<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>
囚われのイタズラ小僧
------オープニング--------------------------------------
その街のはずれには小さな遺跡があった。既に王立魔法学院によって調査は終了し、財宝もあらかた発掘され尽くしていたから、入り口の立ち入り禁止の看板も不必要なぐらい、もう長い事、誰一人訪れるものはなかった。
そこに、本当に久しぶりにやってきたものがいた。男の子と女の子だ。名前はトンカとロッケといった。
「お兄ちゃん、やめようよ。危ないんだよ? 入っちゃいけないんだよ?」
「うるせぇなあ。じゃあお前はそこで待ってろよ。俺一人で探検してくる」
妹を置き去りにして、トンカはずんずんと遺跡の中に踏み込んでいった。石造りの廊下がジグザグに折れ曲がりながら続いている。窓なんて一つもないから3回も曲がるとあっという間に真っ暗になってしまった。トンカは明かりを持ってこなかった事を後悔した。
暗い道を、壁に手を付いて更にジグザグに進むと、急に明るい空間に出た。
石組みの壁で囲まれた、広い部屋だ、とトンカは思ったが、すぐに勘違いに気が付いた。
部屋の向こう側に自分によく似た少年が立っている。トンカが部屋の真ん中に駆けよると、もう一人も同じように近づいてきた。トンカは手を伸ばした。手は、もう一人に触れる前に、堅くて平らなものにぶつかった。
「鏡だ。この壁全部、でっかい鏡なんだ!」
トンカは納得して満足げに頷いた。が、次の瞬間、ぎょっとして凍り付いた。
「……違うよ。鏡じゃない」
鏡の中の自分が、勝手に動いて喋っていた。
「な、なん、なんなんだお前?!」
「オレの名前はテンプ。鏡の精って呼ぶヤツもいたな。オレは、会ったコトのあるヤツにそっくりな姿になれるんだ。今は、アンタの姿を借りてる」
テンプは見えない壁の向こうでくるりと一周した。何処から見ても自分にそっくりだ。
「なんで、こんな所にいるんだ? 出られないのか?」
「ここに封印されてるのさ。ずうっと昔に、ちょっとしたイタズラをしたんだ。これはそのお仕置きだってさ。自分じゃ出られない。出し方はあるだろうけど、オレは知らない」
「そっか」
トンカは、ちょっとかわいそうになった。トンカもいわゆるイタズラ小僧で、しょっちゅうお仕置きを喰らうからだ。物置の閉じこめられるのは、結構つらい。
「しっかし、誰かに会うのは久しぶりだなぁ。昔来た冒険者達はオレには構ってくれなかったし。なあ、ヒマだったらちょっとオレと遊んでよ」
「いいよ。遊ぼうぜ。何しようか?」
「実はすげえ計画を練ってあったんだ。おまけに、上手くいったら、オレここから出られるかも」
テンプはトンカにこそこそと耳打ちをし、それから二人はにやーっと同じ顔で笑みを浮かべた。
ロッケは遺跡の入り口で兄を待っていた。心配だった。一つ年上の兄は、放っておいたら何をしでかすか分からない。ロッケの心配は見事に大当たりして、突如、ぎゃーっという兄の叫び声が聞こえた。
「お兄ちゃん?!」
ロッケは慌てて遺跡に駆け込み、目にした光景に言葉を失った。兄が二人いた。
手前の方の兄が意地悪そうな笑みを浮かべた。
「はじめまして。俺はこの遺跡に封印されていた鏡の精のテンプ。悪いんだけど、お前の兄貴と入れ替わらせてもらったぜ」
奥の方の兄が泣きそうな目をしていた。
「そいつにだまされたんだ! 姿を奪われて、代わりにこの壁の向こうに閉じこめられたんだ。なあ、ロッケ、助けてよ」
「と、閉じこめられたって……」
ロッケは駆けよって、自分と兄の間に見えない壁がある事を知った。
「出してあげてよ! ええと、テンプ、さん」
「やだね。そいつをそこから出す方法もあるんだけど、それも教えてやらない。俺を閉じこめた仕返しだ、俺はお前達が慌てる様子を見物させてもらうぜ」
「ロッケ、頼む、ここから出る方法を探してくれ」
「……わかった、冒険者さんたちに頼んで、そこから出してあげるからね。まっててね、お兄ちゃん」
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■1■
「お兄ちゃんが、閉じこめられちゃったんです」
緊張と不安がない交ぜになった声で、少女、ロッケは話し始めた。彼女が今回の依頼人だ。その依頼に応じた5人が彼女を囲んでその話を聞いていた。
ロッケの右隣から順に、金髪の青年剣士フィセル、隻眼の封印師テオ、四本の腕を持つ多腕族の戦士シグルマ、それから、もはや肩書不詳の腹黒同盟総裁オーマと、見た目はメガネのお兄さんだがきっと中身はただ者ではないアイラスだ。
「遺跡に、入っちゃいけないのに入っちゃったんです。あたしは、外にいて、悲鳴が聞こえて、急いで中に入っていったら、行き止まりの部屋にお兄ちゃんが二人いたんです。」
ロッケの口調はしっかりとしていた。ここに来るまでに何度も繰り返し説明の練習をしていたのだろう。
「二人の間には、見えない壁みたいなものがあって、向こう側にはいけないんです。壁の向こう側のお兄ちゃんは、閉じこめられた、助けてくれって言って、壁のこっち側のお兄ちゃんは、遺跡に封印されていた鏡の精のテンプだって名乗って、お兄ちゃんの体を乗っ取って、お兄ちゃんを代わりに閉じこめたんだって言ったんです。あたしがお兄ちゃんを出してって言ってもテンプは嫌だって言って、あたし、どうしたらいいのか、わかんなくて……」
少女は一瞬言葉を失い、涙を流す代わりに唇を噛んだ。
「……危ないところに、勝手に入ってごめんなさい。お兄ちゃんを、出してあげて下さい。お願いします」
ロッケは深く頭を下げた。小さな手がスカートをぎゅっと握りしめていた。
「心配せずとも大丈夫だ。ロッケ殿の兄は、必ず助けて出そう」
フィセルは端正な顔にかすかな笑みを浮かべると、優しくロッケの肩に手を置いた。オーマも不安を吹き飛ばすように威勢良く後を続ける。
