<東京怪談ノベル(シングル)>


暁に沈む船 −Daybreak−

 紳士淑女、ついでに少年少女。
 心地良い恐怖を胸に、船の先に立つ少女は言った。
「血と魂と、澱んだ心を貰いに来ました」

 少女の名は、トゥクルカ。
 破壊と殺戮を自らの糧とし、敢えて望む存在。
 振る鎌の先にいる存在を眼下に佇み、一つ、膝を折って小さく礼をした。

「……始めましょう。愚かなフェオに相応しいパーティーを……」 

 再び上げた目の先には、とても美味しそうな存在が並んでいた。

「……お前、死神か?」
 女騎士は問う。鎧甲冑を一切纏わず、それでも耐久性の高い衣服に身を包んだブロンドの女性は穏やかながやも冷たい眼差しをトゥクルカへと向ける。凛とした眼差しにはそれなりの自信と実力と、計り損なった相手の実力に対する嘲笑が窺える。
「そう思いたければ、ご自由にどうぞ」
 綺麗に微笑んだトゥクルカは、直後に微塵の慈悲もない光の矢によって全身を貫かれた。僅かに後方によろめ、それでも笑みは消えることはない。

 天を仰ぐように両手を広げながら、トゥクルカは海の中へと落ちていった。

 とぽん、という水音を聞きながら、騎士は静かに息を整える。“光の矢”は騎士の十八番だが、それなりの力を代償とする奥の手。一撃必殺故に、疲弊しすぎて以後の戦闘では全く動けないのが難点だが、と。一頻りの自己反省を終える前に、船はひどい揺れを発した。いや、ただの揺れではない。これはむしろ、
「……沈んでる、の?」
 膝を突いたまま、騎士は空を見上げた。そこにいた一人の影に、力なく再び腕を伸ばす。

「トゥクルカと一緒に、墜ちてゆきましょう……」

 声が聞こえた。
 船の沈没する轟音の中でも、それだけははっきりと。まるで意識自体に呼びかけているかのように。
 それは、ある種の恐怖を伴った。
 一つ、その事実の理解し難さに。
 一つ、自分自身が乗っ取られているような不気味さに。
 耳元で囁かれる音を振り切るかのように手の平に力を込め、再び“光の矢”を放とうと力を一身に込めた。

「……え」
 だが伸ばした手の先には既に腕は存在しなかった。血すら出ない、綺麗な断面が中心に骨を伴ってそこに存在している。逆の手も、やはり存在していない。
「わざと当たってあげたの。感謝してね」
 トゥクルカの衣服は既に修復が完了している。周囲は彼女の得手とする闇の世界。
 ひやりとする冷たさが、鎌の刃から騎士の首へと軽く押し付けられる。
「言い残したいことは、ある?」
 騎士は憤怒にまみれた目でトゥクルカを睨みつけ、幾言かの呪いを吐いた。その言葉ですら流すように嘲笑し、
「あなたは、そう簡単に死なせはしないわ」

 鎌は首を落とすことなく、騎士を即席の眠りにつかせた。
 それはトゥクルカらしくない、死を伴わない行為。
 だが、騎士にはこの方法が一番“負の感情”を煽らせる行為であった。

 人は、生きようとする。
 無駄に、足掻いている。
「生きようと、生きようとして。……その絶望が、最高なの」
 トゥクルカは海面に立つように飛びながら、海中に沈んでいく人間を眺めている。直接手は下さない。冷たい海でやがて生きることに餓えるそのときまで、決して殺しはしない。理性と本能の相反する世界で、永遠にもがき苦しめばいい。結末は一つだ。それがほんの少しだけ早まっただけにすぎないのだから、気にする必要は全くない。
 絶望? これが? だって、この者達の絶望は一瞬、或いは数十分にすぎないのに?
 トゥクルカは世界を見てきた。そこでは生こそが絶望であり、死こそが至福であり、しかし死の裁定者は自身にはない。そんな国もあった。
 それ故にトゥクルカは、その光景をさしたる奇異な光景とは決して思っていなかったのだ。

 翌日、船の残骸は港に流れ着いた。幸か不幸か、生存者は一人だけ存在していた。海に取り残されていたところを、偶然通りかかった漁船に拾われたという。それ以外の人間は、亡骸一つ見つからなかった。
 唯一の生存者は、両腕を失っていた。元から存在しないかのように、断面は綺麗だった。元は綺麗であったブロンドは、ひどくやつれた顔に次第に染まっていった。
 生存者は、何も喋らなかった。
 ただ、うわ言のように同じ言葉を繰り返していた。何かに取り憑かれたのかように、恐怖か或いは絶望を与えられたかのように。
 生存者はそれでも寿命とまっとうして、死んだ。

 この者達の絶望を国に、ママとパパに……そして、愛する女王様に捧げます。

 死ぬ直前まで、生存者はその言葉を繰り返していた。





【END】