<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


囚われのイタズラ小僧
------<オープニング>--------------------------------------
 その街のはずれには小さな遺跡があった。既に王立魔法学院によって調査は終了し、財宝もあらかた発掘され尽くしていたから、入り口の立ち入り禁止の看板も不必要なぐらい、もう長い事、誰一人訪れるものはなかった。
 そこに、本当に久しぶりにやってきたものがいた。男の子と女の子だ。名前はトンカとロッケといった。
 「お兄ちゃん、やめようよ。危ないんだよ? 入っちゃいけないんだよ?」
 「うるせぇなあ。じゃあお前はそこで待ってろよ。俺一人で探検してくる」
 妹を置き去りにして、トンカはずんずんと遺跡の中に踏み込んでいった。石造りの廊下がジグザグに折れ曲がりながら続いている。窓なんて一つもないから3回も曲がるとあっという間に真っ暗になってしまった。トンカは明かりを持ってこなかった事を後悔した。
 暗い道を、壁に手を付いて更にジグザグに進むと、急に明るい空間に出た。
 石組みの壁で囲まれた、広い部屋だ、とトンカは思ったが、すぐに勘違いに気が付いた。
 部屋の向こう側に自分によく似た少年が立っている。トンカが部屋の真ん中に駆けよると、もう一人も同じように近づいてきた。トンカは手を伸ばした。手は、もう一人に触れる前に、堅くて平らなものにぶつかった。
 「鏡だ。この壁全部、でっかい鏡なんだ!」
 トンカは納得して満足げに頷いた。が、次の瞬間、ぎょっとして凍り付いた。
 「……違うよ。鏡じゃない」
 鏡の中の自分が、勝手に動いて喋っていた。
 「な、なん、なんなんだお前?!」
 「オレの名前はテンプ。鏡の精って呼ぶヤツもいたな。オレは、会ったコトのあるヤツにそっくりな姿になれるんだ。今は、アンタの姿を借りてる」
 テンプは見えない壁の向こうでくるりと一周した。何処から見ても自分にそっくりだ。
 「なんで、こんな所にいるんだ? 出られないのか?」
 「ここに封印されてるのさ。ずうっと昔に、ちょっとしたイタズラをしたんだ。これはそのお仕置きだってさ。自分じゃ出られない。出し方はあるだろうけど、オレは知らない」
 「そっか」
 トンカは、ちょっとかわいそうになった。トンカもいわゆるイタズラ小僧で、しょっちゅうお仕置きを喰らうからだ。物置の閉じこめられるのは、結構つらい。
 「しっかし、誰かに会うのは久しぶりだなぁ。昔来た冒険者達はオレには構ってくれなかったし。なあ、ヒマだったらちょっとオレと遊んでよ」
 「いいよ。遊ぼうぜ。何しようか?」
 「実はすげえ計画を練ってあったんだ。おまけに、上手くいったら、オレここから出られるかも」
 テンプはトンカにこそこそと耳打ちをし、それから二人はにやーっと同じ顔で笑みを浮かべた。

 ロッケは遺跡の入り口で兄を待っていた。心配だった。一つ年上の兄は、放っておいたら何をしでかすか分からない。ロッケの心配は見事に大当たりして、突如、ぎゃーっという兄の叫び声が聞こえた。
 「お兄ちゃん?!」
 ロッケは慌てて遺跡に駆け込み、目にした光景に言葉を失った。兄が二人いた。
 手前の方の兄が意地悪そうな笑みを浮かべた。
 「はじめまして。俺はこの遺跡に封印されていた鏡の精のテンプ。悪いんだけど、お前の兄貴と入れ替わらせてもらったぜ」
 奥の方の兄が泣きそうな目をしていた。
 「そいつにだまされたんだ! 姿を奪われて、代わりにこの壁の向こうに閉じこめられたんだ。なあ、ロッケ、助けてよ」
 「と、閉じこめられたって……」
 ロッケは駆けよって、自分と兄の間に見えない壁がある事を知った。
 「出してあげてよ! ええと、テンプ、さん」
 「やだね。そいつをそこから出す方法もあるんだけど、それも教えてやらない。俺を閉じこめた仕返しだ、俺はお前達が慌てる様子を見物させてもらうぜ」
 「ロッケ、頼む、ここから出る方法を探してくれ」
 「……わかった、冒険者さんたちに頼んで、そこから出してあげるからね。まっててね、お兄ちゃん」
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■1■
 「お兄ちゃんが、閉じこめられちゃったんです」
 緊張と不安がない交ぜになった声で、少女、ロッケは話し始めた。彼女が今回の依頼人だ。その依頼に応じた5人が彼女を囲んでその話を聞いていた。
 ロッケの右隣から順に、金髪の青年剣士フィセル、隻眼の封印師テオ、四本の腕を持つ多腕族の戦士シグルマ、それから、もはや肩書不詳の腹黒同盟総裁オーマと、見た目はメガネのお兄さんだがきっと中身はただ者ではないアイラスだ。
 「遺跡に、入っちゃいけないのに入っちゃったんです。あたしは、外にいて、悲鳴が聞こえて、急いで中に入っていったら、行き止まりの部屋にお兄ちゃんが二人いたんです」
 ロッケの口調はしっかりとしていた。ここに来るまでに何度も繰り返し説明の練習をしていたのだろう。
 「二人の間には、見えない壁みたいなものがあって、向こう側にはいけないんです。壁の向こう側のお兄ちゃんは、閉じこめられた、助けてくれって言って、壁のこっち側のお兄ちゃんは、遺跡に封印されていた鏡の精のテンプだって名乗って、お兄ちゃんの体を乗っ取って、お兄ちゃんを代わりに閉じこめたんだって言ったんです。あたしがお兄ちゃんを出してって言ってもテンプは嫌だって言って、あたし、どうしたらいいのか、わかんなくて……」
 少女は一瞬言葉を失い、涙を流す代わりに唇を噛んだ。
 「……危ないところに、勝手に入ってごめんなさい。お兄ちゃんを、出してあげて下さい。お願いします」
 ロッケは深く頭を下げた。小さな手がスカートをぎゅっと握りしめていた。
 「心配せずとも大丈夫だ。ロッケ殿の兄は、必ず助けて出そう」
 フィセルは端正な顔にかすかな笑みを浮かべると、優しくロッケの肩に手を置いた。オーマも不安を吹き飛ばすように威勢良く後を続ける。
 「それで助けてから、二度とかわいい妹を泣かさねぇように、親父愛ゲンコツでお仕置きしてやらねぇとな!」
 ロッケは突き出されたオーマの大きな手をまじまじと見つめた。アイラスがこっそりと耳打ちする。
 「その時は、ちゃんと手加減するように見張ってますから、大丈夫ですよ」
 見上げると、メガネの奥の目が優しげに笑っている。他の皆も、心配はいらないというように堂々としていた。
 「……はい」
 ロッケはやっと安心したように頷いた。それを見届けてからテオが本題に話を移す。
 「では、その遺跡について知っている事を教えてくれないか?」
 「えっと、入っちゃいけないって言われてるから、よくは知らないんです。あたしとお兄ちゃんがまだ小さい頃……5年ぐらい前、かな? 何回か王立魔法学園から調査の人たちが来たんです。それで、調査が終わって、最後の人たちが『立ち入り禁止』って看板を立てて……その後は誰も入ってないと思います」
 「つまり、調査員が入って以降、誰も手を触れていないのか。だとしたら……」 テオは低い声で呟いた。気付いたシグルマが問いかける。
 「なんだ? なんか引っかかんのか?」
 「いや、大したことじゃあない」
 遮るように、テオはひらりと右手を挙げる。無骨なその手の甲には流麗な紋様が描かれていた。彼の左手はほとんど動かないが、不自由は感じさせなかった。
 「ともかく、調査が入っているならまずは賢者の館で資料探しだな」
 「ああ。封印の解き方と、それから鏡の精について」
 「ところで、どうしてロッケさんが一人で来たんですか? 誰か、ご家族の方は?」
 アイラスの問いは、なぜかロッケの顔を曇らせた。ロッケは言いにくそうに、うつむいて答える。
 「あの、うちは……おとうさんは船乗りだから、今は仕事で遠くにいて……。おかあさんは、もう、いなくって……。それで、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に住んでて、でも、おじいちゃん達に迷惑かけるのは……」
 「ってこたぁは、誰にも言ってねぇのか?」
 ロッケはこくんと頷いた。
 「んじゃあ、今、遺跡は鏡の精と悪戯坊主の二人きりか?」
 ロッケは小さく「あ!」と漏らした。
 「まずいな、急いで戻らないと」
 「二手に分かれましょう。片方は遺跡に戻る、片方は残って調査」
 真っ先に、オーマが手をあげた。
 「俺は遺跡に行くぜ。飛んでいけばすぐだ。小さい嬢ちゃんと、他の連中も一緒に乗っていけばいい」
 「俺も乗せてってくれ、オーマ」
 ばりばりと頭を掻きながらシグルマは続ける。
 「遺跡の方が性に合ってる。賢者の館とか、ああいう本ばっかり並んでやがる所に行くと、どうも……」
 「どうも、なんだ?」
 シグルマはニヤッと笑った。
 「一杯やりたくなる」
 「一樽の間違いじゃないですか?」
 苦笑混じりのツッコミはアイラスだ。
 「じゃあ、僕は調査に行きましょう。お二人は?」
 「私も調査に回ろう」
 「俺も調査だな。封印は専門だ、一人居たほうがいいだろう」
 決まったな、とオーマは席を立った。
 「準備がいるんで先に行くぜ。二人は病院まで来てくれ。じゃあな」
 そう言うとオーマは大股で歩き出し、あっという間にドアをくぐり往来に出て行った。



