<東京怪談ノベル(シングル)>


オーマ・シュバルツのせい

「オーマ・シュバルツのせいだ」
 耳元で声がした。
 全身に怖気が走る。男は歯を噛み締めた。硬直しかけた体を無理に動かし、足を進める。
 気がつけば、よくわからない暗闇に放り込まれていた。男は何故自分がこんな状態なのか、必死で思い出す。
 どうして、こうして必死で逃げているのか。
 仕事の帰りだった。すっかり闇に染まった細道は、ぼんやりと月灯りで土の色が浮きあがり、見るものに心地よさを与えるものだった。酒に酔っていたのもあり、男は上機嫌で娘の顔を思い出しながら歩を進めていた。
 突然だった。
 突然、闇が男を襲ったのだ。
 どこまで続くかわからない空間に放り込まれて、男は無我夢中で背後から追いかけてくるものから身を離そうと足を動かす。しかし、いつまでたっても耳元から荒々しい息遣いは離れない。
「オーマ・シュバルツのせいだ」
 吐息と共に囁かれる言葉。
 男は首を横に振る。
 声音は執拗だ。何度も、何度も、耳元で言葉を囁き続ける。
「今から、貴様が……のは」
 にぃ、と嘲笑される気配。
「オーマ・シュバルツのせいだ」


「俺のせいだとぉ!」
「んな、大声出さないで下さい、オーマさん」
 レストラン・ポワーレにて、オーマの大声が空気を震わせる。喧騒が一瞬ぴたりとやみ、再び元に戻る。オーマは顔をしかめた店長を凝視した。
「大声出すに決まってるだろうが! なーんで、この腹黒親父でマッチョマッチョ絶好調な俺が! 心霊現象のネタにされなきゃいけないんだ!? 世の中は不条理に満ちている!」
「今日も本当に無意味にハイテンションですね」
「おうよ! で、どういうことよ?」
 咥えていたスプーンを口から離し、店長へと向ける。話の続きを促した。
「最近、変な現象が多発しているんですよ。サテラ通りを決まった時間帯に通ると、いきなりよくわからない物体に追いまわされるという、不可思議な。追いかけられるだけで、しばらく時間が経てば元の空間に戻れるんですが、これが……」
 店長は言いよどむ。少し溜息をつき、重く口を開けた。
「オーマ・シュバルツの仕業だと」
「俺がやったって、そう言うことか?」
「違います。何ものかが、耳元で囁くそうです。今、おまえがこういう状態なのは、オーマ・シュバルツのせいだと」
「俺の、せいか」
 オーマは沈黙する。心当たりは、と考えて心中で嘆息した。多すぎる。恨みを振りまきたいわけではない。オーマは愛を振りまきたいのだ。
「何か、わけのわからないことを考えているでしょう。顔がにやけていますよ」
「いーやいやいや、んなわけねぇって。それよりも、だ。時間と場所を教えてくれるか?」
「どうするんです?」
「何? 売られた喧嘩は買うまでよ。このまま黙っておくなんつー、勿体無い真似なんかできないぜ」
 店長は顎に手を添えて、考え込む様子を見せる。目を細めて、オーマに顔を向けた。
「でしたら、一つご忠告を」
 怪訝な顔をしたオーマに、店長は囁いた。
「襲われたものは皆、タトゥーを彫られております」


 夜もふけて、辺りが闇に沈む頃、オーマは横たえられた岩の上に座り込んでいた。
 夜空を見上げる。星々は絶えず身を輝かせて魅力を主張する。星と人は遠い。星の輝きが失せても、人は気づくことはない。あまりにも時間が離れすぎているから。
 らしくない思考に、オーマは緩く首を振った。
 店長の言葉が耳にしつこくこびりつき、離れようとはしない。
 タトゥー、オーマ・シュバルツ。
「ヴァレル」
 オーマが自然と口にしたそれは、ヴァンサー専用戦闘服を指す。そしてタトゥーはヴァンサーの証であり全ヴァンサーが正式にソサエティに認められた際身に必ず刻まれるモノである。ヴァレルを着用するにはタトゥーが必要不可欠なのだ。
 オーマのタトゥーにこだわった一人のウォズがいた。

