<東京怪談ノベル(シングル)>




 何時とも知れぬ昔。
 何処とも分からぬ大陸。

 其処には、形を成す言葉を操る能力を持った一族が住んでいた。


 形を成すと言っても、『水』と言う言葉から実際に水を生み出す訳ではない。己の発する言葉に力を与え、何かしらの効果や変化をもたらすのだ。その言葉が持つ意味合い、それを具現化すると言えば良いだろうか。
 例えば、人が人に何気なく言う言葉、綺麗だ、可愛い、そんな言葉に力を与え形を成すと、そう言われた人は本当に綺麗に、可愛くなる。勿論、負の意味合いを持つ言葉に力を与えれば、それと同様の事態が起こる。
 故に、彼らは意図的に、負の言葉を口にする事を極力避けた。どうしても使わねばならぬ時は、原形を殆ど留めない程に歪曲した表現で、告げられた相手が言葉の影響を受けぬように気遣い、その気持ちを伝えた。
 その為だろうか、彼らは常に互いが互いを思い遣る事が出来、争い事も殆どなく、平和な日々を送っていた。

 元々、言葉には力があった。ヒトが進化の過程に於いて言語を手に入れる過程は様々であったが、この種族に関して言えば、言葉の起源は呪い(まじない)であった。
 人の願いや希望を、旋律を纏った言葉に乗せ、実現せんが為に呪術者の力を込めてエネルギーと成す。言葉のひとつひとつには意味があり、その意味に伴った力が備わっていた。今の世でも、何気なく告げた負の言葉が相手の心を傷つけ、時にはその傷が相手を死にも至らしめる事になり兼ねないのは、棘のある言葉には目に見えない棘が本当に備わっているからだ。
 呪いから始まった言葉は、やがて日常生活のコミュニケーションの為にも用いられるようになる。それが頻繁になり、また長きに渡ると、言葉自身が持っていた力も薄れていき、言葉はただの表現手段になる。そう言った過程を経る種族が殆どであった中、この種族だけは、己の意思で、言葉自身が所有する力を活用する事が可能であるように進化を遂げたのであろう。


 その一族に、ひとりの男とひとりの女がいた。

 言葉を操る能力には個人差があり、より的確に且つ強い具現化を実現できる者が、その種族の長として君臨していた。現在、この一族の長は若い女であった。一族の歴史を紐解けば、未だ嘗て女がその職に就いた記録はひとつとして残されていない。当初も、彼女ではなく他の男にその資質がないかと試行錯誤が成されたが、それでも彼女を凌駕する能力の持ち主はついぞ現われなかった。長になる条件はあくまでも能力の強さのみ、性の差別は記されていなかった為、彼女は一族初の女長となったのだ。
 「見て。ステキでしょ、このドレス」
 姿見の前で彼女がくるりと回転してみせる。薄く柔らかな布地を何枚も重ねて作られたドレスの裾がふわりと空気を孕む、彼女が回転を止めると、ワンテンポ遅れてドレスのスカートも静かに落ち着いた。
 「女長はハジメテだもの、女長用の衣装もこれが初めてって訳。前例がないのなら、何でもいいんだから作り易いのかと思ったけど、そうでもないみたいね」
 「全くの無から何かを作り出す事の出来る人間は極々僅かにしか存在しない。大抵の人間は教えられるか提示されないと何も作り出せないのさ」
 「あら、でもこのドレスのデザインは、針子さんのオリジナルだって言ってたわよ?」
 「オリジナルと言っても、全く他に類を見ない独創性がある訳じゃないだろう。恐らくは、他のドレスか何かを参考にし、それに針子の発想を付け加えたに過ぎないさ」
 「…例えそうにしても、私が気に入ってるんだからそれでいいじゃない。それとも、私にはこんな豪華なドレス、似合わない?」
 彼女が苦笑いをしつつ、背後に居る男に視線を向けた。先程から彼女と会話をしていたのはこの男だ。年の頃は彼女と同じぐらいか、椅子に座って上体を屈め、腿に肘を突いて彼女の方を見ている。その表情はどこか何か思い詰めているようで、理屈っぽく否定的な言葉は、その表情のまま、何か理由があるようだった。
 「…いや。似合うよ」
 「だったらそれでいいじゃない」
 彼女はにこりと妙に大人びた笑顔を向け、もう一度くるりと踊り子のように身を翻す。そんな子供のような仕種に、彼も釣られて穏やかな笑みを浮かべた。