■2■
 「集合しろ! ウチの居候霊魂軍団!」
 家に着くなりオーマは声を張り上げた。美貌の奥方とつれない娘は不在だった。ほっとしたような寂しいような。いや、好都合だ、うん。
 オーマは気持ちを切り替えながら、小瓶を懐に隠す。それから手近にあった木箱を片手に霊魂軍団にふり返った。
 「おまえら、よく聞け。今日はちょっとぬっふっふ☆な遠征を行う。希望者はココに飛びこめっ! ちなみに確認だが今日の返事は『ガッテン! アニキ!』だからな」
 「ガッテン! アニキ!」
 ぽこぽこぽこっと霊魂達は箱に飛び込んだ。その上に、その辺でうにょうにょ生息している人面草を放り込んでいく。
 「ア! アニキ! 痛いです!」
 「その辺は我慢だ、ええと、多分55号!」
 「ガッテン! ちなみに自分は3号ですアニキ!」
 「む。すまん。3号か」
 ちらっと中身を確認し、オーマはパタンと蓋を閉めた。
 「じゃあちょっと我慢してくれ。着いたらぬっふっふ☆ば作戦だからな。準備しておけよ」
 「ガッテン! アニキ!」
 そしてオーマは庭に出て、仲間を待った。



 シュヴァルツ総合病院と言えばエルザードでもちょっと有名なトンデモスポットだ。何が起こってもそれなりに不思議ではない。だが、今日はその庭に、病院の屋根と高さを競うほど大きな獣がいたので、追ってきた仲間達はそれぞれそれなりに驚いたようだ。
 獣の毛並みは銀色、四つ足で頭部に豊かなたてがみがある。ライオンに似ているが、背中には見事な翼があった。オーマの数ある姿の一つ、翼を有する銀色の獅子である。
 獅子は見下ろして、仲間の数が一人多い事に気がついた。
 『遅かったな。お? フィセルも来たのか、ま、いいや、早く乗りな』
 気さくに語りかけてみたら、3人は更にそれぞれそれなりに驚いたようだ。
 「乗りなって、その高さまでよじ登れってのか? 俺やフィセルはともかく、その嬢ちゃんは無理だぞ」
 『あ、悪い悪い』
 オーマは言葉にあわせて、大型のハシゴを具現し、背に立て掛ける。
 3人はそれぞれ、そろそろ驚き疲れたり、あるいはそうでもなかったりしながらハシゴを登った。
 「もしかして、オーマさん、ですか?」
 ロッケは視界一杯に広がる艶やかに光る毛並みを見渡して尋ねた。
 『まーな。ある時はメラマッチョ愛親父☆オブ聖筋界、またある時は天駆ける銀の獅子、またある時は……って、まあいいか、みんな乗ったな。シグルマ、フィセル、嬢ちゃんが落ちないように支えてやってくれ。んじゃ、飛ぶぜ』
 巨大な獅子は翼を広げ、しなやかに空に駆け上がった。



 それからしばらく。獅子は遺跡近くの適当な空き地に着地した。
 「遺跡、あっちです」
 ロッケは指差すと、転がるように駆けだした。巨大な獅子はちょっと目を離したその隙に姿を消し、跡にはオーマが、何故か木箱を抱えて立っていた。
 「なんだ、その箱。どこに持ってたんだ?」
 ロッケの跡を早足で追いながら、シグルマが尋ねる。
 「ぬっふっふ☆ こいつはオーマ様特製腹黒ヒミツ筋ボックス☆ ま、開けてみてのお楽しみだ」
 そう言ってオーマは、にまーっと笑った。
 「それはそうと……」
 フィセルは声をひそめた。ちら、と目を遣って、ロッケには声が届いていない事を確認する。
 「テオ殿から伝言だ」
 ああ、それでフィセルは追ってきたのか、とオーマは納得した。
 「一度調査が入って、その上で放置されているという事は、その遺跡は安全と判断されたという事だ。なら、封印がそう簡単に解けるわけがない。鏡の精は出られない。つまり、二人は入れ替わっていない可能性が高い、だそうだ」
 なるほど、とオーマは頷く。
 「余計な混乱を避けるために、真偽がはっきりするまでロッケ殿には伏せておくべきだと思うのだが……」
 二人はそれぞれ同意を示した。
 「いっちょカマかけて嘘かホントか見抜いてやるかね」
 先を行くロッケがくるりと振り返る。
 「あれが、遺跡の入り口です」
 少女が指差す先、青々と茂った草むらの中に、ぽつんと石組みの建物があった。



