<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


黒山羊さんにアリガトウ

 ソーンの裏路地には、乾いた風が良く似合う。なんつって。

 羽鳥・陸は両足を開いて踏み締め、裏路地の入り口で仁王立ちになる。斜め掛けにした大事な鞄を小脇にしっかりと抱え、ごくりと喉を鳴らす。その音を聞きつけたかのよう、裏路地の向こう側で、乾いた音を立て、白い土を踏み締める偶蹄目があった。
 「…来ましたね……」
 陸は、もう一度生唾を飲み込む。裏路地の端と端、入り口と出口のところで睨み合う二組、四つの目。力強く地面を踏み付ける六本の足。―――六本?
 「今日こそは、ここを通して貰いますッ、覚悟しなさいっ、山羊番長!」
 びしぃっと陸が立てた人差し指を突きつけた相手、それはどこからどう見ても山羊、だった。
 だが、単なる山羊と侮ってはいけない。通称・山羊番長と呼ばれているこの山羊、どう言う訳だか陸を目の仇にしており、郵便配達中の陸を襲ってはその荷を狙うのだ。最初は、陸の荷物、すなわち郵便物=紙が目的かと思われていたが、他の郵便配達員やちり紙交換などは狙わない辺り、やはり陸自身がターゲット・ロックオンされているらしい。
 勿論、陸にとっては迷惑極まりない事このうえもなく。
 「…幸か不幸か、今日はこの裏路地の三軒様に手紙の配達があるのですよ…今日こそは、いえ、今日も負けられませんッ!」
 ぐっと拳を握り閉め、陸は地面を蹴ってダッシュする。濛々と砂煙が舞い、一瞬だけ陸の足元を消す。山羊番長の横長の瞳が緊張し、陸の気配を急いで捜す。その隙に、陸は既に裏路地の半分まで走り抜けていた。
 「てえぇいぃッ!」
 掛け声と共に陸が地面を蹴り、勢いをつけて壁を駆け上る。それを追って山羊番長も地面で蹄を鳴らすが、陸の方が一歩早かったようだ。山羊番長の後ろ蹴りが陸の背中に決まる前に、陸の手から離れた手紙は、その受取人の部屋の窓からふわりと直接中へ入り込む。
 「まず一軒……ッ!」
 拳を握り締めて不適に笑う陸。その直後、山羊番長の空中蹴りが、陸の背中に炸裂した。
 「ぎゃー!」
 悲鳴と共に陸が地面に叩き付けられる。その衝撃で、ぐわッと乾き切った地面にクレーター状の窪みが出来る、それを横目で見た山羊番長の目が勝利に、だがすぐに驚愕で見開かれた。
 クレーターの真ん中で潰れて屍になっていたのは、陸と同じ服を着た等身大の藁人形だったのだ。変わり身とは小賢しい真似を!…と山羊番長が言った訳では無いが、そう言いたげに、蹄で地面を数回激しく蹴った。
 「いつまでも同じ手に引っ掛かると思ったら大間違いです!」
 その声は、山羊番長の頭上から聞こえた。鼻を鳴らし、山羊番長が空を見上げると、ヒトサマんちの窓に手を掛けてぶら下がった陸の姿があった。片手で窓の桟を掴み、逆の手でびしっと山羊番長を指差す。
 「いいですか、人間は考える葦なのですから…」
 「きゃー!チカン―――!!」
 と、山羊番長が叫んだ訳ではない。陸がぶら下がった窓、その部屋は実は妙齢のお嬢さんが、あられもない姿でお着替え真っ最中だったのだ。
 「あっ、あっ、すみません!これには深い事情が……」」
 「イヤー!出てって―――!」
 お嬢さんの言い分も尤もである。言い訳しようとする陸の顔面に、お嬢さんはクッションを投げ付ける。何しろ足元がないのだから、陸はその攻撃を避けようがなく、まともに真正面に食らい、その衝撃でまっ逆さまに落ちていく。そして、その下で短い角を光らせて待ち構えるは、勿論山羊番長その人(いや、人じゃないけど)
 「…くッ……!」
 歯を食い縛り、陸は空中で体勢を立て直す。山羊番長は姿勢を低くして角を構え、落下してくる陸を突き刺そうとする気満々だ。そうはいきません、と陸は宙で一回転し、逆に人間の踵をその狭い額に叩き込んでやろうとした。
 が。
 「ええっ!?うわぁっ!」
 悲鳴を上げ、陸が、今度こそ地面にめり込んだ。また濛々と砂煙が巻き上がる。
 山羊番長は、陸の蹴りが炸裂する直前に、ひょいと横っ飛びにその場を退いたのだ。
 「…ひ、卑怯な……」
 埃に噎せながら、陸が涙目を服の袖で拭う。まんまとやられはしたが、既に一軒分の配達は済んでいる。後は二軒、それもどちらもこの裏路地の出口近くの家。既に路地の半分以上は進んでいるのだから、ここでくじけては郵便屋の名折れです!
 立ち上がり、渾身の力で走り出す陸。その後を追う山羊番長。二本の脚と四本の脚では、陸は山羊番長に走る速度で敵う訳がない。だが、陸には山羊番長にないものがある。
 それは、二本の手と、人間の言葉の喋れる口。
 「三丁目五番地角の八百屋の奥さーん!それと、四丁目七番地の三の武器屋のおかみさーん!!」
 陸の声に、八百屋の奥さんと武器屋のおかみさんが何事かと顔を出す。その両脇を走り抜けざま、陸は郵便物を奥さん方の手の中に押し込んでいった。
 「確かにお届けしましたよー!」
 声だけが、遅れて聞こえてくる。余りの速さに、奥さん方の目には、ただ色の付いた風が二つ、自分の前を通り過ぎていったようにしか見えなかったのだ。あら?と首を傾げたその頃には既に陸の姿はなく、奥さん二人は首を傾げるばかりだったと言う。


