<東京怪談ノベル(シングル)>


風が泣く


 ――あぁ、嫌な感じだ。
 最初に思ったのは、その風だった。
 ウォズの出現に居合わせた者が次々と行方不明になる事件。病院の手が空き、なんとなく事件の行方を調べていた時に肌を撫でた一陣の風。
 やたらと乾いたそれにオーマは覚えがあった。
 もう数十年前に己の手で起こした、あの風と同じ匂い。――一大陸消失。
 そうして。
 ウォズが現れるたび、人が消えるたび、必ず姿を見せる一人の男。

 その男と対峙したのは、街の残像だけが残る枯れ果てた大地の上だった。

 強大なウォズの爪あとを残した大地に、その男は弱々しく座り込み、遠くを見つめていた。
 時折風に煽られ飛んでくる紙片のようなものは、ほんの少し前までこの街が『街』というものであったのだと知る。
 骨に皮だけがくっついたような、恐らく外見の年齢からすれば酷く老いたように見えるその男は、ゆっくりと振り返る。首に見えるタトゥはヴァンサーの証。痩せた頬が痛々しい。
 ニヤリと男が口端だけで笑ったので、彼は――オーマは、思わず顔の筋肉を引きつらせた。
「屠らず。――そんなものでこの世界が救われるというのか。ねぇ、旦那」
「何?」
「ウォズはこの世から消さねばならない。絶対に。封印なんて甘い話だ、そうだろう? そうさ。ウォズに屠られたものもまた――消してしまわねばならない」
 やはり、そうだ。この都市をウォズごと封印したのは、このヴァンサーだ。
 核心に近い視線を向けていると、男がゆっくりと目を逸らした。枯れ果てた大地をぼんやりと見つめていた。
「旦那」
 何も無いここでは、男の声はやたらと通る。
 赤い瞳をやんわりと細めオーマは男の背を見つめた。小さく華奢なその背は身体にかなりの負担を負っていると分かる。
「ここで何があったのか教えてやろう。旦那も、ヴァンサーなら知っておくべきだ」
 歪んだ笑みで口にしたのか、くぐもった笑い声と共に吐かれた言葉にオーマはただ拳を握っていた。
 ――あぁ、嫌な感じだ。
 肌を撫でる乾いた風に、知らず嫌悪感を覚えていた。

 ◇

「両親がウォズに殺された」
 ぽつりと男が呟いたそれは、どうにかオーマの耳へと届く程度。だからオーマは逃すまいと耳を澄ませた。
「旦那も知ってるだろ? ウォズにとってのキーは『想い』だってさ。
 両親はね、ウォズの腐った思念に呑まれて、狂って死んだんだ」
 ――男は言う。だからそのウォズを葬ったんだと。だから封印なんて甘い方法にしなかったんだと。
 男の腕が風を凪ぐように横へと伸びた。骨と皮だけの指先から、あれは爪だろうか、爪がグンと伸びる。
「お前……!」
「でも旦那、これは知らなかっただろう。
 ウォズに呑まれても、ヴァンサーとして生きながらえてるヤツもいるって――!」
 伸びた爪は振り向きざまに風を起こし、オーマの頬を僅か掠めた。

 ヒュウ、と風が鳴る。枯れ果てた大地に男が2人立っている。ぽたりと落ちる赤。オーマの血。眼前の男は僅かのところで自我を保って、今にも風に吹かれそうな身体を思念だけで支えている。

「はははは! ウォズでありながらヴァンサーだってさ、笑っちゃうよね。結局どっち付かずだ!」
 間合いをつめた男が狂ったように口にしながらオーマに切りかかった。ドクンとオーマのタトゥが疼く、爪先を避けながら巨大な銃を具現する。
「ウォズを屠って、オレもまたウォズに呑まれた!
 それでもなぜかヴァンサーとして生きながらえて……だから決めたんだ、両親を殺したウォズをこの手で全部滅してやるって!」
 声を聞き、オーマは後ろへと数歩下がる。頭の上を通る爪をしゃがんで避け、撃つのではなく銃身で殴るように男の足を狙った。凪いだのは風。その重量に相応しいゴゥという音を立てて、男の足を掠めるにとどまる。
「……ッ、確かにお前が封印した強大なウォズは危険因子だっただろうよ。でもなぁ! 都市まで封印する必要がどこに――!」
「この街はもう病んでいた。ウォズに悪しき思念を埋め込まれた人間は病んでいく。狂っていく。その光景がどれだけ無残か知ってるかい!?」
「何か――何か、方法があったはずだ!」
「方法? ――だからヴァンサーには『絶対法律』が存在する!」
 響く攻防の音がピタリと止んだ。
 オーマの銃が男の額を捉えた。男は、まるで最初に見た時のようにニヤリと笑みを浮かべていた。
 
