<PCクエストノベル(1人)>
凍てゆるふ想花 〜アクアーネ村〜
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■冒険者
【整理番号 / 名前 / クラス】
【1989 / 藤野 羽月(とうの うづき) / 傀儡師】
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9月18日。
いとしいあなたの、誕生した日に。
あなたの傍へその花を添えたいと思う。
***
水の都と謳われる村――アクアーネは、エルザードからもっとも近い観光名所である。村はその大半を島のように水上に置き、大小様々、無数の運河が村のなかを走っている。そのような場処であるから、交通手段は船舶にほぼ限られ、幾艘ものゴンドラが、ゆらゆらと一定の速度で建物の間を滑ってゆく様は、如何にもこの村特有の景色であった。
また、村の持つ歴史の古さから、いまだひとの目に触れぬ遺跡の数々も村には残されているとの噂もあり、手軽な冒険先としても名を馳せている。
――この日もひとり、そのような噂のひとつを耳にして、この村を訪れた青年があった。
静謐の瞳が、黒い水面を映しては揺れる。
運河沿いの小道を颯爽と往く彼は、まだ少年と称しても良い年齢ではあったが、その腰に佩く剣の厳めしさ、周囲を窺う視線に、ときおり見る者が息を呑まずにはいられぬような、ぴんと張った空気がある。
羽月:「……一体、どこにあるのか」
その彼、藤野羽月から洩れた呟きには、珍しく焦りの色が覗いていた。
早朝に家を出、エルザードからこの村へ来た羽月だったが、目当ての品物はおろか、その情報さえも掴めずにいる。
アクアーネ村に、美しい水中花の咲く場処がある。
それはアイスブルーの、冷えた氷そのものを表したような、百合の花。
噂では、そう聞いていた。
水中花といえば、羽月の居た世界にもあったものである。主に夏、涼味を愉しむためにガラス容器のなかに開かせる造花のことだ。
しかしこのソーンには、実際に水のなかでのみ咲き誇る種の花があるらしい。それも、地上に咲くそれと似た、素晴らしい花が。
その花を求めて来たものの、情報収集は難航している。
世間話に夢中のご婦人方、追いかけっこの最中の子供たち、そして専門である花売りたちへの聞き込みにも、成果はあがらない。
陽は既に傾き始め、羽月は何度目になるか分からない溜息を落としながらも、村のなかを駆けてゆく。
まだ辺りの陽の色は朱ではないが、密集した建物の間を縫うように存在する水路と路地は狭く、昼間のうちでも薄暗かった。
人間がひとり通るのがやっとの路地をひたすらに進み、唐突に視界が開ければそこは、小さな広場だ。広場の中心に設えられた井戸では、子供がまだ残る暑さを払おうと水遊びに興じている。
懐かしい光景だった。
否、懐かしいどころか、その子供も、ベンチに坐る仲の良い老夫婦も、立ち並ぶテントの店々も、ついさっき、見たばかりである。
端的に言えば、羽月は迷子になっていた。
彼女のことは言えないな――と、ずっと“迷子”であった己の妻の名を思わず口にして、羽月は表情を引き締める。
そう、水中花を探そうと思ったのは、他でもない、その最愛のひとへの贈り物にしようと決めたからだ。
そこへ。
???:「おい、あんた! さっき水中花のことを訊いてただろう!」
聞き覚えのある濁声に振り向けば、先ほど聞き込みをした花屋の店主が、羽月を手招きしている。その横で、大柄な男が羽月を見つめていた。
やや警戒しながら羽月が近づくと、花屋は花束を作る手を休めることなく、傍らに立つ男を顎でしゃくった。
花屋:「この男なら、きっとその花のことも詳しいはずさ」
羽月:「! 水中花を、ご存知か」
示された男は無言で頷いた。
羽月は男を見上げるかたちで、それとなく相手を窺う。軽装ながら旅装束に、腰のホルダーに挿し込まれたナイフ、表情らしきものの浮かばぬ面では、鋭い眼光が羽月を見返している。
