<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


++  六つの吐息――水色の吐息  ++


《オープニング》

 男は突然現れた。


 白く曇った可笑しな眼鏡。

 古びてくすんだ灰色のトランク。

 誰かに踏まれたのか、折れてところどころほつれた帽子。

 鮮やかな彩色のきれいな襟巻。

 男は黒山羊亭の中へ入ってくると、トランクを足元に置き、何も羽織っては居ないのに、まるで外套でも脱ぐかのような仕草をして見せた。

 徐にポケットから薄い空色をした懐中時計を取り出すと、それで時間を確認する。


「さて、お時間のようですね」

 男はそう言うと、ゆったりとした微笑を湛えて足元に置いたトランクを持ち上げた。
 彼はそれを、どさっと大きな音を響かせながら卓の上に放る様に置くと、丁寧な手つきで閉じられた蓋の鍵を開ける。
 男がトランクを押し開けると、エスメラルダは興味深そうにその中を覗き込んだ。

「……いらっしゃい。貴方は…?」

「はじめまして、お嬢さん。私は「めいり」吐息を扱う旅商人ですよ」

「吐息……?」

 男はこくりと頷くと、トランクから取り出した色とりどりの、ふわりと柔らかそうな印象を与える光の塊を次々と卓の上へと並べてゆく。

「揺らめく 吐息たち
 一の吐息は真っ白 何にでも染まるお色。
 二の吐息は真っ黒 全てを悉く埋め尽くすお色。
 三の吐息は真っ赤 貴方の体に流れるお色。
 四の吐息は橙 暖かな陽射しのお色。
 五の吐息は水色 たゆたうこの時密やかなるお色。
 六の吐息は空白の吐息 ここには決して何も無い。
 今日はお集まりの皆様に、吐息に篭められた夢を見て頂くべくこのような物を用意させて頂きました」

 男はただただ柔らかに微笑んでいる。

「さぁ、お好きなお色をお選び下さいますように…」




――夢を見せます――

 今日 これから起こる事によって 貴方が どのような状況に 陥ったとしても
 貴方は ただ 夢を見ているだけ
 さぁ 怯えずに お手にとってご覧下さい。

 それとも 貴方は 逃げますか?




 男はくすりと笑って囁くようにそう告げた。




《吐息の選択》

 それは、いつもの事と言えばいつもの事だった。
 でも、今日はちょっと許せなかった。
 たまにそういう日がある。
 誰にでも、いつもは許せる事が、何故かその日に限って許せない―――そんなことが、あるものなのだ。

 ユンナは迸る怒気も程ほどに、黒山羊亭の前に立っていた―――ゆらりと舞い上がる黒い具現の数々と、其れに伴い自ずと舞い上がる長い髪の毛――――
 あなおそろしや。

「ちょっと貴女――おどきなさいっ」

「え?」
 とんっと軽く目の前にいた女性の肩を叩き、一人の彼女は前へと進み出る。
 そう、事は一刻を争うのだ。争いませんが。
 ユンナはめいりという男性の目の前にすっと立つと、加減顔を俯けたまま呟くように言った。
「………吐くのよ」
「………はい?」
「アイツの居場所をとっとと 吐 く の よ ーーーーっっ!!!!????」
「えぇっ!!?」
 退いた女性の口から思わずと言った様子で驚きの声が発せられる。
 かなりの美人さんな佇まいだというのに、いきなりめいりの首元を掴み上げてガクガクと揺すっている。
 その女性――ユーアは、これは大分危険な匂いがする―――と、じりじりと後退した。
 しかし何故か二歩ほど下がった辺りで足が動かなくなった。
「ふふ……あの愚か者……絶対に許さないわ……」
 何やらその女性の体から迸る力を感じる―――そう、具現の力を。
「………ど、どのような方をお探しなのでしょうか……?」
「そ、そうだ……アイツじゃだれもわからないと思うけど……?」
 女王様がユーアにドスの効いた一瞥をくれると、彼女は思わず口元を押さえた。紅茶の入ったカップは落とさないところが流石である。
「アイツはアイツよ……貴方からアイツの匂いを感じるわ―――わかっているのでしょうね? 隠し立てすると……為にならないわよ?」

 ど〜ん!!

