<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


例えばこんな物語


 最近白山羊亭には毎日のように1人のお客がやってくる。
 彼は、店内全てを見渡せるようなカウンターの椅子に座り、ウェイトレスのルディアに無邪気に話しかける。
 彼の名はコール。
 この世界に始めて降り立った際に、凍るように冷たい瞳をしていると誰かに言われてから、そう名乗るようになった。いわゆる記憶喪失である。
 年の頃20代中ごろといった風貌なのだが、記憶をなくしてしまった反動か、どこかその性格は幼い。
 服装も、頭に乱雑に―だがかっこ悪いというわけではなく―ターバンを巻いて、布の端々から銀の髪を見ることが出来た。
 どこかエルフを思わせる青年は、店内をぐるりと見回し、ルディアにこう告げる。
「新しい物語を考えたんだ。そうだなぁ主役は、あの人」
 指を差されたことに、ことりと傾けたグラスを持つ手を止めて、フィセル・クゥ・レイシズは視線だけをふとコールへと向けた。


【リアトリスの魔石】

 リアトリス。
 それは誰の心をも狂わす魅惑の宝石。
 しかし、手にしたものには絶大なる力を与える魔力の結晶。

 フィセルは今、そんなリアトリスを前にしてただ唸っていた。
 魅惑の宝石、魔力の結晶とも、噂が噂を呼んだに過ぎない名称だとばかり思っていたからだ。
 だが、今フィセルの前にもたらされたリアトリスは、明らかに魔の力をその内から放ち、手にしたならばフィセルさえも食いつくさんとばかりに禍々しき気を向ける。

 正直、ウザいと思った。
 なぜならば、

『聞こえてるくせに、つまんない人ね』

 フィセルに耳に届く女性的な声。
 今この場所にはフォセルしかない。魔法で声を飛ばしているわけでも、幻聴でもない。これはフィセルの耳にだけ届き、フィセルにだけ話しかけている、リアトリスの魔石の―――声。
 フィセルは聞かなかったふりをして、次の作業に取り掛かる。
 このリアトリスを魔石から普通の碧玉へと変える事ができれば、高値で売れる事だろう。
 幾つか魔石を扱ったことのあるフィセルだったが、本物…(は、幾らでもあったが)意思を持った石など初めてだ。
 いや、ギャグでもなんでもなく。本気で。
 今までどおり、魔石から負の力となる魔力を取り出すための道具をゆっくりと点検する。

 カップ、剣、杖、そしてコイン。

 小さな正方形のビロードの布の上、四方にコインを並べ、その前に置かれている祭壇のカップに聖水を注ぐと、右手の剣、左手に杖を手にする。
『あたしを封印するの?』
 石の内にその力を閉じ込める。だが、フィセルはそんな生ぬるい事をするつもりは無かった。
 声を漏らすことなくふっと肩で笑って、高みから布の中央に置かれたリアトリスを見下ろした。
『あ、笑ったわね。失礼ね』
 どこか怒ったようなその声に、フィセルはその口元を綺麗な弓形月の形に歪めた。
「Liatris」
 フィセルはその名を唇に乗せる。
 四方に置いたコインを基点としてビロードの布の上に魔方陣が浮かび上がる。
『やれるなら、やってみればいいわ。封魔師は貴方だけじゃないのよ』
 魔方陣の光の中、リアトリスはふんっと息を吐き出す。
 今まで数々の封魔師がこの魔石に挑み、屈してきた。だからこそ今フィセルの前にあるリアトリスの魔石。
「なぜ、私の元に来たのか、その身で知るだろう」
 余りの魔力に出来るはずがないと高を括っているリアトリスに、フィセルはこれ見よがしにニッコリと微笑む。
『ふん、どうせ無理よ。意思を持った意味を貴方は分かってない』
 リアトリスという魅惑の宝石が持ってしまった心を惑わす魔力が意思を持つまでに至ったと思っていたフィセルは、このリアトリスの言葉にピクっと眉を寄せ紡ぐ呪文を止める。
「どういう事だ?」
 ビロードの布の上に浮かび上がっていた魔方陣が徐々に消えうせる。
『人の感情を人が消せると思う?』
 魔石はその碧の映る光を巧みに変えて、まるで本当に声に反応しているかのように色を微かに変えていく。
「だがあなたは人じゃないだろう」
 フィセルの言葉に、リアトリスは『頭が固い人ね』とふんっと息を吐き出したように聞こえた。
「あなたから禍々しい魔力を感じるのは事実だ」
 そう、人を力を喰いつくさんばかりの貪欲な力の波動。それがこの魔石からは絶え間なく発せられている。
『ずっと無視してたくせに』
 リアトリスの魔石は、この場所にフィセルの元にもたらされてからずっと話しかけてきていた。
 だが、魔力を持つ事はあっても意思を持つ事などありえないと思っていた為に、フィセルは尽くその言葉を無視し続けたのだ。
「臨機応変という言葉を知っているか?」
 まるで屁理屈とも取れるような言葉を吐いて、フィセルは剣と杖を壁に立てかけるとビロード布の前で肩膝を付いた。
『でもいいわ。あたしの声を聞けるくらいレベルの高い封魔師も貴方だけみたいだし』
 何処か諦めたようなリアトリスの声に、フィセルはなにやら考え込むように天上を仰ぎ、そしてまたリアトリスに視線を落とす。
「あなたは石のままで居たいのか?」
『どういう意味?』
 自らで考える意思を持ってしまったのに、こんな足も手もなく動かしてもらう事しか出来ない無機物の器でもいいのか? と。
『そんな夢物語、考えた事―――』
「出来ると言ったら?」
 ツンと突き放した様な言葉を遮るように、フィセルの言葉が上から被さる。
 意思も魔力もなくなれば、これはただの宝石。
 フィセルの目的は後にも先にも純度の高いこの碧玉を手に入れる事。その為に障壁になるであろうモノは、なんであろうとも排除する。
『そりゃぁ、あたしだって瞳くらいは欲しいって思うわ』
 せっかく何かに感動できるようになったのだ。それを味わいたい。
「分かった」
 フィセルはニッと笑うと、四方のコインを祭壇の上に置き、ビロードの布の両端を持ってリアトリスの魔石を持ち上げる。
 放つ魔力と手にした意思が比例していなくても、そのまま手にすれば危険な事に変わりない。
 フィセルは新しく引きなおした金縁のベルベットの布の上にゴロンとリアトリスを転がす。
 背後から『もっと丁寧に扱ってよ!』等の文句が聞こえてきたが、フィセルはそんな声は完全に無視して儀式用の剣と杖を別のものへと持ち替える。
 そして、棚の上から1つのパペットを手にすると、そのパペットを起点として5芒星を描くようにコインを置いていく。
 そして、呪文を唱えた。