 裏路地の配達が無事に済み、陸は、荒い息で肩を上下させながら両手を自分の膝に突いて上体を折り曲げた。
 他の郵便物も死守したとは言え、陸自身はぼろぼろだ。背中にはくっきりと二つに割れた蹄の痕が残っているし、服も埃だらけで所々ほつれてもいる。だが、今の陸は遣り遂げた男の顔であり、達成感に輝いてすら見えた。
 「さて、次の手紙は……うん?」
 鞄から取り出した手紙の宛先に陸は見入る。確か、この住所は…
 「海が今日出場すると言っていた、大食い大会の会場じゃないですか?」
 もう一度見直してみる。間違いはない。陸の顔が、ぱぁっと明るくなった。
 「これはラッキーです、配達のついでに、海の勇姿を拝んできましょう」
 うきうきと足取りも軽く、陸はその手紙を手に掴んだまま、足早にその会場に向かった。

 大食い大会は街の中心部より少し離れた、野外闘技場で行われていた。昨今の大食いブームで、ソーンの至る所で大食い大会・早食い大会は行われていたが、ここの大会は賞金の額が桁違いの為、大変賑わう大きな大会であった。それ故選手層も厚く、今朝家を出る時に海も、久々に腕が鳴ると張り切って出掛けていったのだ。
 陸が会場に着いた頃には、既に試合は終了しているようだった。では、表彰台に上る海の姿を堪能しましょう、と(海の優勝を微塵も疑っていない羽鳥・陸.郵便屋.妹溺愛歴十八年)人ごみを掻き分け、中央にある円形の舞台を眺めたその時。
 「ふざけんのも大概にしろ!」
 鋭い男の怒号に、思わず陸は首を竦めて目を閉じる。恐る恐る瞳を開き、舞台上を見ると、そこには優勝トロフィーを抱えた海と、そんな海に詰め寄る柄の悪そうな男の姿があった。
 「コイツが優勝者だと!?そんなの信じられるか!こんな細っこい身体の、しかも女に負けたなんて、俺は認めねぇ!」
 「し、しかし、このお嬢さんが一番沢山食べた事実は明白です…そりゃ、私も思わず目を疑いましたが…」
 気の弱そうな司会者が、しどろもどろになって男に説明をする。当の本人である海はと言えば、我関せずと言った感じで、トロフィーを抱えたまま、ツーンとそっぽを向いていた。
 「私だけではアリマセン、ここにいる観客の皆様全てがご覧になっていた筈です。このお嬢さんが、如何にも美味しそうに肉まんを幾つも幾つも召し上がる様を…」
 「そんなのイカサマに決まっている!」
 そう決め付ける男に、さすがに海もカチンと来たか、自分よりも遥かに背が高く大柄な男をキッときつい視線で睨み付けた。
 「言うに事欠いて、人を詐欺師扱い?なんてちっぽけな根性なの!その無駄にでかい図体はただのドラム缶なんじゃないの!?」
 「な、なんだと!?」
 激昂した男が、思わず海の胸倉を鷲掴みにする。海は果敢にも男から目を逸らさず、強い視線で睨み続けている。と、その時。
 「きええぇえいぃッ!」
 何処からともなく、威勢のいい掛け声が響く。何事かと男が辺りを見渡した次の瞬間、陸の飛び膝蹴りが、男の顔面に炸裂した。
 「兄さん!?」
 海が目を瞬かせ、観客席からマッハの勢いで飛び出してきた双子の兄を見遣る。陸はそんな妹を庇うよう、男との間に割って入って全身で立ち塞がった。
 「海。大丈夫ですか、怪我はありませんか?」
 「け、怪我はないけど…でも、どうしてここに?」
 「海の勇姿を見に来たに決まってるじゃないですか」
 にっこりと、陸は満面の笑顔で妹を振り返る。海は、きょとんとした目で兄を見詰めていたが、すぐに破顔し、おかしげに笑った。
