<PCクエストノベル(2人)>


謳う、序章と、囁く、灯火

王宮地下牢の空気は他の牢屋よりも澱んでいないものの、それでもどことなく厭な緊張感を与えるものだ。番兵に用件を告げると、彼は同情染みた笑みをこちらへ寄越す。これで何度目だろう。隙ない仕草で牢を通した番兵と別れて、既に数分になる。左右に構える牢屋からは呻き声すら一つ上がらない。気味の悪い静寂を体で感じながら、少年は進んでいった。
 牢屋の床は然程手入れをされていないせいか、冷たくじめじめとしていた。とはいうものの、比較対象が牢を備える王宮であるからして、無駄な期待を持つものではないだろうが。簡易なベッドが備え付けられている以外には何もないそこは、近年の犯罪率の減少だか何だかで話し相手すらいないのがもっぱらだ。否、そもそも王宮内部の地下牢に入れられる中途半端なレベルの人間はそうそういない、と言った方が適切だろう。極悪人なら郊外の巨大な収容所へ、子悪党であれば大きな都市に設置されている小さな収容所へ入れられる。万が一のことも考え、日頃王宮の地下牢は用いられない。良くて、兵士の怠慢を罰するためだろうか。
 故に、そこに一人の大の大人が転がっているのを目の当たりにして、ソル・K・レオンハートは軽い戸惑いをおぼえた。手に持つ幾つかの依頼の報告書を抱え直して、牢越しに目礼した。
「……こんにちは」
 入れ違いに報告を終えた仲間から不法侵入者が地下牢にいるという話を聞いたのだが、やはり噂通りだった。初陣を切ってちょっかいをかけた人間は見事に負け戦に合い、
「あれは最悪だ」
 と吹聴して回っている。「これ」というべきか、「彼」というべきか、兎に角「それ」はそこに寝ていた。
 ソルの場合は、「書類の提出先」が最奥牢へとちょくちょく足を向けるためであり、平時いるとされている執務室はもぬけの空だといっても過言ではないためである。毎回毎回地下牢まで行くのは足腰にやたらくるので厭だと内心思いながら、仲間の憤慨している様子を思い出しながら、そうこうしている内に例の牢に差し掛かったのである。
 男――ルーン・ルンはごろりと一回だけ寝返りを打ち、ソルへ体を向ける。
「誰?」
 怠惰そうな口に、ソルはファミリーネームを答えた。フルネームで言い直すべきかとも思ったが、名は呪ともなりうるために安易に口にすべきではないだろうという考えの下に、口を閉ざさせる。そう判断してから、真名ではないから平気なのかもしれない、と。今更ながらに意味のない葛藤であることを実感する。
「レオンハート……ってお固い名前。可愛い顔して、勿体ないなー」
 ルーンの言葉に、ソルはむっとした。男に対して可愛いはないだろう、と言う内容のことを口にしたら、
「それこそマジで勿体ない話だよ」
 と言われた。意味はよく、分からない。どこか人を喰ったような物言いの人間との会話は初めてではないが、故に得意だという訳でもない。むしろ、苦手な方だ。どう返してよいものか迷って適当に否定の意を込めた合槌を打つと、ルーンは愉しそうにソルへと胡坐をかいて牢すれすれまで近付いてきた。
 近くで見ると、顔のつくりは悪くない。牢屋とは似ても似つかない存在にも思え、同時に彼がどうしてここにいるのか疑問にすら思い始める。不法侵入だということは知ってはいたが、金に困っていたのか、或いは会いたい女でもいたのか。相場はそんなところだろう。だが幾ら考えても結論には至らない。聞けば話は早いのだろうが、生憎とソルは進んで話し掛けるような気質は持ち合わせていなかった。仮説を仮説のままに留めると、ソルもゆっくりとその場に座り込んだ。
 久し振りに牢番以外と会話せることが相当嬉しかったのか、ルーンは下らないことを話し続けた。嘘か本当かすら分からない、夢物語。異国の民話。かなりの脚色のある自伝。
「そういえば、ここに何日ほどいるんだ? 噂を聞いたのは結構前だから、余程好きなんだな」
 話に飽きたのか、ソルの手には新たな仕事の資料が置かれている。ご丁寧にもルーンへ見えないように巧みに角度をずらし、好奇の視線から逃していた。内容は次の仕事に関することなので、見られては少々都合が悪い。
「何の資料だよ、俺にも見せろよ」
「無理」
「いやいや、んな固いこと言わずにさー」
「駄目」
 律儀に答えるも、資料にはあまり集中できない。顔を上げると、ルーンは軽く頬を膨らませてそっぽを向いたような振りをして遊んでいた。ソルの視線に気付くと、尾を振る犬が如し、目を潤ませて牢へとしがみ付く。鬼気としたとしたものが迫っていたが、ソルにとっては然したる脅威ではない。軽く流すと、ルーンは真剣な口調で言った。
「親友の縁切るよ、レオちゃん」
「……存在しないものは切れない」
 残念そうにルーンは牢の中心に腰を戻した。
 ふいに、ソルは資料を仕舞い、ルーンを真正面から見やる。
「そこ、出たいか?」
「当然」
 即答、ということは、そこにいるのは本意ではないというのか。ソルはその点は同意出来た。牢屋マニアと仕事である牢番以外に取っては、この場は足を向けたくなる場所でもない。
「なら取引、とか……」
 ソルの提案に、ルーンは「取引じゃないだろう?」と可笑しそうに口に出して笑った。
「というかさ、本当は普通に出してやりたいんだけど、口下手だから適当な理由付けないと言い出せないだけじゃないー?」
 ルーンの言葉に、ソルの頬が僅かに引き攣る。普通なら見逃す仕草すらルーンは目ざとく、それもワザと指摘した。
「図星?」
 ソルは急に立ち上がる。牢から離れようとする背を、ルーンは格子にしがみついて名を呼んで呼び止めようとするも、歩みの緩まる気配はない。
「別に理由なんて何でもいいじゃねえ? 俺はそれでも構わないぜ、レオっち」
「……ソル・K・レオンハート。ファミリーネームを勝手に縮めるな」
 その答えに、ルーンはにっと白い歯を出して笑った。ソルも歩みを止めると、不器用そうに微笑み返してやった。ソルは振り返ると、ぴっと指でルーンを指す。
「何とかしてやるから、黙ってそこで待ってろ」
「もち。ソル坊の仕事の一つや二つ、お礼と言っちゃあなんだが、協力してやるからさ」
 ……ソル、坊? そんなにガキに見えるか?
 微妙な謎を残しつつ、ソルは再び歩き出した。ルーンの釈放は、恐らくは簡単な仕事だろう。元より犯罪と呼ばれるようなことはしていない、はずだ。「書類の提出先」が相当な酔狂者であることに感謝しつつ、それでも言い出した途端にからかわれるのだろうということに軽い失念をおぼえながら、いつの間にか最奥牢まで辿り着いていた。
 この先には、「書類の提出先」が待ち構えている。
「…………」
 深く、深く深呼吸をする。
 ここでの報告でのいじられ具合など、先の展開を考えればどうってことない。
 一つ決心をして、ソルは錆び付いた牢の扉に手を掛けた。





【END】