<東京怪談ノベル(シングル)>


風は思わぬところから 

 聖都エルザード、アルマ通り、白山羊亭。
「あ、カーディさん、いらっしゃーい」
 扉を開けるとすぐに、ルディアの元気な声が出迎えてくれる。
「こんにちは」
 カーディは笑みを返すと、カウンターの前の席に座った。おいしい料理で評判の白山羊亭も、さすがに昼食時を過ぎた今の時間は客の姿もあまり見られない。ルディアも今は手が空いているらしく、カーディと向かい合うように腰掛けた。もっとも、カーディもそれを狙ってこの時間に来ているのだが。
「カーディさんのおかげで、サンナの刺身が出せるようになったんです。料理長がイベントっぽくする、って言うんで月に2回ですけど……。カーディさんもよろしければまた食べに来て下さいね」
 にこりと笑ったルディアの言葉で先日の刺身の味を思い出せば、カーディの頭にはさあっとお花畑が広がり始めた。なにしろ郷里では生魚なんてめったに食べられなかったのだ。あのとろけるような味ときたら……。
「ところで、今日はお仕事ですか?」
 お花畑にチョウチョが飛んでくる寸前、ルディアの声で我に返ったカーディは、慌てて頭を振り、お花畑を向こうへと追いやった。今日は大事な用事があってきたのだ。お花畑に寝転んでいる場合ではない。
「今日はね、マーケティングにきたの。やっぱり積極的に売り込まないと、魔石、あんまり買ってもらえないかもって思って」
 まだ油断すればだらんと垂れそうなひげを引き締め、カーディは切り出した。
 先日の一件で思わぬところから商談が入ったのは良かったのだが、それは同時に、それまで魔石の需要を見逃していたということだ。
 前のように酒場で依頼を待つのも良いけれど、いつも依頼があるとは限らない。そう思えば、普段使いに近い魔石を買ってくれるお客さんはどうやって見つければ良いのだろう、という疑問がふと湧いてきたのだ。
 アルバイト先の雑貨店の店主である老人に相談してみたところ、いつもは無口な老人が、聖都に初めて店を構えた若い頃の苦労話を交えて、実に熱っぽく商売について語ってくれた。マーケティングなる言葉も、実はこの老人に教えてもらったのだ。
「でね、ちょっとこれ見て欲しいんだけど」
 軽く身を乗り出したルディアの前に、カーディは魔石を並べていった。
「まず、これが『涼風』、で、辺りを夜にする『月光』、蝋燭の代わりに使えるけど、燃え移らないし煤も出ない『灯火』、あとは、一定の閉鎖空間を冷たく保つ『保冷』とあったかく保つ『保温』。」
 老人から教えてもらった、商売の心得その1。それは「需要をつかめ」。
 何が求められているのかを調べることはもちろんのことだが、時には需要を「作り出す」ことも大切になってくる。新しく商売を始めようとする段階では、一見、需要と供給の流れはできあがっているように見える。
 そこに割り込もうとするのだから、新しい需要を見いださなければならない。今までになかったもので、誰も気付かなかったけれど、本当は「必要」だったもの。それを見つけ出せれば大ヒットになる、と老人は燃え立つような熱い瞳で教えてくれた。
 そこで、カーディなりに、需要のありそうな魔石を考えて持って来たのだ。
「『灯火』の効果は一日、『保温』と『保冷』は一週間。どこかこういうの、欲しそうなとことかないかな? 『保冷』と『保温』は食材とか料理とか保存するのに向いていると思うんだけど……」
 カーディは軽く首を傾げてルディアを見つめた。実に、『保冷』と『保温』は前回、魚を新鮮なままで運搬するために『涼風』が使われたのをヒントに開発したのだ。
 『涼風』をより「冷やす」ことに特化した『保冷』があれば、食材を新鮮なまま保存できるし、『保温』があれば、今みたいに客の少ない時間に料理を作っておいても、温かいまま客に出すことができる。どちらも、属性が2つと比較的単純だから、より安い値段で供給できるし、料理店での需要を見込めるのではないだろうか。
「そうですねぇ……」
 カーディの熱い視線を浴びながら、ルディアは軽く首を傾げた。
「ルディアがどう、って言える立場じゃないんですけど、それでも今のところ、食材には貯蔵庫がありますし……。料理もできたてをお出しするのがお店の売りの1つですし……。ちょっと……」
 案の定、というべきか、ルディアの返事は煮え切らないものだった。
 けれど、ここで引き下がってはいけない。老人に教えてもらった心得その2。「先行投資を惜しむな」。
 それを必要としている人でも、その需要に気付いていないことはままある。需要を作り出すためには、実際に使って体験してもらうのが一番だ。そして、便利なものは一度使いだすとやめられなくなる。だから、最初は無償で商品を提供するぐらいの行動は必要なのだ。前回だって、カーディの気付かないうちにであったが、実際に試してもらったことが取引へと繋がったのだから。
「そんなこと言わずに、ちょっと使ってみてよ、お金いらないから。使い心地とか聞かせてくれると嬉しいし。だからこれ、置いて行くね」
 それに、ルディアなら使い心地をつぶさに教えてくれるだろう。たとえ白山羊亭で採用されなくても、他の料理店に持ち込む参考になるに違いない。戸惑い気味なルディアに半ば強引に使い方を教え、カーディは白山羊亭を後にした。