服装からは、どこにでもいる冒険者のひとりだとしか察せなかった。
男:「俺は、情報屋も兼ねてるんだ」
羽月の訝しげな視線を受け流して、男は言った。
羽月:「つまり、水中花に関する情報を売る、と?」
男:「まあな。……ちなみに、おまえ、水中花を見つけてどうするつもりだ?」
羽月:「贈り物にしようと」
男:「誰への?」
そんなことまで答える必要はあるのか、と思いながらも、羽月ははっきりと伝えた。
羽月:「――大切な、ひとへの」
ふうん、と男は唸るような応えを返して、不意に羽月に背を向けて歩き出した。
些か面喰らい、羽月はその場に立ち尽くす。男はそんな羽月に気づいて立ち止まると、軽く睨めつけてきた。
男:「案内する。付いてこい」
羽月:「まだ、情報料は払っていない」
眉を寄せてそう答えた羽月へ、男は肩を竦めた。
男:「必要ない。俺も花の様子は久し振りに見ておきたいからな」
そう放るように言うと、男は再び進行方向へ体を戻し、ずんずん先を歩いてゆく。
その姿が路地へ消える前に、羽月は仕方なく後を追った。
男:「……タカネだ」
追いついた羽月へ振り向くことなく男は告げる。
しばらく歩いてから、それが男の名前なのだと気づいて、羽月も短く名乗り返した。
***
道筋どころか、方向すら見失いかけるような路地が続く。村の規模自体はそう大きくはないはずだが、この迷路の出口などないのではないかと錯覚しそうにもなる。
前を行くタカネの背中が邪魔をして、前方への視界はきかない。そのせいで、突然立ち止まったその背へ危うくぶつかりそうになった。
誰かと話している。路地が途切れた場処らしく、羽月も抜けてタカネの横に立つと、どうやらそこは小さな船着き場のようだった。夕陽がそっと、河岸に着けられたゴンドラと暗い水面に射している。
間近で見る船の様子を観察していると、不意に腕を引かれ、ゴンドラに乗るよう促された。
タカネ:「水中花の場処まで、こいつが案内してくれる」
言葉に、タカネと話していたゴンドリエーレの方に顔を向けると、舌打ちとともに急かされる。
羽月のあとから乗り込んだタカネへ視線で問えば、片笑みが返された。
タカネ:「少しばかり値切ったんだ。あとで少し出せよ」
羽月:「……了解した」
呆れ声の返事と同時、ゆっくりとゴンドラは石造りの岸から離れてゆく。
慣れない揺れを感じながら、羽月は宵闇の迫る運河の先を見遣る。船は流れに逆らって進んでいたが、すぐに交差した別の水路へと逸れ、いくつかの橋の下を潜りながら水中花の許へ向かう。時々に、タカネの指示がゴンドリエーレへと伝えられ、櫂が運河の壁を突く微かな音が、静かな水の道に響いていた。その他には船に寄せる水音と、やけに遠くから聴こえてくる村の喧騒が別世界のようにあるだけだ。
見上げれば、藍色の空に星の瞬きが確認できた。帰りは遅くなりそうだった。そもそも花を見つけられるのか、それすらまだ分からない。
そんな羽月の不安を読み取ったかのようなタイミングで、タカネが口を開いた。
タカネ:「贈り物にするとか言ってたな。何かの記念日か?」
羽月:「妻の、誕生日だ」
タカネ:「妻ァ?」
それまでほとんど感情の揺れのない声音が、素っ頓狂に繰り返した。
タカネ:「おまえ、見たところ人間だろ? いくつだ?」
羽月:「十六」
タカネ:「その歳で上さん持ちか。大したご身分だ」
揶揄の色を感じて、羽月が冷えた目で睨めば、タカネは苦笑して首を振った。
タカネ:「誕生日なら、遅れるわけにはいかんな。……というわけだ。急いでくれよ」
後半は後ろで櫂を動かしていたゴンドリエーレへ向けて言う。漕ぎ手は「分かってる」と乱暴に答えると、殊更強く櫂を打った。
やり取りに羽月はすっかり先の怒気も薄れて、改めて視線を先へと戻す。両岸の建物から洩れる燈が、やわらかく水面に踊っていた。
タカネ:「降ってくるみたいだろ」
小さなタカネの呟きに、羽月は問い返すことなく頷いた。
建物の群れのひしめく村に、ぽっかりと空いた静かに細い路々。
光が、音が、降り注いでくるような――たしかに、そんな気がした。