「それで助けてから、二度とかわいい妹を泣かさねぇように、親父愛ゲンコツでお仕置きしてやらねぇとな!」
ロッケは突き出されたオーマの大きな手をまじまじと見つめた。アイラスがこっそりと耳打ちする。
「その時は、ちゃんと手加減するように見張ってますから、大丈夫ですよ」
見上げると、メガネの奥の目が優しげに笑っている。他の皆も、心配はいらないというように堂々としていた。
「……はい」
ロッケはやっと安心したように頷いた。それを見届けてからテオが本題に話を移す。
「では、その遺跡について知っている事を教えてくれないか?」
「えっと、入っちゃ行けないって言われてるから、よくは知らないんです。あたしとお兄ちゃんがまだ小さい頃……5年ぐらい前、かな? 何回か王立魔法学園から調査の人たちが来たんです。それで、調査が終わって、最後の人たちが『立ち入り禁止』って看板を立てて……その後は誰も入ってないと思います」
「つまり、調査員が入って以降、誰も手を触れていないのか。だとしたら……」 テオは低い声で呟いた。気付いたシグルマが問いかける。
「なんだ? なんか引っかかんのか?」
「いや、大したことじゃあない」
遮るように、テオはひらりと右手を挙げる。無骨なその手の甲には流麗な紋様が描かれていた。
「ともかく、調査が入っているならまずは賢者の館で資料探しだな」
「ああ。封印の解き方と、それから鏡の精について」
フィセルは以前関わった事件を思い出していた。その事件にも鏡が関係していた。資料があるからと言って油断してはならない。二人の少年の、一体どちらが本物か……。
「ところで、どうしてロッケさんが一人で来たんですか? 誰か、ご家族の方は?」
アイラスの問いは、なぜかロッケの顔を曇らせた。ロッケは言いにくそうに、うつむいて答える。
「あの、うちは……おとうさんは船乗りだから、今は仕事で遠くにいて……おかあさんは、もう、いなくって……。それで、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に住んでて、でも、おじいちゃん達に迷惑かけるのは……」
「ってこたぁは、誰にも言ってねぇのか?」
ロッケはこくんと頷いた。
「んじゃあ、今、遺跡は鏡の精と悪戯坊主の二人きりか?」
ロッケは小さく「あ!」と漏らした。
「まずいな、急いで戻らないと」
「二手に分かれましょう。片方は遺跡に戻る、片方は残って調査」
真っ先に、オーマが手をあげた。
「俺は遺跡に行くぜ。飛んでいけばすぐだ。小さい嬢ちゃんと、他の連中も一緒に乗っていけばいい」
「俺も乗せてってくれ、オーマ」
ばりばりと頭を掻きながらシグルマは続ける。
「遺跡の方が性に合ってる。賢者の館とか、ああいう本ばっかり並んでやがる所に行くと、どうも……」
「どうも、なんだ?」
シグルマはニヤッと笑った。
「一杯やりたくなる」
「一樽の間違いじゃないですか?」
苦笑混じりのツッコミはアイラスだ。
「じゃあ、僕は調査に行きましょう。お二人は?」
「私も調査に回ろう」
「俺も調査だな。封印は専門だ、一人居たほうがいいだろう」
決まったな、とオーマは席を立った。
「準備がいるんで先に行くぜ。二人は病院まで来てくれ。じゃあな」
そう言うとオーマは大股で歩き出し、あっという間に姿を消した。残りの仲間も揃って席を立つ。
「そういえば、肝心の遺跡の名前を聞いていませんね」
「ええと、遺跡は『アゲモの丘の遺跡』で分かると思います。ついでに、鏡の精はテンプで、お兄ちゃんの名前はトンカです」
「わかった。じゃあ、遺跡でな」
テオが言う頃には既に、シグルマは扉の前で待ちかまえていた。
「ほら、とっとと行くぞ、そこのちっちぇの。えーとロッケって言ったか?」
「あ……は、はい。ごめんなさい」
ロッケはちらっと調査組に目を走らせてから、慌ててシグルマの後を追った。
「……小さな女の子の相手をさせるには、ちょっと、大きくて怖いのが揃ってしまいましたかね?」
苦笑を漏らしたのはアイラスだけではなかった。
「俺もあまり人の事は言えないが、そのようだな」
シグルマはいかめしい鎧に身を包んだ4本腕の屈強な戦士、オーマはロッケの倍ほどの身長を持つ巨漢だ。二人にロッケを並べると、まるで捕まった宇宙人……もとい、巨人族に捕まったシフールだ。
フィセルは別れ際のロッケの不安そうな目を思い出した。
「済まないが、調査は二人に任せても良いだろうか?」
「向こうに回るか?」
テオの言葉にフィセルは頷いた。
「それに、鏡の精が逃げ出したりしていたら、向こうの方が人手が居るだろう」
「なら、ついでに一つ伝言を頼まれてくれ」
言葉を区切ると、テオは居住まいを正した。
「一度調査が入って、その上で放置されているという事は、その遺跡は安全と判断されたという事だ。なら、封印がそう簡単に解けるわけがない。鏡の精は出られない。つまり、二人は入れ替わっていない」
「……二人が嘘を付いている、と?」
テオは頷いた。
「多分、な」
なるほど、でも、と呟いたのはアイラスだ。
「それはロッケには伏せておいたほうがいいでしょう。兄をよく知っているのはあの子だけですから、なりすましを見破れるのもあの子だけです。不確実な情報で混乱させるのは好ましくありません」
「言う通りだ。だから、調査資料で確認するまで黙っておくつもりだったんだが……」
テオはフィセルに顔を向けた。思い当たる節が無く、フィセルは首をかしげる。
「後を追うのに理由はいろいろあったほうがいいだろう。というわけで、伝言よろしく頼む」
「……承知した。では」
くるりと翻したその背中にアイラスが声をかける。
「頑張ってくださいね、お兄ちゃん代理」
すこし間をおいて、コホンと一つ咳払いが聞こえた。アイラスはにこにこ笑いながらテオに教えた。
「気だての良い妹さんがいらっしゃるんですよ」
ああ、成程……と、テオは背中を見送った。
■2■
