<東京怪談ノベル(シングル)>
純粋な邪悪−Pure Evil−
それはコインの裏と表。
純然たる同一物。
故に、その存在を肯定したいのなら世界を複雑化すればいいし、否定しないのなら単一化すればよい話だ。
陽の光は、白い。
夜が邪とするならば、そのヒカリは聖。
邪に身をやつす存在にとっては、やはり陽の下に立つというのは少々キツイものがある。それでもこうしてわざわざ昼間を選んで歩くのは……何故だろう。同胞にも尋ねられたことがあったが、そのとき自分はどう答えたのだろうか。思い出そうとして、だが眼前に目的地が現れたことにその思考は別のものへと移行させられる。
「……やっと、着いたわ」
黒い衣服に身を包んだトゥクルカは、養蚕都市バームの入口に佇むと誰ともなしに呟いた。見つめる先には賑やかな町並みと、同時に澱んだ生気が共存しているのが肌で感じられる。近年この街では昔から栄えていた養蚕産業を、手工業から機械化への路線変更が議会の中で勧められている。確かに、そちらの方が効率は良い。街の発展を考えるなら、移行は奨励するべきなのだろう。
「最新式の機械よりも、人間の手で作った方が何倍もいい物が作れるんだよ!」
大声で議論をしているのは、対照的な二グループ。
一つは、スーツで身を固めた偉そうな人間達。
もう一つは、その対象的な位置にいる人間達。手工業職人連盟の人間、だ。
当然ながら街が出来る以前からある、手工業職人連盟の人間は抵抗をした。現在進行中で続けられているやりとりを好奇の眼差しを送りながら、トゥクリカは彼らの方へと近付いていく。
「それに、何百年も伝統ある養蚕産業は人の手で伝えていくモノだ!」
……何百年、と形容するほど、この街は養蚕で栄え続けていた訳ではないのにね。
冷静に指摘をしつつ、トゥクルカが彼らの傍らに立つと、無関係の人間に話を聞かれるのが余程気に障ったのだろうか、恐らく議会の人間であろう無駄に威圧的な目をした人間らは、「話は集会で」と言い残し早々に去って行った。残されたトゥクルカと連盟の人間らの間に、気まずい空気が流れる。連盟の人間は軽く二三の言葉を交わして、やはり同じようにそれぞれの赴く方向へと足を向けていった。
「…………」
トゥクルカは耳に心地良い言葉を聴いた。
感情は、彼女らの源である負の感情。
顔を向けると、先程議会へと食って掛かっていた青年から発せられていることが分かる。若い人間にしては珍しく、連盟の一員のようだ。
機械化に伴う利点の一つに、人件費の節約が挙げられる。それと同時に、機械を扱うことによって安い品を大量に売ることも可能だということも挙げられる。学校ではそれらの事項を学んでいるにも関わらず、この街は手工業を推し進めてきた。その矛盾に気付くのは、世界に反抗したがりの若者だと相場は決まっている。理不尽なものや、頭の固いものには従わない。予想出来た結果であると、充分に言えるだろう。そういえば、近年の議会の面々に職人からの出身者はなく、皆優秀な学歴の者ばかりであったと記憶にある。
……つまりは、手工業の“良さ”が閉鎖的に受け継がれていたことが一番の失点なのよね。
「あんな工場……燃えちまえばいいのに」
青年の言う工場とは、議会の計画している機械化の一環で、「バーム第二工場」という何とも安易な名が付いている。第一工場は試験的に稼動しているが、第二工場の整備が終了すると共に仮閉鎖されるという。主なラインを第二で作り、第一は補助的な役割を受け持つという仕組みだ。まだ整備段階とはいえ、議会は第二で生産した養蚕を既に大きな市場に売り始めては土台を作り始めていた。高価で有名なバーム織が、地元の人間でも買える値になったのだ。その点に関しては、不服を言うものはいない。
トゥクルカは、暫し考えに耽った。それは無限の内から答えを導くための思考ではなく、自身に最大の利をもたらす有限の選択肢を選び取るものであった。
答えは簡単だ。
青年の言に従い、工場を燃やせばいい。それだけの話に過ぎない。
……もっと嘆きを、悲しみを集めるの……。
トゥクルカの顔に、笑みがこぼれる。
単純な定理を導くだけの力を、彼女は軽く有していたのだ。
焔は全てを呑み込む。
命アルモノ、命ナイモノ。
――大切なもの、と呼ばれるモノ。
轟々と燃える焔の前で、肌を少しだけ焼け焦がした人々が逃げ惑う姿を顔の奥で笑いながら、トゥクルカは風景を眺め続けた。怒号が響き渡るのも構わずに、半分の人間は言葉を放ち続け、対照的に半分の人間は言葉を失っていた。トゥクルカは後者の振りをしながら、燃える工場を視界に納めている。
魔術、それも炎を操るのはトゥクルカの得手とするところだった。
少し炎の具合が低かったのかのかも、と片隅で考えながら、空は赤く染まっていくのを視界に納める。夜空の端はまだ青いが、それすらも次第に侵食されてしまうような錯覚も受ける。
「違う! 俺じゃねえって!」
声は、響いた。
「俺は……俺はっ!」
昼間に出会った青年だ。どうらやトゥクルカが魔術を行使している丁度その最中に、彼は通りかかってしまったのだろう。それがこの放火の容疑者にされる一因とされた、と。そういうことなのだろう。つくづく不幸な男だと苦笑しながら、トゥクルカは細い手で彼を指差した。
「トゥクルカ、見たの。この人が火をつけるトコ」
突然の声に、疑問はトゥクルカへは向けられなかった。その矛先は全て青年の方へと向けられる。
燃やした動機?
――明確だ。
炎が出たときのアリバイ?
――皆無。それも二つの証言によって、裏付けまでされてしまっている。
揉み消すだけの力?
――あればこの問題はもっと以前に、根本的に解決している。
青年の運命?
――ここの法令がどうなっているのかは知らないが、あまり良い最期は迎えられないだろうね。
一通りの詰問すらされぬまま、青年は警邏の人間にどこぞやへ連れて行かれる。証言台に立たせようとしているのか。トゥクルカを探す視線があちこちを駆け巡るが、時は既に遅すぎた。
トゥクルカはまるで初めから存在していなかったかのように、姿を消していた。
彼女には、もうこの街に留まる理由が存在しなくなってしまったのだ。
嘆きと哀しみ、悪意や憎しみは、もう充分に満たされたのだから。
月は白い光を放つ。
ヒカリが白いモノだと知ったのは、比較的最近のことだ。それまでは育った月の色である、紅いモノだと思っていた。どうにもこうにも、まだこの色には慣れない。色だけのせいではないだろうが、妙に落ち着かないのと同時に、妙に穏やかな気持ちになる。
「……やっぱり、馴染めないかしら」
馴染みたいのかと問う声がどこからか聞こえる。トゥクルカは曖昧な笑みを浮かべて、漆黒の闇の中へと再び身をうずめた。
闇に溶け、闇になる。
闇に同化して、世界は闇になる。
トゥクルカは小さく微笑んで、僅かに感じられた負の感情へと足を向けたのだった。
【END】
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