ゴンドラの進む水路は徐々に狭まり、村のなかを航行しているのに、まるで洞窟の深きへ進んでいくように、比喩でなく辺りの騒々しさが消えてゆく。実際、左右に迫っていた住宅の壁はいつの間にか消え、片方を天然の岸壁が、右手にはただ黒く、何らかの人工の壁が延々続いている。
ゴンドリエーレに言われ、羽月はゴンドラの先端部分に置かれていたランタンの灯を点した。周囲に灯りはなく、来し方に遠くちらちらと村の賑わいが見えるのみである。
随分長い時間水上に居る。
羽月はタカネへ声を掛けようと、そちらへ面を向けた――その時。
ガン、と鈍い音がして、ゴンドラが大きく揺れた。
すぐに背後で櫂を操作する動きがあって、羽月の腕を強く引くものがある。タカネだった。
タカネ:「じっとして、片方に体寄せてろ。――着いたぞ」
その言葉にはっと周囲を見渡すが、ランタンひとつの僅かな光では、ただ闇のなかに今までより強い水の香りと、それに絶え間ない水音が聴こえるだけだ。
水音は、それまでの水路を渡るくぐもったそれではない。
滝か、泉か、川か、いずれにしろ自然のなかに息衝く水の流れの澄んだ音だった。
羽月:「ここに水中花が?」
タカネ:「ああ。すぐそこに泉が湧いてる。花はそこだ」
ランタンを手に先を行くタカネに続き、羽月はゴンドラを降りる。ゴンドリエーレは疲れたという言葉のかわりに、わざとらしく腕をまわして腰掛けていた。思わず苦笑する。
タカネ:「ほら、早く来い」
急かされて、ぬかるむ地面を上手く歩きながらタカネの示す泉へと。
小さな泉はランタンのどこかぼんやりとした光に照らされて、絶えず豊富な水を生み出していた。
羽月:「……っ」
溜息より先に、息を呑む。
橙色に映されているはずなのに、その泉の底は蒼い光に満たされていた。
そうしてその中心には――大輪の花。
次々と湧きいづる冷水にその身たゆたい、幽かな蒼さを花弁に添えた百合が、水面の向こうに咲いている。
透明な、硝子でつくられた花なのかと、思った。
ゆるやかな水流が、花を透けて見える。タカネに促されて、水のうちへ慎重に手を差し入れると、予想に違わずひんやり、凍みる。冷水のなかを泳ぐように手を伸ばして、羽月は群生する花から一輪だけを、そっと手折った。
大した抵抗もなく引き抜かれた水中花は、泉から取り出されると心做しぐったりと重みを伝えてきたが、薄い蒼の映ゆ色合いは変わらず夜闇に仄めいている。
噂通り、氷のごとくの、花だ。
タカネ:「一本だけでいいのか?」
羽月:「ああ。十分だ」
答えると、タカネは用は済んだとさっさとゴンドラへ戻ってゆく。
羽月は手のなかの水中花を見つめ、泉へ向け一礼してから踵を返した。
***
帰り路はゴンドリエーレの機嫌も良く、若干ながら下流へと向かっていたせいか、進みも速いように思われた。否、それは羽月自身の心持ちのせいかもしれない。
船着き場でタカネとも別れた。ユニコーン地域に散在する遺跡や村を定期的に巡っているということだ。またどこかで逢うこともあるだろう。
羽月はタカネの最後の道案内通りに路地を進んで、今度こそ迷わずにエルザードへの帰路につく。
道すがら、やはり思うのは、彼女の笑顔だった。
珍しい花、美しい花と聞いて摘んできたはいいが、常日頃から多様な花に囲まれている彼女に、喜んでもらえるかどうかと、ふと思ったりもしたが。
いいや、きっと、彼女は喜んで、くれると。
どこかでそう確信している自分に気づいて、羽月はかすかに笑む。
脇に抱えた包みには、大振りの、しかし随分と軽いガラス製の透明な瓶が収められている。瓶のうちには水が湛えられ、氷の花が揺れているはずだ。
路傍に咲く小さな野花も、温室で育てられた大輪の花も、この水中花も――すべて。
すべての花を、あなたに添わせよう。
そうして羽月は、自分を待つ、もっともうつくしい淡い紫の花の許へと、足を急がせた。
<了>
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