<東京怪談ノベル(シングル)>


『認められる、その存在』



「この世から、消えてしまいたい」
 その女性は、回診に来たオーマにか細い声で呟いた。
 天使の広場で総合病院を開き、神業の如くの腕を持つ医師、オーマ・シュヴァルツは1週間前、1人の女性をこの病院に預かった。
 女性は年齢は25歳で、長い黒髪がまるで烏の羽のように艶やかで美しい、一見すると大人しそうな女性であった。性格も控えめで、幽霊やらおかしな生き物までもが病院にうろつく中、彼女はいつも落ち着いていて、オーマの言う事ははい、はいと何でも良く聞くのであった…いつもならば。
「その言葉は口にするんじゃねえと言っただろうが」
「でも、私なんて誰にも必要とされていないんです!生きていても仕方がない人間なんです!」
 オーマが言葉を言い終わると同時に、女性はヒステリックな声をあげて、ベットのシーツをくしゃくしゃに丸めて、そばにあった枕を取り上げて床へと投げつけた。その衝撃で、枕に切れ目が入り、中に詰めてあった羽毛が噴水のように飛び出し、空中を舞っていた。
「そんな事はないだろうが。そうやって勝手に自己嫌悪になるのはやめねぇか。ほら、いい加減落ち着けって、ほら」
 オーマは回診に持ってきた甘いジュースとハンカチを女性に渡し、その巨大な体に優しい笑顔を浮かべて、彼女が落ち着くのをじっと見守った。
「自分ほど、自分をまっすぐに見られねえもんだぜ?俺だってよ、昔は」
「でも、オーマ先生は誰からも認められている人じゃないですか!」
 オーマの言葉をさえぎり、女性はハンカチで涙を拭いながら感情的な返事をした。
「こうして病院にいて、皆から信頼されて、いつも楽しそうで。奥さんもお子さんもいる。だけど私は、誰からも見向きもされないし、男性にもてた事なんて一回もない。声もかけられた事なんてないです。いつも、地味で1人でいる事が多くて。一人で小物を作るのが好きですけど、でもそんなのは」
 女性の瞳から、再び涙が零れ落ちた。
「そんな事言うもんじゃねえぜ?どこかに、お前を必要としている人がいるに違いないって。今は、1人かもしれねえけど、そんな事この先どうなるかなんて、わからねぇだろ?」
 1週間前、オーマは副業を終えてこの病院に帰ろうとした時、裏口の壁に寄りかかり、1人でずっと泣いている女性を見つけたのであった。
 オーマがどうしたんだ、と話し掛けても、なかなか口を開かず、しかし夜になってもそこにいて、どこかへ帰ろうともしないものだから、夕食ぐらい食べていくか、と声をかけ、彼女を病院内へと入れたのであった。
 オーマが明るく話し掛けても、彼女はずっと俯き加減で、たまに自分の事をぼそぼそと話す程度で、何かの言葉を聞いては、自分はこの世にいらない人間だと言い、泣き出してしまう。
 結局、その日女性は病院内に泊まる事になり、朝を迎え、朝食でもまたヒステリックな自己嫌悪を繰り返し、オーマがそれをなだめ…という事を繰り返しているうちに、1週間が過ぎていったのであった。
 病院内の者やオーマの家族達も気を使って、女性が食事をする時は、オーマと二人だけになるようにしていた。
 その1週間の様子を見てオーマは、彼女は体こそは健康だが、心は病んでいる、一種の精神病だと思ったのであった。
「でも、私今までだってずっと誰かの陰に隠れて、表に出たことなんてほとんどなかったんです。学校では、皆の中心にいて、人気者の子が凄く羨ましかった。いるかいかないかわからない子だって、親に良く言われました。性格って、なかなか治せるものじゃないですから、この先もきっとみじめな人生を送るに違いないです」
「それは、お前がそう思ってるだけだろ?他の人は、お前の事どう思っているかなんてわからないじゃねえか」
 オーマが女性にそう返事をした時、後ろから足音がして、オーマの肩を叩いた。
「オーマさん、そろそろ次の回診に。皆、待ってますよ」
 助手が、オーマをせかす。
「ひとまず、今はバタバタしてるからな。また後でゆっくり話そうぜ?」
「本当に凄いですね。皆が待っているなんて、羨ましい事」
 女性はそう言って、丸めたシーツを伸ばし頭から被って、ベットに寝てしまった。
「やれやれ。気持ちはわからなくはねえけど」
 オーマはシーツに包まっている女性を見つめながら、静かに呟いたのであった。



