<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


『世界祝福せし優しき夜に、愛の唄を聴く』


 さあ、歌いましょう。
 国滅ぼしの唄を、
 破滅の唄を。



 遥か遠き昔、一つの世界が滅びを迎えた。
 それを行ったのが翼在りし巨大な銀の獅子であった。
 それの吠える声がレクイエムだ。
 世界はそれの声によって終末を迎え、そしてその歴史を閉じた。



 ―――さあ、歌いましょう。国滅ぼしの破滅の唄を。
 それは魔女。
 ハーゲンワルツの森の魔女。
 銀の髪は地に付きそうなぐらいの長さを持ち、その髪に縁取られた美貌は白磁の色をしており、作りは麗しい。
 蛍の光りのような蛍光の瞳が見据えるのは一つの小さな国であった。
 人々は幸せそうに笑い、そこに悲しみは無かった。
 良き国主を持った国民は太陽のように笑い、その笑いが国の力となり、国は豊かに潤っていたのだ。
 国主はそれを心得ていた。すべてが上手く行っていた。
 ただひとつ、国主の頭を悩ませているのがこのハーゲンワルツの森の魔女だった。
 麗しき美貌を構成するパーツのひとつ、薄く形の良い唇の片端を吊り上げて魔女は嫣然と微笑んだ。
「こんな国、滅んでしまえばいい」
 そうして魔女は唄を歌った。



 ――――――――――――――――――
【今日から明日に変わって】


 オーマ・シュヴァルツは周りの世界を見回す。
 そこにあるのは世界を構成していた瓦礫だけだ。
 虚しく吹きすさぶ風が世界の無常さを詠う。
 暗い空に浮かぶ三日月を見上げて、翼在りし巨大な銀の獅子は吠えた。
 獅子は何を想い、哀れむのか、自分が破壊し尽くした世界を。



 さわりと風が吹いて額を覆う髪が揺れる。
 毛先が素肌を撫でてそれがくすぐったい。
 腕は無意識に動いて、額を覆う前髪を掻きあげる。
 さらさらと吹く風はその悪戯を除けば心地が良い。
 優しく素肌を撫でていくその感触は限りなく優しく、そして柔らかだ。
 大地の鼓動はそれに接する身体で感じられた。
 風の音色が穏やかに歌うのは子守唄。
 そして慈悲深き母の腕の揺り篭にいるかのように温もりをくれる太陽。
 世界の全てが幼い寝顔を曝して眠っているオーマを愛しているようだった。
 だけどきっと何よりもオーマに愛情を注ぎ、彼の眠りを守っているのは後頭部に感じるふわりとした柔らか味。心地良い弾力。オーマの妻、シェラ・シュヴァルツの太もも。
 シェラの膝枕で心地良さそうに眠っているオーマはどのような夢を見ているのであろうか?
 頬にかかる髪を艶っぽく掻きあげながらシェラは太ももの上のオーマの顔を覗き込む。
 すやすやと眠っている彼の顔はあの頃のまま。まるで無邪気な悪戯っ子の寝顔。素顔そのまま。永遠の少年。
 だけどその裏にある辛く暗い過去への彼の想いもちゃんと知っている。この人はそれすらも受け入れて、そしてその上で笑っているのだ。
 強い人。そしてとても不器用で、悲しい人。
 だから自分はこの男を選んだのかもしれない。
 愛したのかもしれない。
 いや、きっとそうなのだ。
 風が渡る。
 懐かしき世界、ゼノビアで見た、二人の想い出の地、あの花畑と同じルベリアの花が咲き誇る園。
 空には月がある。下弦の美しい月。
 人が世界を渡るように渡ってきた花たち。懐かしい世界のひとひら。
 錯覚を覚えそうだ。
 ゼノビアに居るような。
 そして浮かんでくる思い出。
 告白。
 了承。
 キス。
 ルベリアの花が咲き誇る園で契りを交わした夜の記憶。
 薄れる事の無い記憶。オーマへの愛と同じで。
「あんたはどうなのかしら?」
 ぽつりと罪の無い顔で眠っている夫に囁きかける。
 かわいらしく、艶っぽく。
 それから月を見上げる。
 下弦の月。
 その月の満ち欠けで計算すればあと数分で今日から明日に変われば………
 ―――あんたはわかっているの?
 唇を動かせる。声は無く。
 女からはやはり言いたくない。何時だって男から言い出してもらえたら嬉しいから。想われている証拠、あんたはあたしに見せてくれる?
 息苦しい程の予感。
 顔が少し熱くなる。
 まるで恋をしたての初心な少女のように。
 ああ、きっとこれはルベリアの花のせいだ。ゼノビアの匂いのせい。それが記憶の中の色褪せる事の無い想いを、緊張を思い出させるから。嬉しさを、幸せを。この男への愛しさと愛情とを。
 だからこんなにも息苦しいぐらいに緊張を感じさせる。
 嬉しかったからこそ、幸せだったからこそ。
 風が吹いた。
 幾億もの花弁がまるで図ったように一斉にその風に舞う。
 激しく激しく、息もできぬほどの無限の花びらが舞い狂う。
 まるで祝福してくれるように。
 シェラはその光景に息をするのも忘れていた。
 だからそれを思い出した時に小さく深呼吸をする。
「綺麗な光景だな。本当にあの時のようだ」
 下から聞こえた声にシェラは微笑みながら、そちらを見る。そこにはオーマの優しい穏やかな顔があった。
「起きた?」
「ああ。一番に先に言いたかったからな」
 にぃっと笑ったその悪戯っぽい少年のような顔に、シェラの胸に甘酸っぱい思春期の少女のようなトキメキ、予感が広がる。
 蒼い空に翼を広げて羽ばたかんとする鳥が胸に抱いているような大きな、期待。
「結婚記念日だな、俺たちの」
 顔がかぁーっと赤くなる。どくん、と大きく心臓が脈打って、その後に口から心臓が飛び出すぐらいに早く脈打つ。
「ありがとうよ、シェラ」
 言葉と一緒に出されたのはルベリアの花から作り出した髪飾り。
 オーマは腹筋だけで上半身を起こし、そして起き上がって、シェラの髪をそれで飾る。
 娘のようにシェラは頬を赤くした。
「ありがとう。オーマ」
「ああ、まー、な」
 オーマは鼻の下を右手の人差し指で擦った。照れてるオーマを素直にかわいいと想う。
 風に空間に舞っていた幾億もの花弁がひらひらとひらひらと降るように落ちる中で、オーマは微笑み、シェラに手を出した。
 シェラもくすりと愛おしげに微笑んでその手を握って、立ち上がる。
 ルベリアの園を二人で歩いていく。
 言葉は無かった。
 だけど二人居るその空間の隙間は想いが満たしてくれていた。
 ざぁーっと風が吹き、花が揺れる。
 オーマは歩いたまま、口を開こうとして、だけどその声は風に掻き消されて、
 シェラは小首を傾げた。
 ―――かすかに聞こえた、すまん、という言葉。
 ここで謝られる理由が浮かばなかった。
 とくん、と心臓が脈打つ。
 何が? と、言いかけて、だけど唇を閉じる。言葉を紡ぐのをやめる。
 どうして? 怖かったのかもしれない。オーマが紡ごうとした罪の名前が。
 だからシェラは聞き流した。
 風は絶えず吹いているのだ。
 その風が奏でさせているのだ、このルベリアの花が咲き乱れる園に、しゃんしゃんしゃん、という優しい音色を。
 シェラはそれでいいと想った。
 静かな園に馬のいななきがあがった。
「シェラさん、オーマさん。ようやく見つけました」
 鈴が鳴るような嬉しそうな声でそう言ったのはブルネットの癖のついたショートカットの少女。黒ぶち眼鏡のレンズの奥で冬の湖を思い出させるようなその瞳が無邪気に笑っている。
 少女は馬車の御者台から飛び降りると、スカートの裾を持ち上げて二人の方へと走ってきた。
 その少女は二人の部下である。外見はどう見てもものすごくドジそうな少女だがゼノビアにてヴァンサーソサティエの技術開発部門に所属していたヴァンサーだ。
 オーマが少し嫌そうな顔をする。馬車を見ながら。
「どうしたんだよ、おまえは?」
「はい。あぁ、えーっと、その前に二人でどんなお話をしていましたか、今まで? っていうか、相思相愛?」
「あぁ?」
 オーマは苦笑しながら頭を掻く。
「その、なんだ………」
 言いよどむオーマに変わって、シェラが肩を竦めながら答える。
「結婚記念日を祝っていた所。ねえ?」
 そう言ってオーマを見たシェラが小首を傾げたのはオーマの様子が何だか変だったからだ。
 しかしそんな疑問はすぐに吹き飛ぶ。
「ああ、良かった。じゃあ、遠慮する事はありませんね。っていうか、グットジョブ、ボク?」
 少女は笑いながらオーマとシェラの手を握るとそのまま駆け出そうとして、そして長いスカートの裾を踏んづけて、転びそうになってオーマとシェラを慌てさせた。
「えへへへ。すみませんです。でもこうやって今までご迷惑をおかけしてきた分だけ超凄いボクからの結婚記念のプレゼントです。受け取ってください。っていうか、受け取れ、こんちくしょう♪」
 にこりと笑った少女にオーマはものすごく嫌そうな顔をした。