 次にカーディが向かったのは港だった。前回の経験から、冷やす魔石は漁師にも需要があるかもしれないとふんだのだ。
 ちょうど漁も、続いて行われる市も終わり、港では漁師たちが網の手入れをしながらのんびりと話に花を咲かせていた。カーディが声をかけると、快く話の輪に加えてくれる。
「……で、こういうの作ってみたんだけど。お魚さん保存するのに向いてると思うんだけど、どう?」
 『保冷』を見せて説明すると、漁師たちは興味深そうに魔石に見入ったものの、それは「魔石」に対する興味だけだったらしい。
「そうは言ってもなぁ……。港までは網にかけたまま海の中を引いてくるから生きとるし、市ではその日の分はほとんど売れるしなぁ」
「海に出っぱなしにするにも、わしらの食いもん乗せるだけの場所が船にないからな、とれた魚を自分らで食うてしまうわ」
「そっかぁ……」
 カーディは思わず肩を落とした。自慢の尻尾も勢いを失って垂れ下がる。
「まあそんな気ぃ落とさんと。またええの思いついたら持ってきてや」
 豪快な海の男は、気は好いが、細かいことには無頓着だ。カーディの肩をばんばんと叩きながら、がはは、と笑い飛ばした。

「うーん、やっぱり需要を読むのって難しいなぁ……」
 夕方、自宅へと戻ったカーディはベッドにごろりと転がった。港の後は雑貨屋に行って『灯火』について意見を聞いてみたのだが、やはりあまり芳しい答えは返ってこなかった。お年寄りや病人にとっては安全だし便利だろうけれど、そういった人たちが魔石を買えるかとなると話は難しくなってくる、というのだ。
 魔石も一通り作った上に、一日歩き回ったのだから、疲れもどっとあふれてくる。 
「結構いけると思ったんだけどなぁ……」
 カーディは再び溜息をついた。前回の経験を踏まえ、漁師や料理人の需要を当て込んだのだが、やはりその仕事に深く関わっていないと本当に必要な者は正しく読めないのかもしれない。
「今日はもう寝よう……」
 明日はもう一度白山羊亭に行って、ルディアにいろいろ聞いてみようと思いながら、カーディは目を閉じた。
「……それにしても、やっぱり暑いよ……」
 今夜も寝苦しくなりそうだ。

「あ、いらっしゃーい、カーディさん」
 翌日、白山羊亭の扉を開けるとすぐ、ルディアが明るい声を投げてくれた。
「カーディさん、昨日の魔石ね、使わせてもらったんです」
 カーディが挨拶の言葉を口にするより早く、ルディアが嬉しそうに続ける。
「えっ、本当!? で、どうだった?」
 ルディアの口調からして、何か期待が持てそうな気がする。にわかに耳も尻尾もぴん、と立て、カーディはカウンターに手をついて身を乗り出した。
「昨日、西の街から若い男の人がいらしたんです。その人のお母さんがもうお年で先も短くて……」
 トレイを抱えたまま、ルディアは話を続けた。
 何だか予想外の方向に話が流れていくような気がする。ここからどう昨日の魔石につながってくるのかわかりにくい気もしたが、カーディはとりあえず話を聞くべく、カウンター席に腰を下ろした。
「で、以前聖都で食べたうちのスープを死ぬ前にもう一度食べたいって口癖のように言ってたらしいんですけど、何せ住んでるところがここから歩いて一日はかかりますから……」
 ここまでくると話はだいたい見えてきた。
「で、昨日カーディさんに頂いた魔石と一緒にスープを持って帰ってもらったんです。その人、とっても喜んでましたよ。ルディアも、そこまでここのスープが好きな人に飲んでもらえそうで、嬉しいです。これもカーディさんのおかげです。本当にありがとうございました」
「い、いえ、どうしたしまして……」
 にこにこと、そしてしんみりと話し終えたルディアに、カーディはようやくそれだけを答えた。
 もちろん、魔石が誰かの役に立って、喜んでもらえるのは嬉しいが、マーケティングとしては失敗だ。これだと次の需要が見込めないし、使い心地も聞けない。
 こんなに頑張ったのになぁ……と心の中だけで溜息をつく。
 けれど、とカーディの頭の中で、老人の声が響いた。ここでくじけてはいけない。商売の心得その3、「失敗から学べ」。
 うまく商談に結びつかなかったケースでも、次のヒントが隠されていることが多い。これを見つけられるかどうかが、大きな分かれ道になってくる。
 今回だと……、とカーディは考えを巡らせた。どうも、ただ保温ができるということよりも、温度を保ったまま持ち運びができる、ということを売りにした方がよさそうだ。ということは、行商人や運び屋、あるいは売り先を広げたい商人あたりをあたれば良いかもしれない。
 そう思いついたら、いつもの元気も戻って来て、自慢の尻尾も頭の上でゆらゆら揺れる。
「あ、そうそう、カーディさん」
 ルディアが今思い出した、というように口を開いた。
「そういえば昨晩、漁師さんたちが来た時に、カーディさんの話したんです。そしたら、『灯火』を見たいって言ってましたよ。水につけても明かりが消えないなら漁にも使えるかも、って。何でも明かりを目指して集まってくる魚がいるそうなんです」
「ええっ、本当っ!?」
 再びカーディの耳と尻尾は、ぴん、と突っ立った。またも需要は思わぬところから降って来た。胸は高鳴るけれど、嬉しいやら、驚くやら、ちょっと悔しいやら、なんだか複雑な気持ちだ。
 商売の心得その4。「縁は異なもの味なもの」。
 どんなに周到に予測したつもりでも、風は思わぬところから吹いてくることの方が実は多い。
 でも、それも自分から動き回ってこそ。やっぱりマーケティングは大切だよね、つくづく実感したカーディだった。

<了>