<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


SERAPHIM

 エルザードから離れた世界。そこは砂漠、聖獣の庇護も届かない地。
 全てのモノから見捨てられたが故に、生命が生まれる事はほとんど無い。
 そんな場所で生活など出来よう筈もなく、
 人が行かない場所から、人が行く事が出来ない場所へと認識が変化して行き、そして、
 ――砂漠には決して近寄ってはならない――
 いつしか、そんな言葉さえ囁かれるようになる。

 そこは禁断の地。

 人が入るに相応しくない所――と。


 空の大海原を、静かに船が走り抜けていく。
 それは通称飛空挺と呼ばれるもので、遥か過去の遺物から見つけ出した魔力の塊を使って空に浮かせた船である。
 主に交易に使われるこの船だが、上下三段に仕切りがなされており、船倉――底には交易のための荷がぎっしり詰め込まれ、その上にはそれら荷を運ぶ人間や商人たちのような比較的頻繁にあちこちを行き来する者が乗り、そして一番上は船で言う甲板に当たっていて、クルーたちが風の向きや船のバランスを見ながら航行を行っていた。
「彼女ー、ひとり?暇があるんやったら、俺らとお茶せえへん?」
 そんな客用の空間で、何をするでなくぼうと前方を見ていた少女に、声がかけられた。
「……………」
 ちらとも視線を向けようとせずにいる少女に、めげずににこりと笑って、少女の視線を遮るようにしゃがみ込むのは、声をかけた青年――パシール・レギスタン。
「なあなあ。どっから来たん?…って、少し話そうや、同じ年頃のヤツて周りにいてへんから暇やねん」
 …確かにパシールが言うように、この船に乗るような客層に若者はまず見当たらない。パシール自身は周りにいる商人たちと同じくソーン中を駆け回るような仕事をしているのだから、そういった同年の人々を望む事は無かったのだが、今日は珍しい事に1人の若者が――それも、女の子が乗ってきたのだから、パシールからすれば声を掛けずにはいられなかったのだった。
「…話す事なんて…ない」
 だが。
 ようやく返って来た言葉は、酷くそっけないもので、うーんとパシールがつい唸ってしまう。
 そこに、
「きゅむっ」
 小さな生き物がひょこんとパシールの置いていた荷物から顔を出して、主を呼んだ。
「はいはい、ちょお待てや全く。ええところやったのに」
 相手と僅かながらでも会話が出来たのもつかの間、どうやら自主的にかくれんぼをしていたらしいペットのチビが主を呼びつけたので、仕方なしにそっちに行く。と、ちょろろと手を伝い肩の上によじ登ってこつんと頭をぶつけてきた。匂い付けであり親愛の情を示すポーズでもあるそれにしゃあないな、と呟いて頬と喉を軽く掻いてやる。
 ――?
 ふと気が付くと、先程の少女がじぃっと自分を見つめていた。…いや。
 視線は真っ直ぐ、肩の上の生物へと注がれていた。
「きゅ?」
 ひょこんとチビが立ち上がり、くんかくんかと空気の匂いを嗅ぎ、そしてパシールの身体から降りて真っ直ぐ少女の元へと向かった。
「あ、おい」
 床に座っている少女のぎりぎり手の届かない範囲までちょろちょろと近寄って行くチビと少女の目が合う。
 そして。
「………」
 おずおずと、少女がチビに手を伸ばしてきた。
 くんくんとその指先の匂いを嗅ぎ、こつんと自分の頭をぶつけるチビ。
「こおら、何ご主人様を差し置いてナンパしとんねん」
 人馴れしているチビが早速と自分の匂いを相手へ移しているのを見たパシールが、むぅと少し拗ねた顔をして近寄って来た。
「…あなたの…ペット…ともだち?」
 だがそれは、結果的に良かったのかもしれない。
 さっきまでの警戒心、というか無関心は吹き飛んだ様子の少女が、目元をほんの少し柔らかくしながらパシールを見上げていたからだった。
 ――よっしゃ。
 内心ガッツポーズ及びチビにご褒美を確約して、
「隣、ええか?」
 自分でも物腰柔らかく、にっこりと笑いかけた。

