<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


例えばこんな物語


 最近白山羊亭には毎日のように1人のお客がやってくる。
 彼は、店内全てを見渡せるようなカウンターの椅子に座り、ウェイトレスのルディアに無邪気に話しかける。
 彼の名はコール。
 この世界に始めて降り立った際に、凍るように冷たい瞳をしていると誰かに言われてから、そう名乗るようになった。いわゆる記憶喪失である。
 年の頃20代中ごろといった風貌なのだが、記憶をなくしてしまった反動か、どこかその性格は幼い。
 服装も、頭に乱雑に―だがかっこ悪いというわけではなく―ターバンを巻いて、布の端々から銀の髪を見ることが出来た。
 どこかエルフを思わせる青年は、店内をぐるりと見回し、ルディアにこう告げる。
「新しい物語を考えたんだ。そうだなぁ主役は、あの人」
 ソーン探索から戻り、一息つくために訪れた白山羊亭の入り口でいきなり指を差され、シグルマは一瞬瞳を大きくしコールに向けて視線を向けた。


【アネモネの城主】

 遠き土地、アネモネの地に4本の腕を持つ。シグルマという名の城主が居た。
 時は戦乱の世。
 数々の国や領主がぶつかり合い、そして消えていく。
 このアネモネの領土も例外ではなく、シグルマも他の領主を滅ぼしつつ領土を広げ、そして大きくなった領土を守っていた。
「シグルマ様?」
 城の城壁からただ自分の領土を見つめるシグルマに、語りかける美しい女性。
 シグルマよりも幾分も低い位置にある女性の顔が、瞳を瞬かせ首をかしげた。
 この、綺麗な金の髪を持った儚げな面持ちの女性は、抱きしめたら壊れてしまいそうなほどの繊細さを併せ持ち、屈強なシグルマと並んでいる様を見かけた部下からは美女と野獣だと言われたものだ。
 本当ならば、自らの主を野獣だと言ってしまうこの言葉は、城主を侮辱した罪として切られていてもおかしくは無いのだが、このアネモネの町の人々や兵士に至るまで、そしてシグルマも親しみを込めて名を呼び、そして楽しみあった。
 いつだったか、シグルマが街の酒場で部下である兵士達と夜通し飲み明かし、この美しい奥方様に正座で怒られる様子さえも、この城主夫婦は街の人々に隠す事さえしなかった気がする。
 それほどまでも、街全体がまるで家族のような領土だった。
「義兄上の領土を見ていたのだ」
 そっと寄り添う奥方にシグルマは疑問の瞳に答えるように話す。
 今やこの国の1/6は手に入れたであろう、広くなったアネモネの領土の隣、今やその名を知らぬものは居ないとさえされる城主が治めている土地がある。それが、シグルマの奥方の故郷。
 奥方がこのアネモネの地に訪れたのだって、本当は政略結婚のようなものだった。条件の元、顔も知らぬ姫など興味も何もなかったシグルマだったが、この奥方の顔を見、そして人柄をしるなり、二人は誰もが見ても分かるほど愛し合い、そして穏やかな夫婦になった。
「わたくしには、お兄様の考えが分かりません」
 高い城壁の上、その長い髪を風に遊ばせ、奥方が小さくシグルマに呟いた。
 確かに奥方がこの地に嫁いできた当時は、勢力的にシグルマを城主とするアネモネの領土は頭角を見せ始め、ちょうどその頃、アネモネと義兄の領土の間にある領主と小競り合いをしていた義兄は、この婚姻によって協力関係を築くという条約を交わした。
 それが今は、この国の王を傀儡として実権を握ろうとしている。そちらからの条件として差し出した奥方の存在を無視して、いつか此処に攻め入るのではないかとさえ噂された。
「義兄上は、約束を違えはせぬ」
 たとえ、それがどのような状況下の出来事であろうとも―――騎士として、戦士として、誓いを破るというその卑怯とも言えるような行動はしないだろうと、シグルマは思っていた。
 街の民に愛され、そしてこの地を愛してくれている奥方が、例え何時か敵となるかもしれない領主の妹であれど、切り捨てるなど考えられない。
 願わくば、この誓い…条約が永遠に続く事を祈るばかり。
 落ちる夕陽が、奥方の金の髪を橙に染め上げていき、シグルマはそっとその小さな肩を抱き寄せた。



