<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


風日記

 某月某日。晴れ。その日の事を、灰目は今でも昨日の事のように思い出す事が出来た。

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 その日は珍しく何のトラブルもなく(俺が自分で好き好んで巻き込まれてるだけだろ、と言う突っ込みは受け付けねぇ)最初から最後までスムーズに仕事を片付ける事が出来、俺は上機嫌だった。こう言う日は夕飯も美味いし、気持ちよく眠りにつく事も出来る。これから後の、余りある自由時間を、如何に有効的に活用しようか、などと考えながら、俺は道を歩いていた。

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 灰目の視力は人並みはずれている。見た目は勿論、一般的な人間の様相を兼ね備えているが、五感その他の身体能力は、いい意味で獣並みだ。
 だから、その日に見た、木の上の人影も灰目にははっきりと見て取る事が出来た。だが、もし灰目にその視覚能力がなかったとしても、彼女の姿は見る事が出来たのではないか、と灰目は思った。
 灰目が通り掛かったのは深い森の近くだ。尤も、深い森と言ってもその縁は木々も疎らで、一番外側辺りの木は、陽光をたくさん浴びる事が出来る所為か、他の木々よりも大きく、緑の色も豊かで如何にも生命力に満ち溢れていた。そんな木の上に、彼女はいた。
 「………」
 ウィンダーか。口の中で呟き、灰目はすぐに興味を失って視線を逸らす。背中に翼を持った種族、ありふれてはいないが珍しいものではない。だから、彼女がウィンダーだからと言ってそれ以上の興味を灰目は持たなかったのだが、だが、何故か彼女の姿は、そのまま灰目の網膜にくっきりと焼き付いてしまった。

  *****

 ウィンダーを見た事自体は確かに久し振りだったが、でも初めて見た訳じゃねぇし、だからアイツがウィンダーだから、ってのは理由じゃねぇと思う。アイツは高い木の上、太い幹に腰掛けていた。降ろした細っこい足をゆらゆらと、風に揺られる藤の花か葡萄の房みたいに揺らしていた。その青い瞳は何を眺めているのかは分からない、勿論、何を考えているのか、何が好きで何が嫌いか、そんな事も分からない。極々当たり前の事なのに、アイツの事を何も知らない俺が凄く不甲斐なく、そして凄く悔しいと思ったんだ。
 が、ここで俺はふと気付く。知るも知らないも、アイツと俺は初対面だから当たり前であるし、それ以前の問題として、俺はほんの一瞬、ちらりとアイツの姿を見ただけだ、と。その事実に気付いた途端、俺はたった一つしか、その理由が思い当たらず、それを認めるか否かで暫し迷ってしまった。
 何故なら…俺の一目惚れ、としか考えられなかったからだ。
 だがな。一目惚れだと素直に認める事が出来るような柔軟性が俺にあれば、こんなに苦労はしねぇと思うんだよな?
 惚れた腫れたってだけでも充分恥ずかしいのに、そのうえ一目惚れだとー!?

   *****

 思わず頭を抱えて唸る灰目だったが、暫くするとさすがに落ち着きを取り戻す。すると、その脳裏に浮かぶのはやはりあの時に見掛けたウィンダーの少女の事ばかり、寝ても覚めてもと言う昔っからある表現はこの事だったのかと、思わず感心する事しきりの灰目である。で、これはもう諸手を上げて全面降伏するしかないと悟ったのだ。
 ウィンダーは、風と親しい種族であると聞いた。だからだろうか。あの時、彼女の周りを取り囲み、銀色の柔らかな髪を揺らしていた風は、普段灰目が感じるそれよりも、ずっとずっと親しげで暖かな感じがした。勿論、灰目は遠目で見ただけだから、実際に彼女の周りに吹いていた風をその肌に感じた訳ではない。さすがの灰目の視力でも、風を視覚として捉える事は出来ない。それでも、灰目は風の優しさを確かに感じたし、彼女もそれに応えてふんわりと柔らかな笑みを返していた事は鮮明に覚えている。ほんの一瞬見ただけでそれだけの情報が本当に得られたのか、もしかしたら、大半は灰目が想像で補った理想の彼女像なのではないか、と悩んだのはほんの一時。根拠は全く無いが、灰目は、これらが全て本物の彼女であると、自信を持って宣言できた。
 とは言え。それだけで灰目が満足できる筈は到底無く。
 惚れた云々等と言っているなら尚更、灰目は彼女の事が気になって気になって仕方がなかった。

