<東京怪談ノベル(シングル)>
キャプテン・ユーリ航海日誌〜マーメイドの涙〜
ゆらり、ゆらり。
私は波に漂いながら、貴方の面影を追っている。
いつまでも、いつまでも。
「ふぅ…やっと涼しくなり始めたかな…?」
甲板に出て海風に体をさらしながら、そう独り言を漏らすのはこのスリーピング・ドラゴンU世号の船長である、ユーリだ。
ここ最近、照り付ける太陽にユリアン一家は苦しめられてきた。口を開けば『暑い』という言葉しか出なく、昼間などは吹き抜ける風さえもが太陽の味方をするほど、今年の夏は気温が高い。
『こうじゃなくては夏じゃない』と爽やかに笑うのはユーリのみで、他のクルー達は毎日の暑さに半ばバテ気味状態であった。
船は、ゆらゆらと港へと向けて進んでいる。だが到着にはまだ時間を要するようで、四方を見渡しても瞳に映るのはどこまでも広い海ばかりだ。
「…………………」
水面に浮かぶのは、満天の星空の中で輝く月の光。その幻想的とも取れる揺らめきに心を奪われていると、誰もいないはずの甲板に、気配が生まれた。
「…さて…キミはこの船の招かれざる客、と言った所かい…?」
ユーリはそういいながら気配のほうへと振り向いた。そして、目を見開く。
振り返ったユーリの目の前には、全身ずぶ濡れの少女がひとり、立っていたからだ。
まるでたった今、海から出てきたかのような…そんな感じだ。
「……キミ…?」
「…………………」
ユーリはそろり、と右手を差し出した。少女は何も言わずに、濡れた髪の隙間から、瞳を覗かせている。彼の問いかけには、答える素振りは見られない。
「キミは…どこから? その…どう見ても、海から上がってきたようにしか…見えないのだけど」
「アナタ、が…ユーリ…?」
少女は無表情のままで、ユーリに向かいそう口を開いた。やはり、彼の問いには答えようとはしない。
「いかにも、僕がユーリだが……キミ!」
ユーリが少女の言葉に答えると、彼女はふらり、と体を揺らした。そのまま風に任せるかのように前へと倒れこむところを、ユーリが受け止める。
「………この子は…?」
しっかりと少女を抱きとめたユーリは、彼女の頬に張り付いている髪をはらい顔を覗く。少女は憔悴しているのか、少しだけ青白く感じた。目じりには涙らしき雫が浮かび、見る間にそれが頬を伝い落ちていく。
落ちた涙は甲板の板の上に付く前には、その姿を真珠へと変えていた。
じわじわ、と部屋の中へと入り込んでくる外の空気。
今日も例に漏れず、暑いのだろう。
少女は重い瞼をゆっくりと開けると、自分が綺麗なベッドで寝かされていることに気が付いた。恐らくは客室のひとつなのだろう。
扉の向こうからはがやがやと喧騒が聞こえる。たくさんのクルーを乗せている船だ。活気があって当然のことである。
「……ユーリ…」
少女は自分の体を引きずるようにして、ベッドから降りた。そしてドアにつけられている丸い窓から、外の様子を伺う。
彼女の瞳には、ユーリしか映さない。
ドアにしがみ付きながら少女はユーリを探す。
「……!!」
バタン、と大きな音を立てて、少女は客室から飛び出した。その音に気が付いたクルー達が視線を向けるが、彼女には届いてはいないようだ。
少女は目的の影にわき目も振らずにパタパタと駆け込んでいく。
「ユーリ…!」
「……やぁ、目が覚めたのかい……おっと」
少女のか細い声に、ユーリが振り向くと。
その瞬間にユーリの腕の中に飛び込んできたのは、声の主である少女だ。
クルーたちが冷やかしに口笛を吹いている。
そんなことも気にせずに、少女はユーリの腕の中で決して離れまいと言うかのように彼にしがみ付いていた。
肩口にいたユーリの相棒である小さなレッドドラゴンが少女を覗き込み、首をかしげている。
「いや…困ったね」
「キャプテン、いつの間にそんな可愛らしい子を攫ってきたんです?」
「…僕はそんなに女好きに見えるのか…」
クルーの一人の言葉に苦笑しながら、ユーリは腕の中の少女へと視線をおろす。
