<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


無鉄砲喧嘩師とウサ耳パティシエ

 森のすぐ傍にある小さな菓子屋は、知る人ぞ知る評判の店だった。どこにでもありそうな小さな店で、カントリー調のファサードや内装も、これまたさほど珍しくは無い。オープンカフェがついている、と言うのは嬉しい要素ではあったが、これも特徴、と言える程の設備ではない。ともすると行過ぎてしまいそうな店構えなのだが、どうしたものか味は一流、良いとは言えない立地条件にも関わらず、客の絶えない店なのだ。三日に一度はここでお茶をしないと気がすまない、と言う人もあるくらいで、この所の一之瀬麦(いちのせ・むぎ)もまた、その一人だった。
「うっわ〜、あるある!嬉しなぁ、うちこれめっちゃ好きなんよ〜!」
 ここ数日売り切ればかりで巡りあえずにいた野苺タルトの姿に歓喜する様子は、彼女の本業(?)である女子高生そのものだ。ブリーチのかかった長い髪も、今時の女子高生ならばよくある事。年の頃、17。目鼻立ちのはっきりした美少女だが、そんじょそこいらの男性陣には負ける事のない腕っ節と肝っ玉の持ち主でもある。曲がった事が大嫌い、見てみぬ振りも出来ないタイプで、喧嘩っ早い事この上無い。名前を聞けば震え上がるチンピラも一人や二人では無いだろう。が、しかし。そんな彼女の心は今、愛するタルトとその他諸々の焼き菓子やゼリー達で一杯だった。
「あ〜、早よ食べたい!うちの野苺タルトちゃん!!この艶やかな姿が何とも言えへんよ、なぁ?」
 と独り言ともつかぬ事を言いながら、レジに向かおうとしたその時。
「…チョコレートタルト焼きあがりました」
 と、呟くように言いながら入ってきた少年を何の気なしに見た麦は、思わず歓声を上げた。
「ひゃあ!何やの!」
 少年がタルトのトレーを所定の場所に置けたのは、奇跡としか言いようが無い。それ程までに素早く、麦は彼を抱き締めていた。無論、自分のトレーはしっかりレジに置いたままで。
「……何…ですか?」
 少年がやっとそれだけ言えたのは、麦に思う様抱き締められ撫でくりまわされた後だった。年の頃、10くらいだろうか。黒い服に黒い髪、抜けるような白い肌には真っ赤な瞳がよく映えている。なるほど美少年、と言うべき顔立ちではあったが、麦の心を鷲づかみにしたのは主にそちらではなく…彼の、耳だった。彼の頭には、何と大きなウサギ耳がひょこんと垂れていたのだ。
「めっちゃ可愛い!なぁなぁ、それ、本物?」
 少年の質問など全く意に介した様子もなく、麦が聞く、それ、と言うのは勿論、ウサギ耳の事だ。前居た世界では、特定の職業に就いたお姉さん達が時折そんなものをつけていたようだが、当然ながら作り物だった。しばらくの間、じたばたともがいていた(実は反射的に蹴りを入れそうになるのを必死で堪えていたのだが)少年は、どうにも逃れられないと諦めた様子で、麦をちらりと見、顔を真っ赤にして目を背けつつ、
「・・・・本物だけど?」
 とぶっきらぼうに言った。その瞬間、無意識のうちに、彼が麦の『可愛いものスイッチ』をONにしてしまったのは言うまでもない。
「っ!!!!」
 声にならない歓声に、少年がびくり、と身を震わせる様すら既に麦には『可愛い』以外のナニモノでも無い。
「可愛い〜〜〜〜、可愛いなあ、もう!」
 ちょい、待っとき、などと言われてようやく解放された少年が呆然と見守る中、凄まじい勢いで会計を済ませた麦は、くるりと振り向くと、
「それでな、物は相談やけど。…お茶せえへん?」
 と微笑んだ。その迫力輝き共に最上級の笑顔に一瞬たじろいだ少年だったが、すぐに思いなおしたように、
「…仕事中だから」
 と答えたのだが。厨房から出てきた店長の一言で、彼の運命はあっさりと決まった。