 ――――――――――――――――――
【馬車ナビ】


 その部下と関わって何か良い事があっただろうか?
 否、そんな事は全く無かった。
 何時だってこの部下の発明に関わって無事で済んだ事が無いのだ。
 もしも結婚記念日のプレゼントをしたいというのなら、このまま右回れ右で、馬車に乗って去って欲しいものだ。それが最高のプレゼント。
 オーマは大きく溜息を吐いた。
「それで何だ、ありゃぁ?」
「馬車でしょう?」
 口々に自分の感想を口にする夫婦に少女はえへんと胸をそらした。
「馬車は馬車でもただの馬車じゃないです。だって最新のボクのカーナビゲーション付き馬車。しかも馬はただの馬じゃなくってユニコーン♪」
 右手の人差し指一本立てて笑って言う彼女にシェラはぱちんと手を叩いて嬉しそうに
「おお、すごい♪ ユニコーンって事は空も飛べる」
「はいです。っていうか着目してもらいたいのはそっちじゃなくってカーナビゲーションシステム。略してカーナビ♪」
 ガンはカーナビという事だ。
 オーマは何とかそれを使わないで済むような方法を考えるがしかし、所詮は………
「それでこのカーナビというのは?」
「幸せ探して教えてくれますよ?」
 何で疑問系なんだ。
 オーマは顔を片手で覆う。
 そのカーナビはとてつもなく不吉な感じがしてしょうがなかった。
 しかし敵は思いがけない所に居た。
「では、オーマ。ありがたく部下の気持ちを頂こうか。カーナビが教えてくれる幸せ探し」
 にぃっと笑うシェラ。乗る気満々だ。
 冗談だろう。
 オーマは苦虫をまとめて数十匹、口に入れたような顔をした。
 それでもそれがトラブルを起こす前に壊せば!
「ではでは、さあさあ乗ってくださいましまし♪ 御者はボクがやりますから。泥舟に乗ったつもりでどーんとボクに幸せ探しを任せてくださいませませ♪」
 黒ぶち眼鏡のブリッジを右手の人差し指で押し上げて、オーマが顔を片手で覆うのも無視して彼女はにこりと笑った。