白山羊亭を出てしばらく、フィセルはシグルマとロッケに合流した。
「フィセル? どうした、遺跡行きに変更か?」
シグルマは不思議そうな顔をした。
「テオ殿から伝言を預かってきた。それに、もし鏡の精が逃げ出していたら、2人では手が足りないだろう」
「ああ、確かにそうだな」
フィセルはロッケに目を移した。シグルマの歩くペースは少女にはすこし速かったのだろう。息は乱れ、頬はうっすら上気していた。
「ロッケ殿、大丈夫か?」
ロッケが頷くのを見て、シグルマはしまったと漏らした。
「悪いな。気が付かなかった」
「……だいじょうぶ。早く、行こう?」
さっきよりほんの少しペースを落として、3人は再び歩き始めた。
オーマの家、シュヴァルツ総合病院と言えばエルザードでもちょっと有名なトンデモスポットだ。何が起こってもそれなりに不思議ではない。だが、今日はその庭に、病院の屋根と高さを競うほど大きな獣がいたので、3人はそれぞれそれなりに驚いた。毛並みは銀色、四つ足で頭部に豊かなたてがみがある。ライオンに似ているようだが、背中には見事な翼があった。それが『遅かったな。お? フィセルも来たのか、ま、いいや、早く乗りな』と、語りかけてきたので、3人は更にそれぞれそれなりに驚いた。
「乗りなって、その高さまでよじ登れってのか? 俺やフィセルはともかく、その嬢ちゃんは無理だぞ」
『あ、悪い悪い』
言葉にあわせて、ふっとハシゴが現れ、獅子の背に立て掛けられた。3人はそれぞれ、そろそろ驚き疲れたり、あるいはそうでもなかったりしながらハシゴを登った。
「もしかして、オーマさん、ですか?」
ロッケは視界一杯に広がる艶やかに光る毛並みを見渡して尋ねた。答える声は頭の中に響いている。
『まーな。ある時はメラマッチョ愛親父☆オブ聖筋界、またある時は天駆ける銀の獅子、またある時は……って、まあいいか、みんな乗ったな。シグルマ、フィセル、嬢ちゃんが落ちないように支えてやってくれ。んじゃ、飛ぶぜ』
巨大な獅子は翼を広げ、しなやかに空に駆け上がった。
それからしばらく。獅子は遺跡近くの適当な空き地に着地した。
「遺跡、あっちです」
ロッケは指差すと、転がるように駆けだした。巨大な獅子はちょっと目を離したその隙に姿を消し、跡にはオーマが、何故か木箱を抱えて立っていた。
「なんだ、その箱。どこに持ってたんだ?」
ロッケの跡を早足で追いながら、シグルマが尋ねる。
「ぬっふっふ☆ こいつはオーマ様特製腹黒ヒミツ筋ボックス☆ ま、開けてみてのお楽しみだ」
そう言ってオーマは、にまーっと笑った。
「それはそうと……」
フィセルは声をひそめた。ちら、と目を遣って、ロッケには声が届いていない事を確認する。
「テオ殿から伝言だ」
フィセルは封印が破られている可能性が低い事、そして、二人の少年は入れ替わったフリをしているだけかもしれないという事を伝えた。
「余計な混乱を避けるために、真偽がはっきりするまでロッケ殿には伏せておくべきだと思うのだが……」
二人はそれぞれ同意を示した。
「そんじゃ、いっちょカマかけて嘘かホントか見抜いてやるかね」
先を行くロッケがくるりと振り返った。
「あれが、遺跡の入り口です」
少女が指差す先、青々と茂った草むらの中に、ぽつんと石組みの建物があった。
抱えた木箱からランプを取り出すと、オーマはそれをシグルマに渡した。照らし出された内部は、荒廃の欠片もない。遺跡という呼び方が不適切なほどだ。
「コウモリもいなけりゃ、雑草も生えてねぇ。ついでに他所から住み着いた化け物の類もいねぇ。ってこたぁ、まだ生きてるんだな、この遺跡は」
シグルマは遺跡に踏み込んだ。その後ろにロッケ、フィセル、最後はオーマだ。
回廊は四面とも白い石壁で出来ている。最初の曲がり角を曲がったところでシグルマが歩みを止めた。右手の壁に光を当てる。
「何か彫ってあるな」
その壁には、一面に細かな紋様がぎっしりと刻まれていた。装飾目的にしては統一感に欠け、文字のように見えた。
「前に来た時は、気付かなかったのか?」
ロッケは首を横に振る。
「明かり持ってなくて、手探りだったから」
壁の模様を見ながらさらに進むと、また曲がり角があった。やはり一面に文字のような意匠が彫りつけられている。しかも、どうやら前の壁とは違う種類の文字のようだ。
「なにか、意図があるのだろうが……」
フィセルは眉をひそめる。あいにく、この文字も読めなかった。調査資料に解読結果が載ってる事を期待して、彼らは先に進んだ。
その次も、その次も、曲がり角ごとに種類をかえながら、文字が刻まれていた。
そして急に明るい空間に出た。
部屋の真ん中に、そっくりな姿の少年が二人たたずんでいた。
「お兄ちゃん、大丈夫? ケガとか痛いコトされてない?」
ロッケは真っ直ぐに、入り口から遠い方にいる少年に駆けよった。駆けよって、少年の直前で、何かにぶつかるようにして止まった。あそこに、壁があるのだ。そして、壁の向こう側にいるあの少年がロッケの兄、トンカを名乗っているほうだ。
「うん、平気だ。人を連れてきてくれたんだな。ありがとう、ロッケ」
兄妹のやりとりは、不自然ともそうでないとも判断しかねた。少なくともロッケは壁の向こうにいる方を兄と信じて疑っていないようだ。
オーマが罠を張るようにゆっくりともう一人の少年に話しかけた。
「お前さんが、鏡の精のテンプか?」
「そうさ。あんたら来るのおっそいぜぇ。逃げちまおうかと思った」
テンプはおどけたように肩をすくめる。
「逃げたかったら逃げりゃいいだろ。なんでおとなしく待ってたんだ?」
「そりゃ、困っているところが見れなきゃツマンナイからさ」
シグルマの追及もひらりとかわし、テンプは今度は唇を尖らせる。
「自由より、人が困っているところが見たいってか? そいつは変わってるな。こんな所に長い間閉じこめられてやっと自由の身になった。オレならスタコラサーとミラクル親父ダッシュで逃げ出すがな」