 抱えた木箱からランプを取り出すと、オーマはそれをシグルマに渡した。照らし出された内部は、荒廃の欠片もない。遺跡という呼び方が不適切なほどだ。
 「コウモリもいなけりゃ、雑草も生えてねぇ。ついでに他所から住み着いた化け物の類もいねぇ。ってこたぁ、まだ生きてるんだな、この遺跡は」
 シグルマは遺跡に踏み込んだ。その後ろにロッケ、フィセル、最後はオーマだ。
 回廊は四面とも白い石壁で出来ている。最初の曲がり角を曲がったところでシグルマが歩みを止めた。右手の壁に光を当てる。
 「何か彫ってあるな」
 その壁には、一面に細かな紋様がぎっしりと刻まれていた。装飾目的にしては統一感に欠け、文字のように見える。
 「前に来た時は、気付かなかったのか?」
 ロッケは首を横に振る。
 「明かり持ってなくて、手探りだったから」
 壁の模様を見ながらさらに進むと、また曲がり角があった。次の壁にもやはり一面に文字のような意匠が彫りつけられている。しかも、どうやら前の壁とは違う種類の文字のようだ。
 「なにか、意図があるのだろうが……」
 フィセルは眉をひそめる。あいにく、この文字も読めなかった。調査資料に解読結果が載ってる事を期待して、彼らは先に進んだ。
 その次も、その次も、曲がり角ごとに種類をかえながら、文字が刻まれていた。
 そして急に明るい空間に出た。
 部屋の真ん中に、そっくりな姿の少年が二人たたずんでいた。



 「お兄ちゃん、大丈夫? ケガとか痛いコトされてない?」
 ロッケは真っ直ぐに、入り口から遠い方にいる少年に駆けよった。駆けよって、少年の直前で、何かにぶつかるようにして止まった。あそこに、壁があるのだ。そして、壁の向こう側にいるあの少年がロッケの兄、トンカを名乗っているほうだ。
 「うん、平気だ。人を連れてきてくれたんだな。ありがとう、ロッケ」
 兄妹のやりとりは、不自然ともそうでないとも判断しかねた。
 オーマは、罠を張るようにゆっくりと、もう一人の少年に話しかけた。
 「お前さんが、鏡の精のテンプか?」
 「そうさ。あんたら来るのおっそいぜぇ。逃げちまおうかと思った」
 テンプはおどけたように肩をすくめた。
 「逃げたかったら逃げりゃいいだろ。なんでおとなしく待ってたんだ?」
 「そりゃ、困っているところが見れなきゃツマンナイからさ」
 シグルマの追及もひらりとかわし、今度は唇を尖らせる。
 ……つまり、誰かに来てもらいたかったってか? 何が目的だ?
 オーマはもう一人の少年、トンカに目を走らせた。見えない壁に手を付いて、じっとこっちを見つめている。声をかけられるのをじっと待っているような、期待と寂しさが入り交じった瞳で。
 ……誰か出してくれってか? てことは、ずっと閉じこめられていたのはあっちで、出してやるためにこっちの悪戯坊主が一芝居打ったってトコかね。
 「自由より、人が困っているところが見たいってか? そいつは変わってるな。こんな所に長い間閉じこめられてやっと自由の身になった。オレならスタコラサーとミラクル親父ダッシュで逃げ出すがな」
 テンプは……いや、正確にはテンプのフリをしているトンカだろうが、自白するまではテンプと呼ぼう。彼はしまったという顔をして、急に口をつぐんだ。
 「そうだな。逃げるべきだったな。お前は悪い魔物だから、俺たちは捕まえて処分しに来たんだぜ?」
 シグルマも、これは入れ替わったフリと判断したようだ。テンプの首根っこを掴んで高く吊し上げる。
 「さーて、捕まえたから、あとはこのまま簀巻きにして……」
 「やっ、やれるモンならやってみろよ!」
 腕一本でぶら下げられたまま、テンプはじたばたと暴れた。
 「俺は体を乗っ取ったんだからな、この体を傷つけたらアイツが困るんだぜ?」
 テンプが指す先にはトンカがいた。はっとしたようにロッケがシグルマの足元に駆けよる。
 「ダメ! あの、わがまま言って、ごめんなさい。でも、あの、お兄ちゃんが困るから、痛いコトしないで」
 「シグルマ殿、それは……」
 ロッケをそっと引き離し、フィセルは『一旦降ろしては』と合図した。このままの状態で妹を説得するのは難しい。
 「……しょうがねぇな。じゃあ、最後の手段に取っておくか」
 シグルマはテンプを床に降ろした。ロッケがほっと胸をなで下ろす。
 フィセルが身をかがめ、テンプの顔を真っ直ぐに見て、真摯に語りかけた。シグルマを突撃とすれば、こちらは正攻法だ。
 「テンプ、妹も心配しているし、トンカを元に戻す方法を教えてくれないか?」
 「やーだね。大体、なんで妹だけなんだよ。親はどーしたんだよ」
 聞く耳持たず、と、テンプはそっぽを向いた。そのまま壁に向かって小さな声で呟いた。
 「親が心配して来たら、教えてやってもいいけどな」
 「だって……おとうさんは……」
 ロッケが唇を噛みしめた。代わりに、壁の向こうからトンカが淡々と応えた。
 「ウチ、母ちゃんは死んじゃったし、父ちゃんは遠くにいるし、じいちゃんとばあちゃんに迷惑かけるわけにはいかないから、それは無理だよ」
 「……へえ、そうなんだ」
 テンプの答えは押しつぶしたように平板だった。
 フィセルもまた、違和感を確信に変えたようだ。これが最後、というように念を押した。
 「どうしても、元には戻せないのか?」
 「やだね。どうしても」
 テンプは相変わらずとぼけたように返事を返した。