 +++

 
「ではでは、参ります。カーナビスイッチオン。ぽちっとな♪」
 うぃーんとカーナビの機動音が仕出し、システムが立ち上がっていく。
 シェラは楽しげにそのカーナビの画面を見つめ、その隣でオーマは壊れろ、壊れろ、と祈っていた。
 しかし彼女は天才だ。祈っても無駄だった。システムは何のトラブルも無く立ち上がる。オーマ泣かせの天才少女。
『誰の幸せを探しますか?』
 スピーカーから声が聞こえる。
 少女は笑顔でオーマを振り返った。
 にこりと笑ってオーマの髪の毛一本を抜く。
 その髪の毛がカーナビの機械に入れられて、そして突然にソーンの地図が浮かび上がり、矢印が現れた。
「それではれっつらゴー♪ 出発進行ナスのお新香?」
 ユニコーンに馬車は引っ張られて空を走り出す。
 飛行高度は1000メートルほど。滑る様に馬車は風を切って夜空を走り出した。
 シェラは夜空に向かって手を伸ばす。先ほどよりも近づいた星。今なら掴めるかもしれない。
 その横ではオーマが顔を片手で覆ってげんなりとしている。
 だけどシェラは別段と気にはしていなかった。というよりも何となく遠足のバスの中の子どものような顔。少女の発明品によって不幸な目に遭う人間は確かに彼女がその発明品を発表する度に現れたが、しかしシェラはこれまでその餌食となった事は無かったし、それに何故かオーマが居れば、その不幸はオーマについてまわる。だから今回もきっとオーマ。シェラは何の影響も無いはずだ。
「それにこの娘は天才だからな」
「ん? 何か言いました、シェラ様? っていうか、馬の耳に念仏?」
「ん? んん、何でも無い」
 シェラは肩を竦める。
 この娘は発明品を作らせれば天才的なモノを作るが、しかし言葉遣いがちょっと………。
 苦笑しながらシェラは隣のオーマを見た。そして彼の耳を引っ張る。
「痛ぇ。何をしやがるシェラ?」
「あんたがずっと浮かない顔をしているからだろう? せっかくの部下からの結婚記念のプレゼントだっていうのに。はい、もっと楽しそうな顔をする。最高じゃないか、この夜空のドライブは」
 ウインクするシェラにオーマは不貞腐れたような顔をするが、しかしすぐに溜息を吐いて、その表情を改めた。
「まあ、な」
 それから夫婦で夜のドライブを楽しむ事にオーマはする。
 そう、今日は結婚記念日で、そして夜空はこんなにも美しい。
 こんな世界の綺麗な日には奇跡の一つでも起こるのかもしれないし、ひょっとしたら神の機嫌が良いからこそのこの世界の美しさなのかも。
 オーマがそう思い込もうとした瞬間にカーナビのスピーカーから、
『降りてください。降りてください。目的地上空に到着しました。目的地上空に到着しました』
 という声が流れる。
 少女は見事な手綱さばきで馬車を着地させた。
 そしてそこの風景にオーマもシェラも驚きを隠せなかった。
「まさか………。信じられん」
「本当に」
 そこは巨大な樹の枝の一つだった。
 巨大な樹の枝一つ一つは大陸となり、そこには聖獣たちの里があった。聖獣界ソーンの伝説の一つの地だ。
 そして馬車が降り立った場所には一つの卵があった。
 きっと聖獣の卵だ。何かが生まれそうな、そんな予感がする。
「これは確かに幸せだ。まさか聖獣の生まれるシーンを見られるかもしれないなんてな」
 オーマは感慨深げに卵を見据え、シェラも母親の表情で卵を見つめている。
「本当にすごい。命とは本当に神秘なのだから。それを見られるなんて、本当に幸運だ」
「今回ばかりはおまえの発明品には感謝だな」
 オーマはにぃっと笑いながら少女を見据える。彼女もオーマばりの悪戯っ子の笑みを浮かべて右手の人差し指で眼鏡のブリッジを押し上げた。
「まあ、至極当然って感じ♪」
 空気が孕む神秘の密度が濃くなっていったのはその時だ。
 何か、常識では計り知れない何かが来る予感。
 卵から何かが生まれる?
 そしてそれはその場に現れた。まるでホログラム、そんな感じでその姿が世界に投影される。
 常識では測り得ぬ世界の意志が具現化される。
 それはひとりの女だった。地面まで届く豪奢な金髪。赤い法衣。怜悧なブルーの瞳。生まれついての高貴さを感じさせるその姿。
 彼女は鷹揚な物言いで言った。
「よくぞここへ来られた、運命に導かれて。オーマ・シュヴァルツ」
「おまえは?」
「私はこの樹の世界全てを統べるもの。見守り、見届ける者。あなたたちについている聖獣も私がここから送り出した。そしてその卵も」
 オーマもシェラも卵を見る。
「この卵の中の聖獣が行く場所がある。でもまだ卵は孵らないからそこへは行けない。運命が彼女を認め、この卵という命の輝きを生み出したが、しかし卵が孵らない。オーマ・シュヴァルツ。だからあなたがその卵を持ち、あなたのもうひとりの娘を見届けよ。ハーゲンワルツの森の魔女を」
 卵はふわりと浮かび、オーマに向かったかと思えば、オーマの身体の中に溶け込んで消えた。
 そしてオーマは夢から覚めた気持ちで………否、見ていた心地良い夢が悪夢となったのを確信して隣のシェラを見る。そこにはものすごく良い笑みを浮かべたシェラの顔。
「さてと、説明してもらおうか、オーマ。あたしの目を盗んでいつそのハーゲンワルツの魔女だなんて娘をこさえたのか。ねえ?」
 とても冷たい声がオーマの心臓に目に見えない杭を打ちつけたのは言う間でもない。
「うわぁ、シェラさん大激怒。っていうか、オーマさん南無阿弥陀仏?」
 そうしてオーマはやっぱりろくでもない発明を今回も作った少女を睨みつけ、顔を片手で覆った。
 当然だがハーゲンワルツの森の魔女、そんな者には記憶は無かった。