 ――少女は、サモン・シュヴァルツと名乗った。

*****

 サモンの口数が少ないのはどうやらいつもの事らしいと分かったのは、数語言葉を交わした後の事。
 そして、自己紹介と2人の間を行き来するチビを紹介した後は自然と会話が続かなくなり、隣り合わせに座りながら何となく押し黙ってしまう。それは、決して不快な雰囲気では無かったが、パシールは物足りなさも感じていた。
 そこへ。
「――と言う訳で、未だ戻ってこないんだ。いくら探究心旺盛でも、戻ってこれないような場所へ行くのはなぁ…」
「噂じゃソーン創世の謎がそこにはあると言うが…真理が分かったとしても仕事の糧にはなりそうも無いな」
「全くだ」
 目の前に座っている商人たちが、各地で見聞きしたらしい事を話していた。その多くは穀物の収穫具合がどうの、どこどこで小競り合いがあるらしく治安が悪くなっているの、公国付近の村は見返りは大きいがリスクが高すぎて困る――そんな『仕事』絡みの情報交換が主で、その合い間合い間に信憑性のあるようなないような曖昧な噂話が混じっている。
「何せ人も住まないような砂漠じゃなぁ」
 その言葉に、何故だか隣に座っていたサモンがぴくりと動いた。パシールが不思議そうに見るも、彼の視線に何も言い訳する事無く、先程よりも熱心に目の前の噂話に耳を傾けている様子にちょっと肩を竦め、今会話にあった砂漠の事を考え始める。

 ――砂漠。

 不毛の地と言う他に何の魅力も見出せない土地であり、一度もそこに足を踏み入れた事は無い。噂によればそこは『禁断の地』と呼ばれているらしいが、それすら眉唾だと思っている。
 そこにあるのは謎でも真理でも無く、ただの砂だと。…自分が以前住み暮らしていた場所と同じように。
 この飛空挺も、砂漠の上は飛ばない。ユニコーン地方をぐるりと回るようなコースを定められているため、少しの間甲板から砂漠が見えるだけだ。
 パシールは何度もその風景を見てきた。
 遥か遠くまで延々広がる砂地と、遠くに見える砂嵐の他は何も無い。
 だからわざわざ人が足を踏み入れたりはしないのだろうと、そう思っていたから。
「………」
 なのに、隣にいる少女は、愚にも付かない噂話に真剣に耳を傾けている。その言葉から何かが見えるとでも言うように。
「サモンちゃんやったか。そんなに気になるなら、少し上にいこか?もうそろそろソレが見える頃や」
「……。行く…」
 ちゃん付けされる事に慣れていないのだろう。一瞬きょとんとした目がパシールを見詰め、そしてこくりと僅かに頷いて立ち上がった。

*****

「ほらチビ、ポケットん中入れ。風に飛ばされたら捕まえられんで」
 甲板に上がると、ごうごうと風鳴りが聞こえる。
 とは言え、甲板上はそれほど強い風が吹いているわけではなかった。これも魔法の力なのか、中を流れる風は緩い。前髪が少し鬱陶しく流れる程度だった。
「ほら、あれや」
 パシールが指し示すのは、山に囲まれた地の向こう――黄色い世界。
 あれが全て砂で出来ているのだとしたら、確かに不毛の地に違いない、そう思わせる光景。
 だが、サモンの表情はごく僅かながら眉が寄せられていた。
「サモンちゃん…どないした?何かあるんか、あの向こうに」
 パシールが首を傾げつつ彼女に訊ねると、その形良い顎が下に下がる。
「――を…感じる…」
 その言葉は、風にかき消されてパシールの耳にまで届かなかった。
「え、何?もっぺん言ってや――」
 サモンに一歩近づき、顔を寄せながら2度目の彼女の言葉を待った、その時。

 ――う、うわぁっ!?

 悲鳴と共に、ぐらりと――船が、揺れた。
「サモンちゃん!」
 ぎゅっと彼女を自分ごと手すりに押し付ける。一瞬驚いたように目を見開いたサモンだったが、状況を判断し自分も瞬時にパシールと一緒に手すりにしがみ付いた。
 パシールが飛空挺を利用し始めてから、初めての事だった。
 船が、斜めに落ちていく。…不毛の地、砂漠へと真っ直ぐに。
「だっ、駄目だ、コントロールが――!?」
 必死で体勢を立て直そうとしている船員たちの声と共に、船は加速度的に落ちて行き――。