 「仕方ねぇな。残念ながら交渉決裂ってぇことで……」
 言葉とは裏腹に、ウキウキとオーマは例の木箱を持ち出した。
 「このキング親父☆オブ☆聖筋界のオレ様が封印壁を正面突破ってかね?」
 「正面突破?」
 まあ見てな、とオーマは木箱『オーマ様特製腹黒ヒミツ筋ボックス☆』の蓋を開けた。
 「正面突破第一弾! 出でよ、ウチの居候霊魂軍団団員ナンバー3号!」
 「ガッテン! アニキ!」
 ぽんっと飛び出したのは半透明の小さな人魂だ。
 「あの、オーマさん、それ、なんですか?」
 「その名の通り、ウチに居候してる霊魂だな。あの壁は人間には通れねえが、人間じゃないものの中には通れるものもあるかもしれん。と言うわけで、行け、3号!」
 「ガッテン! アニキ!」
 霊魂はぴゅーっと壁に突進した。そして、へちょっと音を立てて壁に張り付いた。丁度、半分に切ったトマトが宙に浮いているような感じだ。トンカがぎょっとしたように目を見開く。
 「どうやら、通り抜けられないようだな」
 「なんの、まだまだァ! マッチョ愛を信じるんだ、3号!」
 「ガ、ガッテン! アニキ!!」
 最後の力を振り絞るように、トマトのしっぽのあたりがプルプルと震え、霊魂3号は一歩壁に食い込んだ。……ように見えた次の瞬間、ぽーんっとかわいそうな3号ははじき飛ぶ。見事な放物線を描いてオーマの頭の上を越え、再びへちょっと今度は床に張り付いた。
 「ああっ! 大丈夫か3号!」
 「あっはっはっはっ。ぜんっぜんだめじゃん」
 テンプは腹を抱えてゲラゲラと笑っている。壁の向こうのトンカもくすくす忍び笑いしていた。
 「くそう、だめか」
 両面打ち付けられてトマトの輪切りのようになってしまった霊魂3号を拾い上げ、オーマはがっくりと肩を落とす。しかし3号は健気にアニキを励ました。
 「ド、ドンマイ……アニキ……」
 「ああ……そうだ! 明るく楽しくるんたったな聖筋界の未来のためにも、ココで挫けるワケにはいかねぇ!」
 オーマはガバっと身を起こすと、再び『オーマ(中略)ボックス☆』の蓋を開けた。
 「正面突破第二弾! 出でよ、ウチの……」
 「ちょっっっと待て」
 四本の腕を総動員してシグルマはぐいとオーマを引き留めた。蓋に葉っぱを挟まれた人面草が痛そうに、げきょげきょと呻いている。
 「オーマ、お前一体何をいくつ持ってきたんだ?」
 「えーと、霊魂は1から9号とおまけに28号。人面草はトゲがダガーみてぇに飛ばせるのと、実が爆弾になってるやつと、葉が刃になっているのと……」
 そこでオーマはロッケにふり返り、にやりと笑顔を見せた。
「これだけあれば、なんか一個ぐらい通り抜けて兄ちゃんを助けてきてくれそうだろ。ま、そんな心配そうな顔してないで、見てな」
 はい、とロッケは頷いて、握りしめていたスカートの裾を放した。 
 「まあ、調査組が帰ってくるまでやる事ねぇのも事実か……」
 蓋から手を放すと、シグルマはばりばりと頭を掻いた。
 「しょうがねぇ、一丁付き合うか」
 「では、ここは任せてもいいだろうか?」
 声をあげたのはフィセルだ。
 「入り口の文字を見てこよう、読めるものがあるかもしれない」
 了解と、シグルマはランプを手渡した。



 テンプは、堪えられないとばかり腹を抱えて笑っていた。
 トンカもやはり、見えない壁に手を付いて、背中を丸めて笑っていた。
 ロッケまでもが、そんな場合じゃないと思いながらくすくす笑いそうになる口元を押さえていた。
 そして。
 霊魂1から9号とおまけの28号はそれぞれ打撲、脱臼、打ち身に青あざ、その上にオーマ特製万能湿布をべちょっと貼ってみゅーみゅー呻き、トゲダガーを全弾発射し尽くしたサボテンっぽい人面草はスベスベになった肌をうっとり眺め、マツボックリ爆弾を全弾投下した松っぽい人面草は(以下略。)
 早い話が、全滅である。
 「オーマぁ。そろそろ諦めたらどうだ?」
 シグルマの提案は勢い良く却下された。無惨な敗残者達をそっと『オーマ(中略)ボックス☆』に帰し、オーマは元気に立ち上がった。
 「こうなったらしょうがねぇ。正面突破最終手段! ミラクル変身☆アターック!」
 ぽんっという音とともにあたりにピンクの煙がたちこめた。
 オーマが具現した煙幕である。その陰に隠れて、さっと隠し持っていた薬を飲んだ。
 「オーマ! 今度は一体……」
 小さな銀の獅子になり、オーマは壁にむかって跳躍した。衝撃は……無い。オーマはスタンと着地し、素早く元の姿に戻った。
 煙幕が晴れた。壁の向こう側に、オーマが立っていた。トンカは驚いてパクパクと口を開け閉めした。
 「な、なな、なんでおっさん、壁を越えて……」
 「ちがーう! 俺の事はアニキ☆と呼べ! 喰らえ、必殺☆親父愛デコピン!」
 バチィイーンといい音が響く。少年はおでこを押さえて床にうずくまった。
 「オーマ、お前どうやって入ったんだ?」
 ガンガンとシグルマが壁を叩く。やはり、びくともしない。
 「ふむ、それはだな。まず腹黒セクシー腹筋にぐーっとミラクル親父筋パワーをため黄金トキメキ大胸筋に悩殺マッチョラブを高鳴らせつつレッツノリノリトライすれば、ほれこの通り、するりと壁を……」
 長台詞を(略)も挟めない勢いで流しつつ、オーマは真っ直ぐに右手を壁に伸ばした。が、その指先はかつんと壁にぶち当たった。
 「アレェ? おかしいなぁ。通れなくなっちゃったぞー?」
 素っ頓狂な声を出しながら、オーマはつんつんと見えない壁を突っつく。もちろん、演技である。
 「オーマ!? 何やってんだよお前っ!」
 「そんな、オーマさんまでっ!?」
 「おかしいなぁ。どーしようか? 囚われ仲間のトンカ君」
 「オレに振るな! こっちが聞きたいよ!」
 「あ、あの、あたし、フィセルさんに教えてきますっ」
 ロッケは踵を返すと回廊に飛び込み駆けていった。
 「あいつ、明かりも持たないで。ちょっと見てくる」
 そう言って、テンプも後を追った。
 「……で、今度は何企んでんだ? お前」
 急に静かになった石室に、シグルマの低い声が響く。壁越しにオーマは小さな声で答えた。
 「寂しがり屋から攻めた方が早いかと思ってな。ついでにオレがいればこの壁も壊さざるおえないだろ。コイツも、此処に一人で閉じ込めておかなきゃならんほど悪いヤツには見えん」
 「……聞こえてるよ。おっさ……じゃない、アニキ」
 口を挟んだのは少年だった。
 「ぬ。それは好都合。じゃあまず、ここにお前が封印された理由を教えてくれ」
 「だから、オレは鏡の精じゃないっての」
 「またまたぁ。ツレねぇなあ。よし、そんじゃお近づきの印に腹黒同盟勧誘チラシアターック☆!!」
  突如、少年の頭上にチラシの雨が降り注いだ。もちろんオーマが具現したものだ。
 「な、なんだよこれ? どっから出てきたんだ?」
 「だから、お色気ムンムン勧誘チラシアタック☆ってかね。ほらどうだね、キミも一つ明るい聖筋界の未来にご奉仕、腹黒同盟! 今なら年会費半額だ! 折角だから役職もどうだ。広報とか? いろいろ化けられるなら着ぐるみいらずで経済的だ!」
 少年が受取拒否を続ける内にチラシの雨はどんどん激しくなり、やがて滝と化した。
 「諦めろ。オーマの暑苦しさは向かうところ敵なしだからな。そいつと一緒に永遠に閉じ込められたくなかったら、素直に認めたほうがいいぞ」
 「そうそう、シグルマの言うとおり……っていま、なんか結構ひどい事……」
 「あぁもう、分かったよ、降参!」
 ぴたりとチラシの洪水が止まった。
 「じゃあテンプ、お前、何やってこんな所に閉じ込められたんだ?」
 「………別に、オレは悪い事なんてやってない。ただ、ちょっとイタズラして、ちょっと怒られて……」
 うつむいて、少年は足元のチラシを蹴り上げた。
 「えぇい、やっぱヤメだ。今の取り消し、アレは聞いた話だっていうか、それに大体オレはテンプじゃなーい!」
 「そうか、ううむ……」
 しばらくの後、再び、ざあざあと腹黒同盟入会規約が少年の上に降りはじめた。



