<東京怪談ノベル(シングル)>
『巡る愛の贈り物』
「それでは、この件、確かにお受けしました」
にこ、と笑ってファサードはうなずいた。
エルファリアからの直々の依頼だ。
「子供の頃にね、初めて母からもらった大事な人形なの。まさかこんなことになるとは思わなくて…」
「大丈夫ですよ。この子はちゃんと治りますから」
ね、とファサードは人形にも微笑みかける。
片目の緑色のガラスにひびが入ってしまった金髪の人形は、こんな状態になってしまっても、柔らかな表情でファサードを見返す。
『ふぁさーど、おねがい』
「うん、わかったよ」
もう一度、やさしくファサードは微笑んだ。
大丈夫、大丈夫、僕が治してあげるから。
そう心の中でつぶやいて、彼は立ち上がって、王女に一礼した。
「それではお約束の日にまた参ります」
「ええ、お願いしますね」
エルファリアの言葉を聞き終えると同時に、ファサードはゆっくりと謁見の間を出た。
絹とビロードで出来た深い藍色のドレスを着た豪奢な人形を腕に抱き、彼は王城を後にする。
王城を出てすぐに、ファサードは声を聞いたような気がした。
それはとてもとても細い声で、ともすれば聞き逃してしまいそうな、幻かと思うような、そんな小さな叫びだった。
ファサードは立ち止まって耳を澄ました。
すぐそこの、小さな茂みから聞こえる。
ファサードはそっと、草をかき分けて声の主を探した。
そこには縮れた茶色の髪と貝の黒いボタンの目を持った、すすけた人形がいた。
ずいぶん前に捨てられたのか、肌に雨の跡もある。
ファサードは悲しくなって、たまらずその人形を抱きしめた。
「呼んでたよね…?」
人形はかすかにうなずいた。
『あなたは…?あたしの声が、聞こえるの…?』
「うん」
『どうして…あたしは、人形なのに…』
「ボクも、人形。ううん…人形師」
『人形、師?』
「そう。人が、そう言うから。僕が、そう思うから」
『でも、あたしと、同じ…?』
「うん、同じだね。…君は捨てられたのかい?」
そう尋ねかけて、ファサードはすぐに首を振った。
「ちがうよね。君の『声』は今もあるじに呼び掛けてる」
『ええ…あの日、彼女はそっとここにあたしを置いたの。かくれんぼをする時はいつも、あたしをどこかに置いて、日が暮れると戻って来て、いっしょにおうちに帰ったのよ。でも…』
人形の表情が曇った。
『でも…あの日は、あの子は戻って来なかった。あたしはひとりじゃ帰れないから、ここで待ってたの。あれから、ずーっと、ずーっと…』
「そう…」
ファサードの瞳が悲しげにまたたいた。
「人は、不思議だね…。僕たちはいつでもいつまでも、大好きな人は大好きなままなのに。そう、人形の愛は、無償で永遠なんだよね。でも、ね、人の愛は終わりが来るんだって…」
『終わり…?』
「そう、終わり。おかしいよね。終わるのは『感情』なのに。愛はずっとあるのかも知れないのにね?おかしいよね」
人形たちに負の感情は存在しない。
悲しみや寂しさが、負の感情に入るのであれば、存在するとも言えるが。
愛する存在は、永遠のもの。
彼らにとっては、未来永劫変わらない想い。
簡単に捨てたり、変化したりする人間たちの気まぐれは、彼らに悲しみを呼び起こすだけだった。
腕の中の人形に視線を落とす。
ところどころすり切れて、服すらボロ布と化している。
目のボタンも細かい傷がついて、足の先からは綿がはみ出していた。
ファサードはきゅっと目を閉じた。
「でもね…人形には期限があるよ。期限はね、人の『それ』が他へ移った時。僕たちは『役目』を終えるの」
『あたしは…役目を終えたの?』
震える声でそう問う人形に、しかし、ファサードは微笑んで首を振った。
「主人が受け取りに来たときのため綺麗にしていようね?『その為の僕』だよ。『僕も誰かのために』ここに居るの。今はきみのため、かな?」
人形がこくんとうなずくのを見て、ファサードは立ち上がった。
反対の腕には、王女の人形が在った。
ふたりの人形をいとおしそうに抱いて、彼は工房への帰り道を急いだ。
一雨来そうだ。
「僕はもうすぐ『終わる』のだろうね。僕だけ『消える』のか?躯と共に『死ぬ』のか?わからないけど。僕は『僕を創る』よ。とても難しくて、そこに僕は居ないかも知れないけど。そこにボクは在り続けるよね?…それが僕の願い」
『素敵ね…』
茶髪の人形は言った。
『希望があるって、本当に素敵ね』
ファサードははっとした。
(希望…?)