「あ、黒兎くん、休憩入って」
「…はい」
 休憩は後にしたいです、などと言う反論を思いつくような余裕は、彼には無い。
「うっわあ、嬉しなあ、ほんま丁度ええやん。なあ、付き合うてくれるやろ?」
 少年が諦めたように頷くと、麦はトレイを持って右側のオープンスペースに向かった。
「黒兎くん、ゆうんが名前?」
 歩きながら聞かれて、少年は微かに頷いた。
「そか、名前も可愛い、ええなあ」
 何が良いのかは謎だが、麦は仕切りと感心してから
「うちは麦ゆうんよ。一之瀬麦」
「…一之瀬…さん」
 黒兎少年が繰り返すと、そや、と満足そうに麦が頷く。オープンスペースが少し混みあっていて、二人は外のテラス席を探した。
「ええ天気やし、外で正解や。…あ、そこ座っといて、うち紅茶もろて来るから」
 ウッドテラスの一番端の席に、自分のトレイを置くと、麦は軽い足取りでまた店内に入り、すぐに二人分の紅茶を持って戻って来た。オープンスペースで飲食する客には、紅茶のサービスがついているのも、この店の売りでもあった。
「…僕、お客さんじゃ…」
 と言い掛けた黒兎に、
「ええよお、このくらい。うちが誘ったんやし」
 と、言った麦だったが、すぐに
「とか言うて、ほんまは店長さんがサービスしてくれはったんやけど」
 と笑って彼の向かいに腰を下ろした。
「さあて、どれから行こか〜。ゼリーがええかな、うーん、でも最初はクッキーからっちゅうのがセオリーか、いや、やっぱゼリーがうちを呼んでる!」
「…あのさ」
 山桃ゼリーを一口頬張った麦に、黒兎がぼそりと言った。
「あい(何)?」
「それ、全部食べる気?」
 彼が思わず聞いたのも無理は無い。麦のトレイには、タルトだのクッキーだの菓子パンだのケーキだのが所狭しと乗っていて、ざっと見ただけでもその数約20個は下らない。だが、麦はこくりと頷くと、
「当たり前やん。こない美味しいのに何で残さなあかんの」
 と首を傾げてから、ふと真剣な眼差しで彼を見詰め、
「あ、でももし食べたい言うなら、あげてもええよ?正真正銘、うちの奢りや」
 と、力強く頷いた。要するに全部食べたい、と言う眼差しなのだとすぐに理解したらしい彼は、首を振った。
「遠慮せんでもええのに。うちはいつでも来られるし」
「…僕は毎日、来てるんだけど」
 そっかあ、そらそやな、と笑う間にも、既にゼリーを完食した麦の手には、既に次のアップルタルトがある。
「ここのお菓子ってな、見た目は結構地味なんやけど」
 アップルタルトを一口でほぼ半分頬張って、麦が言った。
「味もその通りなんよ」
「え」
 思わず顔を強張らせた黒兎に、麦はちゃうちゃう、と手を振った。
「そこがええの。一口食べた瞬間から、こうじわわあってな?幸せが広がる言うんかなあ…うまく言えへんけど。それにな、うち、何食べとるんかわからんようなもんは、好かん。アップルタルトはリンゴの甘さ、マロングラッセなら栗やて分かる味があるやろ?」
「…うん」
「それもなんもわからんようになってしもたら、どんなに美味しなってても、何や違うて気になる。その点、ここのお菓子はうちの好みにぴったりや」
「…そう…なんだ」
 喋りながらも目を輝かせつつ、麦はぱくぱくと菓子を平らげていく。その食べっぷりは見事と言う他無く、半ば呆然としつつ見守っていた黒兎の表情も、少しずつ嬉しそうにほころんでいく。ついには
「…紅茶、貰ってきてあげても…いいよ」
 と、いそいそとお替りの紅茶を持ってきてくれた程だったが、その頃には小山のようになっていたトレイの菓子は、少しずつ切り崩されて、野苺のタルト2つを残すのみとなていた。
「やっぱり美味しいなあ」
「…ほんとに、食べきりそうだね」
 呆れつつも感心した様子の黒兎に、麦は
「当たり前やん、最初に言うたやろ」
 と言ってから、ふと思い出して、
