<東京怪談ノベル(シングル)>


導きに誘われた今は

 日々が連なるにつれて我知らず蓄積した疲労が蓮花弐号を浅い眠りの淵へと誘う。雑務をこなすその最中であれば意識せずにいられる疲労感も、ふと気を緩めた刹那に意識の端々からゆるゆる忍び込む。重みを増していく躰。末端から穏やかな温みに包まれて、背筋を伸ばして机に向かうことさえも困難になる。苦痛ではなく快さが、弐号の上体を静かに机上へと横たえさせた。ベッドの温かさなどがなくてもそこに穏やかさがある気がする。疲れた躰は純粋に安らぎを求めている。組み合わせた両腕に片頬を載せて、目蓋を閉じるとまだ明るい陽光が僅かに眩しい。しかしそれ以上の眠りの気配が弐号の意識を溶かしていく。さらさらと零れていくのは、たとえ雑務といえども真面目に取り組まなければならないという日常にありふれたささやかな緊張感で、そうしたものが総て零れ落ちれば意識は弛緩し穏やかな眠りに落ちる。浅すぎる眠り。それが弛緩した無意識のなかに何かを連れてくる。
 日常意識することなく過ごしているもの。無意識に焼きつく鮮明な記憶。そうしたものが緩やかに芽吹く気配。穏やかすぎる転寝のそのなかに広がるいつかの景色は、忘れていたものを思い出させるには十分すぎる感触で弐号の意識に触れる。