 ずううううんん―――――

 地の底からの響きと共に、激しい衝撃が船全体を揺さぶった。

「……収まった、か」
 手が白くなるまで手すりを握り締めていたパシールが、完全に動きが止まったのを見てようやく少し力を緩める。
「…多分…」
 ふぅ、と小さく息を吐いたのは、パシールに抱きかかえられるようにして手すりにしがみ付いていたサモン。少し身動きして、緊張で固くなった手や身体をほぐしていく。
「サモンちゃん、怪我ないか?」
「……大丈夫……パシールこそ…平気?」
 さっきまで見知らぬ他人だった彼女が、今はパシールを気遣ってくれる。それがなんだか嬉しくて、パシールがにいっと笑い、
「平気や。俺丈夫やし」
 どん、と胸を叩いた。
「きゅむぅ」
 その衝撃で、胸ポケットに身体を潜り込ませていたチビが、抗議するように顔を出して声を上げた。その様子に2人が顔を見合わせて笑う。
「――ああ、ええ顔や。サモンちゃん、いつもそうして笑ってたらええのに」
「……え……」
 途端、自分が笑っていた事に気付いたらしいサモンが、急にすぅと表情を無くして、ぷいと横を向いた。――照れているらしい。
「まあ、ええわ。それよりも、こうなったらここから早よ出なあかん」
 よりにもよって墜落したのが砂漠の上とは、ついてない。
 そう言えば他の、クルーや商人たちはどうしただろうと振り返ったパシールの身体が凍りついた。サモンの目もすぅっと細められ、全身が緊張に包まれる。
 2人が目にしたものは、まるで時間が止まったかのように、落ちる直前の恐怖にパニックに陥ったまま固まっているクルーの姿だった。
 上と下を調べまわった結果、怪我人は奇跡的に無いものの、動いていられるのが自分たち2人だけと言う結論に達する。
「どういうことや…?こんなん初めてでよぉ分からんわ」
「……僕の…関係かも、しれない…」
 ぽつりとサモンが呟く。それをどう言う事かと聞きただそうと思ったパシールだったが、
 ずううん、と再び船が揺れ始めて、慌てて2人が甲板に駆け上がった。
「――あれは………!」
 サモンが地面を見ながら叫ぶ。
 そこにあるのは、砂でありながら水のように溶け行く砂漠の姿だった。
「流砂――か?」
「違う」
 短く言葉を切って、首を振るサモン。
「……只の砂なら…波紋は……出ない」
 そう、言葉通り。
 船をすっぽりと包む範囲の地面が、砂であるにも関わらず波打っていた。
 そして、流砂ならばすり鉢状の姿になる砂は、平たいまま、ずぶずぶと船を、乗客をまるごと飲み込んでいく。
「……やっぱり…具現…」
 船の舳先から砂の上へ飛べば、自分たちは巻き込まれるのを防げるかもしれない。この先に何が待ち受けているのか、分からないのだから、それは生存と言う意味では正しい行為だと思う。
 けれど、
「――パシールは…今の内なら、まだ、間に合うから…」
 パシールに逃げるよう言って、この中に飛び込もうと決めているらしいサモンを1人で行かせるのも、男として間違っているように思う。
 それに…何度も利用するうち、顔見知りになった乗組員や、同業者たちを置いて自分ひとりだけで逃げると言うのも、後味が悪いばかりでなくきっと後悔するだろう。
「しゃあないな」
 ぱちん、と気合を入れるために両頬を手で叩く。
「よっしゃ、俺も行くわ。こう見えても役に立つで?それに――放っとけないやろ」
 何が、とは言わなかったが、
「……それじゃあ……宜しく」
 決心の程を見て取ったサモンが、薄らと微笑んで、パシールの手を取った。