『かっこいいっすね、オーマさん』

 そう笑いかけたウォズをオーマは封印した。若き日の過ちといっていいかどうか、今のオーマに判断できない。しかし、そのウォズは危険な存在だった。優しい見かけとは裏腹に、強い力は世界を傷つけ、人に害を成した。
 自分に笑みを向けてくる彼を封印するしかなかったのだ。

「いるんだろうがよ、ウォズ」
 オーマの問いかけに、空気がざわついた。肌を突き刺す感覚がオーマを襲う。
 辺りに殺気がたち込める。闇が夜を侵食し、オーマを異界へと誘う。
 殺気の中に僅かに混じる戸惑いに、オーマは気付いた。
「封印したはずだがな」
「オーマ・シュバルツのせいだ」
 耳元で、低い声が響く。
「オーマ・シュバルツのせいだ」
 しつこく、しつこく何度も囁く。
「オーマ・シュバルツのせいだ」
「何故、俺のせいだ? 何故、おまえがそこにいる?」
「オーマ・シュバルツのせいだ」
「いや、おまえはいないのか」
 オーマの問いかけに、耳もとの声は変わらない反応を返す。
 オーマ・シュバルツのせいだと、何度も何度も。
 ゆっくり息をつく。まとわりつく闇は、オーマの体に彫られたタトゥーをなぞるように蠢いた。

『かっこいいっすね、俺もこういったタトゥーがつけたいです』
『おいおいおい、このタトゥーは飾りじゃないんだぜ』
『そうなんですか? じゃあ何なんですか』
『このタトゥーはおまえを……するための』

 オーマの脳裏に笑顔が浮かんでは消えていった。あのウォズは力が強かった。力の使い方を知らなかった。笑いながら、戸惑いながら、世界に害を成していった。自分自身の行為に何の痛痒も感じぬまま。
 ただ、オーマのタトゥーだけを誉めた。
「ウォズの残り香を利用する……それがおまえの力か」
「オーマ・シュバルツのせいだ」
「ウォズの想いを力に変え、闇に変え、具現化する。それがおまえの力か」
「オーマ・シュバルツのせいだ」
「やれやれ、本当におまえはタトゥーが好きだったんだな」
「今、貴様が封印されるのは」
 オーマは自らのタトクーを指でなぞる。闇を払う力がオーマを中心として、風のうねりを生じさせる。力が満ち溢れ、夜から闇を払いのけていく。
「オーマ・シュバルツのせいだ」
「そうだな、俺のせいだ。だから、教えてやるよ。このタトゥーが何のために存在しているのか、もう一度」
 熱気が風と共にオーマの肌を撫でる。ヴァンサー専用戦闘服【ヴァレル】に力が集う。
「おまえの想いを封印するために」


 全てが終わった後、オーマは瞳を閉じる。
 瞼の裏で、あのウォズの笑顔が映った気がした。
 だが、結局のところ気のせいなのだろう。
 あのウォズは封印されている。今、ここにはいない。
 ここにいないものが、笑うわけがないのだから。


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【ライター通信】
こんにちは、酉月夜です。
またの受注どうもありがとうございます。

またまた、納期ぎりぎりの納品で申し訳ありません。(こればっかりですね・汗)
それから、感想をどうもありがとうございました。とても嬉しかったです。
私も、あの馬鹿変態ウォズは書いてて楽しかったです。

今回はシリアス一直線ですが、
前の馬鹿ノベルとはかなりギャップがあるので、戸惑われるかもしれません。
それでも、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

今回は本当に有難うございました。
またの機会がありましたらよろしくお願いします。