「お……お名前をお伺いしても宜しいでしょうか?」
「………オーマよ。オーマ・シュヴァルツ…」
 この辺りでユーアはげっと口の中で何かを詰まらせた。
 しかしそれを見逃す女王様ではない。
「貴女……何か知っていそうね……? さっさとこっちへ来るのよ」
 そう言う端から何故か自分の意志とは関係なくユーアは女王様の下へと足を進めて行く。
「……なんだっ!!?」
 ぴ〜え〜っっ!!? 微かに悲鳴をあげながらユーアは肩に置かれた女王様の手にうろたえる。
「何か知っているのなら…悪い事は言わないわ、今すぐに洗いざらい全部吐きなさい、お嬢さん」
 斜めに構えた顔の陰影が非常に怖い。
 ユーアは「あのおっさんの事は何も知らんっ!!」と言って激しく首を左右に振った。
「あぁ、オーマ・シュヴァルツさんですね……?」
 そこでめいりが声を上げると、女王様はぐいっとユーアの首に腕を回したままさらにつかつかとめいりへと詰め寄る。
「どこに隠れたのかしらね!!?」
「おっと……彼ならば一足先に私の吐息の誘う夢の中へと―――」
「私もそこへ案内するのよ」
「………は、はい。わかりました。それではお嬢さん、貴女のお名前をお伺いしても宜しかったでしょうか?」
「ユンナよ」
「「ユンナ」さん…でございますね。畏まりました。それでは早速ですが吐息をお選びください。吐息は六つ。この六つの吐息の中から―― 一つだけ、お選びください……と、いつもの癖でして……大変失礼を致しました」
「ちょっと!! 早くしてくれないかしらね!!? レディを待たせるなんて貴方とっっっっっっても失礼な事なのよ!!?」
「す…済みません」
 あわあわあわ………首根っこを掴れているユーアはおろか、詰め寄られためいりもユンナの美麗な顔を目の前にわたわたとするばかりである。
「彼が選んだのは此方の……「水色の吐息」でございます。おやおや、そうでした……其方のお嬢さんも水色の吐息をご所望でしたね」
「い……いや、俺はっ………」
 今ならまだ間に合う――ユーアは全力で断ろうとした。
「あら、なら丁度いいわ。二人まとめてその吐息でいいじゃない。手っ取り早くていいわ……順番待ちなんてやってられないしね?」
 にっこ〜りと湛えられた真横に待ち構える黒い微笑に、ユーアはハハハと乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
「では…其方のお嬢さんもお名前をお伺いしても宜しかったでしょうか?」
「……………ユーア」
「「ユーア」さん…でございますね。畏まりました。ではお二人揃って水色の吐息…という事で」
 目の前で恐怖のカウントダウンが始まっている。
 めいりは眼鏡を少し指先で持ち上げると、加減興味を抱いた様子で彼女達の顔を見遣る。
 彼の傍らには、指名を受けたらしき吐息――水色の淡い光の珠のような物がその場所で、何かもわもわと漂っているような様子を見せた。
「……言葉に反応を返したようね」
 彼女の言葉に意味深な微笑を浮かべためいりは、両手を大きく広げて囁くように言った。
「私の持ち物が貴方の助けになる事もあるかもしれません。選択する吐息やお客様によっては…「心の問題」もありますしね……此処は一つ…運試しという事で、どれか一つをお選びください」
「持ち物!? それでいいわ!」
「……此れで御座いますね?」
 めいりはユンナの指差した先を視線で辿ると、再びポケットから薄い空色をした懐中時計を取り出してそれをすっと彼女の方に差し出した。
 ユンナはそれを受け取ると、手の中に握った懐中時計の滑らかな感触を感じ取る。
「「懐中時計」に何か想い入れでも……?」
 彼女はくすりと微笑む男に向かって微かに首を振う。
「在る訳がないでしょう!!? いいから夢の中に入らせなさいよ」
 しかし、彼女が手を開いてその懐中時計を目にすると―――多分絶対コレってアレですよ。超高級ブランドレア懐中時計です。
「おやおや……このような事もあるものなのですね…」
 めいりは興味深げにユンナの手元を見遣る。
「ユーアさんは何に致しましょう?」
「急いでるって言ってるでしょう!!? 貴女もこれでいいわ、そうでしょう!!!??」
「はっ………あぁ、い、いいぜ??」
 そうしてユーアの持ち物も懐中時計に決定した。
「それでは此れをどうぞ」
 そういってめいりは懐中時計を手渡した。
「……貴方ね…無駄話はいいから は や く し な さ い よ ね !!?」
 自ずとユンナの口元に怒りに満ち満ちた様子を感じ取らずにはいられないような微笑が浮かぶ。めいりはすっと目を細めてくすりと笑った。
「さて、仕方がありませんね…大変結構です。貴女が選択する夢が…どうかそのお心に響きますように……」
 めいりは両手を肩の前辺りまで持ち上げると、見せた手のひらをくるりと返してそのまま口元で軽く交差させ、ゆっくりと自身の胸に押し付けた。
 そうして彼は軽く顎を引き、何かを念じるかのように瞳を閉じる――彼ら吐息を扱う旅商人とやらの風習なのだろうか――