 「何言ってんの、仕事の途中でしょ」
 「仕事はちゃんとしてますよ。その合間にちょっと妹を見舞うぐらい、いいじゃありませんか」
 「って、お前は一体誰だ」
 ようやく立ち直った男が起き上がり、蹴られた顔の真ん中を手で擦りながら陸を睨む。陸は、背後に海を庇い、真っ直ぐに立ってその目を睨み返した。
 「誰だもイカダもありません。女だからとか細身だからとか、そんなくだらない難癖つけるなんて、それでもあなたはフードファイターですか!あなたの胃袋には誇りがないのですかッ!」
 「な、なんだと!?」
 「しかも!あなたは重大な過失を犯しています」
 自信満々に陸が胸を張る。男は勿論、呆然と顛末を見守る司会者も他の観客達も、全員が固唾を呑んで陸の出方を見守っている。陸は大きく息を吸い、言い放った。
 「海は僕の妹です!大切な大切な妹に難癖つけるとは言語道断!お天道様が許しても僕は許しませんよッ!」
 「……兄さん」
 海が眉を顰めて額を押さえ、後ろから陸の肩をぽむりと叩いた。
 「…な、……バカか、てめぇは…!」
 「バカはあなたですッ!」
 びしぃっと陸が男を指差…そうとしたが、その手には何かが握られたままだった。ので、陸はそのまま拳を男の顔面に突き出す。男が目を剥き、何かを言おうとしたその時。
 「うん…?これ、俺宛ての手紙じゃねぇか」
 「え?」
 陸が瞬く。陸が握り込んでいたのはさっき、この会場に向かう直前に見た、この会場宛ての手紙だったのだ。そしてその受取人は、偶然にも目の前の男であったらしい。陸の手から、くしゃくしゃになった手紙を受け取り、その場で開封する男。封筒から引き出した便箋を見て、陸は真っ青になった。
 「ん?なんだ、これは」
 男も何かに気付いたらしい。男が手にした便箋、その下方三分の一程が、扇形に破れて無くなっていたのだ。その切り口、ギザギザ具合に陸は見覚えがあった。
 『あ、あれは山羊番長の歯型!い、いつの間に手紙を齧ったんですか!?』
 と言うかそれ以前に、手紙を開封するまでその事が判明しなかった事の方が重大だと思うのだが。もし、山羊番長が手紙を齧った後で再び封筒にしまっていたのなら、しかもそれが、陸との攻防戦の合間に行われていたとするならば。
 ……山羊番長、恐るべし。
 「………」
 男は半ば呆然と、手紙の破れた部分を見詰めている。急に分が悪くなった陸が、脂汗を掻きつつも海をその背に庇い、立ち尽くしていると。
 「いやぁ、兄ちゃん、アンタ、イイヒトだなぁ!」
 「……………へ?」
 陸が、そして海が目を丸くした。
 「これこれ。この手紙、実は借金の督促状だったんだよ。だけど、ほれ、見てみ」
 男がそう言って手紙を陸と海に見せる。二人が覗き込むと、確かに便箋の上部には『督促状』と書かれていた。が、それのどこが有り難いと言うのだろうか?
 「ここだよ。ここを見てみろよ。借金の金額を書いた部分が破れて無くなっちまってるだろ?」
 「…確かに」
 「これじゃあ、俺は幾ら返せば分からねぇし、って事はつまり、返さなくてもイイって事だよなぁ?」
 「………はぁ」
 陸が気の無い返事をする。それを気にした様子も無く、男は豪快に笑って陸の肩をばしばし叩いた。
 「わははは!さすがだぜ、やっぱ大食いチャンプの兄貴は格が違うな!」
 じゃあなー!と上機嫌の男が、海に握手を求め、そして壇上を去っていく。後に残された者達は皆、半ば呆然とその大きな背中を見送った。