「人間の姿も悪くないわね」
 フィセルの魔法によって擬似的に人の容を持ったリアトリス。
 その姿は、碧の髪、碧の瞳の美しい女性となった。
「どうして、あたしにこんなにしてくれたの?」
 意思を移し変え、ましてやそれを生きる者として活性化させるなど並大抵の封魔師……いや、魔法師には出来ない。
「私はこの碧玉が欲しかっただけだが?」
 フィセルは腰を屈めると、ベルベットの布の上で転がる元リアトリスの魔石を持ち上げる。
「欲があるんだか、ないんだか」
 宝石として高い価値のみを残した魔石を見て、リアトリスがやれやれと言わんばかりに息を吐く。
「何処へなりとも好きに行くがいい。恩は感じなくていい」
「ほんと、つまんない人!」
 そんなリアトリスの言葉は無視して、フィセルは早速街の宝石商へと魔石の“封魔”が終ったと連絡を入れたのだった。



終わり。(※この話はフィクションです)




















 人の姿を取っているとはいえエンシエント・ドラゴンである自分がまさかそんな役になるとは思わず、フィセルは一瞬面食らう。
「面白くなかった?」
 首をかしげて問いかけるコールに、フィセルはふっと微笑むと、
「いや、興味深い話だった。ありがとう」
 その言葉に満足そうに微笑むコールを見て、フィセルは自分が座っていたテーブルから立ち上がり、カウンターに移動する。
「その物語の舞台は、あなたの世界か何処かか?」
「うーん、どうだろうね。覚えてないからさ、僕」
 あっけらかんと言ってのけた言葉に、フィセルは一瞬瞳を大きくした。
「それはすまない事を聞いたな」
 気にしないで。と、笑顔で答えたコールに、フィセルは軽く手を上げて新しいグラスをコールに差し出す。
「一話の礼とでも思ってくれ」
「ありがとう」
 高く澄んだ音でグラスとグラスが鳴る音が、静かにカウンターから響いた。





☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【1378】
フィセル・クゥ・レイシズ(22歳・男性)
魔法剣士


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 例えばこんな物語にご参加ありがとうございます。ライターの紺碧 乃空です。
 お話の内容はお任せだったので、宝石に興味があるようなキャラクターにしてみました。むしろちょっとした守銭奴的にも見えなくもないですね(苦笑)。一応クールであるという部分を意識して書かせていただきました。
 ソーンには個室がありませんのでクリエーターショップの方にて詳細を載せさせて頂いています。
http://omc.terranetz.jp/creators_room/room_view.cgi?ROOMID=1320

 それではまた、フィセル様に出会える事を祈りつつ……