テンプはしまったという顔をして、急に口をつぐんだ。フィセルとしては、違和感を感じるにとどまったが、オーマとシグルマはこれで『入れ替わったフリ』と断定したようだ。
「そうだな。逃げるべきだったな。お前は悪い魔物だから、俺たちは捕まえて処分しに来たんだぜ?」
シグルマがテンプの首根っこを掴んで高く吊し上げる。
「さーて、捕まえたから、あとはこのまま簀巻きにして……」
「やっ、やれるモンならやってみろよ!」
腕一本でぶら下げられたまま、テンプはじたばたと暴れた。
「俺は体を乗っ取ったんだからな、この体を傷つけたらアイツが困るんだぜ?」
テンプが指す先にはトンカがいた。はっとしたようにロッケがシグルマの足元に駆けよる。
「ダメ! あの、わがまま言って、ごめんなさい。でも、あの、お兄ちゃんが困るから、痛いコトしないで」
「シグルマ殿、それは……」
ロッケをそっと引き離し、フィセルは『一旦降ろしては』と合図した。
このままの状態で妹を説得するのは難しい。何より、むやみに力に訴えるのは好みではなかった。
「……しょうがねぇな。じゃあ、最後の手段に取っておくか」
シグルマはテンプを床に降ろした。ロッケがほっと胸をなで下ろす。
フィセルが身をかがめ、テンプの顔を真っ直ぐに見て、真摯に語りかけた。シグルマを突撃とすれば、こちらは正攻法だ。
「テンプ、妹も心配しているし、トンカを元に戻す方法を教えてくれないか?」
「やーだね。大体、なんで妹だけなんだよ。親はどーしたんだよ」
聞く耳持たず、と、テンプはそっぽを向いた。そのまま壁に向かって小さな声で呟いた。
「親が心配して来たら、教えてやってもいいけどな」
「……だって……おとうさんは……」
ロッケが唇を噛みしめた。代わりに、壁の向こうからトンカが淡々と応えた。
「ウチ、母ちゃんは死んじゃったし、父ちゃんは遠くにいるし、じいちゃんとばあちゃんに迷惑かけるわけにはいかないから、それは無理だよ」
「……へえ、そうなんだ」
テンプの答えは感情を押しつぶしたように平板だった。フィセルは違和感を確信に変えた。
……こちらが、ロッケ殿の兄か。
一瞬だが、ロッケと同じ、寂しいような、悲しいような瞳をした。見逃さなかったのは、よく似た瞳をかつて何度も見た事があるからだ。
しかし、ならばこそ、妹を守るのが兄の役目ではないだろうか。
「……どうしても、元には戻せないのか?」
「やだね。どうしても」
さっきの声は嘘のように、テンプは再びとぼけた調子に戻って返事を返した。
「仕方ねぇな。残念ながら交渉決裂ってぇことで……」
言葉とは裏腹に、ウキウキとオーマは例の木箱を持ち出した。
「このキング親父☆オブ☆聖筋界のオレ様が封印壁を正面突破ってかね?」
「正面突破?」
まあ見てな、とオーマは木箱『オーマ様特製腹黒ヒミツ筋ボックス☆』の蓋を開けた。
「正面突破第一弾! 出でよ、ウチの居候霊魂軍団団員ナンバー3号!」
「ガッテン! アニキ!」
ぽんっと飛び出したのは半透明の小さな人魂だ。
「あの、オーマさん、それ、なんですか?」
「その名の通り、ウチに居候してる霊魂だな。あの壁は人間には通れねえが、人間じゃないものの中には通れるものもあるかもしれん。と言うわけで、行け、3号!」
「ガッテン! アニキ!」
霊魂はぴゅーっと壁に突進した。そして、へちょっと音を立てて壁に張り付いた。丁度、半分に切ったトマトが宙に浮いているような感じだ。トンカがぎょっとしたように目を見開く。
「どうやら、通り抜けられないようだな」
「なんの、まだまだァ! マッチョ愛を信じるんだ、3号!」
「ガ、ガッテン! アニキ!!」
最後の力を振り絞るように、トマトのしっぽのあたりがプルプルと震え、霊魂3号は一歩壁に食い込んだ。……ように見えた次の瞬間、ぽーんっとかわいそうな3号ははじき飛ぶ。見事な放物線を描いてオーマの頭の上を越え、再びへちょっと今度は床に張り付いた。
「ああっ! 大丈夫か3号!」
「あっはっはっはっ。ぜんっぜんだめじゃん」
テンプは腹を抱えてゲラゲラと笑っている。壁の向こうのトンカもくすくす忍び笑いしていた。
「くそう、だめか」
両面打ち付けられてトマトの輪切りのようになってしまった霊魂3号を拾い上げ、オーマはがっくりと肩を落とす。しかし3号は健気にアニキを励ました。
「ド、ドンマイ……アニキ……」
「ああ……そうだ! 明るく楽しくるんたったな聖筋界の未来のためにも、ココで挫けるワケにはいかねぇ!」
オーマはガバっと身を起こすと、再び『オーマ(中略)ボックス☆』の蓋を開けた。
「正面突破第二弾! 出でよ、ウチの……」
「ちょっっっと待て」
四本の腕を総動員してシグルマはぐいとオーマを引き留めた。蓋に葉っぱを挟まれた人面草が痛そうに、げきょげきょと呻いている。
「オーマ、お前一体何をいくつ持ってきたんだ?」
「えーと、霊魂は1から9号とおまけに28号。人面草はトゲがダガーみてぇに飛ばせるのと、実が爆弾になってるやつと、葉が刃になっているのと……」
そこでオーマはロッケにふり返り、にやりと笑顔を見せた。
「これだけあれば、なんか一個ぐらい通り抜けて兄ちゃんを助けてきてくれそうだろ。ま、そんな心配そうな顔してないで、見てな」
はい、とロッケは頷いて、握りしめていたスカートの裾を放した。
「まあ、調査組が帰ってくるまでやる事ねぇのも事実か……」
蓋から手を放すと、シグルマはばりばりと頭を掻いた。
「しょうがねぇ、一丁付き合うか」
「では、ここは任せてもいいだろうか?」
声をあげたのはフィセルだ。
「入り口の文字を見てこよう、読めるものがあるかもしれない」
了解と、シグルマはランプを手渡した。
魔法を習得し、あるいは古代竜に関する資料を調べる過程で、フィセルにはいくつか古い言語に触れる機会があった。だから、回廊に刻まれた文字の内に解読出来るものがあれば、と一人戻ってきたのだ。あいにくそこに見覚えのある言語はなかったが、いくつか手持ちの知識から類推して読み進める事が出来そうなものがあったので、彼はその壁の前に立って、整った横顔を難しげに曇らせていた。