*****

「……着いた、みたい」
「そやな。…なるほど、な。こんな事が起これば、行方不明にもなるわ」
「…うん…そうだね…」
 船は、巨大な遺跡らしき建物の中にちょこんと鎮座していた。――乗客たちの時間が動き出した様子は無く、それを確認してから2人で遺跡の奥へ向かう。
 ――と言うよりは、サモンの動きにパシールが付いて行っているようなものだった。
「サモンちゃん、この遺跡知っとるんか?」
「……いや」
 ふるふると首を振るのに、足を止めようとしないサモン。
「それにしちゃあ、目的がはっきり分かっとるような足取りやな」
「……ああ……『匂い』を辿っている…だけだから…」
 たどたどしいサモンの言葉を要約するとこうだ。
 彼女の持つ能力の中で、この世界の人間、あるいは能力者と全く異なるものがある。
 それが、『具現』の力。それは無から有を作り出すと言う掟破りの能力で、彼女たちのような能力者はそうして武器を作り出したり、その他の用途で使ったりしているのだと言う。
 そして、そうした具現の力というものは、自然に生み出されたものでは無いが故に、ある種の歪みが起こるものらしい。それを『具現波動』と彼女らは呼ぶ。
 具現の能力を行使したかどうか、能力者かどうかという所まで判断出来るとサモンは言った。
 今もこうして迷い無く複雑な遺跡の中を歩いているのも、具現の波動を感じたから、と言う事らしい。
「じゃあ、さっきの変な砂の動きは」
「……そう。あれも…具現。ただ……余程の能力者でもない限り……空間を繋ぐような、無茶な使い方は……出来ない…」
 ということは、この先に待つ者は並大抵の力を持っている者ではないと言う事か。
「そんなん相手にして、勝てるんか?――ツレ呼んだ方がええんと違うの?」
「…時間があれば…そうしていた、かも」
 具現の力を使って空間と空間を繋ぎ合わせたとしても、それを維持するのに延々と具現の能力を行使しなければならない。具現物を作り上げるのとは訳が違うのだ。
 しかもこの大きさであれば、サモンが仲間を呼ぶ間に空間が閉じてしまう可能性は充分にあった。だから、迷う事無く飛び込んでいたのだが。
「かー。冷静に見えたけど意外に無茶な事やるんやな」
「……ひとの事は…言えない…」
「分かっとる。俺かて無謀やっちゅーのは分かっとる。…しゃあないな。こうなりゃ地の果てまでお付き合いしまっせ」
 ふ、とサモンが微笑む。
 それを、ああいい顔やな、と口に出す間も無く、サモンがぴたりと足を止めた。
 目の前には、底が見えない深い亀裂が広がっている。その向こうには、まだ長い通路が見え、
「ここ、渡らなあかんの?」
 パシールが頷くサモンを見て、ふーむ、と腕を組んだ。
「この長さやと…梯子かなぁ」
 がさこそ、とこんな時でもずっと肌身離さず持っていた鞄を開けて中を探る。不思議そうにちらと鞄をサモンが見たその時、
 にゅう、と無造作に突っ込んだパシールの手から、木で出来た丈夫な梯子が顔を出した。そのまま、鞄の大きさを無視してずるずると表へ引きずり出され、それが亀裂の上へと掛けられる。
「このままやと足場不安定やな」
 次に取り出したのは、数枚の木の板。それを同じく次々と出した釘と金槌でとんてんかんてんと何箇所か打ち込んで行き、気付けばそれは細いながらも立派な橋となって亀裂の上にかかっていた。
「さ、どーぞ。落ちんようにな」
「……」
 何か言いたそうな顔ながら、それらをぐっと飲み込んでこくりと頷くサモンが、危なげなくたたたっと梯子の上を駆け抜けて行く。その後をパシールが続いた。
 ――遺跡の大きさに合わせた巨大な扉の目の前に2人が立つまで、似た様な事が繰り返された。
 麻痺性のガスが充満した部屋を潜り抜ける時にガスマスクを取り出したり。
 槍が降ってくる部屋では金属製の大きな箱を出して来て、2人で被ってえっちらおっちら進んだり「しまった、も少し小さな箱やったらもっと密着出来たのに」「……今すぐ外に出たい…?」「すんません言い過ぎました」。
 ゴーレムのような石人形が数体現れて侵入者撃退に動き出した時は、サモンの邪魔にならないよう攻撃範囲外から応援しつつ、鞄から無骨で大きな銃――グレネードランチャーを取り出して、サモンから離れた敵へ撃ちまくって破壊したり…反動で何度かひっくり返ったが、幸い怪我には至らなかった。
「……魔法の鞄……?」
 そうした武器の強さよりも、戦闘慣れした恐ろしいまでの的確な攻撃で敵をあっさりと破壊し尽くしたサモンが戻ってきて、ぽつりとそんな事を呟く。
「ああ、そうやけど、流石にサモンちゃんみたいに無いモノは取り出せへんで。ぜーんぶ俺が仕入れて来た品やねん。しょーばい道具っちゅうやつや。やから、単にコレはちょっと便利な鞄っちゅうだけや」
「…それは…悪い事、した…」
「ああ、ああ、気にすんなて。そんな切ない顔せんでー、俺がやりたいようにやってるだけなんやから」
 申し訳無さそうにしゅんと肩を落としたサモンを、おろおろしながらフォローするパシール。途中からチビもそれに加わって、静かな遺跡の中にきゅむきゅむと言う声が広がって行った。
 ――そして、ここ。巨大な扉の前に立つ2人に、びりびりとしたプレッシャーが押し寄せて来る。
 それがサモンたちの間でウォズと呼ばれる存在だと知ったのは、もっと後の事。
 今はただ、具現の波動は分からないなりに、強敵がそこに潜んでいると言う事だけは肌で感じ取っていた。
「…大丈夫や。俺が付いてる」
 サモンと、ポケットの中に潜り込んだきり震えているチビに声をかけると、目を見交わして頷き、サモンがそっと扉に触れた。
 ぎぃ――――
 サモンの力か、それとも何か他の作用か、扉がゆっくりと内側へと開いて行き、
 ――『それ』が2人の前に姿を現した。

