<東京怪談ノベル(シングル)>


優しい顔

 『客商売は甘くない』かぁ……
 はあ、と一つ溜息をついて、カーディナルはカウンターに頬を押しつけた。
 ここは白山羊亭。この場所で、不思議な机からなんだか日頃の行動に問題ありそうな術士を助け出したのは昨日の事である。
 事件は無事に解決したし、カーディナルの魔石も役に立てた。その日は上機嫌で家路についたのだけれど、翌日にはその気持ちはすっかりしぼんでしまっていた。
 原因は、問題の術士。彼は普段と営業用の顔を使い分けているそうだ。そんな必要性、考えてもみなかった。そして更に一言『客商売は甘くない』。
 そりゃ、あたしだって、お客さんの前で、ちょっとは猫かぶったりするけど……
 カーディナルは彼の様子を思い出した。
 あんな風に、くるんて音がしそうな切り替え方は出来ないよ……
 師匠はあんな風にはしなかった。だからあたしにも関係ない。そうやって忘れられれば話は簡単。けれど、発言主が聖都で術士として成功している人となると、そうもいかない。
 はあ、と溜息をもう一つ。ヒゲまでしょんぼり下を向く。冷たいカウンターが頬に気持ちよくて、なんだか起きあがれない。
 ぺたっとカウンターに伏せているから、カーディナルの顔は窓の方を向いている。
 アルマ通りは今日も賑やかに人が行き交っている。大きな店の立派な玄関を、何人ものお客さんがひっきりなしに出入りしていく。小さな店のドアは開くたびにカランカランと鐘の音を響かせる。お店を持っていない人も荷車に品物を載せてやってきて、道行く人に威勢良く声をかけている。
 カーディナルが育った田舎とは大違いだ。
 こんな都会で立派な魔石練師としてやっていくには、あたしやお師匠様のやり方じゃダメなのかなぁ。
 カーディナルは悲しくなってきた。たらんと垂れたしっぽの先で、こっそり「の」の字を書いちゃいそうだ。
 思わずくすんと鼻を鳴らしかけたところで、ルディアの声が降ってきた。


 「どうかしたんですか? 元気がないですね」
 冷たいお水を差し出すと、ルディアは心配そうにカーディナルの顔をのぞき込んだ。
 「そろそろ暑くなってきましたからね。それとも、昨日の疲れがまだ残ってるんですか?」
 「ううん、そうじゃなくて……」
 心配させて悪いというのが半分。誰かに相談したかったのがもう半分。カーディナルは昨日のコトを手短に説明した。
 「ねぇルディアさん、この街で魔石練師としてやっていくには、処世術ってやっぱり必要なのかな?」
 「それは、難しい問題ですねぇ……」
 ルディアは手を止めて、じっと考え込んでいる。本当に一緒に悩んでくれているように、カーディナルには見えた。
 ルディアさんは立派なウェイトレスだけど、顔を使い分けてないよね。魔石練師のあたしは、じゃあ、どうすればいいんだろう。
 悩み込む二人のうち、先に口を開いたのはルディアだった。
 「とりあえずカーディさんは、顔を使い分けている人に会って、ビックリして、自分もやらなきゃいけないのかなって思って、でもやり方もわからないし……って、そんな感じに悩んでいるんですよね」
 「……うん、そんな感じかも」
 「それじゃあ」
 ルディアはぱちんと手を打ち合わせた。
 「実際やっている人に相談してみるのがいいんじゃないですか?」


 ルディアはカーディナルを奥のテーブルの客の所へ連れて行った。座っていたのは若い女だ。足を組んで、深いスリットから白い太腿があらわになっている。くわえた細い葉巻からは細い煙がたなびいていた。
 でもそれより気になったのは、大きなお肉の入った、カーディナルから見ればとっても贅沢なシチューがお皿に半分も残っていることだった。女が「やっぱり食欲が無くて。下げて頂戴」と言ったので、カーディナルはますますビックリした。ルディアはあまり驚かなかったから、いつもの事なのかもしれない。
 「相談に乗って欲しいって?」
 女の声は気怠げだった。
 「よろしくお願いします」
 「こちらの方は、占い師さんなんですよ。お仕事の時は優しくていい人って評判なんですけれど……」
 ルディアは語尾を濁らせた。
 女はくすっと笑うと煙を吐き出した。顔にかかってカーディナルはちょっとむせる。
 「あら、ごめんなさい。猫のお嬢ちゃんには刺激が強かったかしら」
 そう言ったものの、あまり反省してない素振りだ。
 「ね、普段はこういう人なんですよ」
 ルディアは困ったように頬を掻く。
 「仕事の時は、マスクとベールで顔を隠すもの。バレやしないんだったら、ラクにさせてもらうわ」
 その台詞は、カーディナルにはなんだか納得がいかない。
 「ま、いいわ。座りなさいよ。猫のお嬢ちゃん」
 「じゃあ、私は仕事に戻りますけど、頑張ってくださいね」
 お盆にシチューを載せてルディアは去っていった。カーディナルが席に着くと、占い師はタバコをもみ消した。


