<東京怪談ノベル(シングル)>


【真夏の未亜――何がどうしてこうなったの?】

 ――容赦無く照りつける真夏の陽光。
 地平線の彼方まで広がるコバルトブルーの大海原。
 砂浜は幾人もの海水浴客で賑わい、波音に負けない位の歓声が彼方此方から飛び交っていた。海から流れる磯の香りが心地良い。ここは真夏の海岸。そして、未亜の稼ぎどころ――――。

●働く少女の旗は棚引く
『すみませーん、ラーメン2つー』
                             『ヤキソバは未だかよ!』
       『こっちビール追加ねー♪』
                         『あのー、小さいお椀もらえますー?』
           『あたちのじゅーすまだぁ?』
「はいッ! 只今!」
 四方八方から飛び込む注文に手を休める事なく、早春の雛菊 未亜は、元気な声で応えた。
 鍋でラーメンを茹でながら、鉄板に油を引き、野菜や肉を炒め、タイミングを見計らって氷水に沈ませたビールを開けてジョッキに注ぐとパタパタと往復。当然、店の者が姿を見せれば更なる注文が強襲する。
「はーいッ! 今お持ちしますから☆」
 艶やかなボリュームのある淡い緑色の髪がサラリと揺れる度に、首の後ろで結った二本の触覚の如く延びた長髪が弧を描く。大きな赤い瞳は活気に満ちて輝いていた。
「おい、小娘ッ!」
 威圧的な男の声が飛び込む。テーブルには3人の強面がニタニタと含み笑いを浮かべていた。未亜は僅かな不安に顔色を曇らせたものの、タタタッと急いで駆け寄ると、微笑んで見せる。
「お客様、どうかいたしましたか?」
「どうかいたしましたか、じゃねぇだろう!」
 ドンッとテーブルを拳で叩き付ける大男。周りの客から笑顔と会話が掻き消えた。続けて線の細い男が口を開く。
「この店じゃあ客に釣り餌を食わせんのかぁ?」
「‥‥つ、釣り餌ですかッ?」
 男の言葉に少女は素っ頓狂な声をあげた。ラーメンのスープに浮いているのは、釣り餌で見掛ける磯蟲だ。
 ――言い掛かりだ。
 浜辺で出店していると偶にそういう輩に直面する。他の店から妨害工作として雇われた者だったり、金が目的の者だったり、働いている若い娘が目的だったりと、タイプは様々だ。出店手続き時に管理者からも教えられた。先ずは謝れと――――。
 しかし、因りによって磯蟲って‥‥。
「そ、そんなもの入る訳がありません! 磯蟲って岩場にいる生物だよ! ラーメンに入る訳がありませんッ!」
 ――そうだよ。きっと言い掛かりの素人なんだ。
「話になられぇな。おい小娘、調理師を呼びな!」
「‥‥未亜だもん。僕が開いている店だもん!」
 男達はおろか、客達も唖然とした表情を浮かべていた。小柄で背も低い少女は、てっきり手伝いで働いていると思っていたからだ。つまり、先ほどから行ったり来たりして、忙しく駆けずり回っていたという事は、この『海の家』は彼女一人で切り盛りしているという事か。
「ほぅ‥‥小娘が一人でなぁ」
 男の目の色が変わった事を未亜は直感した。男共の少女に流される視線が、頭からつま先まで舐めるように注がれてゆく。
「‥‥な、なんだよぅ」
 未亜は小柄で、未だ幼さが残るものの、美しく繊細な顔立ちをしている。細く柔らかそうな白い素肌を覆うのは、白いリボンをあしらった黒いセパレートタイプの水着と思しき衣装だ。幼さを醸し出す容姿に、夜の繁華街で見掛けるような大人の衣装が対照的で、危うい色香を漂わす。
 少女は頬を膨らまし、眉を吊上げるものの、口元をニヤけさせる男達に弱気になった。顔色を見透かされたか、小太りな男が邪な眼光をギラつかせる。
「つまり、子供の悪戯で蟲を入れられても気付く余裕はないって訳だ? こうして厨房から抜け出してりゃね」
「‥‥そ、それは」
 ――素人じゃない! プロだ!
 未亜の丸みを帯びた頬を一筋の汗が伝う。
 口篭もる少女に勝機を見たのか、線の細い男が胸元に顔を近付け、未亜の顔を下から覗き込む。
「いやいや、こいつが隠しているかもしれないぜぇ? この小さな膨らみの中とかなぁ」
「そんなッ! 隠してなんかいません」
「だったら証拠を見せてみろよぉ? こんだけ盛況でお客様も一杯だぁ、何も見つからなきゃ金払って帰ってやるぜぇ?」
 この場で衣服を脱げと言っているのだ。そんな事が出来る訳がない。口を開こうと、キッと顔を向けた時だ。リーダーと思しき大男が立ち上がり、鋭い眼光で少女を射抜く。
「だったら俺が身体検査をしてやろう」
「‥‥け、結構です! 何も隠してなんか‥‥やッ、放してよ、やだッ」
「そこまでにしときな。俺のヤキソバが来ない」
 未亜のビキニに手を注し込もうとしていた大男の背後で、落ち着いた男の声が響き渡った。線の細い男と小太りな男がいきり立つ中、麦わら帽子を目深に被った男は更に続ける。
「さあ、お客様にてめえの右手を開いて見せな。娘の柔肌に忍ばせようとした蟲が握られている筈だ」
 一斉に向けられる客達の視線。大男は奥歯を噛み締め、腕を震わすと、そのままドカドカと店から出て行った。慌てて追うのは二人の男だ。未亜はペタンと腰を落とし、安堵の息を吐いた。
「‥‥あ、ありがとうございます」
「‥‥大した事じゃない。それよりヤキソバだが‥‥」
 少女は赤い瞳を見開き、二本の長髪を棚引かせて厨房へ向かった――――。
「申し訳ございません! 申し訳ございません!」
 客達がゾロゾロと帰る中、未亜は首振り人形の如く、ペコペコと頭を上下させ続けていた。災難を目の当たりにし、文句を言う者はいなかったが、作り掛けの料理は全て食べられるものを超越していたのだ。
(これから後片付けが大変だよ。焦げ、落ちるかなぁ)
 しかし、災難は序曲に過ぎない事を少女は未だ知らない。

