<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


魔を背負う男

「ねえ、最近レーヴェさんを見ないわね」
「そういえばそうだな」
誰かエルザード城の門番を務める巨人の騎士、レーヴェ・ヴォルラスを見たものはないか、と白山羊亭の中が騒がしくなった。しかし十日前に職務を終えて帰ったことが確認されただけ、その後は杳として知れなかった。
「そういやあいつ、帰りに病気の友人を見舞うとかなんとか言ってやがったな」
レーヴェを最後に見た男が言った。
 その友人の家はベルファ通りの近くにあった。白山羊亭からは少し離れていたが、レーヴェの行方が気になり、訊ねてみることにした。
 探し当てた家は、ひっそりと静まりかえっていた。ノックをしても返事はなく、恐る恐る扉を押してみると、簡単に開いた。狭い一階は居間になっていたのだが人影はなく、二階の寝室に上がってみる。
 そこに、レーヴェはいた。
 レーヴェは友人のベッドの横で仁王立ちしていた。その足元から背中にかけて、青黒い煙のようなものがべったりとへばりついている。一目で夢魔だと知れる、邪悪な影だった。
 恐らく夢魔は最初、レーヴェの友人にとりつき呪い殺そうとしたのだろう。だがそれを見舞いに来たレーヴェに阻まれ、代わりにレーヴェを襲ったのだ。しかし強靭な肉体と精神を持つレーヴェはたやすく夢魔には飲み込まれず、しかし振り払う方法もなく、ただひたすら十日間を耐え続けていたのだ。
 一刻も早くレーヴェを助けなければ。夢魔に向かって攻撃の構えを取ると、黒い影は憎むように不気味な鎌首を持ち上げた。

 なんだかいい匂いがする。トゥクルカは小さな家の出窓に立った。鍵のかかっていない窓は楽に開き、中を覗きこむと夢魔特有の膿んだ空気が充満していた。だが、トゥクルカをひきつけたのはこの空気ではなく、部屋の中央に仁王立ちするレーヴェの、憤懣やるかたないといった表情から滲み出す怒りの感情であった。
「なにやってるのかしら」
このままにしておけば傷つけた木の幹から樹液を搾るように、レーヴェから負の感情を奪うことができる。それなのに、邪魔なものがいた。
 部屋の中には薄青いガラスに似た結界が張り巡らされ、その中に二人の男がいた。もちろん、レーヴェを除いてである。一人はオーマ・シュヴァルツ。そしてもう一人はワグネル。二人の存在がどうやら、レーヴェの感情を和らげている。
 結界は強固だった。だが、どうやら物理攻撃のみを遮断する種類のもので、言葉や匂いといった感覚的なものは素通りしてしまうらしい。
 なにかに似ている、と思った。そして視線を外に向けて、気づいた。向かいの家の窓につるされている籠の鳥、あれと同じだった。籠に入れられた鳥からは歌声を搾り取る。そしてトゥクルカも結界に入った男たちから搾り取る。
「なにを?」
訊ねるまでもなかった。
 トゥクルカはゆっくりと、鎌を持っていないほうの手を掲げた。手袋をはめた指先が赤く光る、と同時にレーヴェの表情が歪み、背負っていた夢魔の煙が一段と濃くなった。
「誰だ!」
ワグネルが素早く振り返った。続いて、オーマも。三人の視線が静かにぶつかり合った。
「トゥクルカ」
鈴を振るように、トゥクルカは名乗った。

 トゥクルカは、人の悪感情を搾取する。人の感情は、普通の目には見えないけれどそれぞれの体の回りに、細い蜘蛛の糸のようにたなびいている。今、レーヴェは不機嫌という深い紫の糸を紡ぎ出していたし、オーマとワグネルは戸惑いとそして驚き、少々の不審を滲ませていた。
「なにやってんだ、あいつ」
「知るか。それより今はレーヴェを助けるほうが先だ」
どうやら夢魔には刀は効かねえみたいだけどな、とオーマは銃の照準を黒い影に合わせる。そしてトリガーを引こうとした。
「危ねえ!」
瞬間、ワグネルの刃が一閃。
 手の平大の火炎球が三つ、突然結界内に現われて二人を襲ったのである。トゥクルカが呪文で送り込んだに違いなかった。
「邪魔しないで」
「邪魔してるのはどっちだ!さっさとレーヴェを助けなきゃならねえんだから、少し大人しくして見てろ!」
火炎を切り裂きながらワグネルが怒鳴ると、トゥクルカは可愛い顔のまま勘違いしないで、と言った。
「トゥクルカ、あなたたちに協力するつもりなんてないの。あなたたちのすることに興味なんて、ないもの」
そして空中でぎゅっと拳を握ると、見えないなにかを思い切り引っ張るような仕草をした。レーヴェがうめく、夢魔が踊る。
 あなたも邪魔、とトゥクルカは心の中で呟いた。基本的に夢魔もトゥクルカと同じように、人の感情を栄養に生きている。言わば、トゥクルカが絡め取ってゆく感情の糸を陰で一本二本、掠めているのである。姑息なやりかたが、許せない。
「さっさと片付けてよ」
結界さえなければ、トゥクルカが大鎌で夢魔を両断しているところだった。
「片付けるって、なにをだ」
「うるさいの」
反論するワグネルに、再び火炎球。今度は二つ増えている。