   *****

 …お陰で、折角ゆっくりまったり過ごせる筈の夜が、全く忙しないものになっちまった。勿論、仕事は当の昔に終わっていたし、それ以外に何か用事があった訳じゃない。家で何かしていた訳でもない。ただ、今日、見て聞いて感じたものを、頭の中でめまぐるしく反芻していた所為で、慌しく感じただけなんだと思う。そんな事をしているうち、いい加減、そんな自分が嫌になってきた。こんなの、いつもの俺じゃねぇ。
 と言う訳で。俺らしく、疑問は真っ向勝負で解消する事にする。俺は次の日、もう一度アイツを見たくて、昨日の道を逆に辿った。
 あの木の上には確か、ウィンダーの家はなかった筈だ。と言う事は、アイツはあそこに住んでいる訳ではない。つまり、昨日はたまたまあの木の上で寛いでいただけで、今日も同じ場所にいるとは限らない。だが俺は、やっぱり何の根拠もなく、アイツは今日も変わらずあの木の上にいると確信していた。
 はてさて。
 「…いた」
 あれだけ自信を持って言い切った癖に、実際にアイツの姿を同じ木の上で見つけた時、俺はきっと物凄い間抜け面を晒していたに違いない。
 昨日と同じ幹の上、同じように足をぶらぶらさせながらアイツはちょこんと座っていた。視線も相変らず遠くを見詰めている。俺はこっそり、アイツと同じ方向を眺めてみた。が、俺の目を持ってしても、そちらに何か特別なものがある訳ではなさそうだ。別に、何か見たいものがあってそこにいる訳ではないらしい。…そう言われてみれば、心なしか、いや、どう見ても、アイツはそこでボーッとしているだけにしか思えない。
 「何をぼーっとしてんだ?」
 なーんて気安く声を掛けられるんだったら苦労はしねぇ。
 「何か見えるのか?昨日からずーっとそっちを眺めているよな」
 って、これじゃ、俺がずっとアイツを見詰めて観察してたように思われるじゃねぇか。
 等と、俺がぐるぐる頭の中で思案していると、ふと視線を感じ、無意識でそちらを見る。その途端、俺の心臓は確実に一オクターブ跳ね上がった。
 何故なら、アイツが、俺の方をじっと見下ろしていたからだ。

   *****

 「迷子?」
 「は?」
 灰目は、彼女が開口一番、発した言葉が上手く聞き取れず、気の抜けたような声で聞き直す。すると彼女は気分を害した様子もなく、もう一度「迷子なの?」と灰目に聞いた。
 「いや、そう言う訳では…」
 この年で、その上この開けた一本道で迷子になるなどとそんな器用な事できるか、そうも言いたかったが、彼女の様子が灰目をからかっている訳ではない事に気付いたので、灰目は首を左右に振り、適当な理由をでっち上げる。
 「えーと、…その…そうそう!捜し物をちっと、…な」
 「捜し物?大切なもの?」
 彼女が小首を傾げる。畳んだ翼の羽根先が、彼女の吐息に合わせて緩いリズムで揺れているのが分かった。そんな事に気をとられていた所為で、灰目は彼女からの質問にすぐには答えられない(尤も、口からでまかせなので答えられなくても当たり前だが)それでも彼女はいぶかしむ様子は微塵もなく、首を傾げたままじっと灰目の方を見詰め、答えを待っていた。
 「え?うーん…そう、大切なもの。は、配達物を無くしちまって…」
 ただでさえしどろもどろで怪しいことこの上ない灰目の言葉は、そこで唐突に途切れる。それまで翼を畳んだまま言葉を交わしていた彼女が、不意に翼をゆっくりと左右に大きく広げたのだ。ばさり、と羽音が響き、同時に煽られた風が灰目の頬を擽る。彼女は、重力を全く感じさせない軽やかさで、灰目の目の前に降り立った。
 『うわ!うわ!うわ!!』
 灰目の胸は一オクターブどころの騒ぎでなく、勢いつけて早鐘を打ち出す。全身の血液が全部頭に集まってきたかと思うぐらい、顔が熱くなっていくのをまざまざと感じる。遠くから見ていただけでも充分どきどきしていたのだから、これだけ距離が近くなれば、それに比例して、鼓動が跳ね上がるのも当然と言うもの。灰目はこっそりと息を飲み、自分の目の前に立つ彼女の姿を見つめた。
 さらり、と銀色の髪が風に揺れる。昨日灰目が思ったとおり、やはり彼女の周りには平素よりも爽やかな風が吹いているような気がした。白い肌に映える青い瞳、華奢な首周りと、その背中に湛えた純白の翼。それら全部に灰目が見蕩れていると、彼女がまた首を傾げて目の前の長身の男を見上げた。
 「落としちゃったの?」
 「………へ?」
 「だから、配達物。捜してるって…」
 「あ、ああ!い、いや、…あ、そうだ!じ、実はか、カラスに盗まれちまって」
 カラス、と言った時に思わず灰目の声は裏返り、如何にも平静を装ってますという感じでうわずってしまった。灰目の背中を、緊張と羞恥で厭な感じの汗が一筋二筋流れ落ちる。彼女の青い瞳が、何かを読み取ろうとするかのよう、まじまじと灰目を見つめた。
 「へー。で、そのカラスってどっちに飛んでいったの〜?」
 と、馬鹿にしたような揶揄いの言葉が掛かる訳ではなく。
 「あっそう。それは大変ね。頑張って捜してね〜」
 と、そんなあからさまな嘘には付き合ってられません的な冷ややかな言葉が掛かる訳でもなく。
 「そっか。それは心配だよね。じゃ、私も一緒に捜してあげる」
 と。灰目にとってまさに信じられない言葉が返って来た。
 
