<東京怪談ノベル(シングル)>


優しき歌声に

目的の場所を前に少年は固まった。
―エルザード随一の医者がいる。
そう聞いて急ぎに急いでやってきたが、あまりに強烈・・・いや、個性的な建物に入るのを躊躇した。
一瞬、間違えたかとわずかな希望を胸に道具屋の店主に書いてもらった地図を見直したが、無常にも間違いなく地図はここを示している。
本気で数秒悩んだ後、少年は回れ右して来た道を戻ろうとしたが、叶わなかった。
「何やってんだ?お前。」
いきなり目の前に立ちはだかったのは、がっしりとした体格の男―オーマ。
「何でもないですよ。ちょっと迷っただけですから♪」
何か危険だ、と判断した少年はにこりとオーマに笑顔を向けると、足早に去る・・・ことはできなかった。
「道に迷ったじゃないだろ!!用があるから来たんだろうが!!」
「ほんとにいいんだってば〜」
そう言うか早いか、オーマは少年の頭を掴むとずるずると背後の病院に引きずっていく。
蒼天に少年の絶叫がむなしく響いた。


かなり足踏みしたが、中はまともな診察室で少年はほっと安堵の息をこぼすが、目の前にいるオーマが何者なのか計りかねる。が、オーマは気にも留めず、どかりと椅子に腰掛けると少年をどやしつけた。
「何ぼんやりしてんだ。いつまでその子を背負ってんだ?さっさと診せろ。」
「・・・あぁぁぁぁっあんた、医者か?!だぁぁぁぁぁっ信じられね〜!!んなガタイのいい医者がいるのか?」
驚きの声をあげ、頭を抱える少年にオーマは半ば呆れつつも、彼に背負われてぐったりとしている少女を了承も得ずに診察用のベッドに寝かせた。
「ひどい熱だな。しかもかなり弱ってる・・・熱が出たのはいつからだ?」
「え・・・あっ、今日の明け方。4〜5日前から調子が悪かったみたいで、休めって言ってたんだけど・・・」
冷静なオーマの声に現実に引き戻された少年は苦しげに息をつく少女の姿に唇を噛んだ。
東の空が明るくなってきた頃、いつもと違う呼吸に気づいて飛び起きると、そばで寝ていた少女は頬を真っ赤にしてうなされていた。
少女を背負い、薄暗い街を駆けずり回って医者を探した。
たった一人の肉親・双子の妹。自分しか彼女を守ることができない。
痛いくらい分かっていたことなのに、何もできなくて。
自分がいかに無力な子供なのか思い知らされた。
「疲労から来る風邪が悪化してんな。ゆっくり休んできちんと食べれば良くなる・・・安心しな。」
哀れなほど落ち込んでいる少年の頭をオーマはくしゃりとなでてやると、看護婦を呼び、少女の入院を告げた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!!入院って・・・俺達、あんまり金持ってないんだ。だからっ・・・!!」
困惑し焦る少年の頭をオーマは乱暴に撫でた。
「子供が無理すんじゃねーよ、気にすんな。」
豪快に笑い飛ばして診察室を後にするオーマの背に少年は深々と頭を下げた。


うららかな春の昼下がりをぶち破ったのは用心棒らしいチンピラ二人を連れた―不健康なまでにでっぷりと太ったイボガエルを踏み潰したような顔をした―男の耳障りなダミ声だった。
「やっと見つけたぜ!この恩知らずども!!さぁ、来い。これから仕事だ!!」
オーマが看護婦に呼ばれて駆けつけると、昨日入院したばかりの少女を用心棒たちが無理やり連れて行こうとしていた。
「おい、何してやがる。」
怒りの篭った低いオーマの声に用心棒達は圧倒され、動けなくなる。
が、イボガエル男はむかつくような下卑た笑みを浮かべ、手もみしながら媚びてきた。
「ここの先生様ですか?ウチの団員がご迷惑をかけました。親を亡くして路頭に迷っていたところを助けてやったのに、いきなり一座の金を盗んでいなくなったんで探して・・・」
「本当なのか?お嬢ちゃん。」
「ち・・・がう・・・」
泣き出したいのを必死にこらえて小さく少女が訴えると、オーマはぽんっと頭をなでてやり、その背にかばう。
「悪いがこの子を退院させるわけにいかねーよ。まだ・・・」
「何の用だ!!このクズ野郎!!」
鋭く睨みつけ、追い出しに掛かろうとした時。
怒鳴りながら威勢良くかけてきた少年がイボガエル男達の前に立ちはだかる。
「さんざん人をこき使ってきたくせに何言ってんだ!俺と妹はお前の奴隷じゃねえっっ!!」
穏やかならぬ台詞にオーマは眉をしかめ、対峙する二人を見比べる。
曇りのない翡翠の瞳で対峙する少年と額に青筋を引きつらせたイボガエル男。
事情は分からないが、病気の子供を連れて行こうとする輩に味方するほどオーマはお人よしではなかった。
「黙れ!この恩知らず!!さんざん面倒見てやったのに、よくも『あんな』真似をっ!」
「怒鳴るだけしか能のない奴に言われたかねーよ。面倒だぁ?・・・ふざけるな!!休みなく働かされたせいで、まともに声が出なくなったんだぞ。当然の報いだ。」
怒り爆発寸前のイボガエル男に少年は反省の色もなく、顔をそらす。
その視線の先には怯えをにじませた若草色の瞳を持つ妹がいるのに気づき、オーマは笑みをこぼす。
(14、5のガキのくせに分かってるじゃねーかよ。)
自分のことしか考えられない奴が多い中で珍しく気骨のある少年に胸の内で喝采を送ると、少女を病室に下がらせ、オーマはずいっとイボガエル男の前に出た。
「おう、おっさん。おまえがこいつらの身元引受人なら、ここでの治療費払ってもらおうか?そしたら引き渡してやるよ。」
「「なっ」」
予想もしない提案。
少年は一瞬、顔面蒼白になった後、怒りの炎をたぎらせてオーマを睨み、イボガエル男は満面の笑みを浮かべてオーマを見上げる。
多少の出費は痛いが、この双子の稼ぎならすぐに取り戻せると踏んでいる露骨な表情に虫唾が走る。
だが、そんなことを一ミリも感じさせずオーマは笑顔で金額を提示した。


