<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
甘い時間
郊外にあるドラゴン小(?)屋――の片隅にある人間用の調理場で、誰にも知られることなく一つの戦いがおこなわれようとしていた。
「わかっちゃいるだろうけど、この件はウチの宿六には内緒だよ」
と高らかに宣言したのは炎のような赤い髪の美女、シェラ・シュヴァルツ。
「シェラさんがそうおっしゃるなら、彼には黙っています」
と穏やかな笑みで応じたのは空のような青い髪の青年、アイラス・サーリアス。
ちなみに話題のシェラの夫は、アイラスの親友でもあるので、はっきりして釘をさしておかなければ、なにかのはずみで話題に出ないとも限らない。
「さあ、始めましょうか? まずは簡単なものからが良いですかね?」
「好きに決めてくれていいよ。今日は坊やが先生なんだから」
どうやらシェラは機嫌がいい。こういう言い方をする時は、からかって楽しんでいるのだ。
つきあいの深いアイラスにもそれは充分わかっていたけれど、つい眉間に小さなシワができる。
「……」
「どうするんだい、坊や?」
「……じゃあ、デザートを作ってみましょう」
気をとりなおして、咳ばらいを一つ。
「難しくはありません。決められたものを、決められたとおりに扱えば、誰にでもできるのが料理です。数学のようなものだと思ってください」
自信に満ちた言葉とはうらはらに、二人の間に積まれた食材は不必要なまでに大量だが、深く追求してはいけない。完璧な下準備はアイラスの主義でもある。
「それならウチのだけじゃなくアイラスも堕とせる、最高のモノをこしらえてやろうかねぇ」
「僕……ですか?」
「覚悟はいいかい? 今日はあんたにも生涯忘れられない一日にしてあげるよ」
あでやかな流し目が開始の合図だった。
*****
「粉は先にふるっておくといいんです」
「ふーん、そういうものかい」
手渡した粉ふるいをシェラはしげしげと見つめると、
「面倒くさい」
と結論づけた。
「ダメです! ほら、ここに大きな紙を広げてありますから」
何人かに教えた経験のあるアイラスは、慣れた調子で流すと、大きな台を覆うようにした紙の上で軽快にふるいを動かす。
あっという間に、白くてさらさらした山ができた。
「交代ですよ」
まだたっぷりと粉の入ったそれを渡されて、シェラもしかたなくアイラスを真似る。ぎこちない手付きがいかにも初心者っぽく、こんなことを言うと怒られるだろうが、かわいらしい。
「こんな感じかい?」
「そうそう。上手です」
「けっこうおもしろいもんだねぇ」
ノってきたシェラは、だんだんと振り回す手付きを大胆にしていく。
どんどん大胆に――
「クッ……!?」
粉が高い天井近くまで舞い上がる。
「……だ…大丈夫ですよ。多めに作りましたから」
舞ったものは散るのが運命。
シェラの赤い髪にも、アイラスの青い髪にも、即席の白いメッシュがかかっていた。
「はは! 粋な髪になったもんだ!」
「そ…そうですね」
シェラの笑い声を聞きながら、アイラスも笑った。ほんの少しだけ……その顔は引きつっていた、
*****
「次は卵を泡立てます。まずは卵を十個割ってくださいね」
多めに見積もった数だったが、さらにアイラスはお手本を割って見せた。
「殻を利用して、右の器には黄身を、左の器には白身を入れます。これにそれぞれ砂糖を加えて泡立てるんですよ」
「あいよ」
勢いよく卵を両手でわし掴むシェラ。
「お…おちついてください! 一つずつ確実にこなすことが大切なんです」
慌てて止めるが、シェラはこんな時にはありがたくない頼もしい笑顔とともに卵を放り投げた。
「このシェラさんにまかしときな!!」
どこからともなく取り出した、大鎌を一閃。
「……」
「どうしたんだい?」
アイラスの目の前には、きれいに黄身と白身に分断された卵。
殻が落下する乾いた音はしばらくしてから響いた。
「……いえ、なんでもありません」
大鎌で卵が割れ――もとい、斬れるものだろうか?