 風が鳴る。――まるで、泣いている人の群れのような音がする。

「どうしてウォズに屠られた者まで封印する必要があると思う? ……悪しき思念を埋め込まれたモノ達を、放っておけないからだよ」
「――」
「オレはウォズを屠った。そうして、ウォズに屠られた人間を封印した。狂っていく様は酷いものだ。だからオレが封印した。封印して封印して――」
 向けられた銃をどこか愛しげに眺めて。男は自らの首を撫でた。タトゥのある位置だった。
「ウォズと『想い』は密接だ。
 この身体に封印した人々の生きたいという想いは、オレには害でしかなかった。ウォズとしての破壊衝動。ヴァンサーとしての心情。
 体が拒絶反応を起こした。
 ――そうさ、この都市に出現した強大なウォズは、オレだよ」
 しかし封印されてもなお人々の想いは強く、ウォズとしての男の悪しき思念は解き放たれた。街中に散らばった――そして。『悪意』による感染病の蔓延。表面上に病としてでらずとも、人々の心に巣くうそれは犯罪を増やす。
「どのみち、この街はもう狂ってた。『悪意』に『感染』してたんだ。
 だから、街も人も、ウォズの悪しき思念も、なにもかも封印してやったのさ」
「――お前は、どうなるんだ」
 銃を下ろさないままにオーマは口にする。
 眼前の男は微動だにしない。浮かべた笑みもそのままに、己を愛しむようにタトゥを撫でていた掌は乾いた大地に力なく落ちた。
「『強大なウォズの悪しき思念』は街と一緒に封印した――それでも、オレはウォズだ。そうして……ヴァンサーだ。旦那と同じ」
 男の首に見えるヴァンサーの印が、弱々しく光っているように見える。もちろんそれは、ただの気のせいだろうけれど。
「……旦那もヴァンサーだ。でも、ウォズじゃないって保証はあるのかい?」
「なんだと?」
「ウォズとヴァンサーは切っても切れない。もしかしたら元は同じものかもしれない。だったらどうする? 旦那だってきっと、自分を憎いと――」
「残念ながら、ウォズであろうと人間であろうと関係ねぇのよ。
 俺は俺の思う通りにするだけ。この手に増えた大事なもんを誰にも汚させやしねぇって、そんだけだ」
 言葉を遮って口にしたオーマに、男は力なく吐き出すような笑みを漏らした。
「……いいね。オレもそうやって自分を信じていればよかった」
 ウォズに堕ちた自分への疑い。
 ヴァンサーであった自分への焦燥。
 負の感情が呼び起こした感染病の蔓延。そして須らく起こさねばならなかった――人々の命、都市の封印。
「オレは今、ヴァンサーだろうか。ウォズだろうか」
「てめぇのことぐらいてめぇで分かるだろ。――どっちに、なりてぇんだよ」
「……どっちでもいいか」
 卑しく笑っていた男の顔が、初めて柔らかく微笑んだ。
 全てから解放されたようなその表情の後、すぐに倒れた男に、彼もまた『悪意』と言う名の感染病に侵されていたのだと知って――オーマは漸く銃を下ろした。
 枯れた大地、足元に朽ちた男の身体をそのままに、オーマはゆるりと歩き出す。
 せめて。せめて彼が彼自身の力で朽ちてゆけるのなら、そのままにしてやろうと思った。
 ヴァンサーとして、逝けるのなら。

 ヒュウと音を立てて、風がオーマの頬を撫でる。男に傷つけられたそこが今頃になって疼きだして、やるせない気持ちに「クソ」とだけ呟いた。
 彼の呟きは乾いた大地の香りに攫われ、そして残るは唯一つ。

 ――風の、泣き声。


- 了 -