●不思議な状況
 ――心地良い小波の音と潮の香り。‥‥陽光が暑い。
「‥‥うぅ、ん」
 未亜はゆっくりと赤い瞳を開いた。
「‥‥そうか、未亜、後片付け終わってから夜風を浴びようと外に出たんだ‥‥。えっと、それから月を見ていたら眠くなって‥‥うん、寝ちゃったんだ」
 寝惚け眼で記憶を呼び起こすものの、横になったまま少女は起き上がらなかった。蒼穹の空と照りつける陽光に、再び瞳を閉じる。
「静かだなぁ。もうこんなに太陽が高いのに‥‥。あぁ、背中が冷たくて気持ち良いよ☆」
 ――背中が冷たくて気持ち良い?
 瞳を見開くと、勢い良く半身を起こした。拍子にチャポンっと水面が揺れ、自分が岩場にいる事に気づく。未亜は慌てて周囲に顔を向ける。右! 左! 後ろ! 前! こくんッと息を呑む。
「なに? ‥‥未亜、どうしてこんなところに?」
 視界に映るのは見渡すばかりの大海だ。周りに陸は見えず、未亜が座り込む場所こそ唯一の陸地である。しかも、水嵩はどんどん増してゆき、僅かな岩場をも大海に飲み込もうとしていた。
「‥‥だ、だれかーッ! だれかいませんかーッ!」
 精一杯の声で叫ぶものの、応えるのは小波だけ。不安が小さな胸に広がってゆく。頭の中がパニックと化すのも時間の問題だ。
「‥‥どうしよう‥‥未亜、泳げるのかなぁ? ううん、泳げたとしても、どこに向かえばいいのかな‥‥鮫だっているかもしれないし‥‥」
 自然と赤い瞳が潤んでゆく。怖い! 誰もいない海のど真ん中で、どこに行けば良いのかも分からない。
「だれかーッ! だれかいませんかーッ! 未亜を助けてーッ! だれ‥‥ッ!!」
 不意に声が途切れた。呆然と立ち尽くす少女の赤い瞳に、一隻の小船が映る。大きく見開いた瞳から涙が零れ出した。
「たすけてーッ! こっちだよーッ! あぁッ」
 波を掻き分け、小船がコチラに向かって来る。女の子一人位は十分に乗れそうな大きさだ。甲板に何人かの人影が見えた。コチラを指差しているみたいだ。未亜は叫びながら大きく手を振る。
「あぁ‥‥あの、助けて下さいッ! 船に未亜を乗せて下さいッ」
 小船から見える人影に救いを求めた。揺れる甲板に陽光が射し込み、船員の容姿が浮かぶ。コチラに顔を向けるのは3人の男だ。
「あの‥‥」
「金を払え」
 ――えっ?
「聞えなかったのか、乗船料を払えと言ってる!」
 ――この状況でお金を払えと? なんて人達なの? でも‥‥。
 このチャンスを逃したら助かる確率は低い。
 未亜は慌てて自分の衣服を手で弄った。何かあれば! お金になりそうなものが何かあれば助けてもらえる! 刹那、少女の肌から一気に血の気が引いた。自分は営業用の衣装を纏っているのみだ。
「‥‥あのぅ」
 未亜は上目遣いで小さな口を開く。
「お金を、持ってないんです‥‥」
「金目の物でも良いぞ! 何も無いなら通過する!」
「そ、そんなぁ! ‥‥今あるのは身に着けている服だけですッ」
 ――だめッ! 未亜は未だ死にたくないよッ!
 男が手摺から遠ざかろうとした時、少女は奥歯を噛み締め、瞳を研ぎ澄ました。今、置き去りにされる訳にはいかない。布の擦れる音が小波とセッションを鳴らし、衣服が細い脚からスルリと落ちた。
 未亜は背中を向けて遠ざかる男を呼び止める。
「これでッ! これを差し上げますから乗せて下さいッ!」
 男の瞳に映ったのは白い肢体を庇い、身に着けていた衣服を差し出す少女の姿だった。恥かしさに頬を紅潮させるものの、その瞳はしっかりと男を見つめる。
「‥‥乗れ」
 未亜は使われていない部屋に押し込まれた。灯りも用意されておらず、幾つもの縄が無雑作に巻かれて積み重ねられており、天井には鍵爪状の道具が並んでいる。中は生臭く、床には薄っすらと赤い染みが浮かぶ。小さな穴は鼠のものか。一見異様な雰囲気を漂わす部屋だが、魚の解体に使っていたのなら納得もできる。
「助かったんだから、我慢しなきゃ」
 少女は白い體を抱くように丸くなり、横になった。
 小波に揺れる船内の中、瞳を閉じた未亜が見る夢は‥‥。
 目が覚めた後、何が待っているのだろうか――――。