昨晩は暗がりと言うのもあったためによく解らなかったが、大人の女性として扱うにはまだまだ足りないといった感じの容貌だ。
「ええと…キミ…名前は?」
「…………?」
ユーリが優しい声音でそう問いかけても、少女は首をかしげる。記憶を失っているのか、『人語を理解していない』のか…。
見上げる瞳はどこまでも青く、この海を連想させる色。
踵まである長い髪は細くやわらかく、風に靡く姿は幻とも取れる儚さがある。
「まぁ…いいか。大丈夫、何もキミをこの海に放り出そうというわけじゃない。後数日で港にも着くし、その時まではこの船にいていい」
少女の肩に両手を置き、言い聞かすかのようにそういうと、彼女は僅かに笑みを作り上げた。
だが、ユーリから離れようという気配は見受けられない。
「すっかり好かれちまいましたねぇ、キャプテン」
積荷の整理をしているクルーが、ニヤニヤしながらそんな言葉を投げかけてくる。
「……まいったな」
と言いつつ、ユーリは苦笑いをするしかない。
少女の手前、完全否定するような表情や言葉は、表に出してはいけないと思ったからだ。
視線を下げれば、不安そうに自分を見上げる少女。その少女の頭を数回撫でてやり、ユーリは青空を仰いだ。
ユーリが右を進めば、右。左を進めば、左へと。
常に、ユーリが進む後をひよこのように付いて回っている少女。
レッドドラゴンがそれを煙たがっているようだが、ユーリ本人は嫌がりもせずに放ったままでいた。
彼女は『ユーリ』しか見えていない。彼自身もそれに気が付いているのだろう。満足するまでそのままでおくしかないのだ。
「よーし、貴重な財宝だ、丁寧に降ろしてくれよ」
「へい」
スリーピング・ドラゴンU世号は港につくなり、数日前に手に入れた財宝の山を船から降ろす作業に移った。契約を結んでいる古物商らに目を通させるためなのだろう。
クルー達が必死で両手に荷物を降ろしているさまを、ユーリは船の上から眺めていた。すると少女もそれに習うかのように身を乗り出して表を見る。
「…こういう場は、初めてかな?」
不思議そうにその光景を見つめている少女に向かい、ユーリは微笑む。すると少女はうっすら頬を赤らめて、こくりと頷いて見せた。
こういう反応は、実に人間らしい。
だが、普段の少女からは、ヒトの匂いがあまりしない。
ユーリには大体の想像は付いているのだろうか。―――彼女の『正体』を。
陸のない海の上で、誰にも気づかれずに船に現れた…ずぶ濡れの少女。目じりから零れた涙は高価な真珠へと姿を変えた。
ユーリは昔読んだ物語の中で、似たような特徴を持つ種族を見た覚えがあった。
おそらくはその存在で間違いはない。だが、それを言い当てては、いけない気がするのだ。
「……………」
少女はユーリを見つめて、にこりと笑った。
傍にいられるだけで、幸せだと言わんばかりの笑顔だ。
――恋を、していると。
誰でもない。目の前にいるユーリに、少女は恋心を抱いている。それは明確な事実。
ひたむきな想いであることは、解る。
だが、ユーリにはその想いに応えることが出来ない。彼も少女と同じように――大切な恋心を育てている最中だからだ。
「キミには…どれほどの時間が、許されているの?」
暫く見詰め合った後、ユーリが口を開くと、少女がその言葉に瞳を揺らした。
やはり、核心に触れることを、避けたがっているようだ。
「……ユーリ…」
「…キミには残酷な事なのかもしれないけれど…僕には…、…」
「ユーリ!!」
言葉をさえぎるかのように。
少女はユーリに抱きついてきた。声を張り上げて。
少女も、解っているのだろう。いつまでも、彼のそばにはいられないということを。
出会ってから3日を過ぎた。
その間、少女は片時もユーリの傍を離れなかった。
ユーリが自室に入っているときは扉の外で膝を抱えてずっと待っていたりもした。
それは実に健気な行動で、様子を見ていたクルーたちが心配するほどのものでもあった。
だが、だからといって同情心だけで、彼女を受け入れることは出来ないのだ。どんな事があっても。