 彼と彼女は幼馴染だった。彼の家も彼女の家も、一族の中では中の下に位置する暮らし振りで、決して裕福な家庭ではなかったが、それでも思いやりのある家族に囲まれ、二人とも幸せだった。
 そんな生活が一変したのは、つい先日の事。先代の長が長い病の末にとうとう亡くなった事から端を発する。彼女が抱く強大な能力、それを凌ぐ者が一族の中には他に誰も存在しない事が判明し、彼女を長にせざるを得ない事をとうとう長老達が認めたのだ。

 普通の女の子が、普通でなくなった瞬間であった。

 周りの皆は驚喜し、彼女を褒め称えて敬った。彼女も、今までとは打って変わった生活に舞い上がりつつも戸惑い、だが少女らしい無邪気な好奇心でもって早くもその立場に馴染もうとしていた。勿論、生来強気な彼女が、周りの人を心配させまいと、その内心に閉じ込めた苦しみや悲しみは多々あったが、彼女が手にした栄光や名誉などに比べれば、それらは全て『とるに足らない事』として人々は見て見ぬ振りをした。
 見て見ぬ振りが出来なかったのは、彼一人だけであった。

 正式な戴札式(長の証として代々伝わる札を授かる事からそう呼ばれている)を目の前にし、彼の心は晴れるどころかますます重くなっていくばかりであった。長と言う重責に彼女が耐えられるか否か、それについては彼は危惧などしていない。彼女の力は彼が一番良く知っているし、彼女に生来備わっている高潔さと純真さは、まさに象徴として人々の頂点に立つに相応しいとも。だが、それでも彼の気持ちは晴れない。長老どもが、一族の歴史上、初の女長が誕生する事を快く思っていない事も気に掛かるが、それ以上に彼は、彼女が持つ能力そのものが、いつか災いを引き連れてくるのではないかと思っているのだ。
 それを他人に言った事はない。言えば、戯言だと笑われるか、或いは彼の僻みだと捉えられるに違いなかった。
 彼は、一族の血を引いていながら、言葉に力を与える能力を持っていなかったからだ。
 その一族には、何十年かに一人、そう言う子供が生まれる事があった。一族の血を引いていさえすれば手に入る筈の力を持たずに生まれてくる子供、そう言った子供達を、一族は冷たくあしらう事はなかった。変異は、天から一族への何かしらの警告、だからこそ大切にして、共に一族の危機を乗り越えなければならない。そう言う解釈をしていたからだ。
 だが、彼に言わせれば、それは選民の理論だ。選ばれし者故の優越と驕り。如何に大事にされようとも、力を持っていなければこの一族の中では、何の意味もないのだ。

 やがて、そんな彼の懸念が、現実となってしまった。

 一族の力を妬み、そして脅威に思った隣の大国が、何の前触れもなく一族の里を襲ったのだ。それは深夜の闇に紛れて隠密に行われた。敵に向け、人々が言葉に力を込めるより前、自分が襲われたのだと気付く前に、兵士達は人々の首を刎ねた。長である、彼女一人を残して。
 隣国の王は、彼女の口を塞ぎ、己の意のままに力を使う事を強要した。だが彼女は首を縦に振らない。狂王は彼女の身体を苛む、死を願う程の苦痛の中でも、彼女は決して跪かなかった。
 彼女は知っていたのだ。己の力が、世界を滅ぼしかねない事を。
 そんな彼女を救ったのは彼。あの夜、用事で遠方に出掛けていた彼は、厄難を逃れたのだ。一族の能力者は全て名簿で人数が明らかにされていたが、彼は無能力者故、その名簿にも名を列ねておらず、追手が放たれる事もなかったのだ。ようやく帰り着いた一族の里でその爪痕を見、絶望の中で彼女の姿を捜す。そして辿り着いた隣国で、彼女が囚われている事を知ったのだ。
 忍び込んだ牢の中で、痛め付けられ、息も絶え絶えの彼女をその腕に抱き、彼は己の無力さを嘆いた。悔し涙を零す彼の頬を、以前の形を無くした彼女の指がそっと撫でる。彼女は残りの力を振り絞り、最後の言葉を放った。