……人のために、ここ、場所を、来た……ああ『この場所を訪れた人のために』か。
壁に刻まれているのは、どうやらこの遺跡に関する説明のようだ。フィセルにはこれを読み進める事は容易ではなかったが、専門の調査員ならば既に解読を終えているかもしれない。ここは無理せず、やはり仲間が調査資料を持ち帰って来るのを待とうか。
そう考えだした頃、石室の方から小さな足音が聞こえてきた。暗闇から駆けだしてきたのはロッケだ。
「ロッケ殿、そんなに慌てて一体どうした?」
ロッケはフィセルの丁度膝のあたりに飛び込んできた。
「た、大変なの! オーマさんが、オーマさんが……!」
「落ち着いて。オーマ殿が、一体どうした?」
フィセルは身を低くすると、落ち着かせようとロッケの背中に手を当てた。薄い肌越しに、彼女の心臓がバクバクと脈打っているのが分かる。
再びバタバタと足音が聞こえた。今度は少年が現れ、息も整えずに口を開いた。
「オーマのおっさん、封印に入って、出られなくなっちまったんだ」
フィセルは一瞬耳を疑った。ロッケが少年の後を続ける。
「あ、あの、ぽんってピンクの煙が出て、見えなくなって、見えるようになったら壁の向こうに、お兄ちゃんの隣にオーマさんがいたんです。それで、でも、出られなくなっちゃって……」
ロッケはフィセルの袖をぎゅっと掴んだ。見上げる顔が、くしゃりと歪む。
「ど、どうしよう。お兄ちゃんだけじゃなくて、オーマさんまで……」
「心配いらない。オーマ殿ならきっと大丈夫。さあ、とりあえず戻ろう」
フィセルはロッケの手を引いて歩き出した。
「そうそう、心配すんなって。めそめそすんなよ。せっかく、さっきまで笑ってたのにさ」
少年は後ろからついてくる。
「入っちまったのはお前のせいじゃないし、これでアイツも一緒に出してもらえるかもしれないし、ラッキーじゃん」
この期に及んで、まだこの少年は妹を悲しませるのだろうか。
フィセルは静かな声で尋ねた。
「ところで私には見分けがつかないのだが、お前はどっちだ?」
「……鏡の精のテンプだよ。お兄さん」
フィセルはもう何も言わなかった。ブーツの音だけが規則的に響いていた。
不意に、別の靴音が混じった。後方から近づいてくる、二人連れ。フィセルはふり返った。
「アイラス殿に、テオ殿か?」
「フィセルさん、それにロッケちゃんと……」
「鏡の精のテンプだ、よろしくな」
二人に向かい、テンプはそう答えた。
「二人とも、実は、困った事が……」
フィセルは石室に向かって歩きながら、オーマが封印の向こう側に行って、出られなくなったらしい、と告げた。丁度そこで回廊は終わり、彼らは石室に踏み込んだ。
■3■
石室に入り、彼らが目にしたのは大量のチラシに埋もれている可哀想な少年と大男と、それからそれを壁越しに見物しているシグルマだった。
「オーマさん!? 何考えてるんですか!」
真っ先にアイラスがオーマに詰め寄った。後に、フィセルと子供達が続く。テオはすこし離れ、封印の状態を調べに行った。
「よお、アイラス。ご苦労様、どうだった?」
「どうだったじゃないですよ! オーマさんこそ、解決しに来て問題の数増やしてどうするんですか! 入って出られなくなったらどうしようとか、実は捕まっているのも悪い人だったとか、そういう事は考えないんですか? 不用意な行動は……」
「いや、あのだな、オレも一緒に囚われの身になる事で士気を高めつつ、囚われの少年にも勇気を与えるというか」
「その挙げ句出られなくなっていたらメリットよりデメリットの方がずっと大きいですよ」
「……えーと……その……」
その剣幕にさすがのオーマもたじろぐ。他の仲間達は口も挟めない。
孤立無援? と呟いて、オーマはちょっと血の気を引かせた。
「むしろ自業自得です。ふざけてる場合じゃないですよ、一体何を考えて……」
「まあ確かに……」
おだやかに割って入ったのはテオだった。
「鏡の精の体を閉じこめておくためだけに作られた封印だから、対象物質は限定的だ。だからありえなくはないんだが……まさか本当に通るものがあるとはな」
珍しいものでも見るように、テオはしげしげとオーマを見た。
「オーマさんはしばらく放っておくとして、封印はどうでした?」
「ああ、それは……」
テオは二人の少年に目をやった。
「……出来れば、その悪ガキどもには聞かれたくないんだが」
「とゆーわけで、ちょっと悪いな」
ぱっとオーマがトンカの耳を塞いだ。テンプの方はシグルマが塞いだが、放せとわめくので口まで塞がれてしまった。
「さて、そっちの小さなお嬢さんはちょっと驚くかもしれんが……」
テオは一同を見渡し、最後にロッケに目をとめた。
「やはり封印は破られていない。調査書にあったままの状態だ。鏡の精は封印から出られない、つまり入れ替わりは起きていない」
「え?」
ロッケはぽかんと口を開ける。
「ロッケちゃん、この二人はね、二人で嘘をついているんです。こっち側にいるのが本当のお兄ちゃんのトンカ君で、でも鏡の精のテンプのフリをしているんです」
「で、でも……」
アイラスに説明されても、ロッケはまだ状況が飲み込めない。ロッケは二人の少年の顔を見比べた。
「本当に、こっちがお兄ちゃん……?」
「ロッケ殿、さっき、父上と母上の話をした時のことを思い出せるか? ロッケ殿は悲しかったが、壁の向こう側の、あの子はすらすらと答えていただろう?」
目を見張り、ロッケはこくんと頷いた。
「あっちの、閉じこめられているのは、偽物なんだ」
ロッケはほっとしたように、すこし笑った。それから困った顔になって、礼儀正しくお辞儀した。
「あの、お兄ちゃんが、悪いコトしてごめんなさい」
「嬢ちゃんが謝ることじゃねぇよ」
「これで残りは、悪ガキ2匹の処分だけだな」
「いえ、3匹ですよ」
アイラスは冷たい目でオーマを見た。さすがに放っておく訳にはいかず、フィセルはテオに問いかける。
