<東京怪談ノベル(シングル)>


エルファリアの庭 -A garden-

 エルファリア別荘。王が王女のために作らせた別荘ながら、その広さから、たくさんの人に部屋を貸し出しているその建物は、今や聖都の名物となっているという。記憶をなくしたことになっているセヴリーヌに王女が提供してくれた住居もまた、この別荘の一室だった。
 家具は最初から備え付けられているし、運び込む荷物は何もない。与えられたメイドの仕事は翌日から。セヴリーヌはとりあえず部屋に腰を落ち着け、休むことにした。

 翌朝早く、部屋の扉が叩かれ、亜麻色の髪を2つに分けた少女が顔を出した。
「あなたがセヴリーヌさん? 私は王女様付きメイドのペティ。よろしくね」
 鼻の頭にそばかすを散らした彼女は、親しげににっこりと微笑んだ。
「セヴリーヌと申します。ごめんなさい、名前以外のことは……」
 セヴリーヌが申し訳なさげに目を伏せると、ペティは慌てた様子で首を振った。
「ううん、事情は王女様から聞いてるから。しばらくあなたに付き添うようにって言われたの。早く仕事を覚えちゃおう、ね? 聖都はとってもいいとこよ」
 元来、気の好い娘なのだろう、セヴリーヌを力づけるように言葉を続ける。
「心強いですわ。ありがとうございます」
 セヴリーヌが微笑み返すと、ペティは笑みをさらに大きいものにして頷いた。
「えっと、じゃ、早速だけどお仕事ね。まず、これに着替えて」
 そう言ったペティが差し出したのは、綺麗にたたまれた紺と白の衣類だった。セヴリーヌはそれを受け取ると部屋の奥へと入り、渡された衣類を広げる。それはペティの着ていたものと同じ衣装だった。城で働く際の制服なのだろう。
 セヴリーヌは着ていた衣装を脱ぐと、それを手早く身に付けた。紺色のワンピースの上から、白のエプロンドレスを身にまとう。そして、白いフリルのついたヘッドキャップを頭に。
 姿見の前に立ち、軽くくるりと回ってセヴリーヌは口元をほころばせた。こういう格好も悪くはない。仕立ての良いワンピースは、スカート部分がふわりと広がり、それでも腰の部分がきゅっと締められているので、動きやすい。エプロンドレスにも華美になりすぎない程度のフリルがあり、清潔感に華を添えている。そして、輝くような金髪にちょこんと乗ったヘッドキャップ。小さいながらも、愛らしさと仕事への誇りを感じさせる雰囲気を演出してくれる。
 少しうきうきした気分で戻ると、ペティも嬉しそうに笑う。
「とってもよく似合ってるわ。じゃ、行きましょっか」
「ええ。お願い致しますわ」
 セヴリーヌも微笑み返し、2人はエルザード城へと向かった。