●あとがき(?)
 この度は発注ありがとうございました☆
 お久し振り! 毎度ありがとうございます♪ 切磋巧実です。
 もうすっかり季節は秋に向かっていますが、夏の番外編お送り致します。イラスト発注もありがとうございます。イメージちょっと変わったかな? ソーン版イラスト楽しみにしていますね☆
 今回はイラスト記念(?)として、演出させて頂きました。前半の時代劇かよ的な展開も、スムーズに未亜ちゃんの外見を描写する為です(笑)。こと細やかにしちゃうとテンポが崩れるので、微妙な感じですけどね。因みに冒頭の注文台詞は意図してやっております。彼方此方から声が飛び交う雰囲気が再現できるのではないかと。いかがでしたか、読み難いですか?
 明るい未亜ちゃんの感想もありがとうございます。楽しんで頂けて幸いです。今回のボイント(?)は、生きる事への執着かな。店を護りたい! もっと生きたい! って決意を読み取って頂けると何よりですね。
 さて、いつものパターンか月夜の怪異現象か? 船が向かう先には何が? それとも目が覚めたら何時もの砂浜? 何ともギリギリな境遇で危うい部屋に押し込まれていますが、くれぐれも、ね★
 楽しんで頂ければ幸いです。よかったら感想お聞かせ下さいね。
 それでは、また出会える事を祈って☆