「なあ、クロちゃんて、お菓子作る人なん?」
 と聞いた。
「…パティシエ…だけど?」
「なあ、せやったら、うちが食べとった中にも、クロちゃんの作ったお菓子、あった?」
「…あった」
「ええ〜!」
 麦の悲鳴とも歓声ともつかない声に、黒兎が思わず飛び上がりかける。
「どんなん作るんか見たかったのに。…何?何やった?プラリネ?クッキー?それともアーモンドタルト?ねえ、何?」
 詰め寄られて再び赤面しつつも、黒兎は顔を背けたまま、
「教えない」
 と言った。途端にまた麦が悲鳴をあげ、身をすくめながらも黒兎がくすっと笑った。それを見て麦がむうう、とむくれる。だがそれも目の前の野苺タルトを一口食べるまでの事だった。口に広がる甘酸っぱさは、紛れも無く野苺のそれだが、生で食べるのとは無論違う。ほんの僅かに残った渋みさえもが、いとおしく感じてしまう。
「ああ、美味しいなあ。なんやもう、追及する気も失せてしまう程に」
「ほんとに好きなんだね」
 と言った黒兎の声には、呆れた、と言うよりもどこか嬉しそうな響きが感じられて、麦は勿論、と頷いてみせた。既に野苺タルトも食べ終わり、トレイの上は綺麗さっぱり片付いている。食欲を満たした麦は、ああ美味しいと再び呟くと、改めて黒兎をじっと見た。
「なあ」
「…何」
「さっき、本物言うてたよね、それ」
「…うん」
「生まれた時から付いとるん?」
「ラビトニアンは皆そうだけど」
「ラビトニアン?」
 聞き返した麦に、黒兎が頷く。
「僕の種族。…殆ど、街には出てこないから…」
「みーんなそうなん?」
 そう、と言うのは無論、兎耳の事だ。
「皆、そう。見た事、無い?」
「無いわ。こっち来てそう長ないし。うちが昔居ったとこにも、ウサ耳つけた人らが居てたけど。みーんなニセモノや」
「ニセモノ?」
 黒兎が首を傾げる。
「そ。ニセモノの耳つけたお姉さんらぁが、踊ってはるとこがあるんよ」
「見た事あるの?」
 黒兎の問いに、麦は無い、と首を振った。
「近所のおっちゃんに聞いた話や。でも、クロちゃんもうちの国行く事があったら、探してみるとええかもな。きっと大人気やろ。食うに困らんよ」
「…やめとく」
 黒兎の判断は、この場合至極正しかったと言える。麦もそれ以上は勧めずに、紅茶に手を伸ばした。少々冷めてはいたが、まだ充分香り豊かなそれを味わいつつ、ふう、と満足そうに息を吐く。
「それにしても、ここはえーなあ。こんな近くにええお店がある」
 と言う麦に、今度は黒兎が首を傾げる。
「近くに、住んでるの…?」
「そ、テント張ってな、わんこと一緒に。町に近すぎるのも何かと面倒やろ?」
「…はあ」
「ほな、うちそろそろ行くわ」
 と、立ち上がった麦は、黒兎の顔に一瞬だが寂しそうな表情が浮かんだのを見て、またぎゅっと彼を抱き締めたが、今度はあまりじたばたされなかったような気がした。慣れたのだろうか。たっぷり撫でた後で彼を地面に下ろすと、麦はそしたらな、とぽんと肩を叩いた。
「また来るわ、今度はクロちゃんの菓子、絶対当てたるから覚悟しとき」
「…絶対、教えない」
 目を逸らしながらも言い返す黒兎の頬は、ほんのりと赤く染まっている。トレイは返しておくと言う彼に礼を言い、麦はぽんとテラスの手すりを乗り越えた。2メートル程下の地面に軽々と着地して歩き出すと、何かがぽん、と飛んできた。反射的に受け取って、わあ、と歓声を上げたのは、それが小さなクッキーの包みだったからだ。振り向いた麦に、黒兎がおずおずと言った。
「…一之瀬さん、凄く沢山、食べるから…」
 お土産のつもりらしい。それにしても、可愛くない言い方だなと思いつつ、麦はぶんぶんと手を振りながら森の方へと歩き出した。陽光がまだ、眩しい。貰ったクッキーを早速一つ頬張ると、新しい出会いの味が、ふわりと口に広がった。

終わり。