 ――――――――――――――――――
【ハーゲンワルツの森の魔女】


「ハーゲンワルツの森。これで大丈夫。ナビゲーションOK?」
 少女はにこりと頷いて、馬車の手綱を握った。
 馬車の荷台にはシェラがひとりで足を組んで座っている。麗しき美貌には怒りの表情が浮かんでいた。
 馬車の窓枠に頬杖をついて彼女は大きく溜息を吐く。
「ったく。最低だ」
 せっかくの結婚記念日にこんな裏切りに遭うなんて。
 あの馬鹿は今頃ちゃんと自分の不始末を反省しているだろうか? あの馬鹿、オーマはロープで芋虫にして馬車の荷台の後ろから吊り下げられている。
「さっきの………」
 ―――すまん、は、自分の浮気を謝っていたのだろうか?
 考えるだけで腸が煮えくり返る。
 オーマと馬車とを繋ぐロープを切ってやろうか?
 シェラは本気でその甘い誘惑に駆られた。
「シェラさんに森にお届け者配達完了?」
「はいはい。下ろして頂戴」
 馬車が森に着地した瞬間にカエルを踏んづけたような耳障りな苦鳴が聞こえたが、シェラは無視した。
 馬車から降りようとして、しかしすぐに異変に気付く。
 いつの間にか自分たちを取り囲んでいる気配がある。しかも洗練されたこの殺気はそれなりの戦士だ。
「ったく。運が悪い」
 シェラはふっと口許に笑みを浮かべた。
 そう、運が悪い。
 こんなにも機嫌が悪くって、苛立ちの捌け口を求めている自分の前に自らしゃしゃり出てくるなんて。
「本当に運が悪い。その自分の運の悪さ、あの世で嘆きな」
 馬車から降りてきたシェラに、何やら地面に転がっている頭に大きな鼓舞を作ったロープの芋虫に胡乱気な顔をしていた男たちは目を瞠ったようだ。
「こいつ、ハーゲンワルツの森の魔女の仲間か?」
 ぴくりとシェラの顔が引き攣る。
「はい、スイッチON。地獄行き完全に決定。ボクは君子危うきに近寄らず♪」
 少女が取り出したのは5つの玉で、それを宙に放り投げると、それらはランダムで少女を取り囲みながら磁場を展開してバリアーを作り出す。
 それを確認してシェラは大鎌を取り出し、それを振り回した。
「さあ、来な、坊やども」
 男たちは腰の鞘から剣を鞘走らせて、シェラに肉薄する。どれも一撃でシェラを斬り捨てるために放たれた剣撃だ。
 しかし、
「はん。生ぬるい」
 斬。
 放たれた大鎌の旋風は簡単に屈強な男たちのバランスを打ち崩し、そしてシェラは大鎌の石突を男たちの眉間や水月に叩き込んだり、振り上げたそれを男たちの顎に叩き込んだりして、沈黙させた。
 物の数分で男たちを倒したシェラだがしかしまだその美貌には消化不良のような表情が浮かんでいた。
「で、あんたらは一体誰だい?」
「言うと思うか?」
「言う、言わないはそちらの勝手。ただこちらも言わせる努力は当然の如くやらせてもらう」そう言ってシェラはナイフの刃をぎらつかせた。「まずは指を一本ずつ。その後に耳を削いで、鼻、それから目をくりぬいてって、拷問のやり方は心得ている」
 シェラの自分を見据えるその目の冷たさに男はシェラが本気なのを確信せざるを得なかった。
 しかし………
「わ、我らも任務でこちらに来ている。言えるものか」
「ああ、そう。なら、楽しませてもらおうか」
 シェラは酷薄に微笑んで、そして少女を振り返った。
「あいあいさー。っていうか、泣きっ面に蜂?」
 少女が持っているコントローラーを操作すると、何やら鳥の羽根を持ったタコロボットが出現する。それを見た男の顔が引き攣った。
 そして昼間だというのに薄暗いハーゲンワルツの森にとてつもなく苦しそうな笑い声が響き渡った時、強い風が吹いた。
「この気配? まさか、そんな馬鹿な…」
 先ほどまで確かにロープで芋虫上にぐるぐるに縛られていたオーマがそのロープを解いて立っていた。
 その顔には深い戦慄の表情を浮かべている。
 そしてその場に獣の咆哮があがった。
 いや、オーマではない。
 そうしてその場に現れたのは銀色の狼であった。
 その狼の首に下げられているペンダントを見て、オーマが顔を引き攣らせる。
「ハーゲンワルツの森の魔女」
 男たちが悲鳴を上げた。
 銀の毛並みをした狼がひとりの少女となる。その神々しき美貌をシェラはどこかで見たような気がした。
「いや、誰かの面影? 誰の?」
 とにかくシェラは大鎌を振り上げて、魔女に肉薄するが、しかし魔女が手にした身の丈ほどある大剣の前に大鎌は呆気なくいなされて、そして、
「ちぃ。この太刀筋はオーマのぉ?」
 横薙ぎに放たれた剣撃を紙一重でよけて、シェラは再び大鎌を構えるが、
「悪いな、シェラ。ありゃあ、本当に俺の娘だ」
 いつの間にか背後にいたオーマの囁く声にシェラは大きく両目を見開き、目の前の敵の事も忘れて、彼女はオーマを振り返った。
「オーマァッー」
「すまん」
 シェラの顔から表情が消えた。オーマの顔に浮かぶ表情を見たから。
 そしてオーマは妻の腹部に当身を打ち込んで、彼女を気絶させた。