   *****

 「………え?」
 そう答えた俺の声は、やっぱり間抜けなままだった。
 だがアイツは、やっぱりそんな事を気にした様子も無く、もう一度同じ言葉を繰り返す。
 「だから、一緒に捜してあげる。一人より二人で捜した方が、きっと早く見つけられると思うよ?」
 「………」
 そう言ってにっこり笑うアイツの顔を、俺は多分一生忘れないだろう。

 どうやらとんでもねぇ無類のお人好しらしいアイツの笑顔には、一欠けらの邪気も無かった。ほんのちょっとだけ、俺は罪悪感を感じる。だが、そんな事も言ってられない程、俺は内心、切羽詰っていたんだ。
 それに、もしかしたら、アイツは俺の嘘も何もかも、全部分かっていたのかもしれない。
 でも、それでもいいと思った。どっちにしても、アイツは俺と行動を共にすると言ったのだ、その理由が何であれ、傍にいられる事には何ら変わりはねぇ。
 行こ?とアイツが小首を傾げて俺に笑い掛ける。俺は頷き、アイツの隣に並んで歩き出す。畳んだアイツの翼の先が俺の腕を擽り、俺は全身が震えて、思わず息を飲んだ。
 「大丈夫。すぐに見つかるよ」
 俺の緊張の意味を取り違えたか、アイツは俺を見上げてにこりと笑う。続けてアイツはこう言った。
 「大丈夫、私、鳥達とは仲良しだから!誰が持ってっちゃったか、すぐに聞いてあげるね?」
 「………」
 しまった。カラスに盗まれたなんて言うんじゃなかった。これじゃ、すぐに終わっちまうじゃねえか。どうせなら、竜に盗まれたとか虎に盗まれたとか、もっと剛毅な事を言っておけばよかった!
 だがまぁ時既に遅し。悔やんでもしょうがない、それに第一、まだ始まったばかりじゃないか。これから俺達は、同じ道を、同じ目的の為に、同じ方向を向いて行く。その先がどこまで続いているのか、それを見極めるだけでも楽しいに違いない、と俺は思った。


おわり。


☆ライターより
 こちらでははじめまして!ライターの碧川桜でございます。この度はシチュノベのご依頼、誠にありがとうございます(平伏)
 七鍵嬢のBUから、ふんわりした雰囲気を出せたらいいなと思って書いていましたが、それ以前に灰目氏がお笑い一歩手前になってしまったような気がするよなしないよな(どっち)
 いずれにせよ、少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
 ではでは、またソーンででもお会いできる事をお祈りしつつ、今回はこれにて失礼いたします。