<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


blanc 幸福なる刃

 川辺で、ひとりの男がぼうっと川面を眺めている。
 男の周辺は、一面の彼岸花が血の色にも似た色を鮮やかに輝かせ、空気にその色を溶かしながら静かに花開いていた。
 決して葉と花が出会うことの無い花。
 その中にあって、男、オーマ・シュヴァルツはどこを見ているのか分からない表情で、さらさらと流れる流れへ目を注いでいた。

 辺りには蛍だろうか。ふわり、ふわりといくつかの小さな青白い光が飛び回っている。その幻想的な光もあって、オーマはいつもは見せないような、どこか儚さを感じさせる
表情を自然に浮かべていた。
 ――ああ、それは彼岸花だよ。
 何故かこれだけが酷く目に付いた時に、教えてもらった名前。
 その独特の形、毒を持つと言う根、死者の行く先を意味する彼岸という言葉を冠する名に衝撃を受けた事を思い出す。

 ――血の色を連想させる花から目を離せなくなった理由は、そこにある。

 ふらり、と立ち寄ったこの場所、通りがかるような者もいない闇夜の中で、舞う青白い光の中浮かび上がる赤い花々に、逃げる事も出来ずふと腰を降ろしたのは何故だったか…。
 …そういえば。蛍もまた、死者の魂を模したものだと言う話も聞いた事がある。
 目の前に静かに流れる川を眺めながら、オーマは、そっと目を閉じた。

*****

 過去、と言うにはあまりに近すぎる時に、オーマは大罪を犯した。許されるにはあまりにも深すぎる罪を。
 一生かかっても償いきれない罪は、あまりにも不遜なことを考えたが故だった、と今なら分かる。――ひとの命を左右するような行為を、出来ると思い込んでいた罪。…それに他の者を巻き込んでしまった罪。
 命を繋ぐ、その言葉の本当の意味を忘れていた。ただ、自分のためだけに。愛する者を失う事を怖がるあまりに、世界の理から外れた行いに手を染め、その結果――。
 ――その結果。オーマは全てを失っていた。
 ふ、と口元だけが自嘲気味の笑みを浮かべる。相手の事を思えばこそ、と口で言うのは容易い。そのために、世界を犠牲にしてもいい、と言い切れる者は幸せだと思う。
 背負うものの大きさに気付かないうちは。

 ――ちゃり、と砂利を踏む下駄の音が、その背後から聞こえて来た。

「夕涼みからどこへ消えたかと思えば、こんなところにいたのかい」

 命を賭してでも、救いたいと思ったひとは、自分がされた過去をなんとも思っていないかのように微笑む。
 その微笑みこそ、何を置いても手に入れたいと思ったがために――今は、とても痛い。
 至高の幸福の刃を持つ、その女性の笑みを、享受しなければならない。
 心を切り裂かれても、やはり、手に入れていたいものだから。