*****

 最初は伝説の魔獣かと思った。
 何故なら、それはいくつもの顔を持っていたから。
 だがそれがほとんど全て、人間の顔だと気付いた時、サモンの様子が変わる。

 ――ひやりと。

 部屋の空気が凍りつく音が、聞こえたような気がした。
 それは先程の戦闘が児戯だったと誰の目にも見える戦いだった。
 武具を構え、撃つ、そして相手の攻撃を喰らう前にその場から去る――ヒットアンドアウェーがこれほど綺麗に見えるのも初めての経験で。
 その内、浅い攻撃を何度か繰り返していたサモンが、ざあっと地面に屈みこむと、きっとウォズを睨み付けながら――その細腕に思い切り力を込めて叫んだ。
「―――ぉおおおおおおっっ!!」
 澄んだ少年の声のようだ、とパシールが思った。
 そして見る――サモンから生まれ出ずる、六翼天使、いや、銀の龍の姿を。
 それが『具現』によるものだとは思えなかった。まるで伝説の存在を召喚してみせたような、そんな神々しさに満ち溢れていたから。
 ウォズもまた、畏れを抱いたか、銀龍が出現してからは急速に動きが鈍り、巻き付かれ、爪で身体を削がれ、気付けば――どう、と倒れ伏していた。
「……封印……する…」
 戦闘疲れのためだろうと、思っていた。
 だから、よろりとウォズの傍らに跪いたサモンが、ウォズがその場から光と共に消滅した直後、ぱたりと前のめりに倒れた瞬間、背筋が凍りついた。
 何も考えずに、全速力で駆け寄って抱き起こす。
「――――っ」
 その勢いで、サモンが薄らと目を開いた。
「…死んでない…」
 パシールが何か言う前に、サモンが先んじて言葉を告げた後で、きゅっと眉を寄せた。
「……良く、聞いて…急いで――船へ。ウォズが消えれば、空間が、閉じる……早く、助けられる、ひと、だけでも……」
 最後の言葉は消え入りそうな程小さく、そして何とかそこまで言い終えると、今度こそかくんと頭を垂れる。
「おっ、おい」
 ゆさゆさと揺さぶっても再び目を開ける様子は無い。口元に耳を当てると微かながら呼吸をしているようだし、その呼吸に乱れは無い。――疲労が極限に達したのか、それとも力の使いすぎで気絶したか、どちらかだろうと検討を付けるとサモンを抱き上げ、鞄を小脇に抱え、
「よっしゃ、急ぐでっ」
 と、ばたばたと駆け出した。
 ――が。
「うぐぇっ」
 づんっ、と襟を後ろから引張られて、危く息が止まりそうになる。
「何すんねん!――て…」
 そこには。
 能力者サモンが気を失ったと言うのに、未だ消えていない銀色の龍がいた。
 じぃ、とパシールを見詰め、くねんと身体をくねらせて背中を見せる。
「…乗れ、っちゅーのか」
 こくこく、と頷く。どうやら言葉は話せないものの、意思の疎通は出来るようで、それなら龍の背の方が急げるだろうと、
「頼むで」
 短く一言告げて、その背に飛び乗った。良かった、これならタイムラグ無しで『あれ』が使えると、片腕でサモンを支えながらその道具を用意する。
 急がなければ――。
 龍が風を切って先に先に進んで行く。――その、途中で、パシールは知らず知らず何度か後ろを振り向いていた。
 誰も追って来て居ない事を確認するかのように。
 いない、のに。