『あなたがあなたでいられますように。あたし、一生懸命祈るわ』
あなたのために。
「ありがとう…」
ファサードは天を仰いだ。
「人はみんな、きっと誰かのためにいるんだね、きみも、僕も、みんなみんな…」
その鼻先に雨が当たる。
ファサードは慌てたようにふたりを見た。
「ごめん、雨にぬれちゃうね!急いで帰らなくちゃ!」
少しずつ強くなる雨足に押されるように、ファサードは全力で走り出した――ふたりを雨から守るように身をかがめて。
その様子を静かに見守る存在に、彼らは無論、気付かなかったのだった。
それから数日後。
ファサードは外国から来た物売りから手に入れた綺麗なガラスの瞳を、王女の人形に与え、元のかけらとなった瞳を大事に小瓶に入れた。
「これも、きみのあるじに返さないとね」
あれからふたりの人形は、たくさんのファサードの友達に囲まれて、楽しそうに過ごしていた。
めったに出会うことのない、多くの仲間に触れ、彼女たちは本当に幸福そうだった。
だが、別れもやがてやって来る。
約束の日が来て、王女の人形は彼女の主人の許へと帰ることになった。
『元気でね!』
『また会いましょう!』
『楽しかったぞう!』
口々に別れを惜しむ彼らに、王女の人形は丁寧にお辞儀して、その謝意を示した。
あの日と同じように、両腕にふたりの人形をかかえて、ファサードはまた王城への道を歩いた。
あの時出会った人形にもあるじがいる。
探しに来ているかも知れない、そう思ったファサードは、彼女も連れて行くことにしたのだ。
しかし、行きの道行きには、彼女のあるじは見つからなかった。
王城の謁見の間で、エルファリア王女に会い、王女の人形を手渡した。
「まあ、綺麗な瞳…」
「珍しい舶来の石ですよ。彼女の前の瞳と同じ色だったので…」
「うれしいわ!お母様もどれほどお喜びになるでしょうね!」
子供のようにはしゃぐ王女に、誇らしい気分になりながら、ファサードはひとつお辞儀をした。
「それでは、僕はこれで…」
「ファサード、お礼をお渡ししていないわ」
「そのようなものはいりません。人形のための、僕ですから」
それがファサードの生きる道――ファサードはにっこり笑った。
そんな彼に、王女はひとつの箱を渡した。
彼の体の半分くらいはある、大きな箱だった。
「それでは、それをお礼にしましょう」
開けてみて、と王女は言う。
ファサードが片膝をついて開けると、そこには。
「これは…」
「彼女の衣装よ。女の子ですもの、おしゃれのひとつやふたつ、したいものよ?」
そこには、ありとあらゆる素材で作られた、色とりどりの豪華なドレスやレースの下着、厚手の毛皮のコートに、水牛の皮で出来たブーツまでが入っていた。
『わあ…!』
茶髪の人形の、驚きと喜びの感情がはじけるのをファサードは感じた。
「この前、あなたが帰る時に、お人形を助けるところを見たのです。ちょうど私のお人形と同じくらいの大きさだったようだから、その子のためにしつらえたのよ。彼女のために、受け取って下さいね」
「…ありがとうございます…」
ファサードは噛みしめるようにそうつぶやいた。
愛はそうして、回り回って行くものなのかも知れない。
誰かから誰かの手に、そして、自分の許から、誰かの許へ。
ファサードは綺麗になった茶髪の人形と、その箱を持ち上げた。
「ありがとうございました!」
もう一度、大きな声で王女に礼を言うと、ゆっくりとその広間を去る。
後には、温かい気持ちだけが、そこに残ったのだった。
〜END〜
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