<東京怪談ノベル(シングル)>


キャプテン・ユーリ航海日誌 〜二択のゲーム〜


「こりゃまた見事な宝石だ!」
 エルザードの港で見うけられる船の中でも、ひときわ人目を惹く大型の帆船。スリーピング・ドラゴンU世号という名のその船からおろされた荷を確かめていた宝石商は、そう感嘆してニヤリと頬をゆるませた。
「当然だ。近頃南の海域を荒らしまわっていた新手の海賊からいただいてきたばっかりの、とびっきりの品々なのだからな」
 宝石商の男をデッキから見おろしながら、得意げに胸をはってみせているのは、帆船の若き船長、C・ユーリ。
 心地良く吹く海風に髪をなびかせ、海の色を映した双眸に揺るぎ無い光を宿している青年。男は青年が背負っている陽光のまぶしさに手をかざしながら、たんまりと宝石を詰めこんだ麻袋を馬車の中へと積み入れる。
「お代はそっちの馬車の積荷の中だ。あンた達の稼ぎにゃあ期待してたから、今回も満足してもらえる額になってるとは思うぜ」
「あぁ、いつも悪いな」
 男の言葉に笑みを返し、ユーリはちょうど船をおりていった恰幅のいい男を呼び止めて馬車を指差した。
「疑うわけじゃないが、確認だけさせてもらうよ」
 ユーリの指示を受けた海賊姿の男は、酒瓶をくわえながら何度か頷き、荷台の中へとあがりこんでいく。それを見やりつつ、宝石商の男はタバコの葉を丸めたものを口にしながらユーリに告げた。
「そうそう、そういえば、あンた知ってか? 近頃噂になってる女の話」
「女の噂? なんだい、それは」
 ユーリの返事に、男はニィと口の端をつりあげて腕組みをする。
「あンたが海に出た後に出始めた噂だからねェ。なんでも、潰れちまった酒場に、女のオバケが出るらしいってんのさ」
「へえ、それで?」
「で、だ。その女の指に、こう、ばかデカい石をつけた指輪がついてるらしいんだがな。その女と一ゲームして勝てば、それを貰えるらしいのよ」
「ゲームだって? カードゲームとかダーツとかかな」
「いやいや、それがわからねぇのよ。噂は出まわっちゃいるが、なにせ生きて帰ってきた奴が一人もいねェ」
「――――どういう事だ?」
 訝しげに首を傾げてみせるユーリに、男は腕をといて大袈裟に広げてみせた。
「ゲームに負けると、女に食われっちまうらしい。戻ってこねえ仲間を心配して行ってみれば、首と体が真っ二つになったそいつが出迎えてくれるんだとさ」
「――――へぇ」
 ユーリの顔に笑みが宿る。
「どうだい、キャプテン・ユーリ。その指輪をもって帰ってきたら、一週間は酒場を貸しきりにできるぐらいの報酬をだすぜ?」
 男はそう述べて、船の上から目の前へと飛び降りてきたユーリに目を向けた。
「否という返事をすると思っているのか? わざとらしい事はするなよ」
 ユーリの顔に笑みが滲む。それは、悪戯を見出した子供のような笑顔。
「ユーリ! この荷の分で、三日は酒場を貸しきりにできそうだ!」
 さっき荷台を確認しに行った男が、酒で赤く染まった顔を覗かせた。
「……十日だ。十日間こいつらの腹を満足させるだけの報酬をいただこう」
 愉悦に満ちた笑みを浮かべ、ユーリは真っ直ぐに宝石商を見据える。宝石商は肩を竦めて小さな笑みを浮かべた。
「じゃあ、一つ頼むぜ、キャプテン・ユーリ」

 
 大通りから細い路を入り、曲がりくねった路地裏をいくつかいくと、そこにはさびれた裏通りが広がっていた。
 それでも、昔はそれなりに流行った通りだったのだろうか。そのなごりを感じさせる看板が赤錆にまみれ風にはためいている。
 路を過ぎる野良猫の、どこか吟味しているかのような視線をかいくぐり、ユーリは一軒の傾いた酒場の前で足を止める。
「……なるほどね」
 笑みをこぼし、壊れて用途を成していないドアをくぐる。中に立ち入ると、そこには昼間だというのにどこか薄暗い影がたちこめている。
 粗末な造りのカウンターを覗き、倒れていた椅子を引き起こして腰をおろす。床の軋む音がする以外、流れてくる軽妙な音楽が聞こえてくるわけでもない、全くの静謐がそこに広がる。

――――そこに座っていれば、放っといても女は出てきやがるらしいが

 宝石商の言葉が浮かぶ。ユーリは周りを見やりながら、小さく鼻を鳴らした。
 床の軋む音。それが、ふと何者かが歩み近づいてくるようなリズムを整えだした。
「いらっしゃい、ボウヤ」
 ユーリが振り向くのと同時に、その女は艶然とした微笑を浮かべ、前髪をかきあげる。
「こんにちは。邪魔してるよ」
 女の笑みを見つめかえし、ユーリはふと目を細ませた。