 ――何故『見られている』と確信を持っているのだろう――。

「……ぅ…ぁ…」
「サモンちゃん?どしたんや、大丈夫やで、俺らはちゃんと出口に向かっとる」
 突如、まだ意識の戻らないサモンが身震いして、目をぎゅっと閉じたまま口を開ける。
「――くるよ――くる、よ――」
 ――何が。
「大丈夫や、大丈夫やて」
 うわ言のように何度も繰り返すのは、パシールも気付いている『何か』の気配。
 いやそれは気配などと言う生易しいものではない。
 言うなれば、それは、心の中まで見通す目であり脳をかき回す嘲笑い声であり、自分たちを掴もうと、いや掴んでいる手であり踏み潰そうとする足であり――飲み込もうとする口であった。
 『それ』に比べれば、先程のウォズなどは、いくら人を喰った跡があったとは言え、巨人と虫程の差がある。
「くそう、マジモンかい――」
 その気配に一番近いものを挙げろと言われたら、パシールは苦々しい思いでこう言うだろう。
 ――古の神殿――と。
 してみると、あの商人たちの噂もあながち間違ってはいなかったと言う事か。
 ソーン創世の真理が砂漠にあると言う、あの噂が。

*****

「ようやった、ありがとさん」
 ぽんぽんと龍の首を叩くと、
「ご苦労さんで悪いんやけど、この船の中におる人を全員甲板に集めてくれへんやろか?上手くすれば船ごと持っていけるけど、失敗して取り残されたら詫びようが無いからなぁ」
 銀色に輝く煙管を取り出し、限度ぎりぎりまでの煙草をぎゅっぎゅっと詰めながら言う。こっくりと頷いた龍がすぐさま船へと飛んで行くのを見上げながら、更にその上のゆらゆらと揺れる儚げな空間の繋ぎを見る。
 この船の大きさがこんなモンやから――と。
 煙草に火を付けようと胸ポケットを探って、
「ん――チビ?」
 いつの間にかいなくなっていたチビに、焦りを感じてあちこちを見回す、と、
 ――せっせと甲板に人を咥えて運んでいる銀色の龍の背でちょろちょろちょろちょろ動く小さな小さなモノが見えた。
「何やっとんねん、あいつは…」
 もしかしたら手伝っているつもりなのかもしれない。
 ふっ、と笑って肩の力を抜くと、幾つも替え玉を用意して、まず一つ目の煙草に火を付けた。

 ――ふうっ――

 パシールの口から溢れ出す白い煙が、少しずつ形になって行く。
 どこか宗教儀式のような厳粛な面持ちになったパシールが、次々に煙を吐き出してはすぱすぱと煙管の火を起こし、途中で用意していた刻み煙草の替え玉と取り替えて火を移す。
 『それ』は、真っ白い、煙から形作られた象の姿を模していた。今にも鼻を振り立てて鳴きそうな象が、のそりのそりと船へ近づき、ぐ、と船の底を持ち上げようと頭で押す。
「まだ足りんな」
 これで幾つ目だろうか。ちょっと目がしばしばするのを我慢しつつ、次々に煙を吐き出して行くパシール。それに合わせ、どんどんとその姿を成長させていく白い象。
 天井の揺らぎが消える前に、間に合わせなければ。

 てぐすね引いて待っている『それ』と、今後長いことお付き合いしなければならない。
 それは狂えと言っているに等しかった。

 ぐ、ぐ――と、象の頭が船を持ち上げて行く。
 象の大きささえ、船を持ち上げるに足る大きさになればそれでいい。あれには重さは関係しないのだ。
 急げ。
 急げ。
 急げ――。

「げほっげほっげほっっ」

 喉のいがらっぽさに耐え切れず何度も咳き込んだ時、真っ白い象はその背に飛空挺を乗せていた。
 その頃にはすっかり用意が整っていた銀龍が駆け降りてきて、サモンともどもパシールをその背に乗せて行く。
「さあ――あの揺らぎを越えて、元の世界へ戻るんや!」
 その言葉にぐ、っと足を踏ん張った象が、鼻を高々と振り上げて、力いっぱい跳躍した。