「封印を解除する方法は無いのか? オーマ殿がこのままでは……」
「それが、はっきりしなくてな。鏡の精が反省すれば、封印は解けるらしい。以前何か悪さしたらしいが、何をしたか知らないか?」
「それが言わねぇんだよ」
シグルマが半分感心したように言った。
「すげぇぞ、アイツ。オーマの暑苦しい質問攻撃に耐えやがった」
その少年は、半分ぐったりしたようにおとなしくオーマに耳を塞がれていた。
「とりあえず、イタズラして怒られた、だか、なんだか言ってたが、聞き出せたのはそんだけだ」
「どのみち、反省したら、などというのは私たちが手出し出来る問題ではないな。しかし封印を解除出来ないとなると、オーマ殿はどうしたものか……」
「どうもしませんよ」
深刻そうに考え込むフィセルとは対照的に、アイラスはこともなげに言い放った。
「オーマさん、どうせまた未来を担うイロモノ頭脳のための試練とか言って、出られないふりをしているんでしょう? まさか、本当に出られないんだったら本当に見損ないますからね」
アイラスの視線がオーマを射抜く。オーマは巨体をちょっと縮ませて、申し訳なさそうに答えた。
「……ご名答、出られます」
アイラスは満足げな笑みを浮かべる。
「では、オーマさんの処理は一番最後で」
「じゃあ後は、この悪ガキを叱っておしまいだな」
いい加減限界だ、と言わんばかりにシグルマがぱっと手を放した。
「いつまで耳と口塞ぐなよ。くるしいだろ!」
鏡の精のふりをしている少年が叫んだ。
「で、この封印を解除する方法は見つかったのか? 早く出してよ」
少年のふりをしている鏡の精が尋ねる。その目を真っ直ぐ見て、アイラスが答えた。
「嘘を付くような人は出してあげられませんよ。鏡の精のテンプさん。もうとっくにバレているんですよ。」
テンプはぎくっという顔をした。
「封印を調べさせてもらった。封印は破られていない。お前達、本当は入れ替わってなどいないのだろう」
テオがトンカを睨んだ。気圧されて、トンカは一歩後ずさりする。ロッケが走り寄り、その手を取った。
「お兄ちゃん、みんなに謝って。それで、一緒におうちに帰ろう?」
「だ、だから! おれはお兄ちゃんじゃないって言ってるだろ!」
トンカは手を振り払った。
「お兄ちゃん!」
「お兄ちゃんじゃない! おれは! 鏡の精のテンプだ!」
顔を真っ赤にして、少年は叫んだ。
往生際の悪い……
シグルマは呟いき、少年の前に立ちはだかった。
「そうかい、お前は兄ちゃんじゃなくて鏡の精か。それじゃあ……」
二本の腕が大剣を抜き放ち、残る二本が少年の行く手を阻む。
「好都合だ。お前を殺せば封印は用無し、消えて無くなる。俺の仲間も本当の兄ちゃんも解放されて、万事解決だ」
シグルマが剣を振りかざした。
「だめ!」
割って入ったのはロッケだ。
「お兄ちゃん斬っちゃだめ!」
「どきな。そいつはお前の兄ちゃんじゃねぇってよ」
「ちがうもん、お兄ちゃんだもん! ね! そうだよね!」
「……知らねぇよ!」
隙をついて、少年は逃げた。
「……お兄ちゃ……」
ロッケの目から涙が溢れた。構わず少年は叫ぶ。
「おれは、トンカじゃない! 妹なんて知らない! 誰がお前らなんかに謝るもんか!」
「いい加減にしろ!」
怒号とともに、乾いた音がした。
少年は、打たれた頬を押さえて、立ち塞がる人影を見上げた。フィセルが、いつもは穏やかな瞳を、怒りに燃やしていた。彼も幼い頃に両親を亡くし、妹と二人で生きてきたのだ。
「妹を守るのが兄の務めだろう。それどころか、あんな風に泣かせるなんて、恥ずかしいとは思わないのか!」
腫れ上がる頬を押さえ、フィセルを見上げ、何か言い返そうと少年は口を動かした。しかし、漏れたのは言葉ではなく嗚咽だった。少年は顔を隠すようにうつむいた。
「……うるせぇよ」
ぽたり、と、雫が落ちた。
「……うるせぇよ。父ちゃんじゃねぇのに父ちゃんみたいに叱るなよ……」
それは、とても小さな、呟いた本人さえ気付かないような、とても小さな声だった。
「……トンカ……」
けれど、一番近くにいた彼だけは、その声を聞き漏らさなかった。
「家族がいなくて、悲しいのはお前も妹も同じだろう。妹はお前を助けようと頑張ってくれたぞ。お前は、妹に心配させて、わがまま言って、それでいいのか?」
2つ、3つ。また雫が落ちた。4つ目は落ちてこなかった。
「ごめんなさい」
トンカは慌てたように、ゴシゴシと袖で目のあたりを擦った。それから顔を上げて、あたりをぐるりと見渡した。
「嘘ついて、ごめんなさい。あと、迷惑かけたり、ひどい事言ったり、本当に、ごめんなさい、ごめんなさい!」
フィセル、シグルマ、テオ、アイラス、オーマ、それから……
「ロッケも、ゴメン」
同じように目を擦って、妹はやっとにっこりと笑った。
■4■
「ねぇ、あいつ父さん居ないのが悲しいの?」
テンプの尋ね方は無邪気だった。兄妹の方に気を取られていて、いや、正確には壁に隔てられているというもどかしさに気を取られていて、オーマは虚をつかれた。
「あ? ああ、そうだな」
そうか、じゃあ。とテンプは口の中で呟いて、『イイコト思いついた』というように満面の笑みを浮かべた。
「なあ、ロッケって言ったっけ? 父ちゃんの写真ある? いや、この世界は絵かな?」
急に声をかけられて、ロッケはビックリしたようにふり返った。
「持っておいでよ。父ちゃんに会いたいんだろ? 俺が化けてあげるよ」
ロッケはまだすこし目を潤ませていた。対照的に、テンプは声を弾ませる。
「あ、そーだ。お前んち母ちゃんもいないんだっけ。ついでだから母ちゃんにも化けようか?」
「……や、やだ」
ロッケの声が震える。
「なんで? 顔一緒なら同じだろ。遠慮するなよ。それとも、まさか顔忘れちまった? じゃあ思い出すの手伝ってやろうか? こんなだったか? それとも、こんなのか?」
テンプはくるりくるりと顔を変えていく。どれも丁度二人の父親ぐらいの年頃の男だ。