ありえない。
が、実際に見てしまったものは認めるしかない。
「ヘンな坊やだねぇ。で、この後は泡立てりゃいいのかい?」
「それは僕がやります!」
卵を割るだけでこの騒ぎだ。
たとえシェラが相手でもなんとかなるだろうと楽観していたアイラスだが、ここに来て不安のほうが大きくなりつつあった。
「なんだ、せっかくあたしの愛情をたっぷり混ぜ込んでやろうと思ったのにさ」
「もう充分です」
アイラス自身は、愛情ではなくバランスとタイミングこそが料理の決め手だと思っていたけれど、今はそのどちらも存在しない。これ以上の混沌を避けるために、とにかく頷いておいた。
*****
「泡立てた卵にふるっておいた粉を切るように混ぜ合わせます。混ぜすぎると泡がつぶれてしまいますから、さっくりとやってください」
「サックリと、だね」
一瞬のスキを付いて、またしても大鎌が一閃する。
「……ああっ!!」
真っ二つにずれていく器を、アイラスは根性で支えた。
「サックリいってよかったんだろう?」
「僕は切る『ように』って言いましたよね?」
口調は優しいが、目が笑っていない。
「あー……悪かったねぇ」
さすがにシェラも不穏な空気を感じ、バツが悪そうに目をそらす。
数瞬の緊迫。
アイラスが大きく息を吐き、唐突に緊張はとけた。
「あとは僕がなんとかしますから、シェラさんは飾り用の果物を切ってもらえますか?」
「そういうのは得意だよ! まかしとくれ」
ドンっと豊かな胸を叩いて請け負う。
「このあたりのヤツを片っ端から斬ればいいのかい?」
「台は斬らないくださいね」
「……気をつけるよ」
そして、シェラの大鎌が鮮やかな軌跡を描いた。
*****
日が暮れる頃には大量の食材はキレイに使い尽くされていた。
「豪勢なもんだねぇ」
「ま…まあ……そうですね……」
完成した2つの巨大なケーキの上には、本体が見えなくなるくらいの果物が飾られている。しかも、どういう技なのか、その中のいくつかにはアイラスの顔やら彼女のダンナの顔までもが見事に彫られていたりするのだ。
「これならウチの宿六は墜ちるだろうよ」
墜ちるかどうかはともかく、驚くことは確実だった。
「アイラスはどうだい?」
「ぼ…僕は……どうでしょうか?」
「食べてみておくれ」
「えっ?……ええっ!?」
「坊やのおかげでできたんだからさ」
スポンジもクリームもほとんどアイラスが作ったようなものなので、味は心配ないはずだった。
それでもついためらってしまうのは、どこかを突っつけばたちまち崩れてきそうなデコレーションに圧倒されるからだ。
「……で…では……僕の顔をしたこれを……」
上の方に載っかった黄色い果実をそっとつまむ。
「遠慮しなくていいんだよ?」
「いえ、やっぱり彼に食べさせてあげたいから! 僕はこれだけでいいです」
口の中に放り込むと、甘酸っぱい汁が広がる。
もちろんそれは果物の味で、シェラの功績とは言いがたいのだけど、
「おいしいかい?」
子供のように目を輝かせて聞かれると、アイラスは自然にほほえんでいた。
「はい。おいしいですよ」
調理の腕と愛情はやっぱり無関係だと思うが、それでも愛情のない料理は味気ない。その点、この不器用なケーキには、愛情だけはたっぷりと詰まっているようだった。もっともいささか物騒な愛情だが。
「そうかい。そりゃあ嬉しいねぇ!」
次の瞬間、なにが起こったのか、アイラスはとっさにわからなかった。
いきなり暗転した視界と、頬に当たっている柔らかい感触。
「シ…シェラさん!!!!!」
抱き込まれたのだと気づいた時には、ただただ慌てるばかり。
「アイラスのおかげだよ。ありがとう」
なんとか腕から逃げ出すと、今度は満面の笑みとともに唇が額に落ちてきて――
「…………………………!!!!!」
アイラスは真っ赤な顔で、完全に固まっていた。
どうやら勝利者はシェラのようである。
もっとも、アイラスにはちょっとばかり分の悪い戦いだったかも知れない。
end
--ライターより--
このたびはご依頼いただきありがとうございました。
私事により納品がたいへん遅れましたことを、末尾ではありますがお詫び申し上げます。
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