 ――こんな、夢を見た。


 恐れを知らずにただ前に突き進んでいた頃の私を見ていた。どれほど昔のことだろうか。数えることも困難ないつかの日々。漠然と四百年以上昔のことだということだけを知っている。厳密に数えれば尚更に不確かになるのではないかと思わせる膨大な量の過ぎた時間。そのなかにあった出来事。それを人が『陰陽神狩之乱』と呼んでいることを私は思い出す。
 目の前には争いの風景があった。
 今の名前とは別の名前を持ってその一部となって私はそこにいた。誰に名付けられたのだろうかと考える必要もないほどに当然のものとして自分に与えられた名前。それで私を呼ぶ人々が周囲にいる。今ではないとはわかっていても、あまりに鮮明な映像が紛れもない今なのではないかと錯覚させる。
 これは夢なのだと繰り返している自分がわからなくなる。私は何故そこまでそれを過去にしたがっているのだろうか。まるで切り離されたかのような自分が、目の前で与えられた使命を軽やかに果たしていく。今とは別の名前で呼ばれていてもそれは確かに私だった。
 何故私がそこでそのようなことをしているのかと考えれば自ずとそこにある自分がわかる。
 いつかの私は単なる式神などではなかった。一言でいえば決戦兵器と呼ばれる類のものだった。『幻夢』の力を使い各々の並行事象を幻想のもとに武力統合していった群雲一族に対し、人の自由と平和を望んだ一人の陰陽師に創り出された存在。それが私。生れ落ちたその時から果たすべき役目を与えられていた。それを果たさなければならなかった。特別強い目的意識があったわけではなかったけれど、そのために私は生きていたのかもしれない。遂行しなければならない目的に躊躇いはなかった。自ら先頭にたって総てを率いていくことができた。味方の兵や式神たちを先導して、並み居る群雲一派の兵や式神たちを倒すことだけを考えていた。きちんと与えられた正義があった。だから罪の意識は僅かもなかった。
 そして確実に群雲一派を追い詰めつつあった。ただ一つの目的のための行動に迷いも無駄もなかったぶん、それは敵対する群雲一派に確実な打撃を与えていた。その確かさが今眼前にある。
 私でありながら私ではない感覚と共に、確かにいつかの日々のなかに存在した私を見る。
 夢だ、とそう強く自覚すればするほどにそれは鮮明になり、夢であるという確かな感覚に重なりあうようにして夢が今へと覆いかぶさってくるのがわかる。
 総ては滞りなく進み、私を創り出したその人が望む形で総てが収束するのだと思っていた。そうした思いが尚更に私を強く動かしていたといっても過言ではない。与えられた使命をただ純粋に果たしたいと思えるものが、そこにあったと思っていた。それを果たした先にあるもののことなど考える余裕もないほどに、妄信的にそれをまっとうしようと思っていたのかもしれない。
 それに気付いたのは群雲一派の最後の切り札である超巨大式神『蛟神・莢伐乃尊』に引き連れられるようにして群雲一派の大部隊が現れた時だった。今目の前にあるよう乱戦。そのなかで多くの傷を負いながらも前に進もうとする自分の姿に、その時抱いた気持ちを思い出す。
 ここで負けたならどのような結末が自分を待ち受けているのだろうか。
 考えれば恐怖しかなかった。生き長らえることができない。そればかりではなく与えられた使命を果たすことなく息絶えなければならなくなる現実は、私に与えられた総ての存在価値を否定するほどの力を持っている気がした。だから尚更に負けられないと思った。ここで倒れるわけにはいかないのだと、踏みとどまらなければならないという思いが見上げるほどに大きな莢伐乃尊に対して生じた無意識の恐怖を押し殺すことに成功させた。志半ばに倒れたその先にあるものは無だ。
 双方多大な犠牲を出しながら、私自身も莢伐乃尊に苦戦し、多くの傷を負いながら結果撃破することに成功したと思った。そこで総てが終わっていれば、明るい結末がそこにあるものと信じられた。しかしそれがいとも容易く崩された現実に、私は驚愕する。
 立ち上る土煙が晴れた向こうに十二歳ほどの幼い少女が立っていた。
 莢伐乃尊の最終形態。それを目の当たりにすることになるとは思ってもみなかった。隠すことのできない驚愕に動くことを忘れ、その隙をつくような莢伐乃尊の攻撃はそれまでの比ではなかった。よりいっそう強い霊力を受け、跳ね飛ばされる刹那に見た莢伐乃尊はまるで総てが無駄だったのだとでもいうような涼しげな顔をして私を見ていた。
 あの目は決して忘れることはできないだろう。力だけでは勝てないのだと、そう嘲られた気がした。消滅の気配が濃くすぐ傍に漂う。死ぬのではなく消えるのだと思えば、その恐怖が最後の力を呼び覚ます。立つことさえもままならない躰を引きずりながら、消えるのなら倒すべき相手を道連れにしてやろうという思いが自分の命さえも軽視させた。命を捨てれば総ての霊力を解放することができる。そうすれば莢伐乃尊を倒すことなど容易い。そして自分もまた消えていく。霞となって予め存在しなかったかのように消える。しかし莢伐乃尊を倒したという事実が残ればそこに、自分が僅かにでも存在した証を残せるはずだ。
 そして私は最後に笑う。総ての霊力を解放した私はきっと莢伐乃尊に向かって笑っていただろう。勝ち誇った笑みを向けて、終わりを見せてやるつもりで正面から向き合った。
 しかし最後に見たものがなんであるのかさえも判然としない。
 夢のなかであるというのに、その最後はいつかと同じようにしてわからなかった。
 意識が拡散していく。躰が感覚を失い、世界から切り離されていくのがわかった。ただ脳裏に、切れ切れになる意識のなかに声が響いた。その声が何者のものであるのかを考えれば、答えが見える。群雲一派に囚われた神が私に囁いた。そこで倒れて何を得るつもりだったのかと。今ここで自らを捨てる覚悟で立ち向かった意味はなんであったのかと。見届けるべきものがあったのではないかという囁きは、私自身の聖獣でもある『幻夢』のものであった。
 まるで私自身を導くかのようなその声はひどく力強く、叱咤するようでありながらも総てを許し抱き締めてくれるかのような温かさで拡散しつつある意識をかき集めてくれるかのような気がした。
 そしてはたと気付き目蓋を押し開くとそこに、青い空があった。


 緩やかに覚醒する意識が夢の残滓を引きずった茫漠さで弐号に現実を自覚させる。気怠い上体を起こし、重い目蓋をこすりながらふと視線を移すと開かれた窓の向こうに青い空がある。
 夢を見ていたのだと思った。
 今ではないいつかの夢。
 終末を一番身近に感じたあの日の夢を見た。
 そしてそれによってあの日、息絶えることなく生き延びられたのが奇蹟ではなかったことを弐号は改めて知る。消滅しつつあるなかで触れることができた導きは消滅を断ち切り今もなお弐号を生かし続けている。四百年以上経った今も生きていられる事実はあの日の聖獣の導きがあったおかげだ。過ぎる日々のなかで忘れがちなそれを弐号は改めて静かに実感した。