 さすがにソーンの中心地、エルザードの城となると、メイドの数もかなり多く、仕事も多様になる。セヴリーヌには、新入りということで、まず城内に数多くある使用人たちの部屋の掃除が割り当てられた。
「大丈夫。そんなに難しくないし、すぐに覚えられるから」
 はたきを手に、ペティはにっこりと笑った。そして、手順を説明する。確かに彼女の言葉通り、それは造作もないものだった。
 セヴリーヌは教えられた通り、はたきで埃を払い、古布で家具を磨き、洗濯済みのシーツをぴしりとベッドに張る。たったそれだけで、部屋は見違えるように立派になった。
「すごい、上手!」
 セヴリーヌの手並みを見ていたペティが感嘆の声をあげる。
「ありがとうございます。次に参りましょう」
 セヴリーヌはそれに軽く微笑み返し、2人は次の部屋へと向かった。そこでも先ほどと同じ手順を繰り返す。一度やってしまえばすぐに要領は呑み込める。たちまちのうちに、セヴリーヌは自分に割り当てられた仕事をこなしてしまった。
「本当に手際いいね……。これだったらきっと、すぐにでももっと大事な仕事任せてもらえるよ。本当、記憶喪失だなんて思えないわ」
 綺麗になった部屋を見て感心したように呟いたペティだったが、自分が触れてはいけないことに触れてしまったと思ったのだろう、はっと気付いたように口元に手を当てた。
「ごめんなさい、私ったら……」
「構いませんわ」
 セヴリーヌは穏やかに微笑んだ。
「本当、ごめんなさい。そうだ、お詫びってわけじゃないけど、とっておきの場所があるの。仕事も早く終わって時間も空いちゃったし、休憩にしよ」
 そう言ってペティはセヴリーヌの腕をとって歩き始めた。セヴリーヌはされるがまま、ペティの後について歩く。
 ペティが廊下の壁に設えられた重い扉を押し開けた。途端に、眩しい外の光と、心地よい甘い香りが差し込んでくる。
「……まあ」
 眼前に広がった光景に、セヴリーヌは顔をほころばせ、感嘆の声を漏らした。
 そこには、色とりどり、形も様々な花が咲き誇り、その蜜を求めて蝶や鳥たちが思い思いに舞っていた。慌ただしさの漂う城内と違って、そこはまるで天上の楽園が下りてきたかのように穏やかで美しい場所だった。
「綺麗でしょ?」
 セヴリーヌの反応に、ペティは満足そうに頷いた。
「この庭は、みんな『エルファリアの庭』って呼んでる。王女様が、趣味で集めた花の球根が植えてあるの。ソーンのものや異世界のもの、いろんな種類があるから一年中花が咲いているんだ。ここに来ると、すっごくほっとするから、みんな仕事の合間に来るみたい。私も疲れた時とかよくここに来るんだ」
 一通りの説明をして、ペティはうーんと背伸びをする。そして、セヴリーヌを促し、庭の隅に腰掛けた。
「本当に素晴らしい場所ですわ」
 セヴリーヌは呟くように返すと、ゆっくりと咲き乱れる花を見渡した。腕の良い庭師がよく手入れをしているのだろう、これだけ色も形も雰囲気も様々な花が咲いているのに、雑然とした印象は全くない。むしろ、全体にうまく調和して上品な華やかさを演出している。
 口元をほころばせ、庭園を見渡していたセヴリーヌだったが、ふと視線を留めた。そこには、艶やかな赤いハート形の大きな花弁に、黄色の穂が突き立った特徴的な形の花があった。
「アンスリウム……」
 セヴリーヌは何気なくその名を呟いた。そしてその視界の端に、今度は深い蒼色の、壷のような形をした慎ましやかな花が映る。
「キキョウ……」
 軽く視線を落とせば、愛らしい丸い葉の上に咲く、幼女のように元気で可愛らしい赤や黄色の花が。
「ナスタチューム……」
 そして、その隣に小さな百合が群れ咲いたような形の、淡く紫がかった上品な花。
「アガパンサス……」
 どれも、セヴリーヌの生み出す魔導生命体と名を同じくする花だ。
「何か……思い出したの?」
 ある種の緊張と期待をはらんだその声にふと傍らを見れば、硬く拳を握りしめたペティが、ひどく真剣な面持ちでセヴリーヌの顔を見つめていた。
「いえ……。ただ、何となく口ずさんでみただけですわ」
 セヴリーヌがわずかに戸惑いの色を滲ませながら応えると、ペティはまるで自分のことのように落胆の表情を見せ、大きく息を吐いて肩を落とした。
「記憶……戻るといいんだけれど」
 心配げな視線をセヴリーヌへと向ける。
「心配は無用ですわ。今ので『きっかけ』さえあれば、意外とあっさり戻るかもしれない……そんな気がしまして」
「……そう?」
 セヴリーヌが微笑みかけても、ペティの顔は晴れないままだった。
「ところで、まだ休憩していてもよろしいのかしら?」
 セヴリーヌが小首を傾げると、ペティは、あっと、声をあげた。
「いけない、そろそろ戻らなきゃ」
 慌てて立ち上がり、スカートの裾を払うと、城内へと続く扉を押し開ける。
「続きもよろしくお願い致しますわ」
 セヴリーヌもゆっくりと立ち上がり、優雅な所作で衣服の裾を払った。ペティの後に続いて城内に戻る途中、一度だけ足を止めて振り返る。
 夏の明るい陽射しを浴びて、花たちは静かにその身を揺らしていた。あたかも、親とのしばしの別れを惜しむ娘たちのように。
 セヴリーヌは唇にうっすらと笑みを浮かべ、きびすを返した。

<了>