 女は、浅黒い肌に栗毛色の巻き毛をたらしていた。滑らかな曲線を描く体躯を強調するかのような、細身の白いドレスをまとっている。
「なんか飲んでいく?」
「では、なにかお薦めのものを一杯もらえますか」
 女はユーリの言葉に微笑を浮かべ、カウンターに立って棚に手を突っ込んだ。
 その手には、確かに指輪がはめられている。
「見事な指輪ですね」
「あんたもこの指輪狙いなの? 次から次へと、マァよくも飽きもせずにねェ」
 皮肉めいた笑顔を浮かべ、女は”なにもない”棚から酒瓶を一つ取り出して振り向いた。
「ええ。キミのその指輪を持って帰れば、僕の家族が十日は飲んで暮らせるんです」
「家族? あんた若そうなのに、所帯持ちなの?」
「ええ。20人ほど」
「そりゃあ豪儀なことねェ」
 女はユーリに瓶とグラスをさしだすと、紅のひかれた形の良い唇をわずかに歪ませた。
 ユーリは女の、少しばかり歪んだ微笑に気がつくと、満面に笑みをたたえて瓶に手を伸ばす。
「こう見えて、僕は海賊の頭領なのですよ」
 ささやくように告げると、女はすと両手で拳をつくり、それをユーリの前にさしのべた。
「ゲームをしましょうか、海賊さん?」
「ゲーム、ですか?」
 女の笑みが艶然としたものへと変わる。舌なめずりをしたせいか、その唇は艶やかな光沢を放っていた。
「どちらかの手に指輪を握ってるわ。当てたらあんたの勝ち。外れたらアタシの勝ち。単純なルールでしょ?」
「なるほど。それで僕が負けたら、キミの餌食というわけだね」
 女は答えず、首を竦める。その挙動こそが女の返事だった。
「僕もゲームは好きですよ。カード、ダーツ、酒の飲み比べなんていうのもね。――でも、」
 ユーリは瓶を見据え、穏やかに笑ってみせながら、それを棚のほうへと放り投げる。瓶は鈍い音をたてて、粉塵となって宙の内へと消えていった。
「イカサマはあんまり好きではないな」
 女は浮かべている笑みを少しも打ち消す事なく、ユーリを見つめたままで口を開ける。
「――――イカサマ?」
「だって、キミ、さっきの瓶は、あれは僕達には”毒”になってしまうだろう? キミと同じ、もうこの世界から消えてしまった過去の残影だからね。それを飲ませて、ゲームを始める前に相手を殺してしまう、といったところかな。……オチとしてはああんまり美しくないところだけれどもね」
 飄々と笑ってみせながら、両腕を広げて肩を竦ませるユーリの言葉に、女はニィと笑い、顔をぬっと突き出してユーリの目を見据えた。
「なるほど、あんた、賢いようだ」
 低くくぐもった声でそう告げると、女は足元から消え始めた。
 ユーリはそれを確かめながら、つと片手を持ち上げて、真っ直ぐに女の左手を指差した。
「キミは左手に指輪をつけていた。左手の指輪は婚姻の証。死してなおそれをつけているほどに、キミはその指輪……証に執着している。……違うかい?」
 女は訝しげに眉根を寄せて、怪訝そうにユーリを見る。ユーリはさらに言葉を続けた。
「それほどに執着あるものを、右手、すなわち証ではない手に持つということは、キミには考えられない」
 海の色の双眸をゆるりと細めカウンターに頬づえをつくユーリに、女は突き出した顔を元に戻して瞼を伏せた。
「――――アタシは、イイ男を待ってただけよ」
「無粋な男はお気に召さなかった?」
 訊ねる。しかし女は言葉を返すことなく、ゆるい笑みを浮かべただけで、そのまま宙へと消えていく。
 女が消えたその場所に、指輪が小さな音を響かせ、転がっていた。

 
「さすがだねェ、キャプテン・ユーリ!」
 宝石商の男は、ユーリが持ち帰った指輪を鑑定しつつ、しきりに感嘆の息をこぼしていた。
「こりゃあ値打ちもんだ。約束通り、あンた達が十日酒場で寝泊まりできるだけの金を渡すぜ。好きなだけ飲んだっくれてくれ!」
 満足げに笑いながら荷馬車を指差す男に、ユーリはふとかぶりを振って腕を伸ばす。
「いやぁ、すっかり忘れていたんだけれども、スリーピング・ドラゴンII世号は急ぎの用があってね。もう出立しなければいけないんだよ」
「――――ハァ?」
 穏やかに笑いながら、ユーリは男の手から指輪を掴み取り、続けた。
「それに、この指輪の持ち主の言でね。これは僕以外の誰かの手に渡すわけにはいかないらしい。さもないと、強い呪いがキミをとり殺してしまうだろうから」
「の、呪いだって?」
 小さな悲鳴をあげて退いた男に、ユーリは片手をあげて微笑する。
「――――さぁ、野郎ども! 出港だ!」
 声を張り上げる。船の上の男達が威勢の良い声を張り上げる。

 エルザードを覆う空は海のような青をたたえ、帆船の行く先を明るく照らしだしている。


―― 了 ――