 「へぇ、猫のお嬢ちゃんは魔石練師なの」
 名前もちゃんと名乗ったのに、占い師は猫のお嬢ちゃんという呼び方を変えるつもりはないようだ。
 カーディナルはちょっとむっとした。が、ココで頬をふくらませていても仕方がない。
 「はい、それで、魔石練師としてやっていくにはやっぱり、処世術みたいなものも必要なのかなって」
 「それで私の所に? 正直なお嬢ちゃんねぇ。それじゃあまるで、私がとんでもない猫かぶりだって言っているようなものじゃない」
 しまった。言われてみればその通りだ。
 びくっとカーディナルのヒゲが跳ね上がる。
 「ご、ごめんなさい。そういうつもりじゃ……」
 「ま、いいわ。実際、我ながら大した仮面の使い分けだと思うもの」
 溜息をつくと、占い師は内緒話をするように身をかがめて頬杖をついた。大きく開いた襟ぐりから豊かな胸がきわどいところまで見えている。カーディナルは目のやり場に困ってしまった。
 「そりゃもちろん処世術は必要よ。さっきのお嬢ちゃんの言い方じゃ、私が怒って帰っちゃっても文句言えないわよ。正直ならいいってもんじゃないわ。もちろん、私みたいなのもいけないわね。タバコの煙かけたり、お嬢ちゃんなんて呼んだり」
 「つまり、お客さんに嫌な思いをさせちゃダメってことですか?」
 でもそれって、すごく普通のことじゃないかな。
 首をかしげると、占い師は「それじゃ足りないわ」と言った。
 「お客は、自分の手に負えない問題を解決してもらいに来るのよ。だから、この人に任せておけば大丈夫って思いこませなきゃ」
 「信用第一ってことですよね」
 カーディナルは自信を持って言ったのだけれど、占い師は考える顔になった。
 「『信用』ね。ま、それも大事ね。でも私が言いたいのはむしろ『安心』かしら」
 「安心?」
 今度はカーディナルが考える番だ。
 「私、一応仕事の時は『優しくて親切な占い師』で通っているのよ。術士もそうだと思うけど、占い師っていうのはどれだけお客から話を聞き出せるかが勝負よ。問題がはっきりしなきゃ解決のための占いなんて出来ないわ。まして、お客は悩みを抱えて困っているんだもの、安心して全部話してもらうためには優しくて親切な人っていうパフォーマンスも仕事のうちね」
 なるほど、とカーディナルは納得した。
 「仕事用の顔は、お客さんに安心して話してもらうためなんだ」
 魔石作りも、お客さんが何を欲しがっているのかよく知る必要があるもんね。詳しく話してもらうには、そういうことも必要なのかも。
 カーディナルはしっかり記憶に刻み込んだ。


 「それにしても、随分熱心に聞くのね」
 占い師には、真剣に自分の話を聞くカーディナルが不思議で仕方がなかった。
 カーディナルは金色の大きな目を見開いて、耳をピンと立てている。
 我ながらどう考えても胡散臭い人物と思うのに。
 「私、いい加減な事言ってるかもしれないわよ。こんなお嬢ちゃんのお話に付き合うなんて馬鹿馬鹿しいって。暇つぶしにからかっているのかもよ?」
 「そう、かなぁ……」
 カーディナルはじいっと占い師を見つめて、それからにこっと目を細めた。
 「やっぱりそんな事ないと思います。占い師さんは嘘付いてないし、面倒に思ってもないよね」
 自信ありげに言い当てられて、占い師は目を見張った。
 「何となく分かるの。占い師さん、悪い人じゃないよ」
 「猫のお嬢ちゃんの勘、か。こっちは商売あがったりね」
 そういうことか、と占い師は胸中で呟いた。たまにいるのだ、こういう、直感で人の本質を見抜いてしまう人が。大抵の人は、見た目で人を判断する。だからコケオドシも媚びも必要になるし、有効になるのだ。でも、この猫のお嬢ちゃんは演技も仮面も見破ってしまう。
 そりゃあ、処世術も必要か、なんて聞いてくるわけよね。
 占い師は自分に比べはるかに無防備な少女を思って、小さく溜息をついた。
 「もう一つ聞いてもいいですか?」
 「どうぞ」
 「占い師さん悪い人じゃないのに、どうしてお仕事じゃない時は、その……」
 痛いところを突かれて、占い師は閉口した。適当にはぐらかすという選択肢に心が揺れる。しかし、この素直な猫のお嬢ちゃんには、本当の事を教えてあげた方がいいのかもしれない。我ながらお節介だ。
 「質問は、なんで顔を2つ使い分けて、普段から優しい人じゃないのかっていうことね」
 カーディナルが頷いたのを見て、占い師は姿勢を正した。


