<東京怪談ノベル(シングル)>


 【キャプテン・ユーリ航海日誌 〜嘆きの秘宝〜】 

「ひ、ひぃっ!! い……命だけはっ!!」
 それは派手に豪奢に欲深く。贅の限りを尽くしたと言わんばかりの船長室に、情けの無い悲鳴が響き、C・ユーリの長剣の切っ先にて海賊帽がクルリと一回転していた。
「命なんて貰いやしないさ。海賊の狙いと言ったら? そりゃあ、お宝だ。キミもこの船のキャップなら、それくらいは…解って当然だよねぇ」
 金縁の絵画の真下、壁に背を当てても尚背後へと逃げようとするこの部屋の主、基この海賊船の船長である男をユーリの青い瞳が笑いを湛えて見据えている。
 剣先にぶら下げていた男の船長帽を宙に浮かせ、そのまま男の頭に戻すと言う実に器用な芸当をやってのけたユーリは、腰を抜かした男になど興味は無かった。グルリと船長室を見回し、その必要以上の豪奢さに鼻先で一度だけ笑って、船長服の袖と長い裾を揺らして戸口へ振り返る。
「どうせ、戦力もほとんど積んで無い商船から巻き上げた宝なんだ。奪い返されたって、文句は――言えないよねえ。船長サン」
 それすらも過度に豪華な船長室の扉を潜る直後、ユーリは戸口の横に置かれていた黄金に輝く獅子の頭を撫で、振り返りもせずそう言うとそのまま甲板へ向かった。