 その仕草も女王様的には早くしなさいよ!! といった感じだろう。
「首を洗って待っているがいいわ…オーマ!!」
 ユンナのその言葉にめいりはふっと瞳を開く。
 彼は両手で何か――そう、「水色の吐息」を丁寧に持ち上げると、其れに向けてふぅっと自らの息を吹きかけた。
 その息は目の前に立つ女性のもとにも届けられ、何か水色の淡い光のようなものが彼女の周りを取り囲む――光だけではない、何かが存在する事はわかった。ただそれ以上にそれが「何なのか」という事だけはどうしても理解できない。
「んっ………」
「うっ………」
 二人は小さく呻き、微かに足を後退させる。


 ――――吐息の見せる夢の世界へ 貴方をご招待いたしますよ……「ユンナ」さん、「ユーア」さん


 めいりは彼女らの「居た」場所に向かってそう囁いた。

 くすり くすり

 彼は ただ ただ 笑う。
 そして再び、小さな声で囁いた。

 どうかご無事で。




《水》

 足下で砂が乾いた音を立てる。
 さらさらと揺れる草木が互いの身を擦り合い、柔らかな太陽の暖かさと共に 微かに――青の香りが漂う。

 小さな島だった。
 ほんの一時間もあればぐるりと一週してしまえるほどの。
 ひたりと音がして さわわさと風が耳元を通り過ぎてゆく――

「………なかなかいい場所じゃない」
「…………そうだな」
「さ、当然の如く貴女にも手伝ってもらうわよ? どうやら面識もあるって言うじゃない……あの男を見つけ次第、真っ先にこの私に報告を入れるのよ!! い い わ ね !!!???」
「……………ハイ」
 あの男―――一体何をして年齢詐称女王様の逆鱗に触れたというのか。
 ユーアは真っ先に報告も入れるも何も……と、島の小ささに思わずぼやきそうになる。
 確かにいい場所だった。
 空気も綺麗だし風景だってかなりの絶景だ。
 滅多にお目にかかれるような場所ではない。それは、わかっているが………
 ユーアの隣からはおどろおどろしい砂の塊が女王様が足を運ぶたびに何で固めてるんですかそれ、と言わんばかりに泥水の如くにあたりに飛び散ってゆく。
 あぁ、不思議だ―――こんなに爽やかな風景であるのに、こんなにも息が苦しい。
「な……なぁ、アイツ一体何したんだ?」
 思い切ってユーアは彼女に尋ねた。
「………愚問ね」
「………スミマセンデシタ」
「これを見るがいいわ」
 女王様はずっと手に握っていたらしき銀色の小物をユーアの方に放って寄越すと、ふんっと髪を掻き上げて「開けるのなら私から五メートルは離れるのよ?」と言ってそのままギラついた獲物を狩るような眼つきで辺りを見回している。
 ユーアは微かにその小物が手の中でカタカタと動いているのを感じながら、何かしらの「嫌な予感」を感じてそのまま握った手を動かせずにいた。
 「何か居る」。
 こんなに小さな円筒状の入れ物の中に。
 こんなに可愛げな入れ物の中に――――「何かが」。
 ユーアは嘗ておっさんの「本拠地」でもあり「巣窟」と呼ぶに値する場所へ行った時の事を思い出していた。
 俄かに汗が浮かび、ここは同情すべきなのかどうかを激しく迷っていた。