*****

 『女』に追いかけられていた。
 姿かたちがまるで分からない靄のようなものなのに、何故かそれを女と認識していた。
 それは、サモンに、嘲笑いながら手を伸ばしていた。
 嬉しそうに。
 実に嬉しそうに。
「―――あ……」
 するりとその指先に頬を撫でられてぞくりとし、こころが怯えて跳ね上がった途端、
「よう、おはようさん。気分はどうや?」
 その声と共に、急速に現実へと引き戻された。
 凍りつきそうだった心が、ふっと緩んで、小さく息を吐く。
「サモンちゃんのお陰やな。忠告してくれたのがすぐやったから、ぎりっぎり間に合うたで」
 ――今は、見回せば船の上ではなく、地上…それも、どこかの宿のようだった。
「ああ、ここか?宿場のひとつでな。飛空挺も少し飛行に調整がいるらしいし、商人さんたちも疲れ切ったか何人か寝込んでるわ。――何か、おんなしような悪夢をずっと見てたんやて」
「……気に当てられた、のかも」
「かもな。あそこはホンマやばかった。さて、寝てばっかやったし少し窓開けよか」
 ベッドから見える外は良い天気。パシールがにこにこ笑いながら窓を開ける、と――
「え――銀龍!?」
 ぬうと窓から顔を突っ込んで来たのは、サモンがあのウォズと戦う時に具現化させたいつもの龍の姿だった。
「サモンちゃんが目ぇ覚めるまではここに居るゆうてなぁ。大変やったでぇ、この村の連中にあれが危険なモンやないって説得すんの。なー銀次郎」
 ―――――――。
「……ちょっと、待った」
「うん?どしたんや、サモンちゃん」
「……その…銀次郎って…何」
「銀次郎は銀次郎や。いやな、聞いてみれば正式に名前をもろてない言うからな、こうなれば俺がちゃーんと付けたろうと」
「……それで…銀次郎…?」
 ちらと窓から顔を突っ込んでいる銀龍を見る。銀龍はこくこくと大仰に頷いており、相当その名前が気に入った様子だった。しかもいつの間にかチビとも仲良くなったらしく、その頭上にちょこなんと座っているチビが揺れに合わせ楽しげに飛び跳ねている。
「……ああ…気に入ったなら、仕方ない、けど……」
 そう言えば、いつも呼び出していた銀色の龍に名前を付ける事など、考えていなかった事にも気付かされたサモンが溜息を付く。
「――それじゃあ…ぎ、銀、次郎……僕はそろそろ帰るから、元の世界へ――」
 こっくり、と大きく頷いた銀次郎が、チビをそおっと宿屋の床に下ろすと、自分の口元とチビの頭とを軽くこつんとぶつけ合って…そして、掻き消えた。
「便利やなぁ。――と、ほんま大丈夫なん?無理せんでもう一泊してもええんやで?」
「…連戦で疲れただけ…。大丈夫、心配…いらないから」
 ――本当に、疲れていたのだろう。
 サモンはパシールの言った言葉の意味に、家に戻るまで気付かずにいた。

*****

「ほう、結構いいとこに住んでるんやね」
「……ありがとう、ここまでで…いい」
 上がってお茶でも――と言う言葉までは期待していなかったらしいパシールが、にっこりと笑っておう、と頷く。
「じゃあまたなぁ、サモンちゃん。次におうた時は茶ぁでもしよな」
「……考えて、おく…」
 最後にチビをそっと撫でると、サモンは玄関先でパシールと別れた。
 そのまま、疲れた、と内心で呟きながら扉を開けて中に入る。
 そこで、ようやく気付いた。
 ――うろうろうろうろと家の中を動き回っていた父親の目の下の隈に。ソファに座ってじっと身動きせずにいる母親の姿に。
 …日帰りで戻る筈が、一晩、あの宿に泊まっていたため、家に戻るまでに丸1日以上かかっていた事に――。
 もちろん、怒られる事は無かった。ただひたすら心配をかけていたらしいと言う事が、どう言う訳かサモンの胸中で小さな棘となってちくりと刺した。
 それが、『罪悪感』だと、どうして気付けただろう。
 ――知らなかったのだから。そういうこころの動きさえ。

 そして。
「――そーかそーか、パシールと言うんだな、その男は。そりゃあ1度会ってたっぷりとお礼をしなきゃならんなぁ」
 父親が引きつった笑顔で言い…だがその目は、まるで笑っていなかったのだが、それもどうしてなのか、サモンには全く分からなかった。


-END-