「おい、昼飯の時間だぜ?お前昨日、パスタ料理が好きだって言ってたよな?だから今日のは俺の手作りの」
 オーマはエプロンをかけ、女性のいる病室の扉をあけたが、ベットはからっぽであり、女性の姿はどこにもなかった。
「お?散歩でも行ったか?」
 窓のカーテンだけが風に揺れていた。
「何だよ、作り立てがうまいのにな、グラタン」
 これは助手達にやって、女性が帰った時に新しいのを作るか、とオーマが思った時、病院内に生息している人魂が通りかかった。
「おいお前、この病室にいた女、見なかったか?」
「そのコなら、さっき、外へ出るのを、見たヨ」
 ぼんやりと途切れ途切れの声で、人魂が答えた。
「やっぱり散歩か?それとも、家に帰ったのか」
「でも、あのコ、何かを考えていたみたいだ、ネ。とても、思い詰めて、いたみたいだったケド」
 人魂がそう答えるのを聞き、オーマは心の奥から、一欠けらの不安が湧き出てくるのを感じた。
「ああいうタイプの人間は、自己嫌悪に陥って思いつめた時が一番危ない。まさかとは思うが」
 すでにオーマは、外へ向かって走り出していた。外に出て、天使の広場を走り回っているうちに、ふわふわとしたあの人魂の言葉が頭の中を巡っていた。何かを考えていたみたいだ、とても思いつめていたみたいだ、と。
「おい、このあたりで黒髪の女、見なかったか?」
 天使の広場中の店や通行人に尋ね、そこで目撃した者がいない事がわかると、オーマはさらにアルマ通へと走った。
「あ、その子なら、時計台ですれ違ったかも」
 その親子連れが答えた。アルマ通りに大きな時計台があって、そこは最上階まで昇る事が出来る為に、町を見渡す観光地となっており、このあたりでは城に次いで一番高い建物であった。
「間に合ってくれ!」
 オーマはまわりにいる観光客を中ばどけるようにして時計台を駆け上がり、最上階へ辿り着いた時、そこに座り込んでいる女性の後姿を発見したのであった。
「おい!!!何をしているんだ!!」
 女性は驚いたように振り返った。
「ここから飛び降りたら、私、この世界から消える事が出来るかも、と思ったのです。でも、ここはとても高くて、風が強くて、飛び降りる事なんて出来なかった。私、臆病ですね」
 力のない声で、女性が答えた。
「バカな事言ってるんじゃねえ!俺に言わせれば、お前が思いとどまった事の方がよっぽど勇気があるんだよ。自殺なんてのは、生きることから逃げる事だ、そんな事するのは、俺が許さねえ」
「そうなのでしょうか」
 女性がぼんやりと呟く。
「でも、何だか嬉しかったです。私を探しに着てくれた事がとても」
 女性は初めて、わずかに笑って見せた。
「慌てさせてしまったのですね。病院にいた時と同じ服のまま、飛び出して来てくれたのですね」
 自分の服を見て、女性が笑顔を見せた。
「ん、ああ、慌てたのは確かだが、この服はな、別に病院だから着てたわけじゃなく、いつも着てないといけねえんだ」
 まるでこれから戦いにでも行くようなオーマの服であったが、女性はそれが病院での制服だと思ったのだろうか。
「着ていないと、いけない服なのですか?そういえば、昨日もその前もその服を」
「なあ、お前の事、まだ話してもらってねえよな?医師としても、お前の事を聞かせて欲しいんだよ。ちょうどいい、俺の事少し、話してやるから、お前の事教えてくれねえか?」
 時計台から広がる景色を見つめ、オーマは女性に優しく語りかけた。女性は黙っていたが、オーマは話を続ける事にした。
「ヴァンサーって知ってるか?」
 女性は首を振った。
「俺は医者なのはわかっていると思うが、俺はヴァンサーでもある。この世界は、色々な異世界につながっているが、その中のひとつに国際防衛特務機関があってな。まあ、わかりやすく言えば、俺はそこの軍人だったってわけだ」
「軍人、だったのですね。でも、何となくわかります。先生、逞しいですから」
 女性がにこりとして答えた。
「そこにいた時は、色々な事があったもんさ。仲間もいた。馬鹿な事言ったり、真面目に語ったりした。これが、その時代の証拠だ」
 オーマは自分の体に刻まれたタトゥーを、女性へと見せた。それはヴァンサーの証であり、全ヴァンサーが正式にソサエティに認められた際身に必ず刻まれるものであった。
「そして、この服はその世界から持ってきたものだ。俺の姉が…、血はつながってないんだが、その姉が作ってくれたものだ」
「お姉さん、裁縫が得意だったのですか?」
「いや」
 オーマは言葉を返した。
「ちょっと特殊な服でな。これはヴァレルって呼ばれる服で、ヴァンサー専用戦闘服なんだ。その世界で戦闘に出る時は、必ず身につけていなければならないものだ。そしてこの服はヴァレルマイスターと呼ばれる者だけが具現する事が出来る。つまりは、この服は姉が具現したものってわけだ」
「具現って何です?」
 女性が首を捻った。
「簡単に言えば、何かを生み出す能力だな。異世界では、その力を持っていた者は、一部には憧れの目で見られていたが、ほとんどの者は怖がり、恐怖の目で見られていた。いわゆる異端者って奴だ。そしてヴァンサーはその具現の力を持っている。俺もな。俺も、その世界では異端者扱いだった」
「異端者?じゃあ、先生はそこでは、皆から怖がられていて?」
 驚いた表情で女性が自分を見つめていた。
「そうだ。お前は自分が必要のない人間だって言ってたが、必要とされないどころか、嫌がられる者だっているんだぜ?だから俺は、仲間と一緒に、そんな異端人が安心して過ごす事が出来る夢を描いたが」
「先生にも、そんな事があったなんて」
 下を俯き、女性が小声で答えた。オーマは女性から町を見下ろす景色へと視線を移し、話を続けた
「異世界では、その具現の力を使うと、己の身が消滅してしまう危険性がある。だから俺達は、このタトゥーを媒介にしてヴァレルを召還し、着用していた」
「でも先生、どうして今もその服を着ているのですか?ここはその世界とは違いますし、戦いなんて」
 眼下に、走り回っている子供達がいる。ここはあの時と違って、とても穏やかな世界なのだ。だからオーマも、医師としての自分を確立する事が出来たのかもしれない。
「俺はさっきも言ったように、この世界は違うところにいた存在だ。だから、俺のような異なる者に対する、この世界の侵食は強くてな。侵食を防ぐ為に、いつでもヴァレルを着用していないといけねえんだ。だが、俺は医師として戦っても、この世界では人々を助けると決めたんだ。服装は戦闘服でも、それは見かけだけだ。そこんとこは、ハッキリさせておきてえんでな」
「そうですか。人は見かけによらないものですね。私、母親と喧嘩をしてしまったんです。原因はたわいもない事ですが、母が感情的になって、色々と言うものですから、嫌になってしまって、つい家を飛び出して。今まで蓄積されていたものが、一気に爆発してしまったのでしょうか、私の中で」
 その時、時計台で鐘の音が鳴り響いた。空の反対側が、赤く染まってきていた。
「そろそろ帰るか?俺はずっと病院にいたっていいが、心配してるんじゃねえか?家出なんてしたら」
「そうですか?何のとりえもない私なんて、家にいてもいなくても同じ」