 わたしの ちからを すべて あなたに


 「!?」
 意味不明な衝撃に深い眠りから無理矢理引き剥がされ、オーマはバネのように勢いよくベッドの上で上体を跳ね上げた。一瞬自分が何処で何をしていたのか分からず、暫くは血走った目で周囲を見回すのみだった。やがて状況を理解し、己が誰であるかも思い出したオーマは、止めていた呼吸を一気に吐き出し、吐いた分だけ深く新鮮な空気を吸い込んだ。
 「……夢、…だよな……?」
 汗で濡れた前髪を掻き上げながら、オーマが一人呟く。夢の余韻は妙に生々しく、オーマのその腕には、ついさっきまで彼女を抱き締めていたような感覚が残っていた。軽く舌打ちをし、オーマは、口をへの字にして不機嫌極まりない顔でベッドから降りた。
 オーマは、つい昨日、ようやく【ヴァラフィス】を会得したばかりだった。【ヴァラフィス】を成す為の具現言語は、能力者一人一人によって違う。【ヴァラフィス】は第三者には奇妙奇天烈な言語の羅列と響きにしか聞こえないような特異なものである。その言語の意味を理解出来るのは己ひとりであり、それを同じ能力者と言えども、他人に説明する事は不可能に近かった。己が何処かと繋がる為の、己ただ一人にしか用を成さない特殊な言葉。それを得る為の方法はただひとつ、自分で自分の内に眠る音(おん)を探り、言葉の形状に紡ぐより他ないのだ。
 【ヴァラフィス】を得る経緯は、その能力者によって違う。まさに十人十色と言う訳だが、大体共通する点として、大抵の能力者は自分の中に、【ヴァラフィス】の存在を大なり小なり感じていた、と言う事だ。その、気配なり痕跡なりを感じ、それを辿っていけば己の言語に多辿り着ける、と言う訳だが、オーマはそれを、内なる自分に全く感じられなかったのだ。
 それが、いきなり昨日になって、オーマは己の【ヴァラフィス】を体得したのだ。それまで、【ヴァラフィス】の欠片どころか粒さえ感じられなかったのに、まさに唐突の出来事だった。粘性の高い沼の底で発生した気泡が、長い時間を掛けて沼面まで浮かび上がり、今になってようやくボコリと浮かんで弾けた、と言う感じだった。
 だがオーマは、今朝見た夢が、実は引き金になったのではないか、と思っていた。
 「ま、順番が逆だがな。だが、ンな途方もなく遥か昔の話なら、時間軸のずれや空間の繋ぎ目のずれなんかで、いろいろと行き違いになる事もありえるだろ」
 「でも、そんな話はどの史実にも残っていないわよ」
 テーブルを挟み、オーマと向かい合う一人の女性がそう言った。
 「お上にとって都合が悪くて歴史の闇に埋もれちまった事実なんざ、それこそ腐るほどあるさ。それに、ココと同じ次元の話だとは限らないからな」
 「異次元の話ね…それならあり得るわね」
 女性が頷く。テーブルに両肘を付き、たおやかな指を顎の下で組んで、女性が悪戯な笑みを浮かべた。
 「じゃあ、あなたは本当に、あなたの【ヴァラフィス】がその女長から譲り受けた力だと思っているの?」
 テーブルを挟み、オーマと向かい合う一人の女性がそう言う。オーマは苦笑いを浮かべ、首を左右に振った。
 「いや。そいつらの、言葉に力を与える能力と【ヴァラフィス】は似ているが違う。やつらの力のように、他者に影響を与えたりはしない。【ヴァラフィス】はそれを紡ぐ本人だけに作用する力だ。あくまで能力者と【ヴァラフィス】の間のみで遣り取りされるに過ぎない」
 【ヴァラフィス】が己の内なる能力に干渉し、結果、それによって他者に影響を及ぼすと言う点では、同じかもしれないが。
 「…ま、無いなら無い方がいいって点においては、同じかもしんねぇけどな」
 そう呟いて窓の外、遠くを見詰めるオーマの横顔を、女性は静かな瞳で見詰めていた。
 【ヴァラフィス】は、いつでもどこでも能力者に作用する力ではない。己が内の具現とそれに伴い代償、と同時に、この世を侵食し続ける『具現』に反応して初めて、【ヴァラフィス】はその力を発揮するのだ。
 つまり、世を食い荒らす『具現』が存在しなければ、【ヴァラフィス】を行使する事もなかったのである。
 「…それは、卵が先か鶏が先か、って話と似たようなものじゃない?」
 「分かってるよ」
 オーマはテーブルに頬杖を突き、視線だけを空に向ける。

 彼女の力を全て譲り受けた彼は、あの後どうしたのだろう。あの一族は、女長の死をもって、全ての能力者は死に絶えたとされている。一族を仕切るほどの強大な力を得た彼、彼は、その力を行使したのだろうか。それとも。

 以前と違う空の色を見詰めながら、オーマは、大切なものを守る為ならこの世界が滅びても構わない、そう思う事は悪だろうか、等と呑気に考えていた。


おわり。