 だが、願いというものが一番脆く、そして儚い。
 義兄はアネモネの地に隣接するシグルマにとって恩義のある領主の土地へと進軍を開始した。
「なぜだ義兄上!!」
 奥方と結婚するとき、共に手を組んで欲しいと頼んだのは義兄の方。そして、シグルマにとって最大の恩義のある隣の領主の土地に攻め入らないというのが条件だった。
 そう、自らの妹を人質として差し出したのに、この裏切りは、もう義兄はこの奥方の事など忘れてしまったのか。

 いや――――

 誰もが羨むほどの仲の良い夫婦となっていたからこそ、義兄はかの地へ攻め入ってきたのかもしれない。
 この時代において、敵方の血を引く人間を生かしておくという事は、内部にスパイを生かしておくのと同じ。
 シグルマが奥方をその手にかける事が出来ないと踏んで、義兄は隣領へと進軍を開始したのだった。
 シグルマはただ決断を迫られる。

 奥方の兄上を取るか、はたや恩義のある隣の領主を取るか……

「シグルマよ…」
 今や一線を退いた父が、シグルマに隣の領主への恩義を忘れてはいけないと強く説き伏せる。
 そして、シグルマは条約を破りかの領土へと進軍を開始した義兄を打ち返さんべく、兵の準備を開始した。
(シグルマ様……)
 その光景を、ただぎゅっと手を組み見ていた奥方。
 最愛の人と兄が戦う。
 それだけは、見たくない――――



 シグルマが自分ではなく、攻め入った領土の領主についたことを知った義兄は、いったん兵を引きはしたものの、その怒りは頂点に達していた。
 先に条約を破ったのは自分であるにも関わらず、義兄はアネモネの地にシグルマの首を取るために、倍の兵力を持って進軍を開始した。
 この戦いは圧倒的に此方が不利の戦。勝てる見込みは万に一つも無い。
「シグルマ様!」
 城の中を小さな靴音を立てて奥方が走る。
 最後の城壁が崩されれば、この国は義兄の手に落ちる。
 最後までシグルマと共に居る事を選んだ場合、例え実の妹であろうとも奥方もあの義兄に殺されるだろう。
 それくらいならば、この城から逃がしてしまえばいい。
「お前はこの城から早く逃げろ。一緒に死ぬ事は無い」
「嫌です!わたくしもご一緒します」
 そう言ってくれる奥方の言葉がとても嬉しい、だがシグルマはぐっと奥歯を噛み、隠し扉の戸を開ける。
「お前は生きるんだ」
 城の外へと通じる隠し通路の方へ、奥方の肩を軽く押す。
「ぁ!」
 隠し通路の中へ倒れこんだ奥方を確認し、シグルマはその扉を閉めた。
 扉の奥から、名を呼ぶ声と、叩く音が聞こえる。
 シグルマはふっと一瞬微笑むと、城中を見回し叫んだ。
「敵に背中は見せるなよ!」



 奥方は走った。
 今兄を止めれば、この地の人々が、シグルマが、死ぬ事は無いかもしれない。
 慣れない走りに何度も転びながら、奥方は城から離れた場所にある捨てられた洞窟から外へと出た。
 背中がやけに赤く、そして熱い事にゆっくりと振り返る。
「あ…あぁ、ああああ!!!」
 その瞳に映ったのは、炎上するアネモネの城。


 奥方は上手く地上へと出られただろうか。
 炎と、そして敵兵に包まれる城の中で、シグルマはふと考える。
「敵に首をやるくらいなら、自害したほうがマシだ!」
 にっと微笑み、シグルマは自分の腹に剣を突き刺すと、自ら炎の中へと走る。
 そして城主の死をもって、この日、この国からアネモネという領土は無くなったのだった。



終わり。(※この話はフィクションです)

























「うーん……」
 話を終えて、コールは1人唸る。
「悲劇になっちゃった…かなぁ」
 城主とその奥方という儚い恋の物語。
 主役を張ったはずのシグルマはただ、その物語を肴に酒を静かに煽っていた。






☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【0812】
シグルマ(29歳・男性)
戦士


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆

 例えばこんな物語にご参加ありがとうございます。ライターの紺碧 乃空です。戦国時代には疎く、ご指定に完全に添えたのかどうかは分かりませんが、これが僕なりの浅井長政ファンタジーバージョンです。お子が居ないのは人数過多を防ぐためですのでご了承くださいませ。
 ソーンには個室がありませんのでクリエーターショップの方にて詳細を載せさせて頂いています。
http://omc.terranetz.jp/creators_room/room_view.cgi?ROOMID=1320

 それではまた、シグルマ様に出会える事を祈りつつ……