<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
++ 恐怖の腕自慢 ++
食器の崩れ落ちる音が響いた。
波打つ水の音と共に、それは何処までも反響してゆく。
それはある日、緩やかな風が髪を梳かす 爽やかな朝の事。
(だ…大丈夫っすかね、あれ)
(何やってんだ、アレ?)
(何だか料理の特訓をするみたいですよ〜?)
(((あの家事オンチのアルミアさんがですか………)))
(芋の皮剥き役はもう居ますしね……)
(あは。それって私の事かなぁ〜??)
揺れる船の奥――此処は、海の上の厨房。
「姉様、食器は料理が出来上がってから用意するので良いのでございますよ」
「あ、あぁ……そうか………」
「本当なら料理に合わせて冷やすなり温めて置くなりしておいた方がいいのでございますが……割ってしまいそうですしね」
言葉の最後を少し声を潜めて呟いたエルシア・エルミナールは、白い甲冑にさらりと美しい黒髪を垂らしている。
加減目じりの下がりがちで柔和な印象を与えるその少女は、妙な体勢で一波来れば今にも自身と床とに盛大な音を響かせてぶちまけられそうな皿の山を両手・両腕・頭部右側面・首・胸部・腹部・そして片膝で二〜三枚を棚に押し付けるかのように押さえつけている自身の姉、アルミア・エルミナールをじっと見詰めていた。
黒い甲冑に身を包み、しっとりと艶やかな黒髪に、真摯な瞳が相俟って美しい。彼女も例外に洩れず冷静な「切れ者」といった印象を与えた。現状、そういった女性が取るべき体勢とは程遠い状態に在る訳だが。
「エル、割ってしまいそうというか……もう割るぞ、いいか?」
「良い訳がございませんでしょう?」
「なら、手伝ってくれ」
互いにはっきりきっぱりと言い合う。
「仮にも「借り物」でございますからね」
エルシアはふぅっと息をついて、アルミアが必死で押さえつけている皿の山を押し戻す手伝いを始めた。
「さぁ、もう少しだ……上を押さえてくれ、エル」
「えぇ、解りましたでございますよ」
皿の山との格闘を終えた二人は、手の甲で額を拭って漸く一息をついた。
アルミア的にはもうこの辺りで御免こうむりたい所であったろう。
しかし、それは目の前の妹の性格を考えれば無理な事である。
「さぁ、姉様。日頃お世話になっているクルーの方々やその他のお方を含め、皆様にご恩返しをする良い機会でございますよ。今日は腕によりをかけて盛大に皆様にご馳走して差し上げましょう」
「エル、此処の人間は別段誰もそんな事を望んではいないと思うが……わざわざここの厨房を借りずとも…」
「姉様、こういう事は望まれてやるよりも、自身の日頃の感謝の気持ちを篭めて自発的にやるのが良いのでございますですよ。……それにしましても…「皆様に」というのであれば、もっと人の集まり易い白山羊亭や黒山羊亭などで作らせて頂いた方が良かったかもしれませんね……」
「……………いや、いい。もう解った。始めよう」
エルシアの壮大な計画に意識を飲まれかけたアルミアは、少々顔を引き攣らせて我先に(?)と包丁を握りしめた。
「漸くやる気がでたようでございますね」
くすりと微笑んだエルシアに、アルミアは少なからず「クッ…嵌められたか」と、黒い思念と沈黙とを返す。
「さぁ、では献立はパスタにシチュー…それから御飯が良い方もいらっしゃいますでしょうから、炒飯でも作りましょうか」
「品目がごちゃ混ぜだぞ。統一した方が良いのではないか?」
「では卵とろとろのオムライスでございますね」
「………何だ、それは」
「半熟のオムレツを風味豊かなチキンライスの上に乗せて、お皿を揺すっただけでオムレツの外面が裂けて中のふわふわとろとろな卵が零れ落ちる、とても美味なお料理でございますですよ。これはオムレツを作るのに相当な技術が必要でございますね」
「………炒飯でいい」
二人は互いに少々の沈黙を湛える。
エルシアは考え込んだように拳を口元に宛がうと、ぽつりと呟くように言った。
「ではドリアは……」
「炒飯がいい」
「姉様がそんなに炒飯が好きだったとは知りませんでしたね。此方へ来てから食の好みが変わったのでございますか?」
「………いや、エルの挙げる料理名がより難しい物になった気がしただけだ」
「そうでございますね……料理を含む家事全般が全く出来ない姉様にとってみれば……炒飯も決して簡単とはいえませんよ?」
「ふん……やってみなければわからないさ」
アルミアの言葉に、エルシアはこくりと力強く頷いた。
真名板の上にころりと置かれた玉葱―――アルミアは正々堂々真正面からざっくりと包丁を縦に突き入れた!!
「…………!!!」
エルシアは衝撃のあまりに言葉を無くした。
アルミアは集中しているのか妹の様子に気がつかずに、まるで芋の目でも抉っているかのように玉葱に「大胆に」包丁を突き刺している。
「エル、なかなか斬れんのだが……」
ごんごんごん!!!