「キミが此処にいられるのは、今日までだ」
しがみ付き、首を振る少女に、ユーリは静かにそう言った。
ズルズルと、長引かせるわけには行かない。
「ユーリ…」
少女は相変わらず、ユーリの名前しか言葉にしない。
それが、やっとの思いで覚えた言葉なのだろう。
「ちゃんと聞いておくれ。…僕には、大切な人がいる。キミの気持ちはとても嬉しいけど…応えることは出来ないんだ」
「………………」
もっと、我侭な行動をとるかと、思っていた。
だが、ユーリを見上げる少女の表情は、意外にも穏やかだった。
やがて瞳が緩み、そこから涙が浮かび上がる。ゆっくりと形を成していくその雫は、また床に落ちる前に光り輝く真珠へと変容を遂げていく。
コーン…、と真珠が床をはねる音が、やけに大きく響いたように思えた。
「……ユーリ…」
少女が諦めたかのように、自分からユーリを離れた。
そして一歩一歩、後ろへと足を運びユーリがいる船縁とは逆の方へと少女は移動して行く。
「キミ……」
ユーリが手を差し出しながら少女を追おうとすると、それを止めたのは、少女自身。
『…………、………』
ふわり、と微笑む姿が、酷く印象的だった。
少女は何かをつぶやいた後、その身を風に乗せるかのように、船べりから躍らせた。後ろを向いたままで。
「………!!」
ユーリが慌てて、少女へと駆け寄る。
そして身を乗り出して、少女が姿を消した船べりへと手をかけ下を見た。
海面へと落ちていく少女。空へと浮かぶのは、数多の真珠たち。
瞳を閉じたまま、少女はゆっくりと…消えていく。おとぎ話の中の『人魚姫』と同じ、泡となって。
「…………すまない」
ユーリは表情を歪ませ、少女が消えた海面を見つめたままでいた。
―――楽しかった。こんな私を、僅かな時間でも傍に置いてくれてありがとう。
少女がユーリへと伝えたかった言葉だ。
耳にすることは出来なかったのに、今のユーリの脳裏へと届いた声音は、彼女のものだった。
「あれ? あの女の子はどうしたんです、キャプテン?」
クルーの一人が、姿の見えない少女を案じたのか、そう声をかけてくる。
「……あの子は、帰ったよ。…この広い海の中へとね」
「…へ?」
ユーリの返事に、クルーは首をかしげるがそれ以上を追求することはなく、自分の持ち場へと戻っていく。
「……………」
ユーリの足元には、無数の真珠が転がっていた。それを拾い上げながら、ユーリは再び広い海を見つめる。
「キミの気持ちは…本当に嬉しかったよ。こちらこそ…ありがとう」
それは、まるで祈りにも似た――。
瞳を閉じ、海へと消えた少女へと手向ける唯一の言葉。
「キャプテン、全部の積荷、降ろし終えました!」
「――解った、今行く」
クルーの声を受け、ユーリは顔を上げた。
そして肩にかけたままの上着を翻し、歩みを進める。少女の面影を脳裏へと残しながら。
水面が太陽の光を受け、キラキラと輝いている。
それは少女が、ユーリのこれからの航海を祝福しているかのような、神秘的な輝きだった。
ゆらゆらと。
わたしはいつまでもいつまでも、貴方の事を思い続ける。
この身が海に溶け、消えてしまっても。
貴方の行く末を、いつまでも見届ける。
誰よりも何よりも、貴方が好きだから―――。
-了-
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C・ユーリさま
初めまして、ライターの朱園です。
今回はご指名くださりありがとうございました。
そして納品が遅くなってしまい、大変申し訳ありませんでした(><
当初考えていた内容では収拾がつかなくなり、急遽書き直したのが仇となってしまいました…。
お待たせしてしまい本当に申し訳ありません。
少しでも楽しんでいただければ、幸いに思います。
今回は本当に有難うございました。
朱園 ハルヒ
※誤字脱字がありました場合は、重ねて申し訳ありません。
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