■3■
 石室の入り口に明かりが見えた。入ってきたのは、アイラス、テオ、フィセル、それからロッケとテンプだ。途中で落ち合ったのだろう。
 彼らが目にしたのは大量のチラシに埋もれている可哀想な少年と可哀想でない大男と、それからそれを壁越しに見物しているシグルマだった。
 「オーマさん!? 何考えてるんですか!」
 真っ先にアイラスがオーマに詰め寄った。後に、フィセルと子供達が続く。テオはすこし離れ、封印の状態を調べに行った。
 「よお、アイラス。ご苦労様、どうだった?」
 「どうだったじゃないですよ! オーマさんこそ、解決しに来て問題の数増やしてどうするんですか! 入って出られなくなったらどうしようとか、実は捕まっているのも悪い人だったとか、そういう事は考えないんですか? 不用意な行動は……」
 「いや、あのだな、オレも一緒に囚われの身になる事で士気を高めつつ、囚われの少年にも勇気を与えるというか」
 「その挙げ句出られなくなっていたらメリットよりデメリットの方がずっと大きいですよ」
 「……えーと……その……」
 その剣幕にさすがのオーマもたじろぐ。他の仲間達は口も挟めない。事実なのだから。
 孤立無援? と呟いて、オーマはちょっと血の気を引かせた。
 「むしろ自業自得です。ふざけてる場合じゃないですよ、一体何を考えて……」
 「まあ確かに……」
 おだやかに割って入ったのはテオだった。
 「鏡の精の体を閉じこめておくためだけに作られた封印だから、対象物質は限定的だ。だからありえなくはないんだが……まさか本当に通るものがあるとはな」 
 珍しいものでも見るように、テオはしげしげとオーマを見た。
 「オーマさんはしばらく放っておくとして、封印はどうでした?」
 「ああ、それは……」
 テオは二人の少年に目をやった。
 「……出来れば、その悪ガキどもには聞かれたくないんだが」
 「とゆーわけで、ちょっと悪いな」
 ぱっとオーマがトンカの耳を塞いだ。テンプの方はシグルマが塞いだが、放せとわめくので口まで塞がれてしまった。
 「さて、そっちの小さなお嬢さんはちょっと驚くかもしれんが……」
 テオは一同を見渡し、最後にロッケに目をとめた。
 「やはり封印は破られていない。調査書にあったままの状態だ。鏡の精は封印から出られない、つまり入れ替わりは起きていない」
 「え?」
 ロッケはぽかんと口を開ける。
 「ロッケちゃん、この二人はね、二人で嘘をついているんです。こっち側にいるのが本当のお兄ちゃんのトンカ君で、でも鏡の精のテンプのフリをしているんです」
 「で、でも……」
 アイラスに説明されても、ロッケはまだ状況が飲み込めない。ロッケは二人の少年の顔を見比べた。
 「本当に、こっちがお兄ちゃん……?」
 「ロッケ殿、さっき、父上と母上の話をした時のことを思い出せるか? ロッケ殿は悲しかったが、壁の向こう側の、あの子はすらすらと答えていただろう?」
 目を見張り、ロッケはこくんと頷いた。
 「あっちの、閉じこめられているのは、偽物なんだ」
 ロッケはほっとしたように、すこし笑った。それから困った顔になって、礼儀正しくお辞儀した。
 「あの、お兄ちゃんが、悪いコトしてごめんなさい」
 「嬢ちゃんが謝ることじゃねぇよ」
 「これで残りは、悪ガキ2匹の処分だけだな」
 「いえ、3匹ですよ」
 アイラスは冷たい目でオーマを見た。さすがに放っておく訳にはいかず、フィセルはテオに問いかける。
 「封印を解除する方法は無いのか? オーマ殿がこのままでは……」
 「それが、はっきりしなくてな。鏡の精が反省すれば、封印は解けるらしい。以前何か悪さしたらしいが、何をしたか知らないか?」
 「それが言わねぇんだよ」
 シグルマが半分感心したように言った。
 「すげぇぞ、アイツ。オーマの暑苦しい質問攻撃に耐えやがった」
 その少年は、半分ぐったりしたようにおとなしくオーマに耳を塞がれていた。
 「とりあえず、イタズラして怒られた、だか、なんだか言ってたが、聞き出せたのはそんだけだ」
 「どのみち、反省したら、などというのは私たちが手出し出来る問題ではないな。しかし封印を解除出来ないとなると、オーマ殿はどうしたものか……」
 「どうもしませんよ」
 深刻そうに考え込むフィセルとは対照的に、アイラスはこともなげに言い放った。
 「オーマさん、どうせまた未来を担うイロモノ頭脳のための試練とか言って、出られないふりをしているんでしょう? まさか、本当に出られないんだったら本当に見損ないますからね」
 アイラスの視線がオーマを射抜く。オーマは巨体をちょっと縮ませて、申し訳なさそうに答えた。
 「……ご名答、出られます」
 アイラスは満足げな笑みを浮かべる。
 「では、オーマさんの処理は一番最後で」
 「じゃあ後は、この悪ガキを叱っておしまいだな」
 いい加減限界だ、と言わんばかりにシグルマがぱっと手を放した。