 ――――――――――――――――――
【シェラの憂鬱】


「あ、シェラさん、おはようございます♪ っていうか一朝一夕。もう夕方?」
 相変わらず使い方を間違った少女の言葉にも大した感情は浮かばなかった。
 ただ何もかもが色褪せて、世界はモノトーンに見えた。
 あの最後に見たオーマの、悪戯がバレテ、親の前に引き摺りだされた子どものような表情が忘れられない。やはりあの魔女はオーマの娘なのだ。
 シェラは物憂げな溜息を吐いて、起き上がった。
 それで今ようやく気付く。自分がふかふかの布団で寝ていた事に。
「ここは?」
 広い豪奢な部屋。
「応急です」
「いえ、王宮でございます」
 そう恭しい声でやんわりと訂正して言ったのはメイド服に身を包んだ少女だった。
「あんたは…王宮?」
 シェラは不思議そうな声で呟いた。
「はい。国王が貴女様にお会いしたいと申しております。我が国の屈強なる兵士たちを簡単にいなしてしまった貴女様にお願いをするために。ハーゲンワルツの森の魔女、それの討伐を」
 メイドはにこりと微笑んだ。
 それからシェラは「もう少しお休みなられますか?」、というメイドの気持ちをやんわりと断わって、国王への面会を申し込んだ。
 浴室で身を清め、綺麗な服を身にまとって彼女は国王の前に立った。
 王は鷹揚な物言いで口にする。彼が見てきたハーゲンワルツの森の魔女の悪行を。
「あれが現れたのは十六年前。最初は乳飲み子が森に住み着いている魔狼の住処に居る、そういうものであった。そこで私は兵を向かわせたがそれはすべて全滅した。だが下に恐ろしき事はその乳飲み子が驚異的なスピードで育ったという事だ。わずか3年で10代後半の少女となり、以後その姿をあれは保ち続け、悪行の数々を行っている」
「なるほど、魔女。確かにそれは見捨ておくことはできない」
 静かな、しかし凛とした鋭さと、氷の冷たさを持った声でシェラはそう言う、立ち上がった。
 その背に王は言う。
「うむ。そちの亭主、それがあれの父親なのかもしれぬ、そういう報告も受けている。本来ならばそちを人質とし、何らかの策を講じるべきところだが、そちの類稀な戦闘力を見込んでそちにハーゲンワルツの森の魔女討伐を命じる。もしもそちがそれを倒す事ができたのならオーマ・シュヴァルツの罪は問わん」
 シェラは小さく鼻を鳴らして、そこを後にした。



 +++


 少女は人質として牢獄に投獄された。
 そしてシェラには兵の一個部隊が貸された。同時に監視役として。
 馬の手綱を握りながらシェラはハーゲンワルツの森へと向かう。
「オーマ。あたしを裏切った罪は重いよ」
 シェラの眼中にハーゲンワルツの森の魔女はいなかった。



 +++


 暗い牢獄の中で彼女はイヤーカフスを指で弾いた。するとシェラにくっつけておいた盗聴機からシェラと王の会話が聞こえてくる。
「うーん、夫婦喧嘩は犬も当たれば棒に当たる?」
 呟いて、彼女はごろりと横になる。
「果報は棚から牡丹餅♪」
 そして彼女は眠りに入った。



 +++


「人質はどうしている?」
「寝ています」
「寝ている? 呆れたものだな」
「しかしあの女、本当に魔女を倒す事ができましょうか?」
「ふん、やれるさ。あの女はシェラ・シュヴァルツなのだからな。だからこそ同時にシェラ・シュヴァルツとオーマ・シュヴァルツが恐ろしい。いざとなったら殺せるようにしておけ。全員な」
「わかりました」