「………何よ、見ないのなら探すのを手伝いなさいよ」
「………わかった。観念しよう」
 きらりと瞳を光らせながら、ユーアはこっくりと頷いた。
「それ、高かったのよ……!!」
 ユンナは奥歯をぎりぎりとさせながらそう呟く。
 ユーアは思わずこくこくと首を頷けた。
「絶っっっっっっっ対に許さないわ………!!!」
「俺も協力するぜ、ユンナ」
 ユーアは過去の苦い経験から、後先を顧みずに協力を申し出た。勿論協力せずには居られない立場にあった感は否めないが。

「右前方 左に七十二度の地点に標的を発見したわ!! いくわよっユーア!!!!!」
「了解!」

 イッテラッシャイマセ〜☆
 二人は全速力で駆け出した。

 標的を捕らえたら――後は狩るのみ。
 ユーアは手を組んで彼女に足場を用意してやると、走りこんできたユンナがその手を踏み台にして天高くへと飛び上がる!!

「おう、アイラス! おまえさんもちとこっち来て…ぅゎぶっっ!!?」
「観念しなさいっ!! この世に生まれ出でた事を心底後悔させて や る わ よーーーーッッ!!?」

 麗しのユンナ様怒りのドロップキック☆

 ふしゅぅ…と煙を上げて砂の上に倒れ伏すオーマ。
 その上でユンナは髪をすしゃっと指先で振り払い、満足そうに麗しくも黒々とした笑みを浮かべた。
 その背後で――
「……これは一体何なんだろう…おかしいな…? おかしいよな??? 六択だろ? 何で六分の一の確率でいつもの如くにあのおっさんと同じ夢を選んだんだ………????????? 大丈夫なのか、大丈夫なのか!!? 俺??????」
 呆然とした様子でオーマ達の姿を見詰めるユーアがいた。わかっていた。彼を探して夢の中へと入った女性と一緒だったのだから。
 わかっていたが―――それでも実物を目の前にすると、どうしてか衝撃が彼女の心の中を駆け巡るのであった。




《選択の是非》

 いつもいつもとても騒がしい場所。

 それでも安心できる場所。

 流されるままに共にその場所に在るけれど。

 今思えばそれはとても愛しい。

 とても 大好きで。

 とても 大切な場所。

 無くしたくはない とても重要な場所。

 皆がその事に気がつける日が いつか 来ればいい。

 思いの強さは違っても

 大切に そう思える



 ――――――そんな日が いつか 来ればいい



 時を 止めて

 このままずっと

 押し寄せる波は 心の中 いつまでも在り続ける

 それでも

 今 この時を――――止めて



 心の中に 誰かの声が響いた。
 誰の声だったかはわからない。
 もしかすると それが 吐息の持ち主の声だったのかもしれない。


 小さな水音と共に 風のそよぐ音がした。
 耳をきるさらさらとした砂の音は どこか 遠く。

「……………オーマ?」

 ユンナは自身の足蹴にしたオーマが、硬直したように動かなくなったのに気がついて視線を向ける。
 「ユンナ……おめぇ、もちょっと女らしくしとけよ」そう、いつものように返答が返ると思った。
 共に在る事の喜びと 一様に同じでは在れない事とは
 いつも複雑な調和を保ち そこに在る。