 「…ま、私の優勝は間違いなかったんだし。別にいっかー」
 帰り道、優勝トロフィーと賞金、そして沢山の副賞を抱えた海が笑う。陸も一緒になって笑った。
 結局のところ、山羊番長のお陰で助かったようなものだ。勿論、山羊番長は陸への嫌がらせ?のつもりで手紙を齧ったのだろう。自分の行為が結果的に陸の役に立ったと知ったならば、きっと地団駄を踏んで悔しがるに違いない。
 それを想像すると、陸はちょっとだけ、優越感に浸る事が出来た。
 「ね、兄さん」
 「うん?」
 陸が、傍らの海を見遣る。隣で双子の妹が、悪戯な目で兄を見詰めていた。
 「破れた兄さんの服、この賞金で買ってあげる」
 「ええ?!いいですよ、そんなの。それは海の努力の賜物なんだから、海が好きなように遣えば」
 「うん、だから私の遣いたいように遣う。私は、兄さんにプレゼントしたいんだ」
 勿論、家族全員にだけどね?と海は付け足し、目元で笑う。陸も釣られて笑い、ありがとうと礼を述べた。
 夕焼け雲が広がる広い空を、陸と海はいつまでも並んで見詰め続けていた。



 「そう言えば、あの、いちゃもんつけてきたヒトだけどさ」
 「どうかしました?」
 「…督促状の金額欄が破れて無くなってたからって、借金が帳消しになった訳じゃないのにね?」
 「……それは言わないお約束です」


おわり。


☆ライターより
 はじめまして!この度はシチュノベのご依頼、誠にありがとうございました。ライターの碧川桜でございます。
 海さんの口調を今ひとつ把握しきれず、もしかしたらPL様のご想像とは違う可能性もあります。ここにお断りすると共にお詫び申し上げます。申し訳ありません。
 それではまたお会いできる事をお祈りしつつ、今回はこれにて失礼いたします。