 ――――――――――――――――――
【オーマ】


 ―――しばし時は戻る。
 ゆっくりと全身の力を失って前のめりに倒れる妻を片腕で抱きとめると共にオーマはハーゲンワルツの森の魔女を見据えた。とても優しく、穏やかな顔で。
「まさかこんな所にいるとはな。随分と探したぜ」
 魔女は顔を横に振る。
「馴れ馴れしい。おまえは誰だ? それにその女。あたしはその女が嫌いだ。どうにも心がざわつく。だからぁ、殺させろぉー」
 オーマはわずかに片目を見開いた後にへっと鼻先で笑った。
「悪いな。俺様はもうこれ以上シェラを泣かせるつもりはねーよ」
 軽やかな足取りで彼は妻を抱いたまま、まるで妻とワルツを踊るように魔女の剣撃をよけていく。まるでその太刀筋、次の攻撃がわかっているように。いや、わかっている?
「何だ、おまえはぁ?」
 薄っすらと涙を目に溜めながら魔女は叫んだ。
「何だ、おまえはぁーッ」
 これまで以上の猛攻。
 オーマは哀しげな顔を一瞬した。
「父親だよ、おまえの」
 その言葉に魔女は両目を見開き、そして剣を落とした。具現化されていたそれは、同時に消えうせて、魔女は両膝を突きながら頭を両手で抱えた。ぽろぽろと涙を流しながら。
 そうして彼女は、
「うゎ―――」
 夜に泣き、消えうせた。
 オーマはシェラを部下に預けると、魔女を追った。
 そう、娘。ハーゲンワルツの魔女はオーマの娘なのだ。
 彼女を幸せに導く事、それがオーマがあの世界を壊した、守りきれなかった命、奪った命への償い。
 夜を駆け回るオーマの前に一匹の巨大な魔狼が現れた。
「戦いに来たのではない。それはわかってもらえているようだね」
 魔狼はにやりと笑う。
「ああ。殺気が無いからな」
 オーマも負けじと笑う。
「おまえは私の娘の事を知っているようだね。あの15年前に来た娘の事を」
「ああ。あれは俺様の娘だ」
 そしてオーマは魔狼に全てを話した。
「なるほど。オーマ・シュヴァルツ、あんた、良い男だね。どうだい、ここはひとつあたしの亭主となっちゃ。それがあの娘のためさ」
 苦笑を浮かべながらオーマは肩を竦めた。
「冗談だろう。俺様のハートはあの夜からシェラに奪われたままさ」
「ふん、妬かせてくれるねー。だけどそれはあの娘も一緒。あの娘もシェラに妬いている。あの娘はあんたの奥さんを殺しに行ったよ」
 オーマの右の眉の片端が跳ね上がった。
「そしてあんたの奥さんもあの娘を殺る気だね。だからあたしはあんたの前に現れた。あんたはどちらを助けるんだい? あの娘か、シェラか」
 ハーゲンワルツの森が息を潜めた。
 オーマの言葉に耳を傾けるように。
 返答次第ではいつでも殺せるように。
「決まってる。両方だよ」
 にぃっと大胆不敵に笑ったオーマに魔狼は笑った。
「やっぱりあんたは良い男だよ。乗りな、乗せていってやるよ」
「いや、いい。自分の翼で行った方が早い」
 転瞬にはオーマの姿は消え、そして東雲の頃の空には猛き神の如き銀色の獅子が神々しき翼を羽ばたかせて、駆けていった。



 +++


 ハーゲンワルツの森には魔法がかかっている。
 その森は迷宮だ。
 魔狼と魔女以外の者は迷い込めば二度と生きては戻れない。
 わずか一歩が、一日の距離、そう錯覚を覚えさせる魔法。
 しかしそれをシェラは難なく振り切った。
 森を駆け抜ける一頭の美しき牝馬。
 だがその牝馬のいななきが恐怖に染まった。
 シェラの前に一頭の銀色の狼が現れる。
 馬から降りたシェラは大鎌を構えた。
 牝馬は逃げていく。
 そして銀の狼も魔女となっている。
「変化の魔法、随分と魔女としても、そして剣士としても優秀なようだな。ハーゲンワルツの魔女」
 シェラが見ているのは何であろうか?
 ハーゲンワルツの森の魔女か?
 それともゼノビアで彼女とオーマの結婚に反対した者たちの顔か?
 ―――何故かは分からぬが異種族との間にウォズに似た異形を産む為にゼノビアでの絶対法律としてオーマ自身や彼の眷属ヴァルスの異種族婚は禁忌とされていた。だから二人は事実婚しかない。それでも幸せだったのだ。
 ………この小娘が現れるまで。



 オーマがずっと嘘をついてくれていたら―――



「うわぁ―――ぁ」
 シェラは大声をあげて闇雲に大鎌を振るう。
 だがその動きは乱雑だ。故に簡単に太刀筋をわからせる。嫉妬の想いが、そしてシェラの心に生まれたその隙につけこんだ者の思惑によってシェラは………
「あたしはぁー」
「あたしだってぇー」
 大鎌と大剣とが交わる。
 澄んだ鋼と鋼とがぶつかり合う音。
 シェラは大鎌を大きく振って、魔女を後ろに吹き飛ばすと同時にそれを振り上げて、魔女に肉薄し、