 「いつまで耳と口塞ぐなよ。くるしいだろ!」
 鏡の精のふりをしている少年が叫んだ。
 「で、この封印を解除する方法は見つかったの? 早く出してよ」
 少年のふりをしている鏡の精が尋ねる。その目を真っ直ぐ見て、アイラスが答えた。
 「嘘を付くような人は出してあげられませんよ。鏡の精のテンプさん。もうとっくにバレているんですよ」
 テンプはぎくっという顔をした。
 「封印を調べさせてもらった。封印は破られていない。お前達、本当は入れ替わってなどいないのだろう」
 テオがトンカを睨んだ。気圧されて、トンカは一歩後ずさりする。ロッケが走り寄り、その手を取った。
 「お兄ちゃん、みんなに謝って。それで、一緒におうちに帰ろう?」
 「だ、だから! おれはお兄ちゃんじゃないって言ってるだろ!」
 トンカは手を振り払った。
 「お兄ちゃん!」
 「お兄ちゃんじゃない! おれは! 鏡の精のテンプだ!」
 顔を真っ赤にして、少年は叫んだ。
 往生際の悪い……
 シグルマは呟き、少年の前に立ちはだかった。
 「そうかい、お前は兄ちゃんじゃなくて鏡の精か。それじゃあ……」
 二本の腕が大剣を抜き放ち、残る二本が少年の行く手を阻む。
 「好都合だ。お前を殺せば封印は用無し、消えて無くなる。俺の仲間も本当の兄ちゃんも解放されて、万事解決だ」
 シグルマが剣を振りかざした。
 「だめ!」
 割って入ったのはロッケだ。
 「お兄ちゃん斬っちゃだめ!」
 「どきな。そいつはお前の兄ちゃんじゃねぇってよ」
 「ちがうもん、お兄ちゃんだもん! ね! そうだよね!」
 「……知らねぇよ!」
 隙をついて、少年は逃げた。
 「……お兄ちゃ……」
 ロッケの目から涙が溢れた。構わず少年は叫ぶ。
 「おれは、トンカじゃない! 妹なんて知らない! 誰がお前らなんかに謝るもんか!」
 「いい加減にしろ!」
 怒号とともに、乾いた音がした。
 少年は、打たれた頬を押さえて、立ち塞がる人影を見上げた。フィセルが、いつもは穏やかな瞳を、怒りに燃やしていた。彼も幼い頃に両親を亡くし、妹と二人で生きてきたのだ。
 「妹を守るのが兄の務めだろう。それどころか、あんな風に泣かせるなんて、恥ずかしいとは思わないのか!」
 腫れ上がる頬を押さえ、フィセルを見上げ、何か言い返そうと少年は口を動かした。しかし、漏れたのは言葉ではなく嗚咽だった。少年は顔を隠すようにうつむいた。
 「……うるせぇよ」
 ぽたり、と、雫が落ちた。
 「……うるせぇよ。父ちゃんじゃねぇのに父ちゃんみたいに叱るなよ……」
 それは、とても小さな、呟いた本人さえ気付かないような、とても小さな声だった。
 「……トンカ……」
 けれど、一番近くにいた彼だけは、その声を聞き漏らさなかった。
 「家族がいなくて、悲しいのはお前も妹も同じだろう。妹はお前を助けようと頑張ってくれたぞ。お前は、妹に心配させて、わがまま言って、それでいいのか?」
 2つ、3つ。また雫が落ちた。4つ目は落ちてこなかった。
 「ごめんなさい」
 トンカは慌てたように、ゴシゴシと袖で目のあたりを擦った。それから顔を上げて、あたりをぐるりと見渡した。
 「嘘ついて、ごめんなさい。あと、迷惑かけたり、ひどい事言ったり、本当に、ごめんなさい、ごめんなさい!」
 フィセル、シグルマ、テオ、アイラス、オーマ、それから……
 「ロッケも、ゴメン」
 同じように目を擦って、妹はやっとにっこりと笑った。



■4■
 「ねぇ、あいつ父さん居ないのが悲しいの?」
 テンプの尋ね方は無邪気だった。兄妹の方に気を取られていて、いや、正確には壁に隔てられているというもどかしさに気を取られていて、オーマは虚をつかれた。
 「あ? ああ、そうだな」
 そうか、じゃあ。とテンプは口の中で呟いて、『イイコト思いついた』というように満面の笑みを浮かべた。
 「なあ、ロッケって言ったっけ? 父ちゃんの写真ある? いや、この世界は絵かな?」
 急に声をかけられて、ロッケはビックリしたようにふり返った。
 「持っておいでよ。父ちゃんに会いたいんだろ? 俺が化けてあげるよ」
 ロッケはまだすこし目を潤ませていた。対照的に、テンプは声を弾ませる。
 「あ、そーだ。お前んち母ちゃんもいないんだっけ。ついでだから母ちゃんにも化けようか?」
 「……や、やだ」
 ロッケの声が震える。
 「なんで? 顔一緒なら同じだろ。遠慮するなよ。それとも、まさか顔忘れちまった? じゃあ思い出すの手伝ってやろうか? こんなだったか? それとも、こんなのか?」
 テンプはくるりくるりと顔を変えていく。どれも丁度二人の父親ぐらいの年頃の男だ。
 「や、やだ。ちがうもん、お父さんそんな顔じゃないもん、お父さんは、お父さんは……」
 ロッケは懸命に父の顔を思い出そうとした。しかし、テンプが映すいくつもの顔に翻弄されて、上手くいかない。思い出そうとすればするほど、かえってもやがかかったように父の顔は見えなくなってしまう。
 「お、お父さんは……」
 「やめろ!」
 怒鳴ったのはトンカだった。どん、と見えない壁を拳で叩いた。
 「ロッケをいじめるな! 勝手に父ちゃんになるな!」
 何を怒っているか分からない。テンプは一瞬目を丸くし、そして腹立たしげにつり上げた。
 「なんでだよ! 同じだろ! オレ、そっくりに化けられるんだぜ! せっかくオレが会わせてやろうと思ったのに、何でどいつもこいつも怒るんだよ!」
 大声を張り上げて、テンプもまた封印壁を叩く。怒りにまかせたように、その姿は男に、戦士に、そしてボコリと両肩が盛り上がり、やがて見た事もないような……