「や、やだ。ちがうもん、お父さんそんな顔じゃないもん、お父さんは、お父さんは……」
ロッケは懸命に父の顔を思い出そうとした。しかし、テンプが映すいくつもの顔に翻弄されて、上手くいかない。思い出そうとすればするほど、かえってもやがかかったように父の顔は見えなくなってしまう。
「お、お父さんは……」
「やめろ!」
怒鳴ったのはトンカだった。どん、と見えない壁を拳で叩いた。
「ロッケをいじめるな! 勝手に父ちゃんになるな!」
何を怒っているか分からない。テンプは一瞬目を丸くし、そして腹立たしげにつり上げた。
「なんでだよ! 同じだろ! オレ、そっくりに化けられるんだぜ! せっかくオレが会わせてやろうと思ったのに、何でどいつもこいつも怒るんだよ!」
大声を張り上げて、テンプもまた封印壁を叩く。怒りにまかせたように、その姿は男に、戦士に、そしてボコリと両肩が盛り上がり、やがて見た事もないような……
トンカは自分の体から血の気が引くのを感じた。次の瞬間、気がつくとシグルマに首根っこを引きずられ、封印壁から離れた所に来ていた。隣にはロッケと、それをなだめるフィセルがいた。
「今の……なに……?」
トンカはふり返るのを躊躇した。
「万が一を考えて、一旦、引きずって来ちまったが……」
シグルマは封印の方を見ていた。フィセルもそうだった。ロッケはうつむいて震えていた。
「見るぐらいで死にゃしないぜ。メドゥーサじゃねぇんだ。っても、仮にもここは遺跡だ。踏み込んだ時点でそれなりに覚悟が必要だったんだ。さ、どーすんだ、坊主。化け物は見るのも怖いってか?」
ズボンの裾をぎゅっと握りしめ、意を決したようにトンカは封印の方をふり返った。化け物は、いや、化け物に変わりかけたテンプは見えなかった。テオとアイラスが壁のように立ち塞がっていたからだ。
トンカより背の高い二人は、テンプが落ち着いて元のトンカと同じ姿に戻る様を見ていた。が、トンカには中の様子がわからない。
トンカはシグルマを見上げた。
「なんだよ。気になるんだったら見てこい。行きたきゃいけ、自分で決めな」
立ちつくしていると、トンカは後ろに引っ張られた。ロッケが裾を引いていた。
「ロッケ、怖い? 大丈夫か?」
ロッケは首を横に振った。が、裾は握ったまま放さなかった。
「……外、行くか?」
また、ロッケは首を横に振った。トンカは隣に座り込んだ。テンプのいるほうに背を向けて。シグルマとフィセルと逆向きに。
気にいらねぇ、とシグルマは少年を一瞥し、小さく鼻を鳴らした。
「……だって……」
「だって、なんだ?」
シグルマは容赦がない。
「大した覚悟もなく、なんとなく遺跡に入って、ちょっとイタズラのつもりが妹と大の大人五人も巻き込んじまって、挙げ句ビビって逃げて座り込みか? そいつぁちょっと情けなすぎると思わねぇか?」
トンカは、何か言いたそうにシグルマを見上げた。が、言葉が出てこない。
見かねたのか、フィセルは助け船役を買って出た。
「テンプは落ち着いた。咄嗟の判断で子供の安全を確保してしまったが、もう安全だ。話も出来るだろう。どうする? 怖いから帰るか、戻るか」
「……アイツと一緒に入れ替わったフリしてるの、楽しかったんだ。悪いヤツじゃないと思う」
覚悟を決めたように、トンカは立ち上がった。
「俺、戻るよ。ていうか、あんなのケンカにキレて犬連れてくるヤツよりマシじゃん」
「まあ、その意気や良しってか」
早口で言ったテンプの頭をシグルマは大きな手で軽く叩いた。その様子を見て、ロッケも立ち上がる。
「ロッケ、一緒に来るか?」
「……あたしも、ちょっと楽しかったし、それにお兄ちゃん心配だから、一緒に行く」
「妹の方が、頼もしいな」
フィセルのつぶやきは、妙に実感がこもっていた。
テオが、カツカツと右手で封印の壁を叩いていた。
「……外に出してやろうか。ここの封印を俺の封印につなげて、一旦俺の手に封印し直そう。それから、改めて解放してやる」
テンプが身を堅くしたのが離れていても見えた。
「ただし、条件がいくつかある。まずはさっきみたいに癇癪を起こさない事。それから、俺の言う事はちゃんと聞く事。破ったら、容赦なくまたどこかに封印して置いていくからな。逆に、しばらく様子を見て、大丈夫そうなら自由にしてやろう。
どうする。条件は守れそうか?」
「でも……オレ、また……」
「ウジウジすんなっ! 出ちまえばいいじゃねぇかっ!」
沈黙を破ったのは、トンカだった。いきなりの登場に、少なくともテンプは驚いていた。
「なんだよ、元々半分はお前が外に出たくて始めたんだろ。ここでビビんなよ、この弱虫やろうっ!」
「よ、弱虫って……」
テンプも立ち上がり、負けじと声を張り上げる。
「なんだよ。そっちこそ、さっきビビって逃げたじゃんか!」
「うるせ、ちょっとビックリしただけだ。あんなん、落ち着いて見りゃ、シグルマのおっさんの方が怖えぇよ!」
「誰がおっさんだ」
シグルマがぼかんと一撃頭に入れた。いでっ、と呻いてトンカはしゃがみ込む。
やっと二人はおとなしく……、いや、沈黙が間を満たした。
「トンカ、言うべき事は別にあっただろう」
フィセルに促され、やっとトンカは口を開いた。
「……ケンカ売っといて、ビビって逃げて悪かったな。ゴメン」
照れたような早口だった。それから、トンカは手を差し出した。
「出てこいよ。また遊ぼうぜ」
「……だそうだ」
テオは再び、壁を叩いた。
「どうする。テンプ。条件守って、外に出るか?」
テンプは、立ちつくしたままだった。
「一つ提案なのですが……」
アイラスは一本指を立てた。
「テンプ君は今とても反省している、でも、またさっきみたいに暴走するんじゃないかと心配している、そうですよね」
小さくテンプは頷いた。
「それじゃあ、このまましばらくトンカ君の姿を貸してもらったらどうですか? そうすれば今日の事を忘れないでしょうし、なにより、何かしでかたらトンカ君やロッケちゃんに迷惑がかかると思えばブレーキがかかるでしょう?」