「………シキョウも?」
「……………時が…止まったようだな」
「……ジュダ」
 自身の問いに返答を返したジュダの姿を認め、ユンナは思わず動揺した声を上げた。
 彼女はすっと足蹴にしていたオーマから身を退くと、衣服の裾を払った。
「あぁ、無事か?」
「え…えぇ。勿論よ。どうやら「選択した物」のお陰らしいわね」
「あぁ、そうなのか……あんたらも皆、この「懐中時計」を……」

 ユーアが取り出した懐中時計――それを見詰め、ユンナはくすりと妖艶な笑みを浮かべた。

「人は「あの時」といつも回想ばかりするものだわ」
「………………」
「知らず知らずの内に……あの頃は、ってね」
「あぁ、……あの時あのパンをもう一つ買っていれば」
「ち が う わ よ !!!? 貴女、本当に食べ物の事ばかりね」
「うまいもんは人間の心を潤す材料になるだろ?」
「そうですねぇ……おいしいものを食べると幸せな気分になりますからね」
「アイラス……あんたねぇ…」

 ユンナの背後で怒りの炎が燃え上がる。

「ジュダさんもそうでしょう? 美味しくないよりは、おいしい方が良いですよね」
「………そうだな」
 ふっと口の端を引き上げたジュダの横顔をちらりと見詰め、ユンナはふいっと顔を叛ける。
「誰だっておいしい方が良いに決まっているじゃないのよ」
「だよな? やっぱり誰だってそうなんだよ」
 ユーアが嬉しそうな微笑を浮かべると、ユンナは諦めたようにふぅっと溜息をついた。
「アイラス。この夢が醒めたら……とびきり上等なワインが飲みたいわ」
「……そうですね、ワインなら良いものをご用意できると思いますよ」
「あ、じゃあ俺も一緒に……」
「ユーアさん……場所はオーマさんの「本拠地」になりますが…構いませんか」
「…………うっ」
 少し怯んだ様子のユーアが一気に表情を引き攣らせる。
 その様子を見て、三人はくすりと微笑した。
「………やめておけ、脳味噌が侵されるぞ」
「そうね、私もそう思うわ……あの世界は…美しくもなんともないもの…そう、おぞましき忌むべき存在そのものだわね」
「………いや、それは……」
 ユーアが「最もだ」という意味でこくりと首を頷けると、他の者達は何を勘違いしたのかそれを肯定の意味に取った。
「あら、洗礼を受けてみたいとでもいうのかしら?」
「では決定ですね。もう洗礼なら幾度となく受けていらっしゃいますしね?」
「……………………………」
 ユーアは俄かに頭を抱え込んだ。




「―――きっと…この吐息の主は、時を止めてしまったのでしょうねぇ…」
「……そうね。大切と思う時を…この吐息の中に閉じ込めてしまったのだわ」
「時は流れるもの……いつまでも同じように一様では在れない」
「でもさ…こうして閉じ込めて、いつまでもそこに置いておけるって言うなら……悪くはないと思うけどな」
「……そんなもの…残酷なだけだわ」
 ユンナが見詰めた海の向こうに一同の視線が集まる。
 動かないオーマとシキョウ。
 夢が醒めれば きっと動き出す――――いつものように元気に辺りを駆け回るであろう少女。そしていつも周囲のものにある種の迷惑を掛けつつもその包容力と人格とで信頼されつづける男。
「………この男に関しては静かでいい…が」
「あら、言うじゃない」
「それでも何か……味気ない、そうは思いませんか?」
「いや……面白いといえば…面白いんだけどさ」
 四人はそれぞれの「懐中時計」を取り出すと、ぴたりと同様の時刻のまま時を止めたそれをじっと見詰めた。
 螺子を動かせば、いつでもとけるであろう夢――友人が動き出すための仕掛けでもある。
「確かに、この空間は美しいわ。でも……私の知っているものではないものね」
「……あぁ、俺達の記憶ではないだろうな」
「ちょっと勿体無いような気もするけどな」
「それでも……ずっとこのままでいるよりは良いでしょう。良くも悪くも…僕達は、先へと進まねばならないのですから」