 「落ち着け、やめろ」
 その背中にオーマが組み付いた。そのままずるずると壁から引き離す。
 壁の向こうでは、トンカが同じようにシグルマに引きずられて行くところだった。
 「……どいつもこいつも?」
 壁の向こうからこちらをのぞき込み、アイラスが静かに呟いた。
 「以前にも、同じような事が?」
 「つまり、それが封印された理由だろうな」
 テオが隣に立つ。
 「『情動が不安定、他人の気持ちが分からない』書いてあったとおりだ。しかも、当人に悪意はないから『反省したら出してやろう』か……」
 「でも……なんでそれが、当人いわくイタズラになるんでしょう」
 テンプはまだ荒い息を吐いていた。小さな子供にするように、オーマが大きな手でその頭を撫でる。ゆっくりとテンプの姿は縮んでいき、やがて元通り、トンカと同じ姿の少年になった。
 テオとアイラスが、テンプを兄妹の視界から隠すように封印壁の際に立っていた。フィセルとシグルマは壁から離れたところで二人を落ち着かせていた。
 幼い子供に見せたいような光景ではなかったのだ。
 「前にも似たような事があったなら、話してくれないか?」
 テンプはうつむいたまま答えた。
 「……オレは、センセイに、鏡として作られた。でも、わがままだとか、言う事聞かないとか、いろいろ言われて、買い手がつかなかったから、ずっとセンセイの工房にいたんだ。工房の窓辺には、写真立てがあって、ちっちゃい男の子が映ってた。色が抜けて、ぼろぼろだった。センセイは毎日その写真に話しかけてた。それで、じゃあ、オレがその写真の子になってやろうって思ったんだ。で、そいつになって、工房で待ってた。ドアが開いて、センセイが入ってきて、センセイはすごく嬉しそうな顔をした。オレはやったって思った。なのに、そのあとすぐに、センセイはその姿はやめろって、言って……」
 テンプはそこで口をつぐんだ。それから、深く息を吐いてから顔を上げた。
 「あとは、大体今と同じだ。それがなんでいけないのか、なんで怒ったのか、分かるようになるまで、お前は一人で考えろって、オレはココに閉じこめられたんだ」
 オーマは、ゆっくりと言葉を区切って尋ねた。
 「さっき聞いた時、イタズラしてって、言ってなかったか?」
 「だって……」
 テンプは膝を抱え、顔を埋めた。
 「だってオレ、悪いコトなんかしてないだろ……」
 あー……、と、オーマが間の抜けた声を出した。
 「今のオレと同じだな」
 驚いたように、テンプは顔を上げた。
 「悪いコトしたつもりはないんだが、ってぇか名案だと思ったんだが、怒られちまった」
 ふざけたようにオーマはちょっと舌を出す。
 「でも、怒らせるつもりじゃないのに、なんだかよく分からないけど怒られたから、オレはイタズラしたんだって事にしちまうのは、間違ってるんじゃねぇか?」
 オーマの言葉を、テンプだけは、まだ理解出来ないようだった。
 自分の善意は受け入れられなかった。その理由も考えず、元々善意ではなかったとする事で、彼はその出来事に蓋をしたのだ。
 そんなものを、此処に一人で閉じ込めておいても、何も変わりはしないだろうに……
 「センセイが、何を怒ったのか、今でも分からないか?」
 テオはやるせない心を押し隠して問う。
 「わかんないよ。だから、まだココに居るんだ」
 それから、テンプはまた絞り出すように息を吐いた。
 「あいつら……トンカとロッケ、オレのコト、怖がってた?」
 「ちょっと、ビックリしたみたいだな」
 離れたところにいる二人の姿を確認して、オーマはそう答えた。そっか、とテンプは呟いた。
 「なんで、こうなっちゃうんだろ。さっきまで楽しかったのに、オレ、あいつら喜ばそうと思っただけなのに……。なんで、なんにも出来ないんだろ。ねぇ、センセイがオレを閉じ込めたのって、オレにはなんにも出来ないから?」
 「それは違います」
 はっきりと否定したのはアイラスだった。
 「この部屋に入るための回廊には、センセイの書いた文章が刻まれているんです。センセイはキミがいつか、自分の足りないところを反省してここから出られるように、と思っていたようですよ」
 ホント? と、テンプは顔を上げた。アイラスは笑顔で肯定する。しかし、テンプは再びうつむいて、力無く呟いた。
 「でも、それじゃあ、オレ、やっぱり永遠に出られないな。何が悪いのか、わからんないから」
 「……ええい、気に喰わん! 気に喰わんったら気に喰わん!!」
 突如、右手を握り拳にしてオーマが立ち上がった。
 「反省しろだかなんだか知らんが、こんな誰も来ないような所に一人でほっぽっといて反省もくそもあるか! こーなったら意地でも出してやるぞ、そこのしょんぼり少年!! オーマ・シュヴァルツ又の名を親父愛・オブ・ソーンを舐めるなよ!! ええい、とりあえず腹黒メラマッチョ大胸筋あーんど黄金悩殺大腹筋で……」
 「気持ちは分かったが、オーマ、それには及ばない。俺が出してやるよ」
 声の主はテオだった。テンプは隻眼の封印師をぽかんと見ていた。
 「お前には確かにいろいろ欠けているところがあるが、それがこんな所に封印しておくべき理由になるとは思えない。むしろ、外で学んでいくべきだと、俺は思うよ」
 右手の甲で、テオは見えない壁を2回叩いた。その手の甲には刺青が彫られている。円と六芒星、絡まる蔓の意匠からなる紋章、彼の使う封印の一つだ。
 「外に出してやろうか。ここの封印を俺の封印につなげて、一旦俺の手に封印し直そう。それから、改めて解放してやる」
 テンプは目を見開いた。
 「ただし、条件がいくつかある。まずはさっきみたいに癇癪を起こさない事。それから、俺の言う事はちゃんと聞く事。破ったら、容赦なくまたどこかに封印して置いていくからな。逆に、しばらく様子を見て、大丈夫そうなら自由にしてやろう。
 どうする。条件は守れそうか?」
 見開かれた目が、また少しずつしぼんでいく。
 「でも……オレ、また……」