 「どんな仕事だって、要は『客の望みを叶える事』なんだから、客の事情に立ち入る必要があるわ。まして占い師なんて客の悩みや不安を聞くことが仕事みたいなものよ。こっちの胃が痛くなるような話を聞かされる事もしょっちゅうよ」
 占い師は顔をしかめた。カーディナルはさっき下げられたシチューを思い出した。
 「でも私の占い一つでその人を救えるって訳じゃないわ。第一、仮に救えるとしても、たった一人の客にいつまでもつきあっているわけにはいかないのよ。こっちだって食べていかなきゃいけないんだから。だから、私が潰れないためにルールを作ったのよ。どれだけかわいそうでも、その仕事が終わったらさっさと忘れる事。手に負えない人には手を貸そうとしない事。さっさと次に移る事」
 でもそんなの、とカーディナルは言いかけたが、続きが出てこなくて口をつぐんだ。占い師は目を伏せ、口元にうっすら笑みを浮かべた。
 「そうやって、お客さんを見捨てるのは占い師の私で、いつもの私じゃない。私は別に優しくもないし、親切でもない。かわいそうなお客さんなんて知らない。
 これが、私が顔を使い分ける理由よ。参考になったかしら、魔石練師のカーディナルさん」
 「……はい……」
 なんだかすっきりしない。
 他にやり方があるんじゃないかな? あたしの所に、あたしにはどうしようもないお客さんが来たとして、あたしなら……
 考えていると、占い師がすこし高い声を出した。
 「猫のお嬢ちゃんはわかりやすいわねぇ。悩んでるから、しっぽも一緒にねじれちゃったわよ」
 「ええっ!?」
 慌てて振り向く。そこには、いつも通りのキジトラのしっぽがあった。触ってみる。よかった、いつも通り、ふわふわの毛並みだ。
 「嘘よ、嘘。かわいいわねぇ、お嬢ちゃんは」
 占い師はくすくすと笑った。
 「まぁ、ゆっくり考えなさいな。そうね、お嬢ちゃんは当分そのままで大丈夫よ」
 「そのままで大丈夫って、どうして?」
 「さあ、占い師の勘かしら。猫さんの勘とどっちが正確かしらね」
 占い師はまだくすくす笑っている。気が付くとカーディナルも、もう悩むのをやめていた。ゆっくり考えなさいと言われたし、それに、気が抜けたせいか簡単な対策も思いついたからだ。
 「さてと、そろそろ葉巻の我慢も限界よ。一服して着替えて仕事に行かなくちゃ。相談はもういいかしら」
 「はい、ありがとうございました」
 お辞儀を一つして、カーディナルは占い師の元を後にした。


 「どうでした、カーディさん」
 カウンターに戻ると、ルディアが待っていた。
 「ええと、お客さんを安心させるには、そういうのも必要かなって……」
 カーディナルはぴょんと弾むようにスツールに飛び乗った。
 「それと、手に負えないお客さんが来た時に困らないように、もっと魔石錬成の腕を上げたいな。そうすれば、お客さんがいっぱいでも、すごく困っているお客さんが来ても、助けてあげられるでしょ」
 修行して、腕を上げて、それでもどうしようもない時が来たら? それはこれからゆっくり考えよう。師匠が聖都を離れたのもそんな理由があったのかもしれない。お客の数が減れば、時間をかけて難しいものも作れるだろう。
 でも、カーディナルの決断はきっとまだまだ先の事だ。それまではゆっくり考えてじっくり修行しよう。
 「元気になったみたいですね。良かった」
 「うん、ルディアさんも心配してくれてありがとう」
 師匠のようになるか、占い師のようになるか、それとも別の道か。どうなるかはまだ分からない。
 でも、もう、カウンターと仲良くしてるヒマはないぞっ!
 カーディナルはぎゅっと両手を握りしめた。


   <終わり>