「なんなんだよ、あいつ」
次々と送り込まれる火炎を跳ねるようにかわし、素早く刃で片付けながらワグネルは理解できないという眉を作った。本当に、トゥクルカがなにをしたいのかがわからない。さっきは自分たちを邪魔だと言ったし、今度はどうやら夢魔を邪魔だと言っているらしい。
「俺たちはどうすりゃいいんだ」
「俺たちは、俺たちができることをするしかねえだろ」
どうせなにをしたって火炎球を放られるのだ。ならば怯んでいる暇などない。こうしている間にも、レーヴェの体は衰弱していくのだから。
「お前、あっちの相手を頼むぜ」
「仕方ねえなあ」
ワグネルはオーマの背中を守るように立つと、もう一本今度は短いナイフを取り出し両方の手に武器を構える。こんな武器でも炎を散らすことくらいならできる。
 火炎球を投げるたび、ワグネルの中に焦りと苛立ちという感情が生まれるのがトゥクルカにはわかった。二つの感情の糸は青と黄色が混ざり合って緑を作るように、別々の色が混ざり合って新しい色を紡ぎ出している。あどけない子供が鮮やかな色をしたおもちゃの指輪を欲しがるように、トゥクルカの心も美しい色の糸を求めた。
「もっと」
呟いた途端に、ワグネルの回りにはさらに火炎球が浮かぶ。
「おい、さっさと片付けてくれ!」
思わず、オーマの背中を肘で突いてしまった。
 肩甲骨と肩甲骨の中心を打たれ、オーマは一瞬のけぞった。だがあらためて銃を構えなおすと、スコープに目を当てた。レーヴェの背後でゆらゆらとうごめく夢魔に狙いを定めようとする、が、そうするとどうしてもレーヴェ自身の体が射程内におさまってしまう。友の顔を覗くことで、ためらいが生まれた。
 しかしレーヴェは片目だけを開くと、
「やれ」
低い声でオーマを一喝した。
 ニヤリと、口元を歪めてオーマは笑う。そして迷いなくトリガーを引いた。

 レーザー光線が、銃口から放たれた。圧縮されたエネルギーが一気に爆発するような、凄まじい光が、部屋中に溢れ出す。もちろん、結界を張っているので家具や建物にはなんの影響もないのだけれど、ただ光だけが降り注ぐ。
「!」
光が苦手なトゥクルカは、怯んだ。その輝きが自分にまで降り注ぐことを嫌がり、反射的に後ろへ飛ぶと、窓から姿を消した。だが、オーマにもワグネルにもその姿は見えなかった。なぜなら、二人はすでに真っ白な世界の中に取り込まれていたからだった。
「・・・・・・」
数分後、結界が解けた部屋の中に二人は立っていた。いや、二人ではなくレーヴェも含めて三人、ベッドの中の男を足せば四人になる。
「あれ?あいつ、どこ行ったんだ?」
レーザーのあおりをうけて軽く上着を焦がしたワグネルがトゥクルカの姿を探す。銃を放つだけが能ではなく、医師の資格もあるオーマはベッドの男を診断しながらそういやそうだなと目だけを辺りに向けた。
「変な奴だったな」
独り言ではなく、レーヴェに話しかけたつもりだった。だが、レーヴェの返事はない。見上げると、額から肩から右半分が炙られて肉が裂けている。
「うわ」
痛そうだとワグネルは思わず目をそらしてしまった。自分は、上着だけで済んで本当によかった。
「ちょっと待ってろ、レーヴェ。こっちの治療が終わったらすぐお前も治してやるから」
加害者であるオーマは重度の火傷くらい見慣れていた。腰に下げている袋から薬草の包みを取り出すと、とりあえず応急手当に貼っておけとレーヴェに放る。ところがレーヴェは左手でそれを払い落とす。
「こんなもの、酒を飲めば治る」
それは暗に、白山羊亭へ誘っているのだった。ワグネルとオーマは顔を見合わせると、同時に笑い出した。
 快活な笑い声を、トゥクルカは屋根の上で聞いていた。その小さな手の中には、子供の頭くらいの鞠がのっていた。人間の感情の糸を手繰り寄せて紡いだ、可愛らしい鞠である。
「もっと、黒くなればいいのに」
人の感情は歪めば歪むほど、色が深くなる。さまざまな感情が交じり合うと、最後には黒に染まってしまう。
 家の扉が開き、オーマとワグネル、そしてレーヴェが連れ立って出てきた。彼ら三人の姿を見下ろし、トゥクルカはその大鎌を振り下ろしてやりたい衝動に駆られた。だが、鎌を持ち上げようとしたそのとき、時間を告げる城の鐘が鳴った。
「・・・・・・」
女王さまと約束した帰る時間だ。いい子は、約束を守らなくては。
 鎌を下ろしたトゥクルカはそっと目を閉じた。その華奢な体は、ゆっくりと闇に溶けていった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1953/ オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り
2787/ ワグネル/男性/23歳(実年齢21歳)/冒険者
2843/ トゥクルカ/女性/14歳(実年齢14歳)/異界職

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■         ライター通信          ■
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明神公平と申します。
白山羊亭冒険記は初めての挑戦だったのですが、
いかがだったでしょうか。
トゥクルカさまは見かけどおり子悪魔というイメージで、
可愛らしくわがままな雰囲気で書かせていただきました。
自分の感情よりも女王さまの約束を優先させるという
シーンが書いていて、ちょっとお気に入りです。
またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。