<東京怪談ノベル(シングル)>
その声、神よりも強く
夕方になろうかという頃――街に響き渡る強大な泣き声に、オーマは思わず耳をふさいだ。眼前のそれを凝視する。――子供、だ。おそらく3、4歳の子供。男の子。
「ふぇぇえええええ!!!!」
一層に泣き出した子供は、その声で周りの人間の視線を一斉に集めた。
――って、ちょっと待てコラ。なんだこりゃ、これじゃ俺が苛めて泣かせてるみてぇじゃねぇか!?
はた、と気がついて周囲を視線だけで伺ってみる。案の定、胡散臭げに自分を見つめる街人達。
「ちょ、ちょっと、コラ、ガキ! 泣くな、泣くなって!!」
「ふえぇえん!!」
「ふえぇ、じゃねぇっつの!!! そんなに泣いてっと、将来健全な腹黒マッスル桃色パワー全開るんるん親父★ になれねーぞ!?」
別にならなくても良い気がするが、そこはそれ。必死の説得も伝わらず子供は泣くばかり。仕方が無いので、
「………俺は悪者じゃないぜダーーーッシュ!」
「ふえぇえええええええ!!」
子供をガッツリ小脇に抱え妙な名称のダッシュと共に走り去ったオーマであった。
◇
やってしまった後に、あれでは益々自分の立場が悪くなる――どころか人攫いと街中で手配されていたりしないだろうかとちょっぴりドキドキもしてみたが、それよりもまず小脇に抱えた子供のことだ。
露店の多かった先ほどの通りから僅か離れたその場所で、オーマは子供を下ろした。さっきまで泣いていたというのに、抱えられたのが面白かったのか今はもうニコニコとその表情を変えている。
「……ったく。これじゃ誘拐犯じゃねぇか」
勘弁してくれよな、と。自業自得と分かっていつつも呟いてしまう。視線を下に落とせば楽しげにこちらを見つめている子供が目に入って、オーマはヨイショと腰を下ろした。
「迷子になったのか?」
分かっているのかいないのか、子供がうんと頷く。嬉しそうな顔だ。きっと分かっていないのだろう。
「親はどうしたよ」
「う?」
「いや、う? じゃなくて」
「あのね、いないの」
「……あーあー、そうだな、いねぇよな」
分かりきった答えに、ガクリと項垂れたくなった。そもそも夕飯の買出しにきていたはずなのに、なんだってこんなことになったんだろうか。退院患者がいて気分が良かったから、今夜はちょっとばかし豪勢にしてやろうと――そう思って、この場所に来たはずだったのに。
気がつけば子供のオモリ。
楽しそうにオーマの服裾をつかんで遊ぶ少年に、どうしたものかと息を吐く。
親を探すのが一番いいのだろうが――
「おい、母親なんて名前だ」
「ママ?」
「そーだ、そーだ。ママだ。ママの名前」
「ママはママだよー!」
「いやだから」
「ママだもん」
「ママは確かにママだがママの名前を……」
「ママ………」
だぁ! とエンドレスになりそうな会話に頭を掻きむしって自分に落ち着けと心中唱える。あのなぁ、と言葉を告げようとした瞬間、再び子供の目が潤みだした。――ママ。忘れていた存在に気がついたようであった。やばいと思ったときにはもう、
「ふえええええええええ!!!」
辺り一体に響き渡る子供の泣き声。あまりの煩さに耳を塞ごうとした。
その瞬間。
「ぼうや!!」
背後からの声に、オーマは肩越しに振り向く。肩までの髪を揺らして走ってくる女性が一人。ロングドレスの裾も気にせず必死に走ってくる姿に、あぁ、とオーマはのんびりと立ち上がった。彼女の声に、子供もピタリと泣くのを止めている。
「あぁ、ぼうや、良かった……!」
しゃがみこみ子供を抱きしめる女性の姿。――母親。思わずオーマは安堵の息を吐いた。そこでようやく気がついたのか、女性が目に半分涙を浮かべたままオーマを見上げる。
ゆるり、口を開いた。
「あの、貴方が人攫いから救ってくださったんですか?」
「………は?」
人攫い。
人攫いにこの子が攫われたりしただろうか――?
「さっき、露店の方で……ぼうやが攫われたと聞いて、必死に探したんです」
「……………ああ!」
ポン、と手を打つ。
「そ、そーそー! 悪いやつは退治したからもう大丈夫だ!」
胸を張って口にしてみた。
人攫い。オーマのことだ。小脇に抱えダッシュでその場を去ったオーマを人攫いだと言う人続出の事態になっているらしい。
そんなわけだから本気で感謝されるとなんとなく申し訳ない気もしたが、だからといって自らその人攫いですと名乗り出る気も無い。有難うございます! と涙ながらに口にする女性に、いやいやと朗らかに笑って誤魔化した。
「それにしても……どうしてここにいるって?」
子供を抱き上げながら、女性が口にした。
にこりと笑いながら。
「ぼうやの泣き声、私、間違えたこと無いんです」
――その笑顔は、穏やかなのにどこか力強く、オーマはなるほどね、と頷いて返した。
◇
あのどうにも聞き取れない泣き声だけで母親をこの場に召還してしまうような――ともすれば子供と言う存在が、一番この世界では強い『ヴァラフィス』を用いることが出来るのではないだろうか。
家族という絆の秘めた力の内に、『ヴァラフィス』という能力を持って。
そうして、知らずお互いが力を発動させているのだろうか――お互いがお互いの為に。笑顔を具現するために。
そういう『ヴァラフィス』ならば大歓迎。世の家族全てがそうであればいい、とオーマは思わず小さく笑った。
「さぁて、買出しに戻るかね。――我が家族の為に」
空は茜色へ移り変わろうとしている。
オーマは一度ぐっと背伸びをして、再び露店へと足を運ぶのだった。
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