる人々の姿が目に映る。まるで、その喧騒がここまで聞こえてきそうなほどだ。
 そろそろどこの家の窓にも明かりが灯り始め、夕飯の支度とおぼしき湯気があちこちから立ち上る。
 ぐきゅるるる……
 不意に鳴り出したお腹の音で、ハルカは自分がとても空腹であることを思い出した。
「腹減った……あそこに行けば、何か食えるかな?」
 楽しそうな人々の様子と食事の誘惑に惹かれて、ハルカは迷うことなく街を目指して歩き出す。
 彼の頭の中は、既に美味しい食べ物のことでいっぱいだった。



 これがハルカ・ミナカミがエルザードと出会った、記念すべき第1日目の物語である――













−fin−