 その夜、大海に浮かんだ海賊船「スリーピング・ドラゴン二世号」の船上は勝利の宴と称してお祭り騒ぎだった。
 主席…つまり、ユーリの席の両脇には本日の戦利品が山として積まれ月光を浴び、金銀宝石と本来の輝きを取り戻したと言わぬばかりにその輝きを競い合っていた。
 明日の昼にはエルザード港に無事着くと言う事が既に解っているので、船に積み込んであった食糧も酒も全て出し尽くしての大宴会だ。既に出来上がったクルー達が歌を唄い、ユリアン一家の此れまでの武勇伝に花を咲かせる。
 そんな中、勿論船長であるユーリもクルー達の輪に混ざり大いに楽しんでいたが、主席の横ですっかり忘れられたかの様に輝いている宝の中にあって、一際豪華な黄金の獅子にふと気を取られる。全身を黄金に輝かせ、瞳は真っ赤なルビー。鋭い牙と爪はダイヤ。そしてその凶暴な力をまるで抑え付け従わせるかの様に、銀板に無数の宝石を散りばめた首輪がはめられ、短な鎖が下がっている。その獅子は、ユーリが昼間頭を撫でたあの金の獅子であった。
「………ん?」
 ユーリがその獅子を気にしたのは、獅子のルビーで出来た瞳が一度瞬きをした気がしたからだ。当然、黄金で出来た獅子が目蓋を閉じる事などありえるわけもなく、ユーリは酒のせいで少しボンヤリしていたのだろう。と自分に言い聞かせ、再び意識を騒ぎの中へと戻しかけたが、それは成功しなかった。
「……今、あの獅子涙を零したよね?」
 ふと戻しかけた視線だったが、カツリ、カツリ。と言う今にも騒ぎの音に消されてしまいそうな小さな音に、ユーリの視線は再び獅子へと戻され、そんなユーリの視線の先で獅子が間違い泣く涙を落とした。あの小さな音は、獅子の涙の音だった様だが、目の前で起こったにも関わらず、ユーリはそれが信じられず、思わず肩に乗っかっている赤いチビドラゴンに尋ねていた。
 しかし小さな翼竜は、ユーリの肩で可愛らしく一度小首をかしげ、クワァと眠そうに欠伸を落とすだけ。まるで見ていなかったとでも言う様に。
「んー……本人に、確かめるのが一番賢いか。酒に酔ってないって事、証明してくれると嬉しいんだけどねえ…。ってわけで、コンバンワ?」
 チビドラゴンを肩に乗せたまま、ふらりと船員達の輪を抜け出たユーリ。真っ直ぐに鎮座する獅子へと向かい、獅子と同じ視線にしゃがみ込んだ。
 そして、真っ赤な瞳のその奥を見据える様にして数秒見詰めた後、獅子とは真逆とも言えるであろう、その海色の瞳を獅子の逞しい脚の更にその下へと落としていた。
「宝物と会話しようって思ったのは始めてで、人語が伝わるかもわかんないんだけども。キミ、何で泣いてるの?」
 不思議そう。と言うよりは、心配をするような。そんな様子でユーリは首をかしげ、獅子の足元に散らばった、輝く石の涙を拾い上げ、指に挟むとそれを静かに持ち上げていた。
 財宝が涙を零そうが、なんであろうが、泣いているのならば何か理由があるのだろう。最初こそ驚きはしたが、恐れたり、気味が悪いなどと言う感情はユーリの中には生まれなかった様だ。ただ、涙する獣のために、ユーリは整った眉を小さく寄せていた。
『……若き船長。貴方は私を何処へと連れ行きますか。貴方も、私を海へと…戻るべき場所へとは返してはくれませぬか?』
「キミを如何するかって? そうだねえ……」
『船長よ、貴方には都合の悪い話かもしれない。それを承知で私と会話を持とうとした貴方に頼みたい。私を海に…主のもとへと返しては頂けませぬか』
 黄金の獅子の身体は一切動く事は無いが、ユーリの頭には直接獅子の声が伝わる。
「欲深い海賊が、そんな事をすると思うかい? それに、そんな事したらアイツ等がだまっちゃ居ないよ」
 しゃがみ込んでいたユーリだったが、ゆっくり立ち上がると船長が輪から抜け出た事にまだ気づいて居ないクルー達をそっと振り返る。
『そう…ですか。私の声を汲み取ってくれた船長ならば、と思いましたが…残念です』
 静かに言葉した金獅子だったが、それ以上の懇願はしなかった。海賊と言う者達に対しての諦めを知っているのか、獅子たる故の誇りがそれを邪魔するのか。ユーリには解らぬ所であったが、再び獅子へ視線を落とすとゆっくりと腰を折り曲げる。
「それにしても、本当に見事な輝きだねえ…。これは、今日の一番の戦利品だよ」
 腰を折ったユーリは、片手を獅子の首へと伸ばして背後から聞こえる騒ぎに負けぬ声で黄金の獅子を褒め称え始めた。そうすれば、船長の声に気付く船員達が此方へとやってきては、ユーリの言葉に同意をしめし、獅子の見事さに皆感嘆する。
「まったく、何処から盗まれてきたんだろうね。きっと、もとの持ち主は名のある貴族か…はたまた、歴史に沈んだ海賊王かな。どれにしろ、こんな立派な財宝は持つべき者、あるべき場所が限定されそうで…港に運び入れてもどの商人に渡したものかって、迷いそうだ」
 何処か困った様子すら漂わせ、言うユーリは獅子の首輪に指を引っ掛けてその留め金を誰にも見つからないようにそっと外していた。
 留め具が外された首輪は、その華美な装飾も手伝って甲板へと重々しく派手な音を立てて落下し、その場に居たユーリ意外の全員が驚きの声を上げる。当然、それを外された獅子自身も声には出さなかったが驚いたであろう。
「おっと…、傷でもつけたら大変だ。……―――キミを縛っていたのは、コイツだろ? 喋って涙も流せるんだ。戒めがなくなれば、自分で動けるんじゃないのかい?」
 留め具を外したユーリは、驚いた声を上げた振りの後更に腰を折って落とした首輪に手を伸ばす。その再、獅子へと口を寄せるとそう囁いていた。
「!! キャ、キャプテンッ、獅子の奴が動いてっ…」
 腕にずっしり重い銀の首輪をユーリが拾い上げた直後、一人の船員が声を荒げて黄金の獅子を指差す。その指先を視線で辿れば、前脚を揃えて鎮座していたはずのその獅子がまるで鬣を揺さぶる様にして立ち上がり月夜へと向かい大きく唸り声を上げた。
「へえ…静かに座ってるより、ぜんぜん勇ましくて綺麗じゃないか」
 夜気を揺らした獣の咆哮に、ユーリはふっと笑う。甲板の上を駆け出した黄金の獅子を青い瞳で追いかけ、慌て出すクルーを止める様子も甲板より海へと向う獅子を止めるために動き出す事も、ユーリはしなかった。
「逃げちゃいますよっ! いいンすか、キャプテン!!」
「んー? 自由に駆け回れる脚があるのに、留めておく事なんてしたくないよ。彼は良く耐えた。僕だったら、ああはいかないね」
 甲板より海へと身を躍らせた獅子と、ユーリを見比べ焦る船員が焦る声でユーリへと伝えていたが、ユーリは静かにそういい落とし、足元に散らばっている獅子の涙へそっと視線を落とした。
「……キャプテン?」
「こっちの話さ。さぁて、酒も引いた。もう一度、宴会の開きなおしと行こうじゃないかっ!」
 黄金の獅子が、まるで夢か魔法の様に闇色の海面に黄金の線を描いて彼方へ彼方へと走り去ってゆく。その様を一度だけ見たユーリであったが、手にした銀の首輪をそのまま天高く突き出すと、高々と声を上げ、それに船員とチビドラゴンの声が続き、何処か遠くで海では決して聞こえるはずの無い、獣の咆哮が微かに重なっていたのだった。

 END.