 オーマと女性は、階段を降りて、時計台の外へと出た。アルマ通り、天使の広場を抜けて、病院へと戻った時、1人の中年女性がこちらに気づき、女性に抱きついたのであった。
「どこへ行ってたの!夜も眠れない程、心配したんだよ!」
 そう叫んで、その中年女性は泣き崩れてしまった。
「そんなに、心配?私がいなくても、変わらないんじゃないの?」
「あの時は感情的になってそう言ったけど、どうして実の子供をそう思えるっていうの!?」
 中年の女性は目の下にクマを作り、まるで病人のようであった。いつまでも泣き続けるので、オーマは女性の肩を優しく叩いた。
「ほら、お袋さんはお前を必要としてるって事わかるだろ?この姿が嘘に見えるのか?そうだとしたら、お前の目は節穴だな」
 女性はしばらく泣き崩れる母の姿を見つめ、やがてオーマに言葉を返した。
「一度離れてみて、わかる事もあるのですね。私、母にこんなに心配をかけているなんて、思ってなかった」
「わかっただろ、自分のやっている事が。お前は必要のない人間なんかじゃないな?そんな人間を、狂うような気持ちで待ち続けたりは。しないよな?」
 オーマがそう言うと、女性は嬉しそうに静かに頷くのであった。



 オーマと女性が別れた後、女性は家に戻り、小物を作るのが好きという特技を生かして母親と父親、3人で雑貨の店を開き、やがて町で一番の店となった。あまりにも忙しい日々に追われ、自分が必要のない人間だとか、そうではないとか、そのような事を考える暇もなくなってしまったらしい。
 だから、久々に女性に会った時、以前とは比べ物にならない程顔が明るく、自分に自信のある女性になっていた事を見て、オーマは安心した。
「いつかどこかで、自分は必要とされているもんさ。例え異端者でもな」
 お礼を言う女性に、オーマは優しくそう言うのであった。(終)



◆ライター通信◇

 いつも有難うございます、新人ライターの朝霧です。今回は、物語を考え付くまでになかなか時間がかかりました。プレイングにある設定を、物語にどう生かそうかでかなり悩みまして、自分を必要としないと考えている女性の話に、この設定を乗せてみました。
 ギャグにしようかシリアスか、どちらにしようかと思いましたが、プレイングがかなりシリアスだった為、今回はシリアスなお話となりました。ヴァレルや異世界など、その設定を会話の中に盛り込んでみたのですが、意味を取り違えて書いていたら申し訳ないです(汗)
 それでは、どうも有り難うございました!!