 ユンナは微かにジュダの方へと視線を送る――――まさか、適当に選んだものなのに「お揃い」だったなんてね……。
 彼女は眉根を寄せると、ふいっと彼の持つ懐中時計から彼の顔へと視線を上げる。
 はたと視線がぶつかり―――彼女は思わずどきりと頬を微かに染めた。
 まだ慣れないのだろう。

 四人は視線を交えると、こくりと頷き――――

 かち……

 懐中時計の止められた時を 自らの手で動かした。




「「時」は「心」に想いを刻む……とても幻想的でしょう。
勿論「夢」ならば……この様に如何様な時でも留めておく事も可能ですが――」

 めいりはくすりと微笑みを零す。
 そう。時が流れるからこそ数多の思いが生まれる。
 そう。時の流れを感じる事が出来るからこそ、人はその先へと進んでいける。

「……そんな事…分かり切った事だわ」

 彼女は小さく言葉を洩らした。
 何時の間にか彼女の体はソファの上に横たえられていた。
 今は目に見えるものが全てでしかないけれど――時が流れるからこそ この心に生まれ出でる大切なものだってある。
 ユンナは自身の手をじっと眺め見た。

「水色の吐息は……貴方のお心によく響く夢をみせてくれたようですね」

 めいりはそう言ってくすりと微笑む。
 ゆったりとした微笑。
 ユンナは彼に向けて妖しげな微笑を湛えて一瞥すると、すっと立ち上がり、まだ眠って居るオーマの元へと歩み寄った。

「許 さ な い わ よ !!?……よくも買ったばかりのこの私のお気に入りの口紅に妙な物を練りこんでくれたわねーーーーーっっ!!!!???」

 ドボォッッ!!?

 ユンナは眠ったままのオーマの腹に強烈な一撃をお見舞いしてやると、眠りながらも悶え苦しんでいる様子のオーマに嘲笑しながら一仕事を終えたかのように手をパンパンと叩いて払った。

「ゆ………ユンナさん」
「ふふっ……何だかすっきりしたわね。でも……反応がないのはつまらないわね?」

 めいりは口の端を引き攣らせながら、尚も脂汗をダラダラと垂らしながら苦しんでいる様子のオーマに無言で視線を向ける。

「………私たち二人だけの――――ひ み つ よ????」

 ふふっ……と、人当たりの良さそうな微笑を向けながら、ユンナは人差し指でめいりの胸元をつ…と突付く。
 オーマが目を覚ましたのは、それからすぐのことだった。


 ユンナは目を覚ました大男向かって飛び切りのドスを効かせつつキメの台詞を言い放った。
「まさかあのままで済むとは思っていないでしょうね……!!?」

 めりっ☆

 オーマの横っ面に超一級ボクサーのものかと思ってもおかしくないような見事なパンチがメガヒットする!!
「ユ……ユンナ、おめぇ……」
 そんな中目を覚ましたらしきシキョウは、皆の楽しそうな様子に思わず応援をし始める。
「頑張れオーマ〜〜☆☆ももいろのせかいがまってるんだよ〜〜〜〜☆☆☆」
 あぁもう訳分からん!! オーマは身を翻してするりと上司の攻撃をかわすと、今だナマモノになめなめされているジュダジュダを盾にした!!
「………貴様、何の真似だ」
「おぉ友よ、やはり持つべきものは友よ☆お前が盾になってくれればそのナマモノも益々お前に惚れ直すぜ!!」
「…………………」
 ジュダはひょいと左手でナマモノを掴み上げると、小さな声で「やれ」と呟いた。
 途端にナマモノはその口から妙に長い舌だと思っていたが更に更に伸びるんですかそれ!!? といった感じの勢いでしゅるしゅると伸びに伸びたナマモノのぬるりと滑る舌にその身を絡み取られた!!!
「ナイスアシストよ! ジュダ!!」
「うぉおおおおっっ!!? この裏切りモンがーーーっそれでもお前は明日の聖筋界を担う腹黒お友達候補かーーーーっっ!!!?」
「………安心しろ。骨くらいなら拾ってやらんでもない……貴様の態度次第だ」
 くっくっく……明日の友は今日の敵。
「がんばれがんばれ〜〜☆☆おーま〜☆☆☆あすのともはきょうもてき☆あしたもてきなんだよ〜〜〜☆☆☆」
 ある意味大正解☆!!?