 ―――オーマの顔が浮かんだ。
 この魔女はオーマの娘…………


「ああ、馬鹿だなー、あたしは」
 苦笑するシェラの手から大鎌が落ちた。
 魔女は驚きに両目を見開き、しかしすぐに酷薄に両目を細めて、振り上げた剣を振り下ろす。
 鋭き斬撃はまさにシェラを餌食にしようとするがしかし、魔女が幻視したその光景が実現する事は無かった。
 振り下ろされた剣をオーマが真剣白刃取りで止めている。
「こういう時はどうすればいいのかね?」
 苦笑しながら肩を竦めたオーマにシェラは鼻を鳴らした。
「娘の躾はしっかりとやるのが親の役目だろう」
 シェラは茫然とする魔女の前に立ち、そして彼女の頬を平手打ちした。
 それからシェラは茫然と立ち尽くす魔女の頬をそっと触って、微笑んだ。
「こんなのでよかったら熨斗をつけてやるよ。本当になんだか急に冷めた。自分に」
 そう言ってシェラは振り返り、オーマにウインクする。
 それから彼女はオーマの腹に拳を叩き込んだ。
「くぅー」
 殴られた腹を両手で押さえながらオーマは苦笑を浮かべる。
 取り残されたようだった魔女はそこで声を荒げた。
「どういう事よ? あなたは」
「ああ、嫉妬していた。でも嫉妬する必要なんかないのを思い出した。だってこの夫は妻のあたしに首っ丈なんだから。だからこっちだってそれなりの余裕、持たなくっちゃだろう? それが良い女、ってなもの。それにあんたはあたしの夫の娘だかね。だからあたしにとってだって娘も一緒。馬鹿で罪があるのはオーマひとりさ」
 睨むシェラにオーマは万歳をした。
「さすが俺の嫁さん。やっぱりシェラが一番最強だよ」
「当たり前さ。あたしはシェラ・シュヴァルツなんだから」
 魔女はその場に跪いた。そしてオーマを睨む。
「あたしは、何? あたしは誰?」
 オーマは哀しげな目をしたが、しかしすぐに笑みを浮かべ、それを口にした。
「おまえは俺様の娘さ」
「嘘だ」
「嘘じゃない」
「じゃぁ、じゃぁ、あたしのこの胸にある高鳴りは何だ? どうしてあたしはおまえを………」
 その時だった。兵士たちが現れたのは。
「やはり貴様らでは無理であったか。しかも魔女と手を組んだな、シュヴァルツ夫妻。よって貴様らも殺してくれるわぁー」
 兵士長は剣を鞘から抜き払い、それが合図だった。
 オーマとシェラは顔を見合わせる。
 それからオーマは頭を掻きながらふてぶてしく笑った。
「おまえらが相手になると思っているのかよ?」
 そしてそれが気の迷いでも、身の程の知らずの言葉でもない事をオーマは楽々と証明してみせる。あっさりと一国の軍隊を全滅させて見せたのだ。
 その猛き神が如きの強さを見て、魔女は戦いた。そして何かを思い出しそうになった。何を?
 浮かぶ光景………
 世界の終末の光景。
 ―――そうだ。あたしが住んでいた世界はウォズによって侵略されて、もうどうにもならなくなっていた。特殊能力を持っていたあたし以外の皆はウォズに寄生されて、そうだ………
「3歳のあたし。それから16になるまで助けてくれたオーマに育てられて…」
 その時にオーマに剣の師事をした。自分の能力を狙ってまたウォズに教われないように。
 そうだ。そのウォズにオーマたちヴァンサーソサエティが気付けたのも自分の唄があったからだ。
 彼女の唄はその寄生型ウォズの天敵だった。
 だからこそ彼女もわかる。その兵士たちを操っていた奴の事が。
「あんた…」
 シェラは何か言葉を紡ごうとするが結局は何も言えなかった。魔女は泣いていた。
「そうだ。あたしは16になって、オーマが好きで、でもオーマが苦しんでいる時に何もしてあげられなくって、それが哀しくってあたしは注意が散漫となって、時空の歪みに落ちてしまったんだ。そこであたしの時間が逆流して赤子となって、あたしはこのソーンに16年前に来た」
 それから魔女はシェラを見る。笑う。ものすごく儚くって、切ない笑み。敵わない、そう唇が動き、そして彼女は唄を歌う。
 兵士たちの耳からは奇怪な虫が出てきた。そうだ。すべての記憶を自分は失っていたが、しかしそれでもオーマの弟子として、そして自分の故郷の世界の仇を本能で取ろうとしていた。あの国はすでにウォズに乗っ取られていたのだ。
 唄を歌う魔女の前にオーマとシェラが立つ。
 彼女の唄によってウォズたちが自分たちの存在を隠すために使っていた魔法は効果がキャンセルされた。故にオーマやシェラにもわかった。ウォズの存在が。
「さてと、それでは今度は俺たちから行こうか、ウォズどもを倒しに」
「あたしの心に干渉していたのもウォズだな。やってくれたよ。そのお礼、きっちりと返さないとね」
 魔女は歌いながら二人の後ろ姿を見据え、くすりと微笑んだ。
 現れた巨大なウォズ。それは虫と同じ形をしていた。とても重厚な甲殻に覆われた奇怪な蟲型ウォズだが、しかしそれが何だ?
 完全覚醒したハーゲンワルツの魔女の傍らに舞い降りたのは聖獣フェニックス。オーマに託されたそれは孵り、そして魔女を守る。
 オーマが走る。その姿はいつしか青年の姿に。
 彼は巨大なバズーカを放つ。その衝撃にオーマ自身も後方に下がるが、しかしその彼を飛び越えて大鎌を放つのがシェラだ。
 バズーカの砲弾が作ったわずかな罅に大鎌の一撃を叩き込み、そしてウォズは奇声をあげて飛び立とうとするが、その蟲の頭上に舞い上がった翼在りし巨大な銀の獅子の前足の一撃に呆気なく大地に叩き落されて、そして身を包む鎧を失ったそのウォズにシェラが最後の一撃を叩き込んで、オーマがそれを封印した。


 ――――――――――――――――――
【ラスト】


「雨降って、地固まる? ってか、やっぱり犬が棒に当たって、夫婦は食わなかった♪ 仲直りしたのですね、オーマさん、シェラさん」
 オーマは牢獄の中で嬉しそうに笑った部下に苦笑した。
「おまえのせいで本当にいい迷惑だったぜ、こっちはよ。ったく」
 指で部下の額を弾いてオーマは微笑み、それから彼女に背中を見せた。
「そうだな。でも確かに今回もおまえのせいで大変だったが、幸せは見つけられたよ」
 ハーゲンワルツの魔女は守り手として、王を失った民たちにより迎え入れられて、故郷を失った彼女に守るべきものが出来上がったのだ。温かな家族ができていたのもわかったし。
 それもこの部下のおかげだろう。
「ありがとうよ」
 オーマは背を見せて彼女にそう言い、少女はくすりと微笑んだ。