「ん――ああ。なーんとなく、来ちまってな」

 振り返ること無く、そう答えると、オーマは少し体の位置を変えた。ちゃりちゃりと地面を踏んで近づいて来る、シェラの座る場所を取るために。
「この辺りは、地元の人も滅多に来ないんだってさ。…だからかね、まるで貸切りだよ」
 辺りを漂う蛍の数が、急に増えたような気がする。
「そうか」
「知っていたなら、オーマは来なかったかもしれないねぇ…ここは、死者と会える場所なんだとさ。あの対岸に、人影が浮かんでね」
「………そうだな」
 すぐ隣に腰を降ろした浴衣姿のシェラが、ぐいとその細い腕でオーマの頭を抱きしめた。そのまま、ことん、と自分の頤をオーマの頭に預けて、何かを見ようとするように対岸を眺める。
 まるで、誰かを探すかのように。
「…吐いちまいな」
 すぐ近くにある耳へ、そっと囁かれる声。ぴくりと一瞬その大きな体が動くものの、目線は今も彼女へ向かう事は無く。
「強情だねえ――相変わらず」
 こつん、と、痛みを全く感じさせない拳の先が、抱えられたオーマの頭をなぞる。
「仕方ねえだろ。もう性分になっちまってるんだ」
 謝って済む事ではない。いや、相手に許しを請う――その事で、相手へも罪を押し付けるのが嫌なだけだ。彼女ならきっと許す。オーマの罪を、全ての人に成り代わって浄化してしまう。そして、同じだけ、いや、それ以上に背負ってしまうのだろう。
 彼女の母性は、彼女自身が思うよりもずっと強く、大きいのだから。
「しょうがないねえ。この大きなお子様は――」
 ほら、力を抜きな、と言いながらシェラがオーマの頭を自分の足の上に乗せた。
「まま〜ん」
 すりすり、とすかさず頬擦りするオーマの耳が、千切れそうなくらい容赦なく摘み上げられて、
「調子に乗るんじゃないよ」
 ぽてん、と再び膝の上へ乗せる。そうして、小さくオーマが笑い、この場所に来てから初めてその赤い瞳が頭上のシェラを捉えた。
「だってよ。甘やかしてくれるんだもんよ」
「ばぁか」
 こつ、こつ、と拳がオーマの頭を叩き、ほんとうにしょうのない子だねえ、とシェラの真赤な唇が呟いて笑う。
「似合わない――」
 じゃないか、と言いかけたシェラの口がぴたりと止まった。そんな彼女の目が対岸へひたと注がれているのを見て、オーマも顔をそちらにねじ向ける。

 そこに。

 青白い人影がひとつ、ぼう…と立っていた。

「………」
 まさか、と言うシェラのかすかな呟きが降りてくる。
 人影は、その曲線から女性のようにも見えるが定かではなく、ふわふわと頼りなげに青白い輝きを見せており、こちらを向いて立っているように見えた。
「――ぇさん…」
 擦れた声で何か呟いたように見えたシェラだったが、その凍りついた表情からは、決して会いたい人物を見た時の顔には見えなかった。
 死者として現れる――その人影に心当たりがあるようだったが。
 オーマを膝に乗せている事も忘れたか、つと立ち上がろうとするシェラ。
 その時、

 ぱああ………っ、と、光が弾けた。

 オーマたちの周りにもいた光が、その光に合わせるようにふわりと浮いて、乱舞する。
 川面にきらきらと映る光。そこから浮かび上がる2人の男女と、その周囲を囲む赤い花。
 そんな、この世の物とはおもえない幻想的な光景に、2人はただ、黙って見つめる事しか出来なかった。

*****

「…死者が来るんじゃ、ねえんだな。きっと――見るものの目の中に、見えちまうんだ」
「――――」
 蟠った光の形に、意味を見出すのは、こころの中でその形をいつも思い描いているから。
 それもまた想いの形だと、オーマが呟いて、体を起こす。
「吐き出しちまえ」
 さっきとは逆の立場で。でも、相手を想う気持ちに偽りは無く。
「――ふ」
 だから、シェラもようやく強張っていた顔を皮肉気な笑みへと昇華させる事が出来た。
「寝言は寝ていいな。自分の荷も背負いきれない重い癖にさ」
「そりゃ尤もだ」
 オーマが笑い、それから目を細めて、微笑んだまま、
「けどなあ、俺は大馬鹿者だから。自分から無理してでも背負いたいモノもあるのさ」
 くしゃりと、その大きく無骨な手で相手の髪を掻き上げた。
「全く――ずるい男だね」
 シェラが微笑んで、きゅっ、とその頬を抓り上げた。
「いででででで」
「吐き出すときには、もちろんあんたの中身も内臓ごと吐き出させてもらうからね?覚悟おしよ」
「ふぁい…」
 くすりと笑いながら、シェラが手を離して、再びオーマに膝枕をしてやりながら、ゆっくりとそのごわごわした髪を撫でる。

 オーマは、笑みを口に浮かべながら目を閉じた。

 舞い上がる光の中に何を『見た』のか、決して口にする事無く。


-END-