 「ウジウジすんなっ! 出ちまえばいいじゃねぇかっ!」
 沈黙を破ったのは、トンカだった。いきなりの登場に、少なくともテンプは驚いていた。
 「なんだよ、元々半分はお前が外に出たくて始めたんだろ。ここでビビんなよ、この弱虫やろうっ!」
 「よ、弱虫って……」
 テンプも立ち上がり、負けじと声を張り上げる。
 「なんだよ。そっちこそ、さっきビビって逃げたじゃんか!」
 「うるせ、ちょっとビックリしただけだ。あんなん、落ち着いて見りゃ、シグルマのおっさんの方が怖えぇよ!」
 「誰がおっさんだ」
 シグルマがぼかんと一撃頭に入れた。いでっ、と呻いてトンカはしゃがみ込む。
 やっと二人はおとなしく……、いや、沈黙が間を満たした。
 「トンカ、言うべき事は別にあっただろう」
 フィセルに促され、やっとトンカは口を開いた。
 「……ケンカ売っといて、ビビって逃げて悪かったな。ゴメン」
 照れたような早口だった。それから、トンカは手を差し出した。
 「出てこいよ。また遊ぼうぜ」
 「……だそうだ」
 テオは再び、壁を叩いた。
 「どうする。テンプ。条件守って、外に出るか?」
 テンプは、立ちつくしたままだった。
 「一つ提案なのですが……」
 アイラスは一本指を立てた。
 「テンプ君は今とても反省している、でも、またさっきみたいに暴走するんじゃないかと心配している、そうですよね」
 小さくテンプは頷いた。
 「それじゃあ、このまましばらくトンカ君の姿を貸してもらったらどうですか? そうすれば今日の事を忘れないでしょうし、なにより、何かしでかたらトンカ君やロッケちゃんに迷惑がかかると思えばブレーキがかかるでしょう?」
 テンプはじっとトンカを見る。トンカもまた。なるほど、確かに鏡に映ったようにそっくりだった。
 「借りても、いいか?」
 「もちろん」
 トンカに笑顔を返し、テンプは妹の方に顔を向ける。
 「ロッケは?」
 「悪いコト、絶対しない? 破ったら怒るよ?」
 テンプは力強く頷いた。
 「約束する」
 「じゃあ、決まりだな」
 誰が最初だったか、そこに小さな拍手が生まれた。



 筆を取り出すと、テオは封印壁の上に自分の右手とよく似た紋章を描いた。その紋章の真ん中に、真っ直ぐに右手を突き刺す。水面のように封印壁にさざ波が走り、右手は封印壁を通り抜けた。
 「手を取れ、坊主」
 テンプは不安そうにおずおずと前に出る。
 「心配すんな、ホラ」
 その背中をオーマが押した。
 頷くいて、テンプは勢い良く手を伸ばす。指先が、かすかに触れた。次の瞬間、テンプは色の付いた風になり、静かに紋章の中に吸い込まれた。
 手を引き抜くと、壁に描かれた紋章も同時に消えた。
 「やれやれ」
 封印したばかりの手の甲を見て、テオは溜息をついた。
 「どうしました?」
 「早速、出せ出せと五月蠅い。早まったかな、俺は」
 テオは雫を払うように右手を振った。次の瞬間、そこにはテンプの姿があった。



 「どこも違和感はないか?」
 落ち着かなげに跳んだり跳ねたりしているテンプにテオは問いかけた。ぴたりと止まり、テンプはテオに問いかけた。
 「……なあ、今度はアンタが、センセイになったのか?」
 テオはオーマとアイラスにちらりと目配せする。
 「……俺がセンセイになるのは、嫌か?」
 「なんか、ヤだな、おちつかない。センセイはセンセイで、アンタは嫌いじゃないけど、センセイじゃないし」
 テンプはくしゃくしゃと頭を掻く。
 「なあ、テオにセンセイに化けてもらえばどうだ? テオは実は変身能力があるんだぜ」
 オーマの口調はいささか演技がかっていた。しかしそれには気付かず、テンプはつま先を睨んで考える。
 「……なんかそれ、すげーやだ」
 結論を口にして、一人納得したように彼は頷いた。
 「オレあやまんないと。オレ、姿は化けられるけど、その人になる事は出来ないんだな」
 テンプはくるりと兄妹に向き直った。
 「ごめんな、オレ知らなかった。オレ、すげーヤなコトしたんだな。ごめんな」
 テンプはゴメンを繰り返した。トンカは、なんだ知らなかったのかよと笑い、ロッケは、もういいよと微笑んだ。
 そう、彼は知らなかったのだ。そして、身をもって知る事が出来たから、もういいのだ。



 「よし、万事解決。じゃあオレも出るか」
 連れだって石室から出て行く3人を見送り、オーマは伸びをした。
 「しかし、なんでまたこんな所に入ろうと?」
 改めて、フィセルが問う。
 「いや、なんかあいつ一人でつまらなそうだったし、それに封印される側ってのは、どんな気持ちなのか知りたくってな」
 その一言に興味を覚えたのか、テオがわずかに片眉を動かした。
 「それで、どうだった」
 「……あんま良い気持ちじゃねぇな。出られないってだけでこれだ。無音無明の闇なんざ、ひょっとしたら死ぬよりつれぇのかもしれんな」
 オーマは、過去に自分がした封印に思いを馳せた。あの反対側は、どうなっているのだろう。
 傍らで、テオが低く呟く。
 「無いに越した事はない、か」
 「ナニ格好付けてんだよ。本音はおもしろそうだから、だろ」
 シグルマの指摘は、しかし半分図星だった。
 「バレたか」
 「ばれてますよ。まったく、普段心配をさせてはいけないとか言っておきながら」
 アイラスはまだ文句を言い足りないらしい。
 「悪かった。軽率だったよ。でも、一応安全確認はしたんだぜ?」
 「知ってますよ。でも、いちいち言っておかないと次が怖いですから」
 「アイラスも、大変だな」
 妙にしみじみとテオが呟いた。
 「さぁて、出るか」
 オーマは、ぐるりと腕を回した。そして、異変に気がついた。
 「どうした、オーマ殿」
 「いや、壁が……無くなってる……ぞ?」
 「もしかして、テンプが外に出たから存在意義を失って消滅した……?」
 「いや。封印の解除条件が、反省したら、だからな。おそらくは……」
 「さっきのやりとりで、条件が満たされた、という事でしょうね」
 「じゃ、晴れて自由の身ってぇことか?」
 5人は顔を見合わせた。
 「アレに教えてやってもいいんだが……」
 「やめとけ、やめとけ。教えると図に乗るだろ」
 「なにより、まだまだ学ぶべき事も多いだろう」
 「じゃ、親父5人のヒミツってコトで」
 「あ?」
 「その名前には反対します」
 「同意する」
 「じゃ、腹黒にするか?」
 「ああ?」
 「そうだな、どちらが良いか……」
 そして足音は遠ざかり、遺跡は闇に包まれた。 




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【1889/テオ・ヴィンフリート/男性/30歳(実年齢40歳)/封印師】
【0812/シグルマ/男性/29歳(実年齢35歳)/戦士】
【1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳(実年齢19歳)/フィズィクル・アディプト&腹黒同盟の2番】
【1378/フィセル・クゥ・レイシズ/男性/22歳(実年齢22歳)/魔法剣士】
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■         ライター通信          ■
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大変お待たせしました。遅延5日で済んでいますでしょうか、大変申し訳ありません。
ライター通信書きたい事はたくさんあるのですが、一刻も早くお届けしなくてはならない状態なので、これは後ほどクリエーターショップの方にあげさせて頂きます。
ああ、ほんとうにもう、NPCよりWRのほうがよっぽどごめんなさいです。
ごめんなさい。
それでは。