テンプはじっとトンカを見る。トンカもまた。なるほど、確かに鏡に映ったようにそっくりだった。
「借りても、いいか?」
「もちろん」
トンカに笑顔を返し、テンプは妹の方に顔を向ける。
「ロッケは?」
「悪いコト、絶対しない? 破ったら怒るよ?」
テンプは力強く頷いた。
「約束する」
「じゃあ、決まりだな」
誰が最初だったか、そこに小さな拍手が生まれた。
筆を取り出すと、テオは封印壁の上に自分の右手とよく似た紋章を描いた。その紋章の真ん中に、真っ直ぐに右手を突き刺す。水面のように封印壁にさざ波が走り、右手は封印壁を通り抜けた。
「手を取れ、坊主」
テンプは不安そうにおずおずと前に出る。
「心配すんな、ホラ」
その背中をオーマが押した。
頷くいて、テンプは勢い良く手を伸ばす。指先が、かすかに触れた。次の瞬間、テンプは色の付いた風になり、静かに紋章の中に吸い込まれた。
手を引き抜くと、壁に描かれた紋章も同時に消えた。
「やれやれ」
封印したばかりの手の甲を見て、テオは溜息をついた。
「どうしました?」
「早速、出せ出せと五月蠅い。早まったかな、俺は」
テオは雫を払うように右手を振った。次の瞬間、そこにはテンプの姿があった。
「どこも違和感はないか?」
落ち着かなげに跳んだり跳ねたりしているテンプにテオは問いかけた。ぴたりと止まり、テンプはテオに問いかけた。
「……なあ、今度はアンタが、センセイになったのか?」
「センセイって?」
オレを作った人、と答えると、テンプは再びテオを見上げた。
「……俺がセンセイになるのは、嫌か?」
「なんか、ヤだな、おちつかない。センセイはセンセイで、アンタは嫌いじゃないけど、センセイじゃないし」
テンプはくしゃくしゃと頭を掻く。
「なあ、テオにセンセイに化けてもらえばどうだ? テオは実は変身能力があるんだぜ」
オーマの口調はいささか演技がかっていた。しかしそれには気付かず、テンプはつま先を睨んで考える。
「……なんかそれ、すげーやだ」
結論を口にして、一人納得したように彼は頷いた。
「オレあやまんないと。オレ、姿は化けられるけど、その人になる事は出来ないんだな」
テンプはくるりと兄妹に向き直った。
「ごめんな、オレ知らなかった。オレ、すげーヤなコトしたんだな。ごめんな」
テンプはゴメンを繰り返した。トンカは、なんだ知らなかったのかよと笑い、ロッケは、もういいよと微笑んだ。
そう、彼は知らなかったのだ。そして、身をもって知る事が出来たから、もういいのだ。
「よし、万事解決。じゃあオレも出るか」
連れだって石室から出て行く3人を見送り、オーマは伸びをした。
「しかし、なんでまたこんな所に入ろうと?」
改めて、フィセルが問う。
「いや、なんかあいつ一人でつまらなそうだったし、それに封印される側ってのは、どんな気持ちなのか知りたくってな」
その一言に興味を覚えたのか、テオがわずかに片眉を動かした。
「それで、どうだった」
「……あんま良い気持ちじゃねぇな。出られないってだけでこれだ。無音無明の闇なんざ、ひょっとしたら死ぬよりつれぇのかもしれんな」
オーマはどこか遠くを見て答え、テオは低く呟いた。
「無いに越した事はない、か」
「ナニ格好付けてんだよ。本音はおもしろそうだから、だろ」
シグルマの指摘は図星だった。
「バレたか」
「ばれてますよ。まったく、普段心配をさせてはいけないとか言っておきながら」
アイラスはまだ文句を言い足りないらしい。
「悪かった。軽率だったよ。でも、一応安全確認はしたんだぜ?」
「知ってますよ。でも、いちいち言っておかないと次が怖いですから」
「アイラスも、大変だな」
妙にしみじみとテオが呟いた。
「さぁて、出るか」
オーマは、ぐるりと腕を回した。そして、異変に気がついた。
「どうした、オーマ殿」
「いや、壁が……無くなってる……ぞ?」
「もしかして、テンプが外に出たから存在意義を失って消滅した……?」
「いや。封印の解除条件が、反省したら、だからな。おそらくは……」
「さっきのやりとりで、条件が満たされた、という事でしょうね」
「じゃ、晴れて自由の身ってぇことか?」
5人は顔を見合わせた。
「アレに教えてやってもいいんだが……」
「やめとけ、やめとけ。教えると図に乗るだろ」
「なにより、まだまだ学ぶべき事も多いだろう」
「じゃ、親父5人のヒミツってコトで」
「あ?」
「その名前には反対します」
「同意する」
「じゃ、腹黒にするか?」
「そうだな、どちらが良いか……」
そして足音は遠ざかり、遺跡は闇に包まれた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【1889/テオ・ヴィンフリート/男性/30歳(実年齢40歳)/封印師】
【0812/シグルマ/男性/29歳(実年齢35歳)/戦士】
【1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳(実年齢19歳)/フィズィクル・アディプト&腹黒同盟の2番】
【1378/フィセル・クゥ・レイシズ/男性/22歳(実年齢22歳)/魔法剣士】
掲載は申し込み順です。
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■ ライター通信 ■
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大変お待たせしました。遅延5日で済んでいますでしょうか,
大変申し訳ありません。
ライター通信書きたい事はたくさんあるのですが、一刻も早くお届けしなくてはならない状態なので、これは後ほどクリエーターショップの方にあげさせて頂きます。
ああ、ほんとうにもう、NPCよりWRのほうがよっぽどごめんなさいです。
ごめんなさい。
それでは。
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