 そして一ほぼ日ぶりにオーマとシェラはルベリアの花が咲き誇る場所に帰ってきた。
 二人して花の園に倒れこむ。手を繋いで、前のめりに。何だか20数時間前にここから馬車で旅立ったのが随分と昔のようだ。
「ねえ、オーマ」
「あん?」
 自分を見据えるオーマの優しい目を見ながらシェラは口を開く。思い切って。
「あのハーゲンワルツの魔女があんたの隠し子じゃないのなら、昨日のあのすまん、はなんだったの?」
 その言葉がシェラの心に隙を作り、そしてそこから嫉妬という感情が漏れ出して、あの人の心の隙に卵を植え付けて、蟲を孵化させて、操るウォズに操られかけたのだ。それはもっともオーマへの想いで切り抜けたのだが。
 風が吹き、ルベリアの花がしゃんしゃんしゃんと鳴る。
 オーマは静かに上半身を起こして、そして崇高なる夜が支配する夜空を見上げた。
「いや、俺たちはゼノビアの絶対法律で籍も入れていなければ、式もできてはいないだろう。だからそれを、謝ろうとした。すまん」
 そうすまなさそうに言って、それから目をそらしたオーマにシェラはとても愛おしげな表情をした。
 シェラも身を起こし、それからオーマの傍らにぴたりとくっついて、そっと彼の首に両腕を回して、抱きつく。
「馬鹿だねー、あんたは。何を今更。あたしらには子どもだってもう居るのに」
「それでもそのよ、色々とあるだろう。おまえにだって夢が」
「あんたにだって夢が? あたしのウェディング姿を見たいとか」
 照れたオーマにシェラはまたくすりと微笑んだ。これでは本当に借りてきた仔猫だ、オーマは。
「この世界は平和でいいよね」
 そっとシェラは呟く。
「ああ。ゼノビアに居る頃は任務で忙しくって結婚記念日を祝うこともできなかったからな」
 そしてようやく二人で祝おうと思えば、あれだったし。
 そんな想いが表情に出ていたのか、オーマの表情を見てまたシェラが笑った。
 それから少し、いつもよりも表情を崩して、かわいらしく言う。
「まだ数時間はあるよ、結婚記念日」
「そうだな。ああ、そうだ」
 オーマは立ち上がり、そしてシェラの手を握って彼女を引っ張り立たせると、腰にもう片方の手を回した。
 今日と言う日はまだ終らない。
 それならもう少し、夫婦の大切な時を一緒に過ごしたい。
 風が吹いて、空間にルベリアの花の花弁が舞うこの場所で。
 そしてオーマはシェラに唇を重ね合わせて、離すと、まだシェラの唇の感触が残っている唇を動かした。
「式を挙げよう。それから入籍もしちまおうぜ。今日というこの夜に」
 悪戯っ子の顔で笑うオーマにシェラは両目を瞬かせて、それから苦笑した。
「本当にいつだってオーマは突然だ」
「嫌か?」
 シェラは肩を竦める。
「嫌じゃないけど、でもいいのかい?」
「ああ。この平和な世界に居られるのなら俺たちはそれを許されると思う。だからこそゼノビアでの挙式は全てが終わってからだ。それじゃあ、ダメか、シェラ?」
 シェラは静かに首を横に振って、それから濡れた瞳でオーマを見据えながら、彼の唇にもう一度、今度は自分から唇を重ね合わせた。
 ゆっくりと唇を少しだけ離して、
 そしてオーマは甘やかな吐息でシェラの顔をくすぐりながら囁く。
「結婚しようぜ、シェラ」
「はい」
 シェラは頷き、そして瞼を閉じて、オーマは再びキスをした。
 誓いのキス。
 契りの証。
 その瞬間に二人の衣装が純白のウェディングドレスとタキシードに変わる。


 健やかなる時も
 病める時も
 喜びの時も
 悲しみの時も
 富める時も
 貧しき時も
 これを愛し
 これを敬い
 これを慰め
 これを助け
 死が二人を別つまで
 共に生きる事を誓いますか?


 ルベリアの花が咲き乱れし園を照らしてくれる月の明かりをスポットライトの光としてダンスを踊るオーマとシェラをいつしか二人の密かな挙式と入籍の見届け人となってくれていた聖獣たちが優しい愛の唄を奏でながら温かな瞳で見守ってくれていた。
 そう、聖獣界ソーンはオーマ・シュヴァルツとシェラ・シュヴァルツの新たなる運命の旅路を祝い、祝福してくれていた。
 故にこの夜、ソーンの世界は暖かな優しさに包まれ、美しかった。


 ― fin ―


++ライターより++


 こんにちは、オーマ・シュヴァルツさま。
 こんにちは、シェラ・シュヴァルツさま。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
 今回はご依頼ありがとうございました。


 さてさて、いかがでしたでしょうか?
 オーマさんとシェラさん、お二人の記念すべき幸せの結晶の時間の任せていただけて本当に嬉しかったです。^^
 事件の方も二人の愛情再確認と言う事で昼ドラ形式で行けば不倫かな? やや、でもオーマさんはそんな事はしない。オーマさんとシェラさんの間がおかしくなって、でもオーマさんらしくって、そして二人の愛情を再確認できる事件は? と考えて、隠し子騒動にしました。^^
 やっぱりウォズも絡ませたかったですしね。^^
 ソーンでの入籍と挙式、というのを見て、ラストはプレイングを見た瞬間に決まったのですよ。^^
 聖獣が居るソーンだからこそ二人の結婚が許される、そういう文句は二人の背負う試練の重さ、そしてソーンという世界観を考えていたら自然と浮かびました。^^
 それに聖獣がいて、月は見ているけど、二人だけの挙式と入籍、というのが何だか大人の二人らしくって、ロマンチックで素適ですよね。^^
 本当にオーマさんとシェラさんに似合っていると思います。^^



 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼、本当にありがとうございました。
 失礼します。