「えぇえええっ何だそれーーっっ!!?」
「あんた う っ さ い の よ ーーーーーっっ!!!?」

 どっごーーーーん!!!


 目に見えるいつもの光景。
 時の流れの中で手に入れた場所。存在。
 彼女は聞き取れないような小さな声で呟いた。
 ――ま、騒がしくってとてもじゃないけど美しいとは思えないような場所だけど――と。


「想うよりもこれからが肝要ですよ、ユンナさん」


 彼の言葉にゆっくりと首を頷けたユンナは、目の前に笑いながら佇む仲間達の顔を見遣る。
 水色の吐息は、柔らかに彼女の中でゆっくりと溶かされた。
「どうやら私の懐中時計がお役に立てたようですね」
 めいりが嬉しそうにそう呟くと、ユンナは手に持っていた懐中時計を彼に手渡す。
 その懐中時計を受け取っためいりは、それを見てくすくすと面白そうに微笑んだ。
「何でしたらこの懐中時計、プレゼントいたしましょうか? よくお似合いでしたよ」
「……………必要ないわ」
「そうですか?? どうぞ遠慮なく。今日という日の、記念に」
 めいりは意味深な笑みを浮かべると、有無を言わさずにユンナにその時計を手渡した。
 ユンナは押し付けられた懐中時計をじっと見詰めると、溜息をつきながら首を横に振った。しかしそれは絶対超高級ブランドレア懐中時計。彼女は相手を疑って掛かりつつも懐中時計を思わずぐっと握り締めた。
「何かしらの悪意を感じるわね」
「悪意だなんてとんでもない。それよりも感想などもお聞きしておきたいですね」
「……なかなか興味深かったわ。夢を見るために吐息を買ったわけではないけれどね……楽しかったわよ」
「――そうですか、お気に召して頂けましたようで…何よりです」
「………そうね」
 めいりはその言葉に柔らかに微笑み、すっと手を伸ばして彼女の喉元に触れた。
 何かを掬い取るような仕草を見せると、それを握り締めてゆったりとした微笑みを零す。

「またのお越しをお待ちしておりますよ――ユンナさん」




――――FIN.


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 【1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳/フィズィクル・アディプト&腹黒同盟の2番】
 【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
 【2082/シキョウ/女性/14歳/ヴァンサー候補生(正式に非ず)】
 【2086/ジュダ/男性/29歳/詳細不明】
 【2542/ユーア/女性/18歳/旅人】
 【2083/ユンナ/女性/18歳/ヴァンサーソサエティマスター 兼 歌姫 】
 ※エントリー順です。

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、ユンナさん。いつもお世話になっております、ライターの芽李です。
 このたびは旅商人「めいり」の吐息のご購入、誠に有り難う御座いました。
 水色の吐息はご堪能いただけましたでしょうか。
 お怒りマックス波乱万丈〜ですね。どうぞどうぞ、懐中時計は折角のアレですし是非お受け取りください。まぁ後で捨てても構いませんよ、えぇ。高いですけどね。笑
 少しでも楽しんで頂けていれば幸いです。

 この度は各吐息ごとの別納品となっております。もしご興味が湧かれましたら一読してみるのもまた一興かと。笑
 御参加ありがとうございました。いつかまた、お会いできる日を楽しみにしております。それでは。