玉葱が焼き鳥の肉状態で包丁に突き刺さっている。いや、あれも玉葱が刺さっている事があるので、良いのだが……桁違いの迫力というやつである。
押す事も引く事もできずに、アルミアは其の侭真名板目掛けて包丁を叩きつけた(勿論縦に突き刺すように)。
「む……こいつもなかなか強情な奴だ」
彼女のその言葉で漸く軽く開いていた口を閉じると、エルシアは姉の芸術的所業に、元々煮やしていた業を更に煮え繰り返らせた!!
「姉様、玉葱は「斬る」のではなく「切る」物でございますよ。というか、それ以前に……それは刺しているのであってでございますね……」
「あ、あぁ……?」
「いえ、もっと言うべき事が……姉様、その茶色い物を何だと思っているのでございますか?」
「玉葱だろう」
「そうでございますが………………アバウト過ぎですね」
エルシアは深い溜息をついて首を左右に振うと、別の玉葱を取り出して二つに切り分け、根の部分を切り落として同時に付随した「茶色い物」をぺろりとめくりとって見せた。
「これは「皮」でございますですよ」
「………成る程、皮だったのか」
「そしてこれが……包丁の使い方ですよ」
エルシアは皮を適度に取り除いてやると、続いて芯を取り除き、其の侭シチューに入れるのに丁度良い大きさに切り分けてゆく。
「これはシチュー用の切り方です。炒飯用は微塵切りでございますよ」
「あぁ、わかった」
「姉様、「微塵切り」は存じて居りますでしょうね?」
「……馬鹿にするな。木っ端微塵にすれば良いのだろう」
「……………………………………間違っては居ないのでしょうけど…姉様がそう口にしますと、跡形も無い印象を受けますね」
「…………まぁ、そこで見ていればいいさ」
アルミアは、職人顔負けの腕を振ってみせつつも真摯な視線を向けてくる妹にこっくりと頷いて見せると、再び串刺しの玉葱に挑んだ!!
包丁から引き抜いた玉葱の皮を、ふるふると震える指先で玉葱の先端部分からぺりぺりと剥いで行く。
相当に集中力と忍耐力を要する仕事だ。妹さんにはついでに精神力も要求しておこう。
「「…………………………………」」
はぁ。
エルシアの口元から零れ落ちた溜息に、アルミアはちらりと其方に視線を送る。
「どうした、何か悩みがあるのなら私が聴くが…」
「そうでございますか? では、聴いて下さいませね? 私の存じ上げている御方が料理が出来ないのでございますよ。…料理というよりも……家事能力全般が皆無に等しいようでございまして……」
「エル、それは私の事……だろうな。………何か悪い所があるのなら早々に言っておいてくれるか」
「先ず、手だけで皮を剥くつもりなら包丁から手を離してくださいませね。それから、皮を剥く時は………………………」
動きを止めたエルシアの視線の先には、姉の手があった。
しかし、手元に存在している玉葱は先ほどに比べて極端なほどに妙に小さく……
「エル、これは一体どこまで剥く物なんだろうか…」
「……白くなるまで、でございますよ」
エルシアの言葉に自身の手元を見据えたアルミアは、こくりと頷き、それが丁度良い頃合いであると認めた。
「……………ならばもう良いな」
その判断も妹にとって…いや、一般民にとっては全く持って正しいものとは言い難いものである。というか間違っている。
「姉様、玉葱の芯は身体に毒でございますよ。芯というものは……玉葱の中心に存在するもので……」
そこを論点にする妹も間違っているが。
「……何処を食べるんだ? これは……」
「…………………………剥き過ぎでございましょうね」
「……………そうか」
アルミアはそう言って次の玉葱へと手を伸ばした。
それから幾度となく、「まだ茶色い」だとか、「何か緑色をしているぞ?」だとか、「芯を抜いてから切ってくださいませね」だとか、「みじん切りの時は、目に逆らって刃を入れるものなのですよ」だとか、「姉様、繋がっていますですよ。刃をしっかりと下まで入れて下さいませね」等などの手厳しい指導と妙なこだわりとが大混戦したとかしていないとか。
「料理とは……面倒なものなのだな」
「手間暇を掛けるからこそ美味なものが出来上がるのでございますよ」
「………そうか」
姉にも漸く伝わったであろう気持ちがして、エルシアはくすりと微笑んで背後の生ゴミをゴミ袋に詰め込み始めた。
きっとこれで姉も家事に興味を持ち始め、少しはまともな生活をするようになるだろう―――そう、思っていた。
少なくとも一瞬、この時までは。
「私の性には合わん」
アルミアの言葉が耳に届き、それに続いてエルシアの頭上を黒い影が過ぎった。
ぶぉんっっ……!!