院内の空気が氷点下に下がった。
怒りを通り越して固まる少年。顎が外れんばかりに口をあけるイボガエル男と用心棒。
当然の反応だろうな、とオーマは一人納得する。
それはそうだ。提示した治療費はちょっとした家が買えるほどの額。
はっきり言って法外だし、不当なものだが、この際関係ない。
「さぁ、どうする?払えねーなら、こいつらは治療費払うまで働かせてもらうぜ。」
笑顔を張り付かせたままオーマは考える間を与えず、イボガエル男に迫る。
卑屈に笑いながらイボガエル男は双子を横目でちらりと見て口を開いた。
「分かりました。この二人には悪いですが、先生様のご提案通りにいたしましょう。盗まれた金は二人の退職金ということで諦めさせていただきますよ。」
「なっ・・・・」
そういい捨てると用心棒達を連れて、逃げるように去るイボガエル男に少年は何事か怒鳴ろうとするが、オーマに口を押さえつけられ、叶わなかった。
「ったく、余計なことすんなよ。あれできれいさっぱり縁が切れるんだ。ちったあ喜べ。」
「っざけんな!!俺達は金なんて盗んでない。大体、二人で一人前とかむちゃくちゃ言われて巻き上げっ!!」
「んなことは見りゃ分かる。」
やれやれと大仰に肩をすくめるオーマに少年は食って掛かるが、その怜悧な表情に息を呑み、黙り込む。
主治医と駆け込み患者という関係でしかないのに、ここまで怒ってくれる大人は初めてだった。
「あのイボガエルが薄汚ねー真似したかなんざ聞きたくねー・・・が、お前が何やらかしたのかぐらい聞かせてくれねーか?」
「・・・妹には秘密だぜ。あいつ、絶対泣くからさ」
いきなり話を振られ、しばし考え込むが少年は妹がいないことを確認し、オーマに話しだした。
「簡単さ。ちょっと変わった薬草を酒に混ぜてやったんだ。滋養のいいとか言ったらあっさり騙されてさ・・・」
薬草、と聞いてオーマは眉をしかめ、念のためにその名を問うた。すると、思ったよりもあっさりと少年は使った薬草の名を口にする。
それはオーマも良く知る―ごくありふれた沈静効果がある薬草だが、わずかに量を増やしたり、酒に混ぜたりすると全身麻痺を起こす。
呼吸関係に問題はないが、2〜3日は動けなくなる。
医者の立場として到底許されるものではないが、オーマは少年を咎めるつもりはなかった。
楽しそうに話してはいるが、決して得意げではなく、害がない薬草でも一つ間違えば命を奪いかねない事をきちんと理解している事とこんな手段を使わなければ妹を守れない自分自身を責めているのを見て取れた。
「そうか・・・けど、お前。薬草のことなんてどこで覚えた?」
「父さんが薬師で小さい時から教わってたんだ。跡継ぐつもりだったし・・・だからさ。」
半ば開き直ったように答えると少年はオーマを真っ向から見据えた。
オーマが悪いやつではないことは分かるが、一点だけ納得できない。それをはっきりしなくては信用できなかった。
「それで俺達はアンタに馬鹿みたいな治療費払うのか?昨日は気にするな、とか言ってたくせに!!」
「ああ、それか・・・安心しろ。払わなくていい。ってか、昨日も言ったがお前らから金取るつもりはねーよ。面白い話も聞けたしな。」
それに、とオーマは一旦言葉を切り、あっけに取られる少年を見た
「ま、無料ってわけにもいかねーから、しばらく働いてもらうぜ。」


夕闇が押し迫った商店街で買出しをしていたオーマの耳に小さな歌声が届き、足を止めた。
声のする方に視線を送ると、オーマがなじみにしている酒場兼食堂で先日まで入院していた少女が楽しそうに歌っていた。
幼いながらも透き通った歌声はなかなかのもので客の評判もいいらしくアンコールが挙がっている。
買出しを忘れて聞き入っていると、その背を叩かれた。
何者かと思い、振り向くと、そこに少女の兄が立っていた。
「お久しぶりです、先生。」
「よう、元気そうだな。ボーズ。」
「お陰様であいつも元気になったし、薬草の勉強も結構進んでる。先生には感謝してるよ。」
以前のように張り詰めたものはなくなり、年相応の笑顔で礼を言う少年の姿をオーマはいい傾向だ、と思う。
あの後、オーマは少年をなじみの食堂と薬師のところに連れて行き、ここで働けと紹介した。
これ以上ない条件に少年は一にも二もなく承諾し、昼は薬師の元で、夜は退院した妹と一緒に食堂で働いていた。
少年の真面目な働きぶりや妹の歌はすぐに評判になり、客の入りはどちらも上々だ、と耳にしている。
寄っていってください、と言う少年の誘いを断り、買出しを再開させるためオーマは賑わう商店街の雑踏に足を向けた。
全てを許し、癒すような優しい歌声が響き渡るのを聞きながら。