風を斬る鋭い音が響き――――エルシアの振り向いた時には既に、玉葱は真名板ごと「木っ端微塵」であった。
そう、これが正真正銘の「木っ端微塵」というやつであろう。
流石に日々使い慣れた「エモノ」であるらしく、アルミアは黙々と玉葱や人参、そして既に皮の剥かれていたジャガイモを見事に木っ端微塵にしてゆく。それは、そう…妹がその動きを止める隙も与え無いほどの素早さで。それはそうだ。「消滅」に近い形での木っ端微塵なのだから。
「ね……姉様!! 「魔斧」で料理をする人間なんて聞いたことがございませんですよ!!?」
「面倒だったんだ。綺麗に切れただろう?」
「真名板ごと綺麗に「斬れて」ございますよ!!! やりなおしです!!!!」
「む………そ、そうか」
そんなこんなで実は昼食のつもりが夕食へと持ち越しである。
勿論厨房を占拠した姉妹の為に、いつもそこで腕を振っている人物が近付ける筈も無く……クルーや常連客の面々は、大量に積まれた玉葱や人参の山と、妙に膨らんだ生ゴミの袋とを見て、微かに溜息を零しつつ大量であろう夕食に期待した。
要するに全員昼抜きである。
夕焼けが海を紅く染め上げていた。
特別に用意された甲板の上の食卓――皆の前には、美しく盛り付けられた料理の数々が並べられ、その香りは空腹の皆にごくりと生唾を飲ませた。
「さぁどうぞ皆様、姉が腕によりをかけて作った料理です。召し上がってくださいませね」
エルシアは完璧なまでの仕上がりに、気分良くにっこりと優しく微笑んで見せた。
「美味そうっすねー」
「うわぁ、ホント、美味しそう〜」
「美女の作るものは格別に美味しいからねぇ」
「本当、楽しみですねぇ」
「腹減った〜! よ〜し、メシだメシ!!」
生業(?)のためか、真っ先に料理に手をつけた船上コックは、スプーンを口に入れたまま全体機能を凡そ三十秒ほど停止した。
しかし静かな彼の様子を省みる者は無く、クルーはもとよりお呼ばれした客達は悉くその料理の餌食となった!!
「「「「「「「ぅぐっ…………………………………………………………………!!!!!!!?????」」」」」」
全員全体機能停止。
皆の様子を不審に思ったエルシアが、スプーンを手にとってシチューを口元へと運んだ。
「!!!!?」
何故、こんな事が……!!?
無言で沈黙を守る妹の様子に首を傾げ、アルミアは少なからず「失礼な奴等だな」もしくは「そんなに美味かったのか?」と思い、フォークにパスタをくるりと巻き取って口元へと運んだ。
「む…………………………………………」
アルミアは「それ」を口に含んだまま、無言でパスタの盛り付けられた皿を卓の中央目掛けて全力で押し出した。
ハイ! パース!! ……とでも言わんばかりに。
しかし口に含んだ一口は、出せる訳でもなく、かと言って飲み込める訳でもなく…且つ残念な事に咀嚼を行うことすらも許されるものでは無かった。
それは皆同様だった様で………
三十秒経過。
ガゴンッッ!!!
仰々しい音を立てながら、皆は崩れ落ちた。
ある者は口を両手で押さえつけ、床を転げまわった。
またある者は、ふるふると全身を震わせ、顔を紅潮させながらも何とか飲み込んでその数十倍の量の水をごくごくと飲み続けている。この人物こそが本日の一番のツワモノであろう。
またある者は、そうとは気付かずにエレエレと口の端からシチューを垂らしている。船上ではヨコモレ厳禁でお願いします。
またある者は、スプーンを咥えた端から咳き込み、光り輝く米の粒と卵、玉葱やら人参やらのミラクル大噴射をしている。
またある者は、顔をこれ以上はないというほどに青褪めさせながら、卓に肱を突き、項垂れながらも何とか自我を保とうと閉じそうになる瞼と闘いつつも、まるで「小学校の授業でプールに入った際に、クラスに必ず一人は居るという唇までをも青褪めさせ、骸骨状態で激しく歯をガチガチと鳴らし続ける子供」状態でガクガクしている。死期が近いだろう。
「姉様、こ…これは……」
死者累々。
惨劇の渦中の船上で、妹は微かに涙目になりつつも姉を振り返った。
もしかすると傷付いているかもしれない。
あれほどまでに努力をし、普段する事の無い、慣れない料理を何時間も掛けて一生懸命に作ったのだから――――
「いいんだ、エル。こいつ等は鍛え方が足りんのだ」
「………姉様」
「安心しろ、死ぬようなものは入れていないからな」
「まぁ、確かにそうではございますですが……」
アルミアはどこか遠くを見詰めている。エルシアも何と無しに其れに倣い、何時の間にかぽっかりと浮かんでいる月を眺めた。俗に言う、「現実逃避」というやつである。
そんな訳で夕食は大絶賛である。
『見た目完璧、食べて悶絶』
それは船上料理の歴史に残る一級品。
海賊船『スリーピング・ドラゴンU世号